第39話 追うべき背中
アルス・ランフォードの覚醒。その場にいた誰もが唖然としていた。
皆、その卓越した努力を認めつつも、彼を凡の域を出ない人間だと評価していた。手を伸ばせば追いつける人間だとも思っていた。むしろ、彼が一度剣を手放したからこそ、同じ土俵に立てたとすら思いこんでいた。ところが実際は――。
「何よ、あれ」
セリーナは立ち尽くしてその様相を見つめるしかなかった。
追いつきたい、追い越したいとしていた背中。その背中は、今やあんなにも遠くにある。もう自分が彼の隣に立つことはできないのかもしれない――そのような恐怖心が背筋を震わせる。
「は、は」
「……クソ」
隣で見ていたヴァンとゲニングも同じ思いであった。あんなのと比べられるなどたまったものではない。下手をしたら神童のファルニウスにすら手が届くやもしれぬ、そんな躍動を感じたのだ。
才能、とは一蹴できない。
アルスが辛酸を舐めさせられていたのは同学年の自分たちが一番わかっていた。
今までの積み重ねもあった。『師』に恵まれてもいた。
だけれど全てがかみ合って、今の彼がある。
ならばどうして、嫉妬など、できようか。
◆
アルスと王宮騎士ソロルとの決闘もひと段落がつき、王宮騎士団ツアーも終わろうとしていた頃。王宮内のとある一室にて、アルスとソロルは語らっていた。議題はもっぱら――
「……娘の調子はどうかね」
「まあ、ソアレ嬢とは仲良くやっていますよ」
「そうかそうか。それはよかった」
実の娘、ソアレ・サンスロスについてであった。
なんだかんだで娘に関しては目がないのが父というもの。
アルスは苦笑しながら質問に答える。
「――彼女の性格には助けられてもらってばかりですよ」
建前などではない。本音であった。
セリーナと同じく、学内でも数少ない友人。
一度アークルード騎士学校から籍を外しても、変わらず接してくれたことがどんなに助かったことか。
「そうか、大切に育てた甲斐があったな」
ソロルは安心したように微笑む。
アルスはその貌をなんとも言えぬ気持ちで見つめていた。
「ただまあ、父としては心配が勝るのだ」
「それは、わかります」
騎士、それは魔術師を屠る退魔の職。
決して命の安全が保障されるようなものではない。
確かに、魔を祓った暁には莫大な名誉を得るだろう。それは何にも変え難ぬ代物かもしれない。ただ――
「ローグ・オーディンと共に君が成してきたこと、女王陛下から聞いている」
「……っ」
「ならばわかるだろう、騎士というものの現実を。誰もが英雄となろうとする。周りの大人もその幻想に憧れ、その道を歩ませようとする。ただね、決してその道は平坦なものでは、ない」
理想とは程遠い、現実がそこにはある。
「決して諦めろとは言わない。娘が選んだ道ならば、それに貴賤をつけるなどできやしない。それが親というものだろう?」
「…………」
「ただ、聞いておきたいのだ。何がために騎士となるのか。君ほどの努力をしてみせた人間は、誰がために剣を振るうのか」
何がために、騎士となるのか。
今まで我武者羅に剣を振ってきた。自分を追い込んで、遮二無二ローグの背を追いかけてきた。
決して褒められたような才覚があったわけでもない。けれど自分は今、剣を取っている。一度は手放したはずの、剣を。
ロレーヌの村にダンジョンが現れたあの日。自分を突き動かしたのはなんだったのか。今まで言語化などしてこなかったその本心を、アルスは問われているような気がした。
「最初は、自分のためでした。自分を誰かと比べて、強くありたい、強くみせたい。くだらない承認欲求だと思います。今でも、そういう部分はあるかもしれません」
「フハハ、結構結構。動機など騎士にとってはさしたるものでもない。金のためだけに騎士となり、大成したものなど幾らでもいる」
ただ、今は。
「けれど、それはちょっと違うかな、と。俺は誰かを守りたい。誰かを救いたい。要するに、誰かに自分を認めて欲しいんです」
「……その為だけに、あれほどの修練を」
ソロルから見ても、アルスが気が遠くなるような鍛錬を積んでいるのは明らかだった。
恵まれたとはいえぬ体格、肉付き。咄嗟の判断能力も、瞬発力も、探せば上はいる。
にも関わらず、彼は自分に冷や汗をかかせるほどに成長した。おそらく、あの土壇場で。
「現場を『知っている』だけです。自分は機会には恵まれた方でしたから」
何故かローグ・オーディンに見染められた。
騎士学校に入学してから、ことあるごとにダンジョンアタックをさせられてきた。学生からしてみればあり得ないことである。けれど、それらがあって自分は今、この地に立っている。
「凄まじい執念、だよ」
「……よく言われます」
「フハ、よいよい。君のような人間がいればソアレも道を見誤るようなことはしないだろうさ」
「それは、どうも」
学生という身分において、『現実』を知っていることが如何にアドバンテージたるか。アルスは改めて突きつけられる。
未来を見据え、自己投資する。
それは現場を知ってこそ、成り立つもの。
ローグ・オーディンという追うべき背中があったからこそ、ここまでやってこれた。
ソロルはアルスの答えを聞いたのち、しばらく考え込んでから、口を開く。
「……現役の私にもわからぬのだ。騎士とはどうあるべきなのか。どのような背中を示すべきなのか」
「俺の答えなんか参考になりませんよ」
「そう卑屈になるなよ、少年。自分のため、誰かのため、結構結構。若者にしかない視点だってあるのだから」
「………」
「私も、誰かを守りたくて騎士になった。その辺の子供がよく抱くような、ちっぽけな英雄像を胸に描きながら、ね。その想いは娘を持ってより強くなった。今の私を形成しているのはそれだ。間違いなく、それらが心の支えとなって今の私がある。今の強さがある。だからね、大切にしてほしいのだ。誰かを守りたい、誰かを救いたい、という純粋な動機を」
「……なれるでしょうか。あなたのような騎士に」
「ああ、なれるとも。君ほどの努力をする人間が、そうならなくては困るよ」
理想論、だろうか。
子供じみた動機だろうか。
いや、それでいいのだろう。
「辛いとき。苦しいとき。進むべき道を見失ったとき。誰かのために、という心根はいつだって君を助けてくれるだろうから」
アルスはソロルの貌を見て、理解する。
彼もまた、追うべき背中なのだと。
子供は大人の進んでいく道を、なぞっていくものなのだ。




