1-7 白き仮面
サイゾウの娘であるアイリを少し怖がらせてしまったようだ。
アイリは今年で二十一歳だそうだ。
ロウは記憶上では二十二歳ほどだが実際何年寝ていたのかも把握できていない。
自分で初めて見た時も不気味に感じたし物珍しいと思っただけの長耳族達の反応を見て感覚が麻痺していたかもしれない。
あの素材を喜んでくれたから良いものの、もし使えないゴミだった場合申し訳ないとは少し思う。
社交辞令だったのかもしれないが、その場合相手から避けられるだけだろう。
地図を見ると、ロウはかなり変な道を進んできたようだった。
一応繋がってはいるがかなり回り道をしてここに辿り着いたことがわかる。
【キノコの森】と書かれた範囲から直接この街へのルートがあったがわざわざもっと深い場所まで進んでしまった。
列車の現在通れる場所は【蜘蛛の巣】と書かれた最初に来た道、【魔導図書館】と書かれた図書館にしては広すぎるエリア、【魔石鉱山】、そして【緑の領域】。
ただし、緑の領域へのルートは閉ざされているようだ。
緑の領域は現在進行形で広がり続けていて、全てを自分たちの領域にする勢いだ。
そのために昔、通路を崩落させて隙間もなくして封をしたようだ。
今でも緑の領域とキノコの森は意思を持ったかのように領域を広げようと押し合っているのが見られるせいで境目が変わり続けているそうだ。
地上への道も閉ざされて完璧に緑の領域を封じてある。
「別の道を…鉱山?」
へラック鉱山は火山でもある。
大昔に噴火しなくなってからは多くの魔石や鉱石を採取できたが地上は住むのにかなり危険だった。
ファルネスト地下帝国ができたのは最後の噴火からかなり後だ。
てっぺんまでのルートも存在している。
ただし、とても足場も悪く、多くの死者が動き回っている。
死者を切り裂くのを避けるために一度離れたロウだったが、火口と最初に落ちた縦穴以外に道は見当たらない。
仕方ないと割り切って進むことにした。
地図を見る限りでは魔導図書館と書いてあったエリアを抜けていく方が早そうだ。
途中に闘技場なんてものもあるようだ。
少し寄って情報収集しても良いかもしれない。
もしかしたら今の地上のことを知っている人もいるかもしれない。
そう考え、魔導図書館に向けて踏み出した。
「すごいな…」
自然と声が漏れていた。
あちこちに本棚があり、研究部屋や物置があり、様々な魔道具があった。
その仕組みもほとんどわからず、下手に触って暴走してほしくも無いのでほとんど触れずにいたかったのだが…
火炎放射器の威力と範囲を広げたものや一定範囲に物質を探知する網目のセンサーを罠のように張ったり、純粋に魔力を貯めて一定の速度と威力で放出する砲撃型魔道具など様々ある。
そしてこの地では多くの死者が動き回っている。
ヴァイスに操られていた者達と違って異様な雰囲気を纏っている。
何か別の意思の下で動いているように感じる。
面倒臭いのは、彼らが生前の知識がある程度残っていること。
おかげで魔道具を使ってかなり効率的に攻撃してくる。
お互いを攻撃しないあたり、侵入者を攻撃するように仕組まれているのだろう。
先へ進もうとすればするほど数も増え、動きも洗練されたものになっていく。
意図的に配置されたとしか思えない罠や死体が邪魔をする。
「通りたいだけなんだ、お前達の主人に危害を加えるつもりはない」
円形の部屋の中心で声をかけても行動に変化は見られない。
敵意がないことを示そうとしたが、お構いなしに攻撃してくる。
「ハァッ!」
少し溜めてから魔力を纏わせたバスタードソードを振り抜く。
すると目の前にいた多くの動く死体が上下に分断された。
流石に遠くにいるやつに当たった頃には減衰して吹き飛ばす程度の威力しかなかった。
ただ、これが良くなかったのだろう。
吹き飛ばされた死体の一つが棚に当たり、中身をぶちまけた。
その拍子にボタンらしきものを押したのだ。
円形の部屋は外側三十センチほどを残して中心から落ちていった。
空中で体勢を立て直しながら片手剣を壁に突き刺そうとするが一回目は壁に弾かれ、片手剣が飛んで行く。
隣を落ちていく死体の一人を蹴って壁に触れるほど近くなる。
短剣で差し込むと今度はしっかり刺さった。
下を見ると落ちた片手剣が見えた。
上を見るとこちらをじっと見ている動く死体達の目があった。
壁に捕まったまま攻撃されたら厄介だし、片手剣も拾えるなら拾いたい。
だが下はかなり暗い。
何が待っているのかわからないし、戻れる確証もない。
どちらをとっても不安はついてくる。
どうしようか考えている暇は与えてもらえなかった。
上から魔素の怪しい動きを感じ取った。
よく見ると魔導銃をこちらに向けている死体が複数いた。
「…行くしかない」
意を決して飛び降りる。
上を目指していたはずなのにだんだん下へ下へと潜っている。
ここ数日で会話できる人に出会ったせいか警戒心が足りなかったみたいだ。
気を取り直して片手剣を拾い、周囲を見回す。
魔素の怪しい動きは感じないし視界に敵は映らない。
ここはまだ安全なようだ。
ここは通路のようで、片方から光が漏れている。
ロウはとりあえず一旦装備を綺麗にするためにも明るい場所に行こうと考えた。
