第26話 勝者と敗者
誰かが天を掴まんとすれば、当然その分、地に堕ちる者がいる。
「クッソ……!」
ヴァン・ガウニールはがらんどうとした教室で一人ごちる。込み上がってくる悔しさを必死に掻き消そうと。
「……ヴァン」
その様子を哀しげに見つめるゲニング・エルヴィ。
ガウニール家と同じく名門御三家であるエルヴィ家の御令息であり、彼との良き友人でもある。
「なんだよ、ゲニングか」
「……悪かったな」
「はっ、笑えばいいさ。アルスに負けた、無様な俺を」
弱りきった友人になんと声をかけるのが正解か、ゲニングはわかりかねていた。それでも、これだけは確かだという思いはある。
「かっこよかったよ、お前は。少なくとも俺はそう思ってやりたい」
「……あーくそ、調子狂うぜ」
ぽりぽりと頭を掻くヴァンに、ゲニングは苦笑した。
「あのアルス・ランフォードとあそこまで互角の戦いをしたんだ。誰もお前を責めたりはしない」
「……ここの生徒はな」
「…………」
こればっかりは難しい問題である。現場にいる人間と、そうでない人間の差。少なくとも、「上」の人間の多くはアルス・ランフォードの狂気を間近で見たものは少ない。ヴァンのガウニール家での扱いは芳しくない物になることは容易に想像できた。
「ゲニング、お前も遅かれ早かれアルスに抜かれる。それをどう思われるか、だぞ」
「言っただろう、俺は下らない面子争いには拘らん、と」
「……羨ましいな、お前は」
ゲニングの外圧をものともしない逞しさが、ヴァンにとってはとっても格好良く見えた。
「好きなだけ羨んでおけ、いずれわかる」
「どういうことだ」
「俺は俺の為だけに生きる。貴族のしがらみなど、関係ない。ただ、あいつに勝ちたいと思ったから、戦うだけだ」
ヴァンは脳天をかち割られたような衝撃に襲われた。
そうだった、自分は気持ちで負けていたのだ。
勝負の始まる前から、日々の過ごし方から、既に差がついていた。アルスは、途方もない努力と執念で、生まれ持ったハンデを乗り越えてみせたのだ。
ともすると、確固たる意志を持つゲニング・エルヴィならば。
思わずそう期待してしまう自分がいる。
「なあ、お前に託していいか。俺の分まで、さ」
「当たり前だ。友達、だろう」
勝者もいれば、敗者もいる。
負けたが故に、掴むものもある。
ヴァンは心を入れ替え再び前を向く。
「じゃあ俺、もう少し頑張ってみるわ」
「……それでこそ、名門御三家、だ」
「負けるなよ」
「お前だって、追いついてこい」
ヴァンとゲニングは拳を合わせる。
これは誓いである。
あの少年はいずれ天を掴むであろう。それは分かっている。その道に、少しでも自分たちがいたと言う記憶さえ残ってくれれば、それでいいのだ。
◆
昼休みも終わり、午後の授業に差し掛かろうとする時。アルスら所属する四学年の教室には不穏な空気が漂っていた。
名門御三家ヴァン・ガウニールの敗北、それに伴うアルス・ランフォードの序列三位。さらにはそのアルスの様相が傷だらけの姿なのだからこれまた騒然となる。
隣の席の女子生徒が、心配になってセリーナに声をかけた。彼女の名前はソアレ・サンスロス。数少ないセリーナと話せる立場の女性ながら、以前はアルスとも親しかった仲である。
「アルス君大丈夫なのかな……」
「知らないわよ。勝手にさせておけばいいのよ、あんなの」
「相変わらずだね、セリーナちゃんは」
「……ふん」
「まさか、アルス君となんかあった?」
「勘がいいんだか、悪いんだか。……あいつは好きにさせておけばいいのよ」
「噂にもなってるから知ってるよ。彼の『師匠』、ローグ・オーディン。どうせその人関連なんでしょ。あの人の講義は鬼って聞いてるから」
「…………」
セリーナがなんとも言い難い表情で頷く。
そう、全ての元凶はローグ・オーディンなのだ。そもそもあの男がアルスに目をつけなければ彼はこんなに辛い思いをせずに済むというのに。
「言いたいことはわかるよ。でもあの人のおかげでアルス君は強くなってるんだもん、あんまり強く言えないのが、さ」
「……そうなのよ。あいつもあいつだけどね。あの男について行くなんてどうかしてるわ」
「それってアルス君には弱く居て欲しいってこと?」
「そ、そういうわけじゃ」
セリーナは言い淀む。決してそういうことを言いたい訳ではない。ただ、強さを追い求めるあまり、無理をしすぎていないか心配なだけで——
