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異能探偵  作者: discordance
第一章(事件の真相2)
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「事情聴取とかいって、厳つい顔した連中が足運んでくるのよ。一度で済めばまだいいけど、貴重なプライベートの時間を、自分と関係ない事件にわざわざ割かなくちゃならないなんてバカらしい」

 確かにバカらしい。私的な時間と空間を、これまで眼前の女性にしばしば費やしてきた身にとって、その言葉は途轍もない重荷に感じる。しかも当人にそれを言われるとは。

「このニュースだってそう。事件に直接関係ない同じ階の他の部屋が、あれじゃ丸見え。まさにプライバシーの侵害。名札隠しときゃいいだろって考えが気に喰わない」

「映ってるのはドアの外側だけだろ」

「そんな問題じゃない。あんたってば本当そういうの無関心なんだから。事件の扱いだってそう。何でもかんでも問題提起すりゃいいってもんじゃないのは判るでしょ。芸能スキャンダルだの猟奇殺人だの、世間の薄汚れた暗い部分をここぞとばかりに掘り返して、手柄でも取ったみたいに堂々と公表して。所詮人間なんて糞壺にたかる蛆虫同然とでも思ってんだろうね。あたしぐらいじゃない? 清らかな聖女の心を持ってるのは」

 聖女らしからぬ言い回しが気にはなったが、これ以上スナック菓子をぶつけられるのはさすがに勘弁してほしいので黙っておいた。

『筧さんのご遺体の、えー胴体の部分は、この入り口のドアを入って右手奥にあるキッチンの床に横たわっていました。それと、頭部の切断に用いたと思われる二本の分厚い肉切り包丁も、血塗れの状態で同じ部屋で見つかったのです。その二本の包丁は、筧さん自身が出演した他局の観光スポット巡りの番組で、去る料亭のご主人から贈呈されたものでした』

 リポーターの淡白な語り口が、視聴者の想像力を効果的に刺激した。それは有名人の猟奇殺人にさえ関心の低い壱八とて例外ではなかった。

「犯人は二刀流か」

「しょーもな」

 返す刀で切り捨てられ、壱八は本格的に黙ることにした。

『本土上空を覆う寒気団の異常発達のせいで、昨夜は都内も非常に冷え込みました。凍える体を熱燗のお酒で温めようとしたのでしょうか。番組の収録を終え、夜中の十二時半頃帰宅した筧さんは、キッチンでお酒を飲んでいたところを何者かに襲われ、首を切断されたのだと思われます。遺体の傍らには、横倒しになった金物の徳利が転がっていました。キッチンの白い床には大量の出血による血だまりが広がり、テーブルの脚や壁の辺りにまで、筧さんのものと思われる返り血が付着していたそうです』

「氷ないの」

 烏龍茶のグラスから唇を離した朱良が、低い声で言った。

 もし氷の準備ができていたら問答無用で取りに行かされたに違いないが、幸いなことに冷蔵庫の中に氷の蓄えは皆無だった。

「あったらとっくに出してる」

「十秒で作れ」

「奇蹟を起こすのは聖女の役目じゃなかったか」

「十秒は冗談」

「聖女発言は否定しないのか」

「本当は五秒にしたかったんだけど、しょうがない。三十分時間をあげる」

 面白半分に揶揄った末、逆上されてグラスの中身をぶちまけられては堪らない。しかも決してやらないとは言い切れないところに、彼女の凄味がある。製氷の準備をするべく、壱八は再度台所へ飛び込んだ。

 奇蹟は起こさないわ癇癪は起こすわ、毎度ながらとんだ聖女様だった。いつか二刀流の達人に頼んで、三枚におろしてもらわねば。

 冷凍庫を最低温度にセットし、頭を掻きつつ六畳間に引き返すと、テレビ画面は現場付近の住人へのインタビューに切り替わっていた。インタビュアーの質問に嬉々として応じるエプロン姿の中年女性は、首から上が画面に映らない代わりに、声は肉声のままだった。高めの耳障りな喋りがインタビュアーを圧倒する声量でマイクに叩きつけられ、そのせいで時折音声が割れたりもした。

