第19話 戦場なき今、一人戦場に立つ少年
カイルとフィーネは、飛ばしてしまいそうになる意識をなんとか保って、アルスとハワードの剣闘の様子をじっと見入っていた。
自分たちが赤子を捻るように潰された手合いである。それ相手に、アルスはあろうことか善戦しているように見える。劣勢には見えるが、瞬殺されていないだけ充分。
勿論、刃引きしたなまくらと真剣での戦い、そこにハンデがあることは重々承知である。それでも、見入ってしょうがない。
(すごい、『努力の剣』が、通用してる……)
カイルは感動と驚きで心の中を掻き回されていた。
アルスの剣は、誰がみてもわかる愚直で、真っ直ぐな基礎の剣である。
それが、『英雄』相手に抗えているのだ。
まだまだ己が発展途上であることを自覚しているカイルからしてみれば、アルスの剣はとても輝いて見えた。自分が憧れるなら、彼だと、己の心が叫んでいた。
(今まで隣で見てきたけど、今回のは別格です。相手が相手だからでしょうか、むしろアルスの全力を引き出そうとすらしているようにも思えます……)
フィーネはその剣に魅了されていた。どこまでいっても自分の剣は教科書通りでしかない、彼はそんなふうに自分を卑下していたが、通用するではないか、格上相手に。
小柄で華奢な体躯にめいいっぱいの筋肉を詰め込んで。彼が持ちうる限りの剣の知識を総動員して。なんと健気なことだろう。けれど必死に振るう剣の姿はどこか痛々しかった。何故だろう、今の彼はあんなにも輝いて見えるのに——。
◆
かつてこんなにも心が昂ることはあっただろうか。
いつからかファルニウス・セリオンという天井の存在が、自分に負けさせることを恐れさせていた。
けれど、ハワード・シグムントからそれは感じない。強者と戦えるという喜びだけがアルスの体を支配する。全身を、高揚感だけが覆い尽くす。どこまでも、高く遠くへ、羽ばたいていけそうだった。
相手が生ける英雄であることも大きいだろう。同級生ならなまじ嫉妬心が湧いてしまう。自分の頂点になりたいと言う黒い欲望が邪魔してしまう。その枷を外してみた戦場は、こんなにも楽しかったのか、とアルスは自分の予想だにしなかった感情に驚いた。
「慢心しすぎですよ、先生ェ!」
圧倒的な高揚感。普段なら選択しない手を取った。
剣の軌道を無理矢理曲げ、伸びたように錯覚させる邪道。今ならそれが通る、そんな気がしたから。
「!?」
それ見たことか、ハワードの貌が驚きの様相を見せ——すぐさま笑みを浮かべる。
(おかしい。なんだ、この不気味な感じは……)
ここでアルスは違和感に気づく。出来過ぎている。
まるで自分が無理矢理上のステージへと引っ張り上げられているような感覚。エスコートでもされている、というべきか。
(まさかこのじいさん、俺を……!)
「ほっほっほ! 戦場とは、こういうものであったのォ!」
彼の目に浮かぶは狂気。戦場の慣れ果てが、そこにいた。
教師の役割すら忘れ、ただエゴのために刃を振るう。この様相を魔獣と変わらない、そう言い放ったハワードはまさにその獣のような斬撃を繰り返す。
◆
魔大陸から魔術師が、魔王の統率の下に侵攻してきた魔の時代。若かりし頃のハワード・シグムントは戦いに飢えていた。
戦場で育った。死んでいった同胞達の背中を見て、『かっこいい』と感じ育った。自分もあちら側に追いつかねばと必死で剣を振るった。
そして恐ろしいことに、己は天賦の才を持っていた。同僚達は次々と魔術師に屠られていく中、自分だけが生き残った。
魔王は己の手によって討たれ、比較的平和な日々が人類に訪れる。にも関わらず、己の空虚な心は埋まらないまま。戦いの中で生まれ、戦いの中で育った己は、戦いの中で死ぬことを望んでいたらしかった。
これではまるで、悪虐の限りを尽くした、魔大陸の連中と変わらないではないか。
——そう思い、就いた職場は、王立アークルード騎士学校の校長だった。
平和な時代とはいえ、まだまだ各地に突発的なダンジョンが発生するこの時代。生ける『英雄』を戦場から遠ざけることには非難の声も上がった。それらを一蹴し、己はこの座についた。
戦場で育ち、戦場で死ぬ。それは逃げである。自らに託されていった命の灯火を投げ捨てる行為に等しい。
それに、動機もあった。
せめて、自分のような人間が生まれないで欲しい、と。
比較的平和なこの時代、騎士はかつての悲惨な職業から、栄誉ある職業へと生まれ変わった。
もうこの時代に狂気は必要ない。そんな強さを求めなくとも、魔王がいないのだ。ただそれなりの騎士となり、それなりの騎士団に入り、それなりの魔術師を倒す。それだけで平和な暮らしを享受できる。であるならば、自らを不幸にしてまで、上を目指す必要はない。そのための、『誰かのための剣』である。
故に衝撃だった。大きな侵攻のない平和なこの時代に、アルス・ランフォードは当時の騎士達と同じような狂気でここに立っている。
頂点を目指す。
そのためだけに。
今の世に、魔王はいない。そんな強さなど、誰からも必要とされていない。過剰すぎる戦力は騎士団の手にも余り、協調性に欠けるとも言われるこの時代。それほどまでに強さに執着するアルス・ランフォードに、久方ぶりに高揚した。
戦場はこういうものであった、と。
であるならば、教師として教えなければならない。
凡なる身にて頂に到達しようとすることの険しさを。強さに囚われた結果のこの戦場の成れの果てを。
彼は幸せになるべきである。少なくとも、今はそういう生き方が、許される時代なのだから。
「せ、先生ェ!」
「ほっほっほ!」
故に彼を弄ぶ。舞台に上がらせ、踊り、狂わせる。
暗に教えるのだ、「今お前が目指そうとしているのはこの世界だぞ」と。
体の限界も近い。老体に鞭を打って、ラストスパートをかけた。こんなことで寿命を削ってどうする、とハワードは内心苦笑したが、それでも構わなかった。
彼には覚悟がある。目を見ればわかる。仄暗い、どこまでも続く漆黒の瞳。渦巻く空虚な渇いた欲望。
それを完膚なきまでに叩き折る。
彼が目指すべきはそれなりの騎士。
それなりの高給に、それなりの生活。
少しぐらい美人な妻を娶ったって構わない。
それでいい。それがいい。
強さを選んだ人生、その行く先は破滅。
孤高を選び、その最期を看取る者もいない。かつて戦場で散って行った彼らと同じように。彼にそうなって欲しくはない。
故に愛の鞭を打つ。
どこまでこの戦場についてこれるか、と。