1-10 光に堕ちる
「ここからいくのか?」
「もしかしてここ入った?」
「ああ」
「そう…
あの人たちは…私の遠い親戚みたいなものだから…
殺しちゃった?」
「いや、一斉に飛びかかられて逃げ帰った」
「…ごめんね?」
「いや、謝ることじゃない。
気になって勝手に縄張りに入り込んでしまった俺が悪い」
実際、ロウの今までの行動は目覚めてからは地上の様子を確認したいと言う気持ちからのもの。
途中からは自分のものでない記憶と意識に導かれるように奥深くへと向かい始めた。
そしてかなり分かりづらい上に危険かもしれない場所へ自ら入って行った。
「私のそばから離れないでね」
「わかった。
怖がられなければいいが…」
ロウとフィオナは蜘蛛人族の巣の前まで来ていた。
瓦礫で塞がれた隙間を開き、中を覗く。
その瞬間、緑色の目が暗闇の中に無数に現れた。
身構えたロウだったが、何も起きなかった。
「ただいま、みんな」
フィオナのその声に反応するように、カシャカシャという何かが擦れ合う音が合奏のように鳴り始めた。
ロウが読んだ蜘蛛人族を見たと言う記述の冒険譚の中には化け物のようだったと書かれていたが、無理もないと少し思ってしまった。
だが、どこかで申し訳なさを感じていた。
いや、ロウではなくロウの中の何者かが心の底から懺悔していた。
だからか、二回目と言うのもあるかもしれないがロウはそこまで忌避しなかった。
「怖い?」
「いや、平気だ。
俺の中の影が申し訳なく思っていそうなんだが、その理由まではわからない」
「そう…みんな、この人はロウ、私の…私の…なんだろう?」
「まだ会ってから多分五日くらいだが、俺は今は仲間だと思っている」
「仲間…うん、そうだね。
彼は私の仲間だから、食べないでね」
その言葉に応じるように彼らはカシャカシャと音を立てる。
彼女の言葉を理解できるようだ。
「行こ」
「ああ」
周囲から緑色の目がこちらを観察している。
尖った足で器用に糸の上に乗っている者もいる。
最初の広い空間に比べて道中はかなり入り組んでいた。
蜘蛛人族にとって有利な地形なのだろう、かなり自由自在に動き回るのが見えた。
あちこちに罠もあり、何を捉えるのか聞いたところ、このエリアにはワーム種が多く出るとのこと。
他にも縦横無尽に穴を掘るアリ型魔物と戦うこともあると言う。
どこからやってくるかわからない分どこにでも罠を張っているそうだ。
「ここ」
そう言ってフィオナが指し示したのは蜘蛛人族が一切近付かない奥へと続く入り口。
明らかに今まで見たどのエリアよりも暗く、見る人によっては潜在的恐怖を与えてくるかもしれない。
「ここから先に行くことを私は躊躇った。
でも、今回は行く。
私の中の影が拒んでも行く」
覚悟を決め、一歩、踏み出した。
腰に下げた青白い炎のようなランタンの光だけが光源になっている。
吸い込まれそうな黒。
気がついた時には周囲の岩壁も足の下の地面も黒色だった。
いつのまにか完璧に真っ黒に囲まれていた。
どこからか視線を感じる。
それでも進み続け、二人は通路から開けた場所に出るまで歩き続けた。
「ここは?」
「微かに水の音がする、行ってみよう」
「ん、わかった」
二人で水の音がする場所へ向かうと、橋があった。
大きな池なのか、端が遠くにあるのが見える。
だが、池の中身は水ではなかった。
真っ黒なのだ。
そしてそれが触手のように伸びて暴れている。
まるで意思でも持つように、何かを捉えようとしているように見えた。
上を見ると、それは浮いていた。
独特な存在感を放つ真っ黒な人形のナニカ。
周囲全てが黒くて見え辛いが目の位置に二つの穴が、白くなっていた。
ゆらゆらとゆらめくその光はまるで幽霊のようだとロウは感じた。
そして直感的に理解した。
「ああ、兄弟」
「あれがあなたの中にいる影の同類。
元々人を犠牲にして作られた新たな生命だと言うことまでは判明している」
「どこかに書いてあったのか?」
「さまざまな研究がされている研究所があった。
