第13話 譲れないモノ
『いい加減負けを認めて、凡人』
『……嫌だ』
自分の口から出た言葉に、俺でさえ驚いた。
敗北を突きつけられて、それをどうしようもなく受け入れられなかった。
身の程知らずで傲慢?
そう思うならそう笑ってやればいい。
俺はどうしようもなく、クズで、馬鹿なんだから。
訳もわからず、剣を振るう。
振るえば振るうほど目の当たりになる、隔絶した実力の差。
異次元の戦いに凡庸な身体が適応できないと叫んでいる。全身が痛み、軋む。肺は張り裂けそうで、呼吸すらままならない。喉の奥からは香るは、血の味。
いったいどれだけもがけばいいのだろう。
どれだけこの苦しみを味わえばいいのだろう。
今すぐ勝負を手放し、剣を放り投げてしまいたくなる。嗚呼、それのなんと甘美なことか。
それでも、俺は、剣を取る。
俺は弱い。
その現実から目を逸らし、挙げ句の果てに一度剣まで置いた。
ロレーヌという故郷に戻り、身の丈に合う生活を営み、知ったのだ。やはり、俺、アルス・ランフォードという人間には剣しかないのだと。
誰よりも強くありたい、という果てなき、黒く、汚れた願望。
その道を突き進んだ先、ロレーヌのダンジョン騒動の時のように、誰かを守れたという結果があるとするのならば。
俺はどこまでも進んでみせよう。
遠い遠い、剣の“頂”に凡なる身で立ってみせよう。
◆
「ほほ、どう見るよ、ローグ・オーディン。“最強”の目に、アルス君はどう映る?」
「どう見るも何も、あんなの見るに耐えない剣に決まってるだろうがァ」
ただでさえ渋い面をさらに顰めて、ひどく不快そうにハワードの問いに答えるローグ。
だが、それは周囲の教師陣も同じような思いを抱いているようだった。特に、勝敗が決した後、剣を投擲し、無理矢理戦闘を続行しようとする卑劣な手は減点になり得る、と。
「ただァ——」
ローグはその先の言葉を紡ごうとしたが、怪訝な顔をして押し黙る。その様子を見てハワードはほほ、と軽く笑った。ローグという男は、アルスという人間を公の場で褒めるのを嫌う節があるのだ。
「どちらにせよ、今の彼は合格ライン。減点はすれども、大局に大きな影響は及ぼすまい。どれ、若者が剣で語り合う姿、美しいとは思わんかね?」
ハワードの奔放さに、周囲の教師陣は呆れるしかなかった。
だが、言わんとすることもわかる。アルス・ランフォードは、あの剥き出しの闘争心こそ、彼の強さの原動力。それが返ってきたのならば、もしやすると——
「フン。一度逃げた人間はどうせ同じ過ちを繰り返す。俺は期待しないがな。こんな茶番劇、元々反対だったンだよ。どんだけお前らはあのバカに肩入れしたらすむんだァ?」
「…………」
茶番劇。その言葉に心当たりのあるこの場の人間は目を伏せる。一方ハワードはほっほっほ、と尊大に笑ってみせた。
「まあよかろうて。アルス・ランフォードはそれだけに値する人間じゃった。ついでと言ってはなんだが、何人か目ぼしい者もおったしの」
「ハッ、笑わせる。四学年にもなってこの程度、残り三年でどう埋める? あのガキにも並び立つ者がいない時点で不作も不作。別にファルニウスとまでは望まんが——」
そこまで言ってローグは言葉を詰まらせた。何故なら、
「ほほ、路傍の石も磨けば光るというもの。案外、化ける奴もいるやもしれぬ。何せ——おや、ここから先は言わんでもこの場の全員がわかっておったかの」
アルス・ランフォード。その凡庸なる身にて、弛まぬ研鑽の果てに、世代の頂点へと手を掴みかけた者がいたのだから。
◆
今やこの試験は、アルスとファルニウスの雌雄を決す場になってしまった。この戦いを見ているものなど物好きしかいない。
それでも、人知れず、戦う理由がある。
セリーナ・ローレンスは剣を捌きながら、歯噛みする。名門ローレンス家の令嬢、品行方正、成績優秀。周囲に一目置かれど、結局はそこ止まり。所詮、頂には届かぬ身。
だからこそ、剣を振るわねばならないのだ。
自分を突き動かすのは、アルス・ランフォードという人間。
自分よりずっと恵まれていなかったにも関わらず、あの舞台に立っている。
