第5話「守りたい」①
休憩室には淹れたてのコーヒーの香りが漂っている。口に入れると苦さが広がるので苦手だが、香りは好きだ、とピアニは素朴なお茶を飲みながら思う。
「…。」
先ほどから、ずっとだ。静かすぎて落ち着かない。お茶菓子を一口ほおばりながら、ちらっと盗み見ると、クルトはコーヒーにミルクをたっぷり入れて、砂糖を一つまみ加えたカフェオレを作った後、自分のマグカップを難しい顔で見つめたまま、一向に動く気配も、喋る気配もない。
「……ク、クルト? 」
「……ん?なんだ? 」
「え、えっと……、う、う、……、な、なんでもない……。」
「そか。」
意を決して声をかけてみたが、努めていつものように優しく微笑まれてしまっては、次の言葉が出てこない。クルトの視線は再びマグカップの中のカフェオレへ吸い込まれていく。
「(き、きまずい!)」
ピアニがコーヒーの香りを目いっぱい吸って気持ちを落ち着かせ、次の手を考えていた時、荒っぽく休憩室のドアが開いた。
「お前ら、何やってる。」
「わ!ミンシア!」
ミンシアの眉がピクリと動いた。ピアニは慌てて質問に答える。
「えと、さっき任務から帰ってきて、隊長室に行って、そしたらアイルを連れて隊長が国王陛下との謁見にいっちゃったから、私たちは今待機中で……」
「謁見……」
そうだ、それからクルトの様子がおかしいのだ、と思考したと同時に、ピアニの頭にはドアをぶつけられたあの瞬間が浮かんでいた。
「そういえばさっきミンシア、隊長室からすごい勢いででてきたよね? 何かあったの? 」
「なんでもない。」
「え、でも…。」
「なんでもない!」
「…、そ、そっか!」
何か気に触ることを言ってしまっただろうか。ミンシアは眉間に皺を刻み、会話を強制終了させると、ヤカンを火にかけて湯を沸かし始めた。お茶もコーヒーも先程淹れたばかりだが、機嫌の悪いミンシアに勧めるのは……と、ピア二はお茶と共に言葉を飲み込む。
「(き、きまずい……っ!)」
何をどうしたら、このような状況になってしまうのか。ピア二は一人頭を抱える。ここはどこだ? 休憩室だ。ミンシアがティーセットを準備する音さえ、どこか刺々しく聴こえて、ピア二には心休まる暇がない。
「うう……」
行き場のない気持ちの先を探して伸ばした皿の上に、お茶菓子はもうなかった。
「ピアニ」
「ふひゃい!!」
声のした方を見るとクルトが不思議そうにピアニを見つめている。彼女の心の葛藤にまで気が回っていないのであろう、予想外のリアクションに少し驚いた様だ。
「…どうした?」
「い、いや!何でも!な、何?」
クルトは何かを思案するように、一度マグカップに視線を落とし、混ざり切っていないカフェオレを揺らしながら静かに息をつく。そしてぽつりとピアニに問いかけた。
「……ピアニはさ、どうして騎士団に入ろうと思ったんだ?」
「え?」
思いがけない質問に、ピアニは小首をかしげた。しかしクルトはそれ以上何を言う様子もなく、沈黙が続く。
「え、えっと……? 家族に、恩返しするためだよ。騎士ってやっぱりお給料高いし、ね。あはは」
以前にもピアニ本人が言っていたことだ。彼女の答えが一貫していることは、クルトも知っていた。それでも聞かずにはいられなかったのは、ピアニの答えを疑っているわけでも、まして沈黙に耐えられなかったわけでもない。
「そか…、やっぱピアニは偉いな」
行き場のない気持ちを持て余しているのはクルトも同じだった。しかし、入団の意図を問うてみたところで、ピアニの答えと、クルトが求めているなにかが交わることはない。そもそもの目的が異なるのだから。
褒められたことよりも様子がおかしいクルトが気がかりなピアニは、やはり小首をかしげつつ謙遜する。静かな休憩室には、ミンシアがお湯を沸かす音だけが流れていた。
「……ク!クルトこそ、どうして騎士になろうと思ったの?」
「…! 」
小さく肩が揺れた。身体に力が入ったことを自覚したクルトは、マグカップからほのかにのぼる湯気を見つめ、努めて静かに息を吐いた。言葉は、思考する前に口をついた。
「…俺自身の力を試したかったから、かな」
「力…?」
先ほどまで、行き場もなく、輪郭も曖昧なまま持て余していたとは思えないくらい、それは何気ない会話と同様に、頭を経由することなく、音になっていた。
