0-8 魔への入り口
調査任務という名目で王国に怪しまれる前に距離を取るつもりだったはずだが、もう手遅れだった。
協力してくれたペイルハンマーのメンバーも死なせてしまった。
命はあっけなく消えていく。
分かってはいたが、やっと仲良くなれたと思っていた人達がすぐ側で殺された。
でも、私がここで諦めたらステイルに恩返しができない。
彼を一人にしてしまう。
国を相手に一人で無理をするだろう。
私を拾ってしまった責任感が私たちを繋ぎ止めている。
もしも捕まればステイルは私を救いに来てくれるだろうか。
大きな目的を持っている彼の邪魔はしたくない。
二人になってからはさらに面倒を見てくれている。
早く彼に連絡を入れないと。
誰かがくれた赤い布をぐるりと巻いて体を隠すマントに変え、探索を再開した。
鎧も穴や傷だらけで、欠けて守れていない場所もある。
念の為、顔を隠すためだけにガスマスクだけ付けて軽装で探索を続行することにする。
かけてくれたであろう誰かを探しても人一人も見当たらなかった。
街を観察していると数軒だけ最近使われた形跡があった。
何人かこの環境下で過ごしているのだろうか。
だとしたらどう生きているのだろう、近くには大きな畑も食糧になりそうな動物も見当たらないが…
いや、今はそんなことよりも早く何か手がかりを探さないといけない。
しばらく歩き回っていると、音が聞こえてきた。
複数の足音と化け物の鳴き声が微かに…
「ギシャァァァ」
聞こえてきた物音の出所は開けた位置にあった一つの井戸だった。
恐る恐る中を覗こうとすると、中から顔を布で覆った盗賊のようにも見える少し大柄の男性が飛び出してきた。
「うぬっ!?
ここにもついに魔物が!?」
「!」
そのままの勢いで逃げようとする彼を止めるため、急いでマスクを外してみる。
だが、彼は私の顔を見るとまるで化け物でも見たかのような表情になってしまった。
「蜘蛛人族だと、存在していたのか!?
まずいまずいまずい逃げねば逃げねば…」
「あっ…」
彼はとてつもなく足が速く、今の自分には追いつけそうに無い。
足周りに魔力を集中していたのは感じ取れたが、練度がまるで違った。
少し肥満体の中年くらいに見えたその体型で私の見たことのない軽やかな動きを可能としていた。
しかも自身の体と同じくらいの大きさのカバンを抱えながら、だ。
私の魔力の扱いがまだまだだと思い知らされた。
それと彼は蜘蛛人族と言った。
私が?
今まで私は人間だと疑いもしなかったが、ファントムネストより前の記憶が私にはない。
何らかの実験を施されていたのだろうが、その頃の記憶も薄くぼんやりしている。
「ん…?」
彼は井戸から飛び出てそのまま急に体勢を変えながら逃げて行ったせいだろう、何か落として行ったみたいだ。
拾い上げてみると、数枚の紙だった。
何が書いてあるのか見てみると、それは地図のようであった。
しかもかなり細かく、それでいてできる限り正確に書こうとしている努力が見られる。
あの人は細かい作業が得意なのだろうか。
少し心は痛むがこの地図は利用させてもらうことにしよう。
見たところ、この井戸から繋がっている空間はとてつもなく広い。
しかも結構入り組んでいて、地図なしでは迷いそうだ。
出会わなければ井戸の下にもっと先があるとは気がつかなかっただろう。
名前も知らないがもし彼にまた出会えたら感謝したい。
地図をよく見ると蟻塚のように大きな空間が散見できた。
特に大きい空間には都と一言記されていた。
地上に一番近い現在地からだと少し遠い。
