1-8 精霊
白くて目にしか穴が開いていない仮面。
触れると骨のような触感。
時間が経つとともに変化、いや成長していく仮面。
目の穴の奥を見つめると何も見えず、どこまでも続くと思わせる深い闇が見えるだけ。
その吸い込まれそうな穴は見る者に潜在的恐怖を刻む。
「その白い仮面は影の仮の容器。
おそらく私の父が実験した末に生まれた新たな物質。
確証はないし証拠もないけれど、私が人ならざる者にされたことにも関係している。
父が残したのは言ってしまえば新たな種族に近いかもしれない。
目的のために生まれた人造生命体。
詳しくは知らない。
今まで探しても研究所が見つからなかった。
私は今それを探しながらこの地下帝国の見回りもしている」
ロウにとっては初めての情報がたくさんあった。
ロウのように白い仮面をつけたまま放浪する奴がたまに現れていたそうだ。
フィオナは彼らを影と呼んでいた。
「皆兄妹みたいなもの。
でもロウのように話せる影はいなかった。
皆兄さんのところに行こうとする」
「その兄さんというのは?」
「生物兵器。
実験から生まれた存在。
元の材料であった人間を元に新たに体を構築しなおしている。
…多分。
でもその元になった人の性格や考え方に差はあれど残っている。
そして貴方も他の影達同様に仮面がついている」
「…」
この仮面をつけている奴が影である証ならば、いつそんな実験をされた?
五百年も寝ていたとしてもフィオナを最初に眠らせた父親が実験していたのはそれから少なくとも三百年以上前。
つまり他の要因によってロウは人の寿命を超えた。
「結局貴方の身体の謎は解明できていないけれど…他の影達は皆兄さんの元へ向かっていた。
…どれだけその身がボロボロになっても。
だから貴方を観察して判断しようとした。
…バレてたみたいだけれど。
それについてはごめんなさい」
一拍おいて彼女はロウに正面から尋ねる。
「貴方の意思を問いたい。
貴方は一体何がしたい?」
「俺は自分の意思で地上の様子を確認しに行こうと思っていたんだが…五百年以上経っているんだよな」
「うん」
「…なら今更向かってもスタンピードが終わっているどころか故郷ももう無いだろう。
むしろ自分の体の謎を解明しておいた方がいいと考える」
「わかった、なら私の拠点に連れていく。
資料を見た方が早いと思う。
…私、説明が苦手」
温泉から出て、来た道とは反対側へ向かう。
暗い赤色の布を身に纏っている彼女は装備をロウと同じように内側に隠すことで相手に情報を与えないタイプのようだ。
「この先、蜘蛛人族の故郷。
できたら…あまり触れないでほしい」
「わかった、他言もしないようにしよう」
「ありがとう」
二人とも必要な時や気になることがない限り無口になるタイプのようで、道中かなり静かな道程となった。
歩いている途中、ロウは一つ気になることがあった。
「そういえば蜘蛛人族なんだろ?
この暗さでも見えているのか?」
「かなり見えている。
でもロウも見えている…いや感じているはず」
「そうだが…もしかしてこれって影特有の能力だったりするのか?」
「そう」
「なるほど」
影というシンプルな名前になっているのは何かあるのだろうが、できることをもっと知っておいた方が良さそうだ。
早速フィオナに聞いてみると、知っていることを教えてくれた。
「影は兄さんという前例によってあの時代にはみんな知っていたみたい」
ロウが昔読んだ初代国王の残した文献では地下帝国が滅びたのは邪神のせいだと書かれていた。
物語のように書かれていたのもあって、実際に過去に存在した国だとしても滅んだ理由は定かでは無いとされていた。
信じられない内容なのもあるだろうが、神が信じられているかどうかというのも関係あるだろう。
地上のファルネスト帝国はかなり魔導技術も生物や魔素の関係に対する知識も進んでいたこともあって、神だと思っていたのは精霊だったのでは無いかという説も出ていたほどだ。
「精霊とは魔素の塊と周囲の思念に沿って生まれる精神生命体、だよな?
