第4話「銀髪の国王陛下」①
西国主都、シンフォニア。その最上層にあるシンフォニア城からは、主都全体を見渡すことができる。
大きく開け放たれた窓から、心地の良い風が静かに流れ込んでいる。けして音として聞こえるわけではないけれど、暖かく穏やかな風は、西国で暮らす人々の生活から生まれる息吹のように感じられた。
「報告は、以上です。」
一人の兵士が、膝をつき、顔を伏せたまま仰々しく告げる。しかし、返事はない。彼が恐る恐る顔を上げると、視線の先の御仁は銀色に輝く長くて細い髪を風にたなびかせながら、窓の外に目を向けたまま、ぽつりとつぶやいた。
「少し、冷えるな。」
「はい?」
静かな微笑みとともに、切れ長の瞳からゆっくりと視線が向けられ、兵士は慌てて再び頭を下げる。美しい銀色の髪はさらさらと流れ、視線は再び窓の外へ向かう。その仕草一つ一つが高貴な雰囲気を帯びている。
「そろそろ序曲は終わり、といったところかな。…ヴェネックに伝えてくれるかい?『彼』を、ここに連れてきておくれ、と。」
・・・
「よし、任務完了。」
「終わったね~♪三人での初任務、緊張したけど無事に終わってよかったよ~っ!」
「あはは、次もがんばろーぜ、ピアニ♪」
昼下がり、クルトとピアニ、そしてアイルは、シンフォニアの城下町で、初めて新人三人での任務を任されていた。
「さて、あとは隊長に頼まれてた買い出し、済ませるだけだな。えーっと、薬草と小麦と…。」
きれいに折りたたまれたメモを取り出し、クルトが買い出しリストを読み上げる。リストには、シルム隊の活動に必要と思われる日用品と食料品がびっしり並んでいた。
「この感じだと、買い出しはグリッサンドかな。」
「お買い物かあ。」
「初めてのおつかい、だな♪」
童顔で身長が低いピアニは、実年齢より幾分幼く見られがちである。「おつかい」という言葉がぴったりだと、悲しいかなピアニ本人も自覚しているため、アイルの言葉にむくれて見せる。
「アイル、私のこと馬鹿にしてる?」
「え?なんで??」
アイルはアイルでいつも通り思ったことを口に出しただけ。悪気は全くない。三人での任務、「おつかい」を楽しんでいる様子だった。
そんな二人のやりとりを尻目に、クルトの口から笑いが漏れる。相も変わらず、飽きもせず、穏やかなやりとりを繰り広げる友人とともに過ごす時間。口に出したことはないが、クルトは結構気に入っている。
「おつかい」という表現は、実際正しいようにも思う。それは、これからの買い出しに限ったことではない。三人での初任務、というが、内容は「隊長から預かった荷物を指定された家まで届ける」、という至極簡単なものだった。配達先が主都の外であったなら、クルトにも少しは張り合いが生まれたのだが、何せあて先は主都シンフォニア第八層オクテットの貴族街である。第九層にある騎士団本部からは目と鼻の先なのだ。「騎士」としての仕事だと、胸を張って言えるようなものではない。そんな要件のために「貴族街」に顔を出せば、きっとそこに住むいけ好かないあいつらはふんぞり返り、品のない高い鼻で嫌味っぽく笑うにきまっている。自分たちだけの初任務はクルトが描いていたよりとても軽く、だからこそ預かったそれは重くて嫌な荷物だった。紛れもない「おつかい」だ。
しかし、与えられた仕事を素直に受け取り、一生懸命に取り組むピアニと、のんきに楽しむアイルに挟まれていると、悶々とした自己嫌悪から、それでも少しは気が紛れ、自然と笑みがこぼれてくるのだった。
「ほら、行くぞ。」
与えられる任務は、騎士団候補生の頃に思い描いていたものにはまだまだ届かないけれど、この一見頼りない友人たちとの変わらないバランスが、クルトの心の安定剤でもあった。
