1-1 融合した世界
暗闇の中、鎖に繋がれて死者のように微動だにしない人影が一つ。
完全に封鎖されたこの空間でただ一人、待ち続ける。
…何を?
わが同胞を。
私ももう長くはないだろう。
この国も終わるだろう。
しかしこの国が実在したことを、何が起きたかをここに記す。
世界の法則が乱れ始めた混沌の始まり。
鉱山の山裾に位置して周りの国々を取り込んで大きくなったファルネスト王国は魔導科学の進んだ国で、住民も多い。
生活が便利になる工夫が多くあり、最先端の技術を生み出し続けている。
そんな国がこの日から徐々におかしくなった。
最初は大地震が起こり、地形が上下左右様々な方向に別れ、衝突し、住めなくなっていった。
その時点で多くの人が死んだが、その方が良かったという人もいるだろう。
この後に待ち受けていたのは非現実的な恐怖だった。
死んだ状態で立ち上がる者、野生の魔物の急成長や急激な進化による危険の増加、あちこちで幽霊や精霊、神に出会ったなんて話もあった。
この【ファルネスト王国】の現国王、【ヨログ=ソテス】も神を見た。
この地には言い伝えがある。
この地に国を作ろうとした初代ファルネスト国王はこの地で女神に出会い、その美しさに目を奪われたという。
女神には多くの信者がいて、その全員がモス族という魔物化した蛾の因子を埋め込まれた人々の血筋だという。
女神の美しさに惹かれた初代国王はモス族と交流を持ち、その集落に住む最初の人間になった。
初代国王は各地を旅して回った知識人で、多くの技術をモス人達に紹介した。
集落の生活は日に日に便利になっていき、数年経った頃には複数の種族が一緒に暮らす大きめの村にまで発展していた。
徐々に人口も知名度も増え、技術力が増していき、百年経たずに有名な街になった。
もともとこの地は人類からは危険視されていたどの国にも所属しない荒野に存在していた。
そのこともあり、隣接する山を含めて一つの大国を作り上げるまでに至った。
面積は広く、人口も増える一方。
しかし、栄えていくにつれて女神への信仰心は減り、王族へと傾く。
初代国王はそのつもりはなかったが、その子孫は同じ志を持ち合わせていなかった。
信仰心や信者、思いの強さや数がそのまま力に直結するのが神だ。
言い伝えでは最終的に少し減ってしまったがそれでもまだ信仰心を持っていたモス族たちと一緒に夢の世界に自ら飛び込み、夢の中から民の生活を今も見守ってくれていると締めくくられる。
そんな女神【アゥルゾス】の姿を現国王ヨログは夢の中で見たというのだ。
ヨログはすぐに動いたが、この世代で信仰心を女神に対してまだ持っているのは極僅か。
信じない民の方が多く、女神からの注意を信じさせるのに苦戦していたその時だった。
地面が揺れてひび割れ、地形が変わった。
場所によっては大きな波に襲われ、山からマグマが噴き出た。
様々な災害に見舞われた。
しかしこれで終わったかのように思えた災害はまだ序章に過ぎなかった。
皆がもう安全になったと思い込んでいた。
私もこの国の国民だった。
一人の生物研究者として生きていた。
私がいた避難所で少女が行方不明の母を探していた。
避難所のどこを探してもどこにもいない。
私も手伝おうと少し駆け回った。
一緒に探していれば、彼女は無事でいられたのだろうか。
彼女を救えたのだろうか。
私が駆け回っていた間に少女は母がまだ避難所に来ていない可能性を信じ、外に抜け出してしまう。
「お母さん…どこぉ?」
その声に答えるように、崩壊した建物の影から何かが現れたと見ていた人に教えてもらった。
その姿を見た瞬間に少女は涙をぬぐいながら駆け寄る。
「お母さん…生きてたの?