残ってた資料の中から重要機密だけ抜いた。
そこに実行してはならない部類の実験の情報もあった。
その中に影のことも書いてあった。
でも私も体を持たない個体は初めて見る」
話していたら、浮いていた影は徐々にこちらに泳ぐように迫ってきた。
その影はロウの腕に触れ、まるで溶け込むようにロウの中へ入り込もうとした。
次の瞬間、ロウは飛び跳ねるように影から離れた。
「っ!?」
「大丈夫!?」
「あ、ああ…」
ロウは困惑していた。
触れた瞬間、相手の意識を感じ取ってしまった。
影同士だからか、また別の要因かわからなかったがロウは読み取ってしまった。
『ウツワ…カラダ…ケッカイ…フウ…イン…』
フィオナの言う通りならばあの影は今でも結界を更新する命令に従おうとしている。
それ以外の意思がもう残っていないのだろう、ただ闇を彷徨い続ける亡霊は器を探して封印の新たな要になろうとしているのだ。
「すまないがこの体は渡せない」
「アア…」
対話は無理なようだ。
剣を取り、切り払う。
それだけでその影は煙のように消えてしまった。
だが、ロウは知っている。
影は地面から、空中から、どこからともなく現れる。
それも無限に。
自分が、いや、もう一人の自分が生み出した存在なのだから。
「ああ、そうか」
彼は思い出す。
彼はこの場所を知っている。
迷いのない足取りで池へ向かう。
「ロウ?」
不安気なフィオナの呼びかけにも応えず、深くへ進む。
触手に迎え入れられるように、包まれるように深く、深くへ。
止めようとしたフィオナの手は何も掴めず、触手が出ている黒き池を眺めるしかなかった。
何も見えない。
視界の全てが、感覚の全てが真っ黒に染まった。
音も匂いもない。
それでもロウは坂を下り続ける。
水の抵抗も水圧も感じない。
人間としての息も可能。
どれくらい経っただろう、時間感覚も曖昧だ。
終着点は坂の底、普通ではない池の中心、最深部。
そこにポツンと井戸がある。
夢でも見ている気分だ。
井戸に飛び込むと、闇が、いや影がさらに濃くなる。
腰に吊るしていた魔石のランタンの光も徐々に消えていく。
何秒、何分、いや何時間かもしれない。
どれだけの時間落下したかわからないが、底に辿り着く。
周りの景色が黒一色なのに、そこだと言うことだけは理解できた。
周りを見ても、上も下も前も後ろもわからなくなる。
それでもロウは前へ歩み続ける。
一歩進むたびに記憶の断片を脳裏に浮かべながら。
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あの日、地獄への扉が開いた。
ちょっとした変化を、見逃した。
…いや、見ないふりをした。
兆候はあった。
報告も上がっていた。
だが、我はそれを重要だと考えなかった。
帝国の王達を統べる皇帝でありながら、その重要性に気が付かなかった。
住民の不思議な夢、それも光の精霊に関するもの。
それが多く見られており、ものすごく惹かれる気がする人もいた。
ここで気がつければ何か変わったかもしれないが、我は他の業務や政策を優先した。
結果として宗教のようにどこからともなく光を崇める者達が現れた。
新たな宗教が外からやってきたと思っていたが、発祥はここだった。
特に魔力の知識や量が少ない者から同じ夢を見ると言っていた。
気がつけばたったの二、三日で国の民が大勢精神を乗っ取られていた。
誰がなんのために行ったのか、そもそもどのような仕組みなのかもわからない私に告げられたのは山頂の光の精霊の暴走であった。
数日かけて名も無い光の大精霊は山を降り、地下帝国までやってきた。
あの光景を忘れることはないだろう、魔導の光によって暗闇を取り払っていたはずの我が国はその日から目を開けられないほど眩しくなった。
光に精神を汚染されるようにおかしくなった民は次々と光に汚染されていない者達を襲い始めた。
わかったことは心を強く持ち、光に何も願わず、できる限り影にいることで精神汚染を遅らせられることくらいだ。
あの精霊のもとに近づけば近づくほど汚染はひどくなる。
