第20話 再び戦場に身を投じる
一歩、あと一歩届かない。
そのむず痒さにアルスは明らかな違和感を覚えた。
己が掌の上で踊らされているような感覚に襲われる。まるで、自らを無理矢理高みへと引き上げ、その景色を見せつけるかの如く。
(このじいさん、何でそんなことしやがるッ)
だが、それはこの場で剣を交える二人しかわからない。アルスの腕を引き上げ、高めさせる不思議な剣筋。周りにはさぞアルスが善戦しているように見えるだろう。しかし、実態は違うのだ。この劇場は、全てハワード・シグムントの掌の上。アルス・ランフォードは、ここでは最早ただの操り人形にしか過ぎない。
「ほれ」
「チイッ!」
ハワードの神速の剣が舞う。横薙ぎに払われたそれを、アルスは正面から受け止めた。同時に、力をいなす。
(この位置、ならこの方向に……!)
(力の分散のさせ方、よくわかっておる。じゃが悲しいものよの、やはり、地力が足りん。工夫だけでは足りんのじゃ。こういうのには、才能がいるんじゃて)
ハワードは剣を撫でるように軌道を逸らし、アルスが剣を受け流す手助けをする。
(今、明確に介抱しやがった。クソッ、これじゃあじいさんの手足じゃねえか)
アルスは唇を噛み、悔しがる。
しかし、実際に起こっていることを知らぬ周囲の反応は単純なもので。
「す、すごい!」
「……あの一撃を、受け止めました」
カイルとフィーネは感嘆の声を漏らす。美しい剣戟がそこにはあった。思わず見惚れてしまうほどの。
側から見ればアルスが劣勢とはいえなんとか善戦しているように見えてしまうのだ。
(これが、差。戦場を経験したものと、そうでない者の、か)
アルスは歯噛みし、悔しさに身を震わせる。しかし自身の高揚感が止まることはない。剣を振るうことが楽しくてたまらない。
示し合わせたように次の斬るべき場所が浮かぶ。恐らくハワードが自然と誘導しているのだろう。その妙技にアルスは舌を巻く他なかった。
当然、そんな時間が、長く続く訳もなく。
「……時間切れ、じゃの」
「は、」
刹那、殺気が迸る。
(……!)
アルスの全身の五感が悲鳴を上げた。一瞬、ハワードから放たれた殺気。それを目の前にして、足がすくむ。
瞬く間すら与えない間隙に一筋の斬撃が走った。
——カラン。音を立て、アルスの剣はその場に落ちた。
「ほほ、勝負あり、じゃ」
アルスは手のひらから落とされた剣を、呆然と見つめていた。
(其方の腕前なら分かるじゃろう。己が弄ばれ、舞台の上で踊らされていたことを。最も、それをどう受け取るかは、其方次第じゃが……)
ハワードはその様子をじっと見つめている。
彼のひどく渇望する漆黒の瞳が、変化の様子を見せないことに、ハワードは目を伏せた。
◆
校長室から出た三人は、ハワード・シグムントから受け取った、諸々の手続きの用紙が入った封筒を手に抱えながら廊下を歩く。
「ハワード先生はもちろんだけど、アルスもすごかったなあ!」
「はい。まさかあれほどとは思ってもいませんでした……」
二人の会話にぎこちない笑みを浮かべるアルス。
対面していたからこそわかる、あれは人形劇に過ぎなかったのだ。
(何のために、あんなことを……)
アルスは思考を逡巡させるが、答えは出ない。
しかし収穫はあった。己にはまだ足りない。天賦の才を持つ者と、そうでない者の壁を越えるには、まだまだ遠いということだけは、わかった。
「何はともあれ、いよいよ学校生活だ! 楽しみだなあ」
「ふふ、そうですね」
そう。これからは競い合い、高め合う日々が始まる。王立アークルード騎士学校、名門の血が集まる伝統ある学び舎。
再びアルスはそこに身を投じることとなるのだ。
アルスは己に語りかける。これからの学校生活、やるからには『妥協』してくれるなよ、と。
◆
王立アークルード騎士学校は全寮制の学校である。
