第3話 『落ちこぼれ』の落ちこぼれ時代
結果から言えば、勝負はアルスの圧勝であった。
流石は一度は世代の頂点とまで言われた男である。その実力は折り紙つきだった。
切り株にちょこんとセリーナが腰掛け、頰をつきながらこぼす。
「……やっぱり勿体無いわよ。絶対アルスなら騎士になれるわ」
騎士。
それは狭き門でもあり、名誉ある称号でもある。
騎士学校を卒業したとて、実際に騎士団に入り騎士となれるのはほんの一握り。
だからこそ、その力は、国や民を守るために振るわれるに足りえる。魔の者からの災厄から、彼らを守るには、一握りの英雄でなければいけないから。
「なったとして、俺は満足できない」
「どういうことよ」
「頂点じゃなきゃ、満足できない」
「……ばからしい。騎士になれれば、それでいいじゃないの」
「そうだよ、俺は馬鹿だ」
頂点の席は一つしかない。そんな狭い椅子取り合戦を制するなど夢のまた夢。それはアルスとてわかっている。——だから身勝手にも、退いた。
「あんたはなんで騎士を目指したのよ。最初から、そんな貪欲だったわけではないでしょうに」
「……いいや、俺は欲深かったさ」
欲深かったからこそ、道を踏み外したのだから。
「あんたは……憧れとかないの? 例えば、あなたに剣を教えた師匠だとか」
「ない、といえば嘘になる」
「——なら」
「でもそれは分不相応なんだよ。俺は『師匠』に憧れを抱いちゃいけなかった。その程度の、才能だった」
かつてアルスは同世代の騎士学生の憧れであった。
才無き者が、努力によって騎士への階段を駆け上がる。その様子がどれだけの騎士見習いを突き動かしたか。かくいうセリーナも、その努力を目に焼き付け、必死に喰らい付いてきた一人であった。
だからこそセリーナは唇を噛む。自分が憧れていた、かつての光はこんなにも憔悴していて。それを許せることがあるだろうか。自分をここまで突き動かした責任を、取ってもらわなければ気が済まなかった。
——それも、あっけなく敗れ叶わなかったが。
「……その『師匠』さんが、アルスはまだ強くなれると言っていたら、どうするわけ?」
ぴくり、とアルスの表情が動く。
アルスはわかっている。自分は『天才』には及ばないということが。どうしようもない壁がある。それを本当に越えれるというのか?
「……そんなわけ、ない。俺は、もう」
「あーもう、うじうじしててむかつくわ。『才能』なんて言葉に逃げて、努力から逃げて。それが本当のあんたなの? あんたはそんなんじゃなかったでしょう。昔のあんたはどんな時でも諦めなかった。だから今のあなたは強いのよ」
「それは……」
セリーナの瞳がアルスをまっすぐと見つめた。その瞳は眩しくなるぐらいにどこまでも透き通っていて。
わからない。アルスにはわからない。
一度剣から逃げた身で、おいそれと再び戦いの場に飛び込んでもいいのだろうか。それに、また飛び込んで駄目だったら。また『天才』に打ちのめされてしまったら。今度こそもう立ち直れない。
アルスは居た堪れなくなって、セリーナから視線を逸らす。その目は自分に向けていいものではない、とアルスは心の中でひとりごちた。
(今の俺に、そんな期待に満ちた目を向けないでくれよ……)
今のアルス・ランフォードは、ただのしがない農夫なのだから。
◆
セリーナ・ローレンスは所謂『凡人』側の人間であった。
十三で名門、アークルード騎士学校に入学してから最初こそは成績優秀。誰よりも早く技術を身につけ、教師に褒められたこともある。
とはいえ女という性に生まれたこともあり、優れた体格を持ち得た訳でもない。どうしようもない、覆りようのない才能の差というのはある。
日に日に同級生に追いつかれていくような感覚。気付けば得意の攻めの剣もそれほど秀でたものではなくなっていて——。
そんな中で、天賦の才を持たずに努力のみで騎士への階段を駆け上がっていったアルスは、セリーナにとってあまりに眩い光だった。