探し…え?」
少女が視線を下に向けると、自身の胸に大きな穴が開いていた。
「あ…ぇ…」
見ていた人たちも理解ができなかったという。
母が生きていたことに安堵し、よかったと思っていたらその母親に心臓を包丁で刺されていた。
それからは阿鼻叫喚の嵐だった。
他の避難所でも似たことが起きていたそうだ。
一度死したものが再び動き出すなど誰も聞いた事がなかった。
これで終わりではなかった。
絶望したり精神を病んだ者のように心が弱ってしまった人たちが次々とゾンビのように周りの人間を襲いだした。
近くにいた者たちは皆パニックを起こしていた。
それはまるで感染するかのように増えていき、次の日には七割以上がゾンビのように生者を襲う怪物になり果てていた。
簡易的なバリケードや廃墟を利用して小規模な集団で行動をする民たちが奮闘する中、夢の中で女神を見る者が続出した。
しかし、夢で女神を見たと発言した者は全員発言してから数日以内に怪物に変化した。
私も昨夜、謎の声を夢の中で聞いたところだ。
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避難所の角にあった硬い箱の中にあった手記を閉じ、周りを見る。
ここが手記に書かれていた避難所なのだろう、テントや簡易トイレ、多くの人が生活していた痕跡が残っている。
しかし周りの壁には穴が開いていて、ボロボロになっているところを見るに侵入されて全員動く屍になったのだろう。
手記を元の位置に戻しゆっくりと歩き出す。
国の様子を再確認しながら、山裾にある城を目指す。
「おい何か見つかったか?」
「いんや、何も残っちゃいねぇ」
「こっちもだ」
「もう漁られた後か…」
そんな会話が少し遠くから聞こえてくる。
自分と同じようにフィルターがついているマスクをつけている三人組が瓦礫の山から何か価値のあるものを探している。
後で組合や商人などに売りつけて金にするためだ。
今俺達がいるこの場所は昔多くの種族を束ねた皇帝が作った地下帝国跡。
地下に広がる大帝国だったが大災害の際にほとんどの住民は死に、今ではゾンビや動く骸骨、虫型魔物や植物型魔物など、多種多様な魔物達がそれぞれ生活して他で見られない環境を作り出している。
確か数百、下手したら千年以上も前から確認されているはずのこの遺跡だが、危険と複雑さ故にいまだに全貌は把握できていないと図書館で読んだことがある。
かなり深くまで続いているようだが、どれだけ深いかもわかっていない。
現在いるのはその遺跡の周辺に広がる街の跡。
壁の一部しか残っていなかったりたまに三階建の建物が何とか残っていたりとかなり昔のものだ。
そしてこの場には他の連中がもう既に訪れていてめぼしいものは無い。
そんな中彼らは取り残したものは無いかと日銭を稼ごうと必死に探し回っている。
俺がここにいる理由はとある魔物の討伐依頼、とある研究のための素材採取依頼、ついでに亡くなった探索者の落とし物探しの依頼だ。
現代ではこのような依頼を受ける者達は【探索者】などと呼ばれている。
主に魔物を討伐する依頼を受ける者達を【ハンター】と呼ぶこともあるが、総括して探索者と呼ばれている。
魔素とは生物の死んだ後の魂であるという学者がいるが、根拠はない。
だが個人的にはかなり納得がいく説だ。
何故ならば魔素は我々の感情や意志にかなり左右される時があるからだ。
瀕死の時にあり得ない力を発揮したり既に魔力がほぼ残っていないだろうと言う時に魔力を練り続けていたり。
探索者とは、世界中にある魔素の影響を受けて変化した環境や生態系、新たに見つかった魔素による異変などを調べて探索するのが主な仕事だ。
魔物退治をするハンターと呼ばれる者達は、その後に現れた魔物を狩る仕事が多い。
五十年ほど前に初めて探索者協会と呼ばれる探索者を支援する団体ができた。
彼らのトップである創設者も元探索者であり、立ち上げた理由は後輩や子供達が探索者になりたいと言い出したがこんな不安定な仕事では不安だからだそうだ。
今ではいろいろな国の魔素の多い地域で【魔境】や【ダンジョン】の近くに拠点を置いている。
危険もあって収入も不安定だが、探索者協会の設立者曰く探索から得られたものは価値が高い。
世界中で戦争を起こすほど狭間や魔素は注目の的になっていた。
その魔素が人体に有毒であっても人類は新たなエネルギーを欲した。
今でも注目を浴びる魔素だが、魔素の多い場所で発見されたものは学者や研究者に売れるのだ。
「おい深穴の方行こうぜ」
「まだ早いんじゃ…」
「入口だけだから大丈夫だろ」
「絶対奥行くなよ」
「流石にしないって…俺もまだ死にたかねえよ」
彼らが言うように、ここの深穴は危険だ。
中に入った途端世界が変わったかのように環境も魔物の種類も危険度も変わる。
誰にでも感じ取れるほど魔素の濃度が変わる。
魔素はとても不思議なエネルギーだ。
現代での認識では魔素とはあらゆる物質を通り抜けるが、入りやすいが出辛い。