いつも通り音のほぼ鳴らない歩き方で進み、たどり着いたのは開けた空間だった。
周囲に光る魔石が配置しており、優しい光を放ち続けている。
部屋の中心には湯気を上げているお湯が溜まっている広い窪みがあった。
そこには一人の人間が気持ちよさそうに湯に浸かっていた。
背中側しか見えないが、銀髪を肩まで伸ばしたかなり若めな体つきに見える。
「…」
ロウは静かに短剣に手を伸ばし、ゆっくり近づく。
一歩、また一歩と進み、遂に間合いに入った。
しかし相手は気がついた様子がない。
話せる人もいるのを知っている。
もしこの人がソロへの道を知っているならば殺さないほうがいい。
そう考えていたら相手もやっと気がついた。
くつろいでいたのだろう、ここに魔物は寄ってこないのかもしれない。
「誰?」
「落ちてきた旅人だ」
振り向いたのは女性だった。
緑色の瞳に灰色に近い白色の髪、前から見ても体型的に十代後半から二十代前半だ。
そばに置いてあった特殊な剣を手に持ち、背後からの来訪者を睨む。
しかし、直ぐに驚いた表情に変わる。
「お前は…」
表情が驚きから真顔に変わる。
「お前はいつから融合していた?」
「…悪いが言っていることがよくわからない」
「…ならお前はどこの誰だ」
「地上のファルネスト帝国生まれのロウ=ホラッドだ、地下には」
「待って、地上の?」
「そうだが」
「…世界の衝突と融合を知っている?」
「いや、聞いたことない」
少し考え込んでから彼女は口を開く。
「ならそこから説明しないと多分現状すら把握できない。
私は【フィオナ=ソテス】、一応王族。
あなたはおそらく私と同じ世界出身、そして存在が別の何かと混ざってしまっている。
ここまでしっかり受け答えできる影は初めて。
できることなら殺したくないから説明する」
二人は同時に武器から手を離した。
「このままも何だし…お風呂入って話す?」
「なぜだ?」
「今の地上だとこう言うのを裸の付き合いだと言うらしい。
こうすることでもっとお互いをわかりあえると聞いた」
「…そうなのか?」
「私はまだ入ったばかりだからまだ出たくない」
「…そうか」
この世界は複数の異界が融合して出来上がったものだそうだ。
理の違う世界がもう一つの世界に衝突するように混ざり合い、融合した。
どうやってそんなことが起きるのかと考えたが、昔から人が突然消える神隠しや知らない世界の記憶を持った人、それにサイゾウのように異界からやって来ることもあった。
それが世界規模で起きてしまったというのだ。
そのせいでファルネスト地下帝国とへラック山を含め、周囲一帯が丸ごと異界の空間に上書きされたように現れた。
初めて発見された時からすでに魔物の大量発生が起きており、ロウの記憶通りスタンピードと異界との接続により多くの死傷者が居て、ロウの知る地上のファルネスト帝国はもうない。
最初は半島のように大陸に隣接していたそうだが、数百年経って島国になった。
その間、新たな国を作り上げた者たちが居たそうだが彼らはサイゾウと同じ世界から来た来訪者たちだと言う。
だからなのだろう、サイゾウがこの島国の地上にいつもなら住んでいるのは。
主に彼らの文化がそのまま受け継がれているらしい。
フィオナ自身はまだ半島だった頃に世界を渡ってきたと言う。
その時はまだ十代後半だった。
国が滅びるかもしれないという時に父親に眠らされたそうだ。
気がついた時には記憶を大部分無くした状態で、異世界で知らない人に拾われて施設で実験動物のように脳も身体もいじられていたそうだ。
かなり多くの経験をしてきたようだ。
「…フィオナは何歳なんだ?」
「…」
「…悪い、口が滑った」
「良い。
私はもう数百年生きているけれどもう数えてない」
やはり時間が飛んでいる。
彼女が世界を渡ったのは少なくとも八百年以上前。
滅んだ数年後には地上で誰かがファルネスト帝国の名前をそのままに建国している。
確か建国したのは地下帝国の生き残りだとどこかの歴史書に書いてあった気がする。
ロウがまだ大穴に落ちる前は、地上のファルネスト帝国ができてから三百年ほど。
「私が眠らされてから三百年も経った。
おそらく何らかの方法で人でない何かに変えられた。
元々は雲人族だったけれど、明らかに寿命が長すぎる」
もしフィオナの言う通りならば、ロウは五百年もの間寝ていたことになる。
彼は人間だ。
魔力で体内をいじって伸ばしたとしても寿命は長くて百六十年ほどだ。
彼の寿命もとっくに過ぎている。
「俺は人間なんだが少なくとも五百二十二歳以上にはなると言うことか」
「その仮面、取れる?」
「いや、剥がそうとしても取れなかった」
そう言いながらもう一度剥がそうとするが、そこで違和感を感じる。
「仮面が…変形した?」
前は目元を隠すくらいで鼻の上にかかっていたはずの仮面が、今では顔全体を覆っていた。
困惑しながらも触りながら形を確かめる。
顎の部分までしっかりと覆っている。
頭蓋の形だったはずの仮面はいつの間にか鼻の部分以外に凹凸のほぼない綺麗なものに変わっている。
「…そのことで話がある。
あなたが五百年以上寝ていたことにも関係している」