「まあ、そういうところがセリーナちゃんらしいけど」
ソアレはそう言うと、教科書を取り出し、次の講義の準備に乗り出す。次の科目は歴史、眠気に耐えることができず眠り出す生徒が大半で噂の、魔の講義、である。
◆
「そもそもダンジョンの始まりは、数百年前、人魔大戦まで遡る。この頃は、魔王君臨すれども統治せず。突発的なダンジョン発生に留まった。故に魔への対抗手段が限られている中でもなんとか人族はやりくりできたのじゃが——」
誰もが眠る魔の講義、歴史学。四学年の歴史学の担当講師はスレイプ・トヒリス。齢八十を越えるおじいちゃん講師である。
「因みに当時の人族の慣習について気になる者はおるかの。……おらんようじゃが儂が話したいので話すとするかの。当時の人族は——」
こんな感じでどんどん話が脱線していくのだから誰もついていけない。というか大抵はついていくのを諦めた。そんなわけで、話が脱線したことに勘づいた生徒達の対抗手段はというと——
「ぐーすか」
「アルス、寝てる……。というか僕の周りみんな寝てる」
睡眠、である。
カイルが辺りを見回すと、昼休み、死闘を演じたアルスやヴァンはまだしも、ファルニウスは堂々と机に突っ伏し、セリーナも、うとうとと首を上下に振っている。
(因みにフィーネは……あ、)
カイルとフィーネの目が合う。彼女はもう限界だ、助けてくれ、と表情で訴えかけてくるが、カイルにはどうしようもできなかった。南無三。
「……勝手に寝てることにされては困る」
「うわっ」
不意に隣の席からアルスの声が聞こえてくる。
さっきまで思いっきり目を瞑って寝ていたではないか、というのは心の中にしまっておく。というか、カイルからしてみれば傷だらけのアルスの体が気になってそれどころではない。
「俺は無意識下で、スレイプ先生の講義内容に関係ある話と関係ない話で頭を切り替えるようにしてるんだ。全ての時間を寝て過ごすファルニウスなんかと比べられては困る」
「え、ええ……」
さすがはアルス・ランフォード。ここでも妥協しない。それが正しいかは置いておいて。
「ほら、話の脱線が終わった」
「あ、ほんとだ」
「俺はもう座学も妥協しないからな。カイルも頑張るんだぞ」
「う、うん」
とはいえ、カイルもカイルで座学は致命的。起きていてもちんぷんかんぷんでは、寝ている連中とさして変わらないと言う悲しい現実があった。
◆
スレイプ・トヒリスの魔の講義が終わると、一部の生徒の注目は、アルスやカイル、フィーネなどの編入組の方へと注がれる。
特にアルス・ランフォードの周りには人が集まっていた。
「久しぶり、アルス君」
「お、おう。……なんだ、ソアレか」
「あはは、やっぱりそっちの境遇が境遇だから、気を使うよね。私は気にしてないから大丈夫だよ」
アルスに話しかけてきたのはソアレ・サンスロス。
退学前、セリーナと仲良くしていた時には彼女がよくついて回ってきた。
人当たりが良く、雰囲気もほんわかしているため、なんだかんだアルスから見た彼女は好印象である。
……どこかのご令嬢とは違って。
「——で、そっちがカイル君? よろしくね」
「あ、う、うん。よろしく」
隣のカイルが右往左往していると、アルスが補足する。
「カイルにも紹介しないとな、こいつはソアレ・サンスロス。退学前は仲良くしてもらってたうちの一人だ。父が王宮騎士団所属なんだと」
「そうそう、私のパパはすごいんだよー」
「す、すごい」
「えっへん」
豊満な胸を張って誇らしげにするソアレ。
王宮騎士団と言えば騎士の就職先としてはかなりのエリートである。何せ、国の頂なのだから。それなりの人数が王に仕えることを目指し、ほとんどが夢破れる世界。上澄みも上澄みである。
「……セリーナはどうした? いつも一緒にいるだろう?」
「あー、セリーナちゃんはさ、アルス君とはちょっと顔合わせづらいって」
「…………」
「私は詮索はしないつもりだから。周りが無闇に騒ぐの、嫌いでしょ?」
ソアレの気遣いに、ほっとするアルス。一方、内心では、厄介事を持ち込んだローグに辟易としていた。
「そ、そうだよ。アルス、そんなにボロボロになってどうしたの?」
カイルに質問されて、アルスは罰の悪そうな顔をしながら、眉を下げた。そんなアルスを見計らってか、ソアレが口を開く。
「この学校には『師匠』制度、ってのがあってね——」
ソアレの口から、アルス・ランフォードの謎、その一部分が語られていく。