10話 味方の喪失
「猫になる黒魔術具?」
よく意味が分からなくて、アイリーンは首をかしげた。
「はい。ヴィオラの家から出てきたのは、猫になる黒魔術具です。血判のついた召喚札も出てきました。そこから彼女の魔力が出てきましたので、ヴィオラ本人が使用していたのではないかと思われます」
ハロルドの言葉に疑問しか浮かばない。彼女の持ち物に入れ替わりの黒魔術具がなかったのはまだわかる。だが、なぜ猫になる黒魔術具なのだろう。それを使って、彼女は何をしていたのだろうか。
「ヴィオラの持ち物から黒魔術具が出てきた以上、彼女は罪に問われるでしょう。ですが、それは入れ替わりの罪ではありません。おそらく、彼女には共犯がいます」
「共犯……」
「はい。入れ替わりの黒魔術を手に入れるには、もう一人召喚札を使用した者がいると考えられます。きっと、その人が黒魔術具に魔力を流しているということになります」
共犯がいるということは、自分を陥れたい人がもう一人いるということだ。いや、共犯は一人ではなく、二人かもしれない。少なくとも、そう思っている人がヴィオラ以外のもいるということだ。
「……なんだか怖いね」
アイリーンがそう零すと、ハロルドは眉を下げた。
「大丈夫です。私があなたをお守りします」
「……自分の欲しいもののためとはいえ、ハロルドは優しいね」
ハロルドは大きく目を開くと、真剣な表情を浮かべた。
「違いますよ。あなたに優しくするのは、欲しいもののためじゃありません」
彼の瞳には熱いものを感じる。じっと見つめられて、アイリーンは「えっと……」と視線を彷徨わせた。
「じゃあ、どうしてですか?」
「……私があなたに優しくしたいからですよ」
ハロルドは優しく笑みを浮かべる。顔が熱くなるのを感じていると、彼はくすりと笑った。
「私は、城に呼ばれています。あなたはご自分の客室でお待ちください」
彼はアイリーンの部屋まで送ってくれると、そう言ってその場を離れていった。
アイリーンは部屋に入り、ベッドの上に横になる。
最近、ハロルドの傍にいると落ち着かない。こんな気持ちになるのは初めてだった。
今まで隣にエルヴィスがいた。エルヴィスとはまるで兄妹のように育ってきた。家族としての愛を互いに感じていた。彼が傍にいたから、ほかの男性と深く関わったことはなかった。だから、今更ハロルドに対してどう接したらいいのかわからないのかもしれない。
ハロルドの熱のこもった視線を思い出し、顔を赤らめる。
「何だろう、この気持ちは……」
アイリーンはよくわからない感情を抱きながら、バタバタとベッドの上で暴れた。
次の日、ハロルドは顔を出さなかった。その代わりに現れたのはユーインだった。
「アイリーン。困ったことになったよ」
ユーインを部屋に通すと、彼は口で言っていた通り、困った顔をしていた。
「何かあったの?」
彼は言葉を選ぶように視線を動かしてから口を開く。
「……魔術師団長が黒魔術を使った容疑で捕らえられたんだ」
「え?」
言葉の意味がわからなかった。何も言えずに言うと、ユーインが説明を続ける。
「前から噂はあったんだ。団長が黒魔術に関わっているんじゃないかって。でも、ただの噂だったから特に何もなかったんだけど……召喚札を持っていたという証言があったんだ」
「証言だけで捕らえられるものなんですか?」
「普通は捕らえられないよ。でも、最近、派手に動いているだろう? それを第二王子が良く思っていないらしい」
おかしな話だった。ハロルドはエルヴィスの許可を得て行動している。それなのに、良く思っていないからという理由で簡単に人を捕らえられるものだろうか。
「それともう一つ。第二王子からの召喚状が届いたよ。日付は明後日。入れ替わりについて結論を報告しろというものだ。……これだから王族は嫌になっちゃうね」
ユーインは呆れたように肩をすくめる。その言葉にはアイリーンもうなずくしかなかった。
「ハロルドを捕らえてから、報告って……。あたしたちを不利にするためにしているようにしか思えないんだけど……」
「きっとそうだろうね」
不安だった。今まではハロルドが味方になってくれているという安心感から頑張ることができた。けど、その彼は傍にいない。きっと、黒魔術を使ったのは嘘なのだろう。それを簡単に信じることができるくらいには、アイリーンはハロルドのことを信頼していた。……そんな相手を引き裂くようにして、断罪の場を立たせる。それをしたのはエルヴィスだ。
入れ替わりから数日経っている。彼はいまだに入れ替わりを信じていないのだろうか。隣にいるのがヴィオラになっても見抜けないほど、自分たちの関係は浅いものだったのだろうか。……それとも、見抜いていて、あえて黙っているのか。
「アイリーン。これはあくまで推測にすぎないんだけど……」
ユーインはこちらの様子を窺いながら、おそるおそる発言をする。
「……エルヴィス殿下が共犯という可能性はない?」
彼の発言をすぐに否定できなかった。同じことを考えていたからだ。
「ありえない。……って気持ちは否定してる。でも、エルヴィス様がヴィオラと一緒にいて、違和感を抱かないことも信じられない。ずっと変だと思ってた」
幼いころから一緒にいた。入れ替わりを信じないと小意地になっていたとしても、数日も一緒に過ごせば、おかしいと気づくはずだ。
「エルヴィス殿下が共犯だと仮定して……、彼の身に着けているものに触れたことは?」
「……毎日、彼に首飾りを着けて差し上げるのがあたしの日課だった」
「それが黒魔術具かもしれない」
そう言われ、思わず首を振る。
「でも、あの首飾りはあたしがエルヴィス様に差し上げたものだから……魔術具なんてこと……」
「似たようなものを作ろうと思えば、作れるはずだ。よく似た黒魔術具にしたのなら、アイリーンが気づかなくても仕方がない」
そう言われてしまえば、黙るしかなかった。
もし、エルヴィスが共犯ならば、どうして自分を裏切るような真似をしたのか。どのようにしてヴィオラと画策したのだろうか。わからないことが多い。
否定したかった。ずっと一緒にいた相手だからこそ、信じたかった。
「……何かの間違いだよ」
「明後日、それを証明しよう。ドワーフの鉱石が近くにあれば、黒魔術具に影響が出るはずだ。少なくとも、彼らの持っているもので怪しいものを見つけることはできるよ」
つまり、共犯者がその場にいなければ、見つからないということだった。ハロルドがいれば、ほかにも案があったかもしれないが、彼がいない以上、その方法を取るしかできない。
「アイリーン、大丈夫?」
ユーインが心配そうな表情を浮かべて、こちらを見ている。
「……大丈夫になるしかない。ユーインも一緒に来てくれる?」
「乗りかかった船だからね。ついて行くよ」
ユーインが力強くうなずいてくれる。それを見て、アイリーンは両頬を叩いた。
「よっし。明後日が勝負だ」