なので物に溜まっていき、魔素を多く含んだ物質が変化しやすくなる。
鉱石や石材であれば【魔石】、草花であれば【魔草】などと呼ばれる。
動物や特定の樹木などにも魔素は溜まる。
しかし心臓や血液を持つものであれば体内に変化が生じる。
血管や心臓と重なるように新たな臓器のように筋道ができる。
魔素や魔力と呼ばれるエネルギーは生物の意志に強く反応することが昔から知られているが、この現象もそのせいだと考えられている。
実体を持たないこの第二の心臓は魔素を体中に流す。
我々が【魔力】と呼ぶのは体内に入ってこの第二の血流に流れて操作可能になった魔素の状態を指す。
この変化が起きた動物を【魔物】と呼ぶ。
深穴の魔素が濃くて危険だと言われるのは魔素が濃ければ濃いほどこの現象が起き、そこに住む生物も魔力という力を持ち普通では見られない成長や変異を遂げ、強力になるからだ。
中にはイノシシが通常の数倍の大きさまで成長しているのにも関わらずその巨体で重力に逆らって普通に動けるだけでなく、魔力を体に巡らせて途轍もない速さで突進する姿も見られる。
中には自分の陣地を守るために勝手に動き出して日光を浴びようとする樹木も存在する。
先ほど見た三人も俺も魔素マスクを装着しているが、その理由は魔素の吸収が空気中からの吸引が一番多いからだ。
このような魔素の濃い場所に長時間いる場合、我々は魔素を短時間で多く吸い込んでしまう。
魔素は我々の意志に強く反応する。
これはまだ証明されているわけではないが、魔素は反応した感情や意思の記憶を保有し続けると言われている。
魔素を急激に吸いすぎた者が徐々に体調を悪くし、発狂したかのように周りを攻撃し出す人や、幻覚を見る人もいたそうだ。
そのほとんどが精神に異常をきたす。
そのため魔素を自身でコントロールした状態、つまり魔力に変換するより溜まる速度が早いのは身体にも精神にも毒だ。
何百年も前になるが軍が銃器を持って魔境に潜ったが、魔力を操る魔物の挙動についていけずに敗れた。
百数十年後には魔素をエネルギーとして銃と組み合わせ、新たな武器が作られたが銃を撃った人から離れると魔素は威力が急に落ち、空気に混じった。
この件からある実験が始まり、魔力が身体から離れれば離れるほど操作が効かなくなる。
よく知られている代表的な実験内容は水や水銀などの液体や流体に魔力を通し、それを物質ごと特定の方向へ飛ばすことだ。
途中で急に減速して床に落ちるのが見られる。
結局、戦車などでは入れない昔からの魔境やダンジョンが今でも残っているし、新たな魔素溜まりから魔境が生まれている。
現在軍には特別な対魔物の部隊も編成されるようになった。
よく見る武器は剣や槍、ハンマー、斧、特殊グローブ、棍棒などだ。
金を持っている者達は高性能のギミックがついているものを購入しているそうだが、俺や先程の三人は普通の剣や短剣、槍などを手にしている。
「これくらいで良いか」
ある程度集めた魔石や魔草を袋詰めしてダンゴムシ型魔物の殻を数個縛って背負い鞄に入れ、町へ向かう。
ここから一番近い【ケーヴェ町】で俺は寝泊まりしている。
この島全体が一つの国で、昔は大陸と陸続きになっていたそうだが数百年前に地震とともに別れ、徐々に離れたそうだ。
断層が多いようだ。
探索者協会は俺のようなめんどくさがりの相手もしてくれる。
わざわざ回収してきたものをそれぞれ売りに行かずともまとめて受け持ってくれるのが探索者協会だ。
マージンは取られるが設立者の意向によりかなり優遇できているのでマージンからはあまり稼げていない。
他にも様々なことをしてくれているのでそういうところで金はしっかり稼いでいるのだろう。
新人講習や既に社会の一部になる程大きくなっているので様々な団体からの繋がりを持ち、有料の優先契約などオークションなども行っている。
「おかえりなさいロウさん」
「ただいまもどりました」
そう言って探索者協会の受付にたどり着くと、
「相変わらず早いですね、受取り空いてますよ」
「ありがとうございます」
幼いころからここで働いていた分受付ともかなり長い付き合いだ。
いつも通り奥へ進み、送り先と報酬を交換する。
こうして毎日過ごしている。
そうしてまた一日が終わる。
明日もそのまた次の日も同じように過ごすのだろう。
そう思っていた俺は次の瞬間、強い揺れを足元から感じ取った。
地震かと思い広い場所に出ると、他の人たちも来ていた。
そして数秒後には町は壊滅していた。
被害者は多数、元から危険な魔境に近くて人が少なかったのがさらに減ることになった。
そこに追い打ちをかけるように地震に驚いたのか大量の魔物が【亡霊の巣】と呼ばれる先ほどまで俺がいたダンジョンから押し寄せてきた。
そこから先は国が軍を派遣するまで戦えない住人を庇い続ける探索者の防衛戦が始まった。
全てが終わった頃には元々五千人弱いた住民は三桁台まで減った。
地震がなければ同じ数の魔物が来てもここまで被害は出なかっただろうが、結果は悲惨なものだった。