名門の血もなければ、突然変異で現れるような優れた肉体も持たぬ、それどころか、同世代と比べると若干小柄。心根一つで、自分を追い越し、いつのまにか遠い存在になってしまった。
いつか彼の隣に立たねばならない。彼の破滅への歩みを少しでも楽なものにしてあげねばならない。
きっと自分のことを、彼は無駄だと切り捨てるだろう。なら足手纏いにならなければよい。なればこそ、目の前の女一人に負けてたまるものか。
——迫るフィーネ・モードレットの銀色の剣を、剣で弾く。
彼女に足りなかった、ほんの一刻。それを心根一つで埋めようとするならば、それに応えて見せよう。自分にも、負けてはならない理由があるのだから。
ぐん、と踏み込み、セリーナの俊速の刺突が、フィリスの眼前で止まる。
決着。最後の力を振り絞ったフィリスに対して、それを制し、カウンターを決めたセリーナの勝利。
「あ、あ……」
その場に崩れ落ちるフィリスを傍目に、セリーナは憐みの目を向けながら、呟いた。
「力で、技で押せぬなら、最後は心で。合ってはいるわよ。ただ、私だって負けなきゃいけない理由があるだけ」
(……いつか、あんたの隣に相応しい騎士になってみせるから、アルス)
彼の故郷に赴き、彼と剣を交えたあの日。自身と並び立つことを“妥協”と言ってみせたアルスの、仄暗い瞳を思い出す。
◆
足が鉛のように重い。腕は千切れそうで、剣を握る感覚もない。それでもアルスは必死に喰らいつく。
己に残された物は、その心根しかないのだから。
果てなき強くありたいという黒き願望、どろどろとした仄暗い漆黒の瞳がファルニウスを刺す。
「そう、その瞳だ、アルス」
ファルニウスは、嗤いながら剣を振るった。
その一太刀ごとにアルスの視界が白く弾け、空間がじわじわと削られていく。速さも、精度も、力も、まるで違う。
押されていく。空間を削り、奪う力。ファルニウスの圧倒的な視野からこそ生まれる空間認識術。
いつの間にか、アルスは窮屈な立ち回りをせざるを得なくなる。最早この戦場にアルスの居場所はない。
わずかな間合いすら、読まれたかのように一歩先へと行かれ、潰されていく。
そしてそれと共に勢いを増していくファルニウスの剣戟。凡庸なる身では、この場において呼吸すら許されない。
(わかってはいる。何もかもが足りないと。それでも——)
歯を食いしばり、諦めずに、喰らい付かんとする。
その心があってこそ、アルスはこの域までに辿り着いたのだから。
見る。見て、隙を伺う。
ファルニウスの癖をじっ、と観察する。
せめて一矢報いるために。その間にも、じわりじわりと空間は削られてゆく。
「楽しかったよ、アルス。またやろう」
ファルニウスは表面上の笑みを浮かべながらも、心の奥底からは笑わない。彼が心の底から笑う、それが叶うとするならば、アルスが再び折れた心を繋ぎ合わせ、立ち上がり、同じ土俵に立った時。まだ、その時ではない、と暗に告げている。
ひゅう、と風を切る音がする。ファルニウスの神の如し一太刀。遊びは終わりだ、と剣が語った。
(——今)
(……!)
アルスのめらめらと黒く燃える瞳。
何かが来る、とファルニウスは感じた。だが、されとてこの剣で終わらせられるのも事実。僅かな勘でみすみすこの機会を逃すか、否、ここで叩き伏せる。
剣がぶつかり合い、アルスの剣は大きく弾き飛ばされた。体ごと吹き飛ばされ、背中に地をつけ、転がる。肺から息が漏れた。
勝負はついた。やけにあっさりと。
このことに、ファルニウスの背中にはなんとも言えぬ悪寒が走る。
(嫌な予感だ)
こういう時、手負いの獣こそ気をつけなければいけないのは嫌というほど知っていた。アルス・ランフォードはそういう男である。
ファルニウスは倒れ伏したアルスの貌を舐めるように見る。——そこには、笑みが浮かんでいた。
「な……」
ファルニウスの治っていたはずの頬の傷から再び血がぽたりと垂れる。
瞬間、ファルニウスはこの獣に、傷を負わされたと気づいた。
最後の一合。刹那にて、アルスは倒れ込む勢いを利用して地を薙ぐようにして、刃を滑らせていたのだ。
「ん、面白い」
「はは、そりゃどうも」
両者、笑みを浮かべながら勝敗は決着する。
力で足りぬのなら、心で一矢報いよう。
それで果てなき天の、神座へと届くのなら。