そもそもとして、騎士学校は何処も全寮制であることが多い。騎士、それすなわち退魔の仕事。それなりの負荷を生徒にかけなければ話にならない。
また、名目上ではあるが、名門出とそうでない者で学習環境に違いが出過ぎないようにしているという理由もある。このあたりの血に関わる問題は、どの学び舎でも苦労している所が多い。
そんな裏話はさておき、アルスとカイルはアークルード騎士学校の寮へと足を運んでいた。
既にここの勝手を知っているアルスは、右も左もわからぬカイルに色々教えてやらねばならない。
「一階の共同スペースでは洗濯機なんかの魔道具が置いてある。ここら辺は自由に使っていいそうだ。あとはそうだな、一階には大浴場もある」
「おー、さすがアークルード」
「女子寮は別棟だな、んで、ちとめんどいが食堂は校舎の方に併設されてるからそっちまでいかないといけない」
「なるほど……」
カイルは首を左右に必死に振りながら、辺りを見回していた。井の中の蛙、大海を知る。田舎者には少々刺激が強い様子。
因みに、こうして教えているアルスも入学当初はカイルとさして変わらない。彼も都会を知って垢抜けたのだ。
「一階の共同スペースを抜けて、階段を上がって、ちょっと歩いたら、すぐ。ここが俺達の部屋だな」
「アルスと同室なんて心強いなあ」
「そりゃどうも」
「にしても、アークに来てからびっくりすることばっかだよ。うちの村は魔道具なんて全然普及してなかったし」
「実は俺もだよ。俺も農村育ちだったから入学当初は目が点になってばかりだった」
「あはは、アルスにそんな時期があったなんて面白いや」
部屋の前で二人が会話していると、後方から神秘的な声がした。思わず両名は振り返る。
「ん、カイルと、アルス、みーっけ」
声の主は、神に愛されし少年、『神剣』ファルニウス・セリオンであった。編入試験二日目、散々暴れ回ったアークルードの綺羅星、である。
「…………」
アルスが目を細め、露骨に嫌な顔をするが、ファルニウスは意にも介せず、ずんずんと近づいてくる。
「……何の用だ」
「そこの金髪の坊やに興味がある」
「へっ、僕!? てか君、編入試験の時の!」
カイルはあんぐりと口を開けた。状況を掴めていない。というかこのファルニウスという男、コミュニケーションに難があるタイプなのだ。何をするにも一言二言足りない人間である。
「興味があるってなんだよ」
「ん、彼と話したい。悪いかな」
「……悪くはないと思うが」
アルスは横のカイルをちらと見る。ファルニウスが何を考えているのかわからないので意図がまるで掴めない。カイルは困った顔でアルスに助けを求めていた。
アルスは肩をすくめながらファルニウスを説得してやる。
「いきなり押しかけても、こんな風に困らせるだけだ。君はもう少しコミュニケーションを学んだ方がいい」
「……?」
「あのなあ……」
「あ、わかった。アルス、俺の興味がカイルに移って嫉妬してる」
「何がどうなったらそうなんだよ」
ファルニウスは首をかしげ、頭に疑問符を浮かべた。
「今の俺の判断はかなり合理的だった。それも違うというのか……ふむ」
「素のお前といると調子が狂うな……ったく」
「ね、ねえアルス。僕どうなっちゃうの! ファルニウス君って『そういう』趣味でもあるの……」
「ん、俺の性的趣向の話? 別に普通の人間と同じだよ。強いていうならおっぱい。おっぱい、好き」
「「うわ」」
「……? 俺は正しいことを言ったまで」
中性的な美貌からは想像もつかないようなことを言ってみせるファルニウスに、アルスとカイルの両名は若干引いていた。これがアークルードの綺羅星だというのだから世も末である。
「ん、そこのカイル、だっけ。アルスは学校案内には不適格。代わりに俺が学校を案内するから」
「え、ええ!?」
「はあ、好きにしたら」
そんなこんなで、アークルードでの学校生活が始まる。