あまり詳しくは無いがこれだけ覚えている」
「そう、地下帝国を滅ぼしたのはその精霊…を狂わせた人たちだと思う」
「狂わせた?」
「魔素の塊に自意識が生まれた精霊は一つの意思の下動く。
例えば、宗教国家の下で人為的に魔素を貯めた場所を作って二百年経ったら光を司る精霊が生まれた事例がある。
その精霊は周りの信者の思いに応え、彼らの神として存在し続けた。
ただ、他の精霊や国も征服しようとして周囲の国々に返り討ちにあってそのまま滅ぼされ、精霊も捕えられた。
今は…確か違う場所で監禁されてたかな」
「出会ったことがなかったから知らなかったが…かなり純粋に周囲の意思に影響受けるんだな」
「元々が意思に影響受けやすい魔素の塊だから自己意識を持っても純粋。
それが感情を知って暴走してもおかしくは無い。
でもたまに成長して寿命もなくてそのまま存在し続けている大精霊もいる。
地下帝国が元々あった場所には、へラック山の頂上にそんな精霊が昔いた。
昔話か御伽噺かもわからない言い伝えも残ってた。
あそこが私の隠れ家、読んでもらいたいものがある」
昔、へラック山にいた光の大精霊とまだ生まれたばかりの精霊達が住んでいた。
彼らは山の影から現れる朝日への信仰心や思いから生まれた。
中でも地下帝国ができる前までは複数の小さな集落が山の麓にあっただけで彼らも光の精霊に対して拝むだけの関係だった。
その中でその美しさに見惚れて会いに行った人がいた。
その人は光の精霊と心を通わし、仲良くなり、愛し合うようになった。
しかし、精霊にとって人の寿命も営みも一瞬。
いつのまにか戦争が起き、山が噴火し、全てが消えた。
地下に住み始めた人間達は大国を築き、周囲から助けを求められるほど大きくなった。
しかし彼らは歴史を見る限り、戦争ではなく噴火が原因で地下に住むことになったのだと考えた。
その人たちはへラック山を登り、頂上を目指した。
彼らは精霊達を元凶だと考え、討伐しようとした。
何も知らない光の精霊達は魔素を乱され実体を持てなくなり、消えてしまった。
しかし、大精霊はしぶとく、過去に愛した男のことを思い出しながら対話を試み続けた。
多くの犠牲を出しながらも対話まで持ち込めたのは、過去に愛した相手がいたからだ。
彼らは和解し、共存することにした。
だが歴史にどう書かれようと昔のことは忘れ去られていく。
数百年経つと、権威を象徴するための昔の作り話と捉えられてしまった。
へラック山が噴火しなくなってからしばらく、内側から登って精霊の下にやってきた者がいた。
彼は研究者であり、その時代の皇帝の古くからの友人だった。
彼は昔の話が作り話では無いと悟った。
大発見に大喜びした彼だったが誰に言っても信じてもらえず、妄言を吐いたとされていた。
彼は精霊をみんなに見せたかった。
だが、常識が昔とは違っていた。
技術が発展していく中、人は他よりも上であるという見方ができていた。
精霊がどのような存在なのかも忘れられ、どのような力を持つのかも忘れられていた。
だから魔物を手懐けることができるようになった彼は精霊も同じように手駒にできると考えた。
そうすれば皆が彼の言葉を信じてくれると心から思った。
彼の持つ魔物の魔力の流れを乱す技術は効果があった。
光の大精霊はまず苦しみ、存在できなくなりそうなほど魔力を失った。
しかし、それでも必死に存在し続け、もっと対話を求めた。
その心に応えるように周囲の魔素を吸収し続けた。
魔素とは周りの感情や意思、思想を受けて影響されるもの。
悪意や悲しみ、喜びや絶望、多くの感情を取り込んだ大精霊は自分自身を忘れるほどに多くの魔素を取り込んだ。
そしてその性格も変わった。
人の多い地下帝国へ向かい、多くの者達を自身の魔力で操り、人々は殺しあうことになった。
「という話。
最後の部分は私が書き足した。
でも多分あってる」
自信のある顔でそういう彼女からもらった本はまるで小説でも読んでるようだった。
しかしこれは全て現実に起こったこと。
ある程度脚色されているかもしれないが大凡間違ってはいないだろう。
「そして多分、その後皇帝は一人で実験を繰り返して影を生み出した。
人工的に生まれた精霊の一種だと私は考えている。
そしてその入れ物、器の一つがロウ」
「本当にそうならば性格を操れる相手に立ち向かえると思うのか?」
「それはもう実証済み。
…私が生まれたのはそんな狂った世界になった後。
蜘蛛人族の女王と皇帝の娘。
おそらく何か契約をした。
その結果私が生まれた。
兄さんと言っていたけれど、影の実験の成功例。
みんなの最後の希望だった兄さんはその身を代償に狂った光の大精霊を封印した」
下を俯きながらフィオナは話す。
「私はそれを知らなかった。
若過ぎた。
未熟だった。
初めて会った時はお父さんに突然紹介されたけれど、近くにいるとどこか安心できた。
私が知っている兄さんは優しくて強くて、ロウと似た仮面を常につけていた。
でも、実験に失敗はつきもの。
私は元の肉体もあったし後遺症もないまま目を覚ました。
他の失敗作は皆捨てられた…んだと思う」
悔しそうに、しかし冷静にフィオナは続ける。
「兄さんは急にいなくなった。
みんなは脅威がなくなったと喜んでいた。
なんのことか分からなかった私は兄さんを探した。
でも見つからなかった。
お父さんに聞いたら、次の生贄が必要だって言ってた。
血走った怖い顔、何かに取り憑かれたように実験を繰り返していたんだと思う。
多分、精霊に乗っ取られないためというのもあった。
国を守るためでもあった。
でも精神が擦り切れていたんだと思う。
私はそこで意識を失った。
次に目を覚ました時には世界が衝突した影響でこの世界に記憶をなくした状態だった」
記憶をなくした状態でフィオナは実験体にされ、一度国に軍の兵器として所属し、救われ、大切なものを多く無くしたという。
懐かしそうに語るフィオナの顔をロウはじっと眺めながら話を聞き続けた。