すでに対話もできず、直接会いに行ける状態ではなかった。
人狼族の王族や虫人族の国の多くが既に光に呑まれてしまった。
他の国も汚染されていき、最後まで残っていたのは多少の蜘蛛人族と長耳族、そして種族関係なく魔力の量と扱いに長けていた僅かの者達のみだった。
調査を進め、実験を繰り返し、対処法を探した。
一ヶ月も経たずに皆精神が汚染されるだろう。
少人数を引き連れて地下深くへ、邪魔されないようにと奥深くに作られた実験場で解決策を生み出そうとした。
それまでの経験から影で光の影響を軽減できることはわかっていた。
全方位に精神に直接影響を与えるわけではないということがわかっている。
だから影の精霊を生み出して光を喰らってもらう予定でいた。
喰らい尽くせなくとも軽減できるならそれだけでもよかった。
新たな手段が見つかるまでの時間稼ぎでもできればと取り掛かった。
だが当然というべきか早々に行き詰まった。
精霊という存在は未知に溢れている。
魔素の塊から生まれ、実体も持たずに自由に動く。
時間さえあれば自我を持って永遠に生きる。
いや、生命に分類していいかすらわからない。
むしろ幽霊や魂だけの存在、神などといった部類に近いかもしれない。
だが実在している。
そんなものを人工的に生み出そうなどと笑い話にもならない。
それでも諦めることだけはしなかった。
皆、必死だった。
だからなのだろう、研究が進んだ結果生者の体を器として擬似精霊を作り出せるかもしれないとわかった時、蜘蛛人族の女王は己の命まで捧げると言った。
ただし、女王は最後に我が子を欲した。
雑食である蜘蛛人族は人も食らう。
帝国の一部に彼女達を入れることはかなり反対されたが我はそれでも入れた。
しかしそれでも危険と見られていた蜘蛛人族の立場もかなり危ないものだった。
もしも帝国が復活したら、その時に蜘蛛人族の地位を少しでも上げるために我の血筋を欲したのだろう。
医者も少なく安全な場所も少なく、資源も減っていく中、彼女はそれでも娘を一人産んだ。
名をレイとした。
不幸にも彼女はレイを産んですぐに死んでしまった。
もう残っている資源が少なすぎたせいでもあるだろう。
光に汚染されぬように産まれてすぐに影の精霊を作る過程でできた精神汚染を遅らせる処置を施した。
彼女の中に影を直接入れた。
それまで器として蜘蛛人族の肉体を使い、死者の魂を繋ぎ止め、影を操れる存在を作り出そうとした。
結果としてできたのは大量の失敗作とたった一人の成功。
蜘蛛人族の娘の兄としてしばらく育てた。
兄が喋れなくとも二人は仲良く育ってくれた。
そして別れの日がやってきた。
泣きじゃくるレイには申し訳ないが、これしかなかった。
兄を一人犠牲にすることで光の精霊を食ってもらうつもりだった。
だが失敗した。
この作戦に必要だったのは感情も心も足りないほど未熟でありながら自分の意思で動ける影の権能を持った人工精霊だ。
成功体ではあったが世界で初めてのことをしたのだ、完璧には程遠かった。
結果としてできたのはあの器が持つまでの時間封印し続けるということだけだった。
問題の先延ばしになってしまうが、次に繋げることができた。
数多くの犠牲を払った成果が時間稼ぎの封印だ。
まだ地上に行って光の影響を受けていない民もいるかもしれない、彼らのためにも完璧に解決しなくてはいけない。
体が崩れ去った後の影はまるで何かを探すように彷徨い出した。
レイをまだ正気の者に預け、我は次の策に移った。
魔力を失敗した影達に分け、器を探して封印を補修し続けることで解決策が見つかるまで時間稼ぎをさせた。
そして魂を二つに分け、一つは実験室の奥、もう一つは影の一人に埋め込んだ。
ファルネスト地下帝国の国民を道具のように扱うことになってしまうが、もし光に汚染されて精神を壊された者の体が一つでも取り返せたら、その体を利用してでもこの事態を終わらせる。
出なければ、レイや他のまだ正常な者達までも精神を汚染されるだろう。
急がなければ…