この地図を落とした彼も魔物に追われていた。
この先どんな魔物がいるかもわからない。
そこまで深く潜って無事に帰って来れるとは限らない。
他にどこか情報のありそうな場所はないか探していると、今現在いる集落の離れに小屋があるのを発見した。
そこには物知りばあさんと記されていた。
実際にその場へ行ってみると、一軒ぽつんと建っていて、扉の小窓から光が漏れていた。
もしかしてと中を覗くと、
「いらっしゃい」
「!?」
「おや、可愛らしいお客さんだねぇ」
カウンターで待ち構えていたのは腰まで届く波打った金髪に濃いめの赤い口紅を刺した、脂肪がまるで溢れるように垂れている体型の女性だった。
しかしその目はキリッとしていた。
脂肪が減れば美しい女性だったかもしれない。
「やぁ、私の名前はアルベド、魔道具コレクターよ」
落ち着いて店内を見ると見覚えのある魔道具や過去の代物、見たことのない魔道具もあった。
特に魔力を扱うものが大半で、実用的なものばかり。
魔力を流して炎を撒き散らすものや魔力を込めて引き金を引くことで遠距離にスナイパー以上の威力と精度を出せるピストル型魔道具や、魔力を通すとふわりと羽のように動くマントもあった。
戦闘用だけでなく燃料を魔力に変えた着火用の魔道具や周囲を広範囲にわたって光らせる魔道具なども置いていた。
ここまで幅広く揃えられるのは魔道具の知識を多く持っていないと不可能だ。
「何か買っていくかい?」
「…ここはどこなんです」
「あら貴方外から来たの!?」
「はい」
「あそこが開くなんて思わなかったわ…何年振りかしらぁ…
もう、手遅れだというのに」
…手遅れ?
やはり彼女はこの空間に詳しい。
「ああそうだった、ここは異界から吸い込まれてきた元地下帝国よ」
「元地下帝国?」
「ええ、もうだーれも住んでないわ、住んでいたら変人か過去に囚われた可哀想な連中とかよ」
「なぜそんな場所で店を?」
「少し長くなるけれど、誰もいなくなった地下帝国が魔物の巣窟になってからこちらに来るまで多くの探検家がやって来たのよ。
物珍しいものや住人の残した貴金属を拾って帰って行ったの。
その頃からいたんだけれど、多くの探検家がロストテクノロジーやら魔導の一端を探しに来てたわね、この国何気に発展してたし」
「アルベドさんも狭間の向こう側から?」
「ええそうよ、この地下帝国は向こうではかなり有名だったのよ、神を怒らせて滅んだことで」
「神様?」
「いるのかしらね、本当に」
「え」
「この話だって一番有名な言い伝えなだけだし私は神の怒りのせいという説より国の腐敗から民の流出の節の方がまだ信じられるわ、だって神って言っても滅多に出て来ないしそんなもの召喚する時間も代償もでかいだろうし神の怒りならなぜここまで綺麗な形で国が残ってるのかも不思議だし…」
アルベドは急に饒舌になり、考えに耽ってしまった。
聞いた限り、彼女はもう数百年以上生きている。
そして狭間を超えてこちらに来た時にはこの国の出入り口は何者かによって封鎖されていた。
しかも開けられる者が限られて設定されていた。
私が開けるまで誰も開けられていなかったということは彼女の他にこの地に閉じ込められた人たちもいたはずだ。
私にこの赤いマントをくれたのはアルベドさんではなさそうだし、聞いてみよう。
「他にここにいる人は…」
「ん、あぁ悪いね、そうだね、私が知ってるのは爺さんが一人、長いこと帰ってこない腕自慢が一人、自身の心を鍛えるために潜ることにした女性が一人、くらいかねぇ…?