 発言内容は聞き取りづらかったが、被害者とはとても懇意にしていた、息子が色々と世話になった、余り物の食材をあげたことがあった、それから事件の前日に被害者の部屋の前で怪しい人物を見た、そいつが犯人に間違いない等々、インタビュアーの意向とはさほど関係のないことを口早に喋り散らしていた。

 期せずして手札は揃った。朱良に対する当てつけの論拠として、これほどの好材料は他にない。しかもスナック菓子は凡て彼女の胃の腑に収まっていた。反旗を翻すべき刻が来たのだ。

 彼女の横顔を冷ややかに見つめ、壱八は勝ち誇ったように、

「朱良、お前が言ってたのと随分違うな」

「何のことよ」

「今のおばさん、自分ん家の近くで凶悪犯罪が発生したのに、何だかハイテンションで嬉しそうだったぞ」

「それがどうしたの」

「お前の意見の立派な反証になってるだろ。警察やマスコミの介入を嫌がらない人もいるんだよ」

  歯を軋らせて悔しがる朱良の姿を脳裏に描きつつ、壱八は言ったが、相手の眼はなおも不敵に輝いていた。その美しく澄んだ瞳が、壱八を著しく不安にさせた。

 彼女は自分の顔を上方に反らした。ふわっと一瞬だけ持ち上がった横髪がサラサラと後ろに流れ、その表情が壱八にもはっきり見えるようになる。くっきり浮かんだ細くて濃い眉。生き生きと光り輝く双眸。それは勝利を確信した者のみが持ちうる、自信に溢れた表情だった。

「取り敢えず死んどけ」

 それだけ言ってテレビに向き直る朱良。顎でも蹴られるのかと身構えていた壱八は、拍子抜けして息を吐いた。

「今のは、負け惜しみって認識でいいのかな」

「このテレビ年代物だよね。物持ちがいいのは判るけど、いい加減買い替えたらどうなの」

「待て。それは壊すな」

 壱八は慌てて膝立ちになった。朱良は本気で物を壊すのだ。以前には玄関のドアを壊されたことがあった。築二十年を超える木造モルタル建ての古アパートであることを考慮しても、彼女が蝶番を破壊して木の板扉を玄関から外した事実は狂気の沙汰としか言いようがなかった。

「そうね。テレビだけは残しとくか。これないとすることなくなる」

 つくづく厄介だった。無視するとつけ上がり、調子を合わせても逆効果、慣れぬ挑発も難なく躱され、結局紋切り型の呪詛を放って終わるのだ。

「一体何しに来たんだお前。用がないならさっさと帰れよ」

 対する朱良、その台詞は聞き飽きたとばかりの白けた顔で、

「バカね、用がないからここにいるんじゃない」

 なかなか愉快な回答だが、それでは壱八の気が済まない。彼女が部屋の主を茶化しているのは明白だった。

「そんなにうちが嫌なら居留守使えばいいじゃん」

「俺のチャリが置いてあればバレるだろ」

「あんたの自転車なんかいちいち憶えてない」

「ていうか、居留守やったらまたドア壊すだろ」

 居留守の代償が玄関ドアでは全く釣り合わない。あのときばかりは本気で夜逃げを考えた。

 思い出すだけで気分がくさくさする。表向きにすら反省の色を見せない彼女の厚かましさは、壱八の人間観を揺るがすのに充分すぎるほどだった。どうしてこう、部屋の主だけが毎回毎回苦労させられるのか。彼女にはどう足掻いても勝てないのか。顔を合わせるたびにその思いは否応なく意識に刻み込まれていく。

「もうドアは壊さないよ。ドアないと寒いし」

「お前さ、どうしてこの炬燵テーブル点かないか知ってて言ってんのか」

「え? これ点かないの。冬どうすんのよ」

「俺が訊きたいよ。お前がやったんだろ」

「しゃーない。焚き火代わりにキャンプファイヤーといきますか」

「お前が言うと冗談に聞こえないんだよ」

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