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 二〇一〇年の年末近くなった十二月十八日、チュニジアでアラブの春が発生した。一人のチュニジア人が商売道具を治安当局に没収されたことに抗議して焼身自殺するという事件が発端であった。これだけなら大きな問題とはならなかったのだが、イスラム教では火葬の習慣がないことと、自殺を禁忌としていることから、ムスリムに対する強いメッセージになったこと、さらにそれが中東でも浸透しつつあったフェイスブックに動画がアップロードされて拡散されたことが人々に衝撃を与えた。チュニジアではその後、デモが広がり、翌年一月に大統領が亡命して政権が崩壊した。

 この動きは二〇一一年中に近隣各国に広がり、エジプト、ヨルダン、バーレーンなどにも飛び火した。リビアでも同様で、内戦に突入し、八月に首都トリポリが反政府勢力によって陥落するまで続き、北アフリカまでビジネスを拡大させていた私たちのビジネスが危険にさらされることになった。

 しかもデモが頻発する中で荷物を届けて欲しいという要望も届いた。特に政府軍などでは物資調達の可否が兵士の士気に直結するため、政府向けの注文が次々と舞い込んできた。

 そして当然、その輸送途中にデモ隊と遭遇することが多く、政府施設にいくことがバレるとコンボイ隊が襲われて物資を略奪された。

 リビアはそれまで近隣のイスラム諸国よりも石油による国家収入を国民に多く分配する国であり、比較的安定的で豊かではあった。しかし、デモが飛び火すると元首のカダフィはこれらを武力で鎮圧していった。その結果、NATOの介入を招き、リビア国内の治安は悪化の一途をたどった。

 五月のあるとき、私はリビア国内の様子を見る目的もあってスエズ運河を通過しベンガジ港に入港する貨物船に同乗させてもらい、リビアに入国した。

 その際、私は反政府組織のメンバーに見つかり逮捕されてしまった。相手は政府軍を支援する中国人だと思ったらしい。数日ベンガジ市内のホテルに拘禁された後、私は船に乗せられてフランスへ送られ、なぜかフランス政府当局の人間に引き渡されてしまった。

 その日のうちにパリ市内のどこかに拘禁されて、私はそこで事情聴取を受けた。幸い反政府組織でもフランスでも暴力を振るわれることはなかった。それは私が日本国籍のパスポートを持っていたためだ。ただし、偽物と疑われてはいたようではあったが。

 そして逮捕されてからちょうど一週間後、私はパリ市内に釈放となった。せめてリビアかバグダッドまで送って欲しいと訴えたが、聞き入れられなかった。とはいえ、無事に解放され、当時持っていた私の荷物も全て返却されたことはありがたかった。なによりも「人生ままならない」という言葉を思い出すと同時に、菊の紋様の入ったパスポートに感謝せずにはいられなかった。


江島優次郞 極皇商事元社長

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