私はずっと潜り続けるかここにいるかのどちらかだから客以外とはあまり知り合えてなかったからねぇ…」
「ありがとう、ございます。
ところでここの通貨は…」
「ああそうだ、一応有力な国の通貨なら大体取り扱っていたけれど、ここが封鎖されてからは物々交換に変わってね…」
そういうと彼女は私の身につけているものを観察し始める。
そして腰に刺してある拳銃に目を止める。
「そうだね…その腰の道具、他にもあるのかい?」
「これと…これと…これなら」
腰の横に刺していた拳銃二丁と腰の後ろに下げてあったアサルトライフルを取り出し、彼女に見せる。
「ふむ、これは…なるほどこういう機構か、どこで入手したんだいこんなもの」
「…わかるの?」
「まぁねぇ、伊達に長生きしてないよ」
「多分この地下帝国はその下にある構造ごと異界へと飛ばされた。
ここは貴方の知っている場所じゃないと思う」
今の自分にできる最大限の説明をした。
伝えたいことを合成された音声で伝えてくれるヘルメットはもうない。
「ほう、そうなのかい…アルマガル王国ねぇ…」
「あまり、驚かない?」
「この歳になると色々経験もするし感情の起伏も無くなっていくのよ」
この時初めてアルベドがマスク越しの私の目を見ていることに気がついた。
「…あぁ、なんだか懐かしい気分になっていたのだけれど、君もこちら側からやって来たんだね」
「え?」
「ある程度いじられてしまっているようだけれどこれなら時間が経てば治るだろう、私は…そうだね、もう少しここにいてから外を見て回るかね」
「あ、あの」
「よし、予備のテントと替えの服と日用品セットと数日分の食料と…あとこれも私が書いてまとめたものだけど君に渡しておくよ。
けれどそれを読むのは他の本や資料を読み終えてからにするのをお勧めするよ」
「あ、ありがとう」
「いつでも戻って来な、迷ったらいつでも相談に乗ってあげるよ」
ひらひらと手を振って見送る彼女はどこか懐かしむ目をしながら私を眺めていた。
急かすように見送られてしまった。
しかし実際数日間誰とも連絡が取れていない。
ステイルも心配してくれて…いたらいいな。
バーバラ達にもまた会いたい。
経過報告もできていない。
来た道に戻り、食事と共にもらった書物を読む。
アルベドが売ってくれたものの中には数日分の食料と飲み水がある。
今日食べることが想定されていたであろうパンに焼かれた肉と葉物と酸味のある薄く切られた赤い身を挟んだものを口に入れる。
久しぶりの食事は疲れている体に効いた。
空腹なのも相まってとても美味だった。
読んでいたのは最初に渡された「人種別、それぞれのわかりやすい特徴集」だった。
著者は【テオドール=レヴィン】、魔素研究者と書かれていた。
テオドールは魔素と魔力の研究、魔物化する動植物や魂の入れ物として動き出す無機物の観察と実験をしていた。
魔物達と比べて獣人やエルフなどと呼ばれる特殊な力を持った人種の違いは何か、力の源は何か、調べた情報をまとめたのがこの本だ。
「獣人…エルフ…」
そんな種族は聞いたことがない。
地図を落として行った彼は蜘蛛人族と言った。
どこを見て私をそうだと思ったのだろう。
この本を読めば自分のことを知ることができるかもしれない。
「…無い?」
複数の本や書類を流し読みしたが、蜘蛛人族が見つからない。
もらった書物のほとんどが題材をわかりやすく説明するためのものだった。
種族の違い、他と違う生活習慣、魔素の知識など、様々だった。
一つ気になったのは、これらが筆跡が同じだったことだ。
つまりこれは誰かが他の人に理解してもらうために書いたもの。
言語は私の知っているもの、つまりアルマガル王国やその周囲の国でも使われている言語。
書き方が少し古めだがここ周辺では一番多く使われている言語で書かれている。
図や絵も多用してわかりやすくこの滅びた帝国に眠っていた情報や技術、魔素の使い方まで書かれている。
この地下帝国が封鎖される以前から関係を持っていた人達がいたということになる。
もしそうならば、元々の関係を持っていたのはどこの誰で、今どうしているのだろうか。
「あっ…」
そんなことを考えていると、最後に渡された紙の束が落ちてしまう。
そこに書かれている文字を見てしまった。
ファントムネストの真実。
この紙の束の内容はアルベドが自分で書いたと言っていた。
ファントムネストはステイル達の仮初の傭兵団名だった。
それがなぜここに?
確か傭兵団としての名前はステイルの孤児院からの先輩が上層部からもらったはず…
理由は確か偽物の傭兵達の集まりだからファントムの巣にしたとか…
しかしこの書類は傭兵団ができるよりも前のものだ。
何か繋がりでもあるのだろうか。
…いや、とりあえずは読んでみなければ何もわからない。