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3話 黒魔術について


 アイリーンは客室で一人になると、鏡の前に座った。

 今日一日で起きたことがすべて、夢のような出来事のように思える。だが、鏡に映っているのが自分ではなくヴィオラ。夢ではなく現実なのだ。


「どうして、こんなことに……」


 溜息を吐きながら、ベッドの方へ歩み寄って倒れるように横たわる。

 ヴィオラは聖女の立場を羨ましがっていた。その立場を手に入れるために、すべてを投げ出すことはできるものだろうか。家族やそれまでの友人を捨てて、他人の人生を背負うことの重さを、アイリーンも身をもって体感している。今まで通用していたものが通用しなくなる。大切な人たちが敵に回る。そんな恐ろしいこと、自分だったらできないだろう。


「……エルヴィス」


 彼は一番身近な存在だった。そんな彼から敵視される未来を想像することができなかった。だが、彼は自分に向けて魔術を放ってきた。どれだけ言葉を重ねても、自分の言うことを信じてくれなかった。

 ……信用や信頼は心ではなく、体に向けられているのを思い知った。目に見えるものがすべてなのだ。他人の体になってしまえば、今まで得てきた信頼も失ってしまう。


「エルヴィスには信じてほしかった」


 家族のように過ごしてきた。まだ婚約者という関係であっても、そこに家族の情はあったはずだった。……それなのに。

 アイリーンは起き上がり、自分の頬を叩く。


「信じてもらえないなら、信じてもらえるようになるまで頑張るだけよ」


 そう自分に言い聞かせる。自分の体であっても、中身はヴィオラ。一緒に過ごしているうちに、エルヴィスも違和感を抱くかもしれない。それまでにこちらも相応の証拠を手にしていればいい。


「それにしても……」


 魔術師団長のハロルド。彼が手を貸してくれるのは意外だった。本当に深い関係がなかったのだ。


「ハロルドは不思議な人ね」


 唯一、自分を信じてくれた人。自分の味方になってくれた人。彼の欲しいものとはいったい何だろうか。


「入れ替わりの証明ができたら、彼も欲しいものを得られるのよね。……あたしも頑張らないと」


 味方になってくれた彼のために、自分にできることをしよう。

 アイリーンはそう決意をすると、明日に備えて眠りについた。




 ハロルドの案内で魔術師団の研究棟へ足を運ぶ。

 断罪の噂を聞いているのか、研究員はこちらを気にしたようにチラチラと目を向けてくる。だが、団長であるハロルドが一緒にいるからか、見られるだけで何もなかった。

 研究棟の応接室に通されると、一人の少年がいた。


「団長。お呼びでしょうか」


 十代半ばほどの黒髪の少年だった。大きな目は一度こちらに向けられたが、すぐに逸らされてハロルドの方に向く。


「はい。突然お呼び立てしてしまってすみません、ユーイン」


 ユーインに座るように促し、アイリーンとハロルドは彼の向かいに座った。


「噂は聞いてますか」


 それだけで何の話かわかったようで、呆れたように息を吐いた。


「団長が馬鹿なことを言って、事を荒立てた話でしょう? 我々研究員含め、魔術師団はピリピリしておりますよ。何かあれば、こちらに矛先が向かうのですから」


 はっきりとした批判に、ハロルドは眉を下げて笑う。


「申し訳ございません。魔術師団の質が下がったと言われないようにするためにも、この件は必ず解決しなければならないと思っています。……そこで、ユーインに相談があるのです」

「嫌ですよ。手伝いません」


 本題に入る前に、ユーインはきっぱりと断った。


「どうしてでしょうか」

「普段、僕の研究を馬鹿にしている魔術師団が、必要なときだけ僕に頼るのが気に入らないからです」


 その言葉にハロルドは眉を寄せる。


「馬鹿にしていませんよ。現にあなたの研究にはちゃんと研究費が出ているではありませんか」


 ユーインは息を吐くと、脚を組んで背もたれに背中を預ける。


「では、なぜ僕は黒魔術師の息子だからという理由で、後ろ指を差されなければならないのでしょうか」


 思わずアイリーンは息を飲む。こちらが驚いているのに気づいたのか、ユーインは舌打ちをした。


「親が黒魔術師だからという理由で、こういう反応されるのも嫌なんですよ」


 ユーインはそう言って立ち上がる。もう話す気がないのだろう。


「では、失礼します」


 背を向けて部屋を出ようとする。そんな彼にアイリーンは声をかけた。


「ユーイン様」


 呼びかけられ、ユーインは嫌そうな顔をして振り返る。


「……何でしょうか」

「何か困りごとはないですか?」

「は?」


 彼はわけがわからないというように顔をしかめる。


「タダで手伝ってもらおうだなんて思っていません。何か、助けになれることはありませんでしょうか。あたしにできることなら、力になりたいと思います」


 まっすぐ見つめてそう伝えると、彼はすっと目を逸らした。


「困っているのは、今ですかね。やりたくもない仕事を押し付けられようとしています。助けていただけますでしょうか?」


 彼はそれだけ言うと、応接室を出て行った。

 アイリーンは「ふーっ」と息を吐き、姿勢を崩す。ハロルドは肩をすくめて首を横に振った。


「困りましたね。ほかの方法を考えましょう。黒魔術について一番詳しいのは彼ですが、ほかにも研究している者はいます。そちらを頼りましょう」

「ハロルドは黒魔術に詳しくないのですか?」

「私ももちろん、ある程度のことは知っています。ですが、黒魔術に手を出すことはとても危険です。もし、黒魔術によって何か不利益なことが起きては大変ですから、できるだけ少数精鋭で研究に当たっているのです」