二人の始まりのきっかけは何気ない、同級生同士としての会話だったか。
入学して間もない頃、田舎っぺのアルスは落ちこぼれもいいとこだった。一方のセリーナは、いたって成績優秀。当初彼らは水と油のような存在であった。
『もう放課後よ。まだ素振りしてるの?』
そこには黙々と剣を振るうアルスの姿があった。
汗まみれで拙く剣を振るう彼の必死な姿に、セリーナは思わず内心笑ってしまった。滑稽で、愚直で、馬鹿げていて。
けれどその愚直さは、彼女の胸のどこかを強く突いた。
セリーナは、たまたま通りがかっただけ。当時落ちこぼれだったアルスを憐れに思い、なんとなく声をかけてみた。
『俺は才能がある訳じゃない。だから頑張らないと。一分一秒さえ惜しいんだ。今こうしている間にも、差は広がっている』
『何も考えずに剣振ってたって意味ないわよ。ほら、姿勢曲がってる』
『ぐぎ』
セリーナが無理やりアルスの背中をピンと伸ばさせると、そこから間抜けな声が漏れた。
『……あんたって本当馬鹿で間抜けよね』
『う、うるさいやい』
『闇雲に努力してても何も変わらないわよ。考えて努力しないといけないのよ、ばーか』
『考えて……努力する……』
最も、それが出来るものはなかなかいない。
皆、惰性に任せ、結局はアルスと同じような紛い物の努力で努力した気になって、満足する。セリーナもそれは同じであった。
——考えて努力する。
セリーナだって分かってはいる。
騎士の卵としてこの学校に通う皆が分かってはいる。
それでもやれないのが普通なのだ。突き詰めれないのが普通なのだ。だってそれは、辛く、厳しい道のりであるから。皆、どこかで妥協してしまう。
それをこの少年は、
『ありがとう、セリーナ。そうだね、騎士になりたいなら妥協しちゃいけない。もっと考えながら、頑張らないと』
やってのける精神力があった。
強く、研磨された心があった。
少年は心を入れ替えたように再び剣を振るい始める。
あくる日の放課後。
今日もまた、必死に剣を振るうアルスの姿があった。
恐ろしいことに、気まぐれでセリーナが声をかけてから数週間も経たない内に、アルスの素振りは綺麗に洗練された物へと様変わりしていた。
『あ、セリーナ。この前はありがとう。おかげで見てよ、この通り』
分不相応な学位。落ちこぼれの田舎っぺ。騎士見習いの見習い。
アルスに対するセリーナの評価はおおよそこんな物であった。それはセリーナだけではない。同級生の誰もが、そう思っていた。
そのアルスの剣捌きに、セリーナは思わず見惚れてしまった。どの動きをとっても美しかった。丁寧で、完成されていて。
『どうして、急にこんな』
『実は“師匠”につきっきりで教えてもらっててさ。フォームを見てもらってたんだ。せっかくの学校なんだから、利用できるものは利用しないとね。俺なりに考えて努力してみたんだけど、どうかな?』
そう、アルスは妥協しなかった。皆がどこかで妥協してしまう点を、アルスは絶対に妥協しない。恥も外聞もあったことか。ただ強くなるために、必死に技術を積み上げていく。
美しい、積み上げられた剣技がそこにはあった。
この日の鮮烈な体験が、セリーナの脳裏に焼き付いて離れなかった。
始まりこそ、こんな田舎者に負けてたまるかという不純な動機である。それでも、消えかかっていた闘志に火がついたのも事実。
『セリーナの素振りも綺麗だなあ』
『しかと目に焼き付けておきなさい』
『ありがたくそうさせてもらうよ』
『……ふん』
この日を境に、彼らは切磋琢磨する仲となった。
純真無垢なアルスに、セリーナはなんだか調子が狂わされるような気がして、やぶさかではなかったが。
それでもこの男にだけは負けていられないというのもまた、彼女の本音である。
これは、世代の頂点とまで言われた男が、まだ落ちこぼれだったころのちょっとした与太話。