「他の誰でもない、俺自身の力。クルトとしての俺の力。……証明するんだ、他の何の肩書もない、俺がただ、ただ俺の力でここにいるってこと……!」
初めて口にした言葉が、喉を熱くさせた。置いてけぼりにされたままの頭が、焦りとともに上気していく。
「認めさせる……、認めさせてやるんだ……。もっと強くなって、もっと力を手に入れて……!」
「ク、クルト……?」
「守ってやるんだ!俺が、この手で!この国を…!」
ダンッ
何かを叩きつけるような、鈍く大きな音が休憩室の全ての音をかき消した。
「きゃっ」
ピアニが反射的にこわばった肩をゆっくりおろしながら音のした方に視線をやると、ミンシアが眉を吊り上げてクルトを睨んでいた。
「守ってやる……!?……違う! 私たちは、守られているの!!」
完全に沸騰した湯が、火にかけられたまま、湯気をはいている。ツカツカと床を叩くミンシアの足音が、蒸気の音と重なっていく。間合いを詰めてくるその怒気に、クルトは一瞬怯んで、言葉を詰まらせた。
「思い上がらないで!私たちがここにいる意味は、そんなんじゃない!!」
ミンシアの普段とは異なる張り上げられた高い声は、意味を持った言葉ではなく、不快な音としてクルトの耳に刺さる。
「…!なんなんだよいきなり…!お前に何が分かるんだよ!」
怒気を押し返すように、クルトが強く一歩前に出て、手近な机を叩きつけた。
「分かりたくもない!」
「ふざけんな…!いつもいつも偉そうに……!」
ピアニが間に入っても止まりそうにはなかった。向き合った二人は、お互いの瞳をきつく睨んでいる。何度言い合っても、言葉は噛み合いそうにない。イライラとした様子で、ミンシアが声を荒げる。
「守ってやる…、そんなことが言えるほど、お前は強いのか!」
「…っ!それは…っお前は…お前はどうなんだよ!お前こそ、そんな偉そうなことが言えるほど強いのかよ!!」
「!」
クルトの問いにミンシアが言葉を詰まらせた一瞬、そこに沈黙が生じた。言葉の応酬から一変、空気のリズムが変わる。
——強さとは、何だろう。
幾ばくかの静寂の後、ミンシアの瞳に映る、クルトが揺れた。
「……私は…」
「ただいま~♪隊長が次の任務の説明をするから準備しとけって~…」
異質な、軽快な音と共に扉が開き、湯気で少し湿気た部屋に乾いた空気が流れ込んでくる。間の抜けた声が休憩室に響き、目を丸くして視線を投げる三人に、アイルは小首をかしげた。
「ん?」
サラサラと流れる髪と、柔らかい表情。その様子は憎らしい程いつも通りだった。取り乱して声を張り上げ、感情をぶつけていることこそが、特異で、幼稚で、酷く滑稽に感じられた。
ミンシアは誰よりも早く、顔をそらした。しかし、そらしたところで、もう遅かった。自覚した自己嫌悪と、先程までの熱を引きずった心は情けないけれど限界で、これ以上、こみあげるものを隠せそうにない。
「私は…!私は強くない、なんの力もない…!」
「!」
最後にもう一度だけ顔を上げてクルトの瞳を睨んだのは、せめてもの抵抗だったかもしれない。小さく震える足を力一杯踏み締めて、ミンシアは駆け出す。扉の前で状況を把握せず呆けているアイルの横を走り抜けようとしたけれど、肩がぶつかってしまい、足が止まる。
「お、おい?どうした?」
「…っ」
「ミンシア?」
アイルが、様子のおかしいミンシアの腕をつかんで顔を覗き込むと、垂れた眉に反して、力いっぱい見開いた瞳と目が合った。
「え」
「……離してっ」
とっさに緩んだ手は、すんなりと解けた。駆けだしたミンシアは開いたままだった扉を抜け、足音だけを残してどこかへ走っていく。アイルは解けた手を見つめながら立ち尽くしていた。
「アイル!ミンシアお願い。」
「え?」
「おっかけるの!」
「え?何で?」
「いーいーかーら!行く!」
「??おう」
ピアニに急かされ、未だに状況も理解できないままではあったが、アイルは促されるままミンシアを追いかけることにした。足音が消えた方向を追って、部屋を出る。
今この状況で、ミンシアを追いかけるならアイルが一番適任だという咄嗟の判断だ。ピアニは少しだけ不安そうに、ふわふわとした背中を見送っていた。
「…何だよ…あいつ…。」
その後ろで、誰よりも普段と異なる表情をしたクルトがもらした言葉は、誰にも届くことなく、静かな休憩室に溶けていった。
5話を切りのいいところで分けたら、少し短めになりました。
クルトの器用なのに不器用なところが好きです。