「不利益なこととは?」


 ハロルドは少し躊躇う様子を見せたあと、ぽつりと呟くように言った。


「……黒魔術師に呪われる、とかでしょうか」

「…………」


 あまりのことに言葉を失っていると、彼は場を和らげるように明るい声を出した。


「まあ、たまにしか起こりませんよ。深く入り込みすぎた場合のみです」


 声は明るくとも、内容は明るくない。アイリーンは引きつった笑みでうなずいた。




「私が黒魔術で研究している分野は黒魔術の発動条件です」


 次に呼び出された研究員は少し嫌そうな顔をしながらも説明してくれた。


「ご存じの通り、魔術具を発動するときは肌で魔術具に触れて魔力を注ぐ必要があります。黒魔術も同様であり、肌が離れた状態での魔術発動は不可能だと、現在は結論付けています」

「やはり、今も入れ替わりの魔術が発動しているということは、発動者……つまりヴィオラが黒魔術具を身に着けている可能性が高いというわけですね」

「……黒魔術が発動しているのでしたら、そうだと思います」


 研究員の言葉はトゲがあるように感じられた。本当に入れ替わりが発生しているのか疑わしいのだろう。


「入れ替わりをするとしたら、魔術具に入れ替わる対象に関する情報を入れる必要となります。ヴィオラ様、最近知らない魔術具に触れた記憶は?」


 彼の視線はこちらに向いている。ヴィオラと呼びかけられ、すぐに返事ができずにいると、ハロルドが訂正をした。


「こちらにいらっしゃるのはアイリーンですよ」

「……アイリーン様」


 研究員は複雑な顔で言い直す。アイリーンは眉を下げて笑う。


「仕方ないですよ。どこからどう見ても、ヴィオラ様にしか見えませんから」


 そう言いながら、腕を組んで「うーん」と考える。魔術具らしいものに触れた記憶はない。聖女に魔術具は不要なもの。どのような仕組みになっているかも、あまり詳しくなかった。


「ヴィオラ様に何か触らされたという記憶はありませんよ」

「そうですか。ならば、魔術の発動は難しいでしょうね」


 研究員はハロルドに目を向ける。


「どうしましたか?」


 ハロルドが問いかけると、彼は視線を逸らす。


「いえ……。私よりも団長の方が黒魔術に詳しいのではないかと思っただけです」

「なぜそう思うのですか?」

「……深い理由はありませんよ」


 彼はそう答えると、アイリーンとハロルドを交互に見た。


「私から出せる情報は以上となります。退室してもよろしいでしょうか」


 ハロルドが退室を許すと、彼はすぐさま立ち上がって部屋を出て行った。


「アイリーン様、気分を害されてはいませんか?」

「何のことでしょうか?」


 アイリーンが首をかしげると、ハロルドは少し眉を寄せながら言う。


「研究員たちの態度についてです」


 そう言われて、「ああ」と言いながら、ポンッと手を打つ。


「気にしていませんよ。長年一緒にいたエルヴィス様でさえ、あたしをアイリーンだと思っていないようでしたから」


 自分でそう言いながらも、つい視線を下げてしまう。

 ヴィオラがアイリーンの振りをしているとはいえ、違和感を持ってくれたらと期待していた。だが、まだ何も言ってこないということは、エルヴィスはきっと、ヴィオラをアイリーンだと信じて接しているのだろう。


「……信じてもらえないのは、少し寂しいですね」


 ハロルドはハッとした表情を浮かべ、眉を寄せる。そして、優しく笑みを浮かべて問いかけてきた。


「アイリーンにとって、エルヴィス殿下はどんな人ですか?」

「エルヴィス様は兄みたいな弟のような存在です。婚約者として家族のように過ごしてきましたから、一番近くに感じていました。あたしは両親を早くに亡くしましたから……」


 一人になってしまった自分に手を差し伸べてくれていたのがエルヴィスだった。どんなときでも自分を導いてくれる優しい人だ。


「素直な人ですよ。叶えたい願いがあれば、全力で努力できる人です。その姿をあたしは尊敬しています」


 アイリーンはあることを思い出して、くすりと笑う。


「何か楽しい思い出でもありましたか?」

「いえ、そういえばエルヴィスはあたしに隠し事をしていたなと思いまして」

「隠し事とは?」

「実は猫が好きらしいのです。完璧な人のように振る舞いたかったんでしょうね。隠れて猫の世話をしていることを彼の執事から聞きました」


 彼とは幼なじみのため、いろんな思い出がある。すべて、かけがえのないものだ。


「エルヴィス様は今、どうしているのでしょうか……」


 そうポツリと呟いてから、アイリーンは首を横に振る。


「暗い気持ちになってはいけませんね! ハロルドという味方ができたこと自体、恵まれているのですから!」


 ハロルドは立ち上がると、アイリーンの前で跪いた。そして、見上げるようにしてこちらを見る。


「あなたはそうやって悲しい気持ちを押し込めているのですね。強がっているあなたも素敵ですが、辛いときは辛いとおっしゃってください。……私はあなたの味方なのですから」


 その表情は本当にアイリーンのことを心配しているように見えた。その優しさにアイリーンはつい頬を緩ませる。


「ありがとうございます。ハロルドが味方で心強いです。……ハロルドはみんなに優しいのですね」


 そう言うと、ハロルドはくすくすと笑った。


「違いますよ。……私が優しくしたいのは一人だけですから」


 アイリーンは首をかしげる。これが優しさでないのなら、もっと素敵な優しさをただ一人だけに向けていることになる。


「それは誰ですか?」


 問いかけると、ハロルドは人差し指を口元に当てた。


「内緒です」


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