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 二〇一三年には、チュニジアにある石油精製施設が中央アフリカのイスラム系勢力により攻撃されるという事件が発生した。このときは各国から集まった技術者が犠牲になり、日本からも日揮の社員が亡くなるという痛ましい事件になった。

 幸いなことに私がこの事件に巻き込まれることはなかったが、アラブの春の後、北と中央アフリカのイスラム系勢力がかなり伸長し、政情が不安定になり、我が社のトラックが輸送中に襲撃や略奪に遭う機会も増えた。

 ただ、その後、サウジアラビアの知人にこの事件について言われたことがあった。「君がいる施設が彼らの攻撃対象にならなかったのは、私がそうしないように言っていたためだ」と。

 外国人が誘拐される事件は頻繁ではなかったがないわけではなかった。幸い私はそのターゲットにはならなかったのだが、それは彼が、武装組織が持つターゲットのリストから外すように働きかけてくれているのだと思い、感激したことがある。

 ただ、この知人の話は完全な嘘であったことが後年になって判明する。それがわかったときも「人生ままならない」の言葉をまたしても思い出した。

 その後、二〇一七年になると、なんと本社から帰国命令が出た。新卒の頃からずっと中近東エリアで働いてきた私を今さら呼び戻すとは一体どういう了見なのだろうかと私は随分いぶかしんだ。私はすでに六三歳になっていたからだ。

 羽田空港からほど近い埋立地にそびえ立つ本社ビルに出頭すると、私は会議室に通された。そこには社長の他、取締役のお歴々が、社外取締役を含めて並んで座っていた。

 そこで告げられたのは、全会一致で私を社長に就任させるというものであった。まさに寝耳に水であった。

 以前にも書いたが、当時極皇商事は地方都市の住宅団地造成計画の失敗などで赤字が積もりに積もった状態で業績が悪化していた。

 その建て直しで私に白羽の矢が立ったのである。優秀な社員が悉く退社してしまい、他に誰もやりたがらないので、社内の実状を知らない私にその責を押し付けようという経営陣の無責任な魂胆であった。

 また従業員の士気の低下が著しかった。原因は決まり切った定式の作業のみを仕事と考える惰性化であった。新しいことに挑戦する機運や雰囲気、やる気もなかった。そのせいで新入社員の定着率は、世間では三年で三割が辞めるとされるところが、我が社では残る者が三割未満になるという状況にあった。

 これを見て、私は「人生ままならない」ということは、日本国内にも存在するものなのだということをしみじみ感じずにはいられなかった。

 結局あのお姉さん、赤木メイ子さんは、地元の名士の元に嫁いだ。しかし夫婦には子どもができなかった。そのため十年後彼女は離婚した。その後はずっと一人実家で家事手伝いをして過ごし、二〇一〇年頃、病気で亡くなったという。

 彼女の言葉は、私に降りかかる数々の災難を乗り越えさせてくれた。このときの極皇商事の再建にしても同様だった。

 こうして私は雪の降る中、私の「ままならない人生」を振り返えりながら、彼女の墓前に手を合わせた。


江島優次郞 極皇商事元社長

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