主都の最上層、デクテットにあるシンフォニア城から午後三時の鐘が鳴る。鐘の音はいつものようにシンフォニア中に広がっていった。街は鐘の音を区切りに、少しだけ空気が変わる。穏やかな昼下がりを過ぎ、一休みと同時に、これからやってくる夜に向けて、少しだけ街が騒がしくなり始める時間でもある。
アイルたち三人は、買い出しのためグリッサンドへ向かった。急がないと買い物客でいっぱいになってしまい、思うように買い物ができないかもしれない、と言うピアニにせかされながら、足早に貴族街を抜ける。
「あれ……?」
抜けた先の違和感に、ピア二は足を止めた。グリッサンドは予想していたよりも人がまばらだった。
「確かこの時間、いつも人でいっぱいだったはずなんだけどなぁ…。」
不思議そうに、そして少し不安そうに、ピアニは首をかしげる。
「……朝、任務に出るときにも思ったけど、なんだか最近街に人、少ないよね…?」
街ゆく人も、心なしか顔色が悪く見える。アイルはふと、ついこの間聞いた話を思い出した。
「そういえば、カルマートから帰った時に寄ったアミ=アンダンテって店の、オリビアって娘が言ってたな。病気が流行ってるとかどうとか…?」
「あれか。発症すると高熱が出て、魔力が失われるってやつ。なんでも原因も治療法も不明って話だったな。」
「…あれから数日でこんなに街の様子まで変わっちゃうなんて…。怖いね…。」
数日前に聞いた話だ。その時は、よくある流行りの風邪か何かだと気にも留めなかったが、街の違和感を目にするとその原因不明の病がとても恐ろしいもののように感じられる。ピアニの不安をよそに、アイルは軽く提案する。
「でも、ノネットに王国直属の研究施設って確かあったよな。そこで研究とかすすめてるんじゃないか?大丈夫だよ。」
「…うん。…国も最大限援助して施設の研究を後押ししてるって聞いたことある…。でも、新薬の開発ってただでさえものすごくお金がかかるって…。」
クルトの肩に力が入る。
「…貴族。金持ちが資金を出し惜しみしなけりゃ、案外すぐ解決するんじゃないか?…偉そうにしている割に、自分の保身にばかり気をとられやがる。…使うべき時に使わなくて、守るべき国を守れなくて、何が貴族だってんだ。」
「…クルト?」
静かなトーンの淡々とした言葉の中に、明確な怒気を感じて、ピアニはクルトの顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
視線が合った瞬間はっと我に返る。クルトは「なんでもない」と破顔してみせた。ぎこちないその表情に、普段の余裕は見えない。ピアニの無言の追求から逃れるようにクルトは視線をそらし、自嘲気味に息を吐く。
そんな二人の様子には我関せず、アイルは空を見上げた。
「そういえば、今日ミンシアが隊長と一緒に行くって言ってたな、国立研究所。もしかしたら、その病の流行と何か関係があるのかもしれない。」
グリッサンドから研究所の方角に視線を巡らせる。人だかりもなく見通しが良いため、第九層ノネットにある白くそっけない建物がよく見えた。
・・・
第九層ノネットには、王国直属の公共施設が立ち並ぶ。華美ではないが品のある装飾が施された大きな建物たちは、その権威を見る者に静かに主張し続けている。
図書館、博物館、美術館…。公共施設とはいえ、立ち入るだけでも身分証明書が必要となり、利用するとなるとさらに厳しい基準をクリアしなければならない。一般的な公共施設はそれぞれの居住層に必要な規模のものが設けられているため、民が不便を感じることはないのだが、ノネットにある公共施設は一般市民からすれば羨望の対象でもあった。
国一番の規模を誇る病院の隣に設置されている研究所も、数ある物言わぬ権威の一つであった。
視察という名目で、ヴェネックとともに研究所を訪れていたミンシアは、管理者への挨拶に向かったヴェネックと別れ、一人の研究者とともに、ある部屋へと向かっていた。
「施設で行われている研究は多岐にわたりますが、現在は国王陛下の命を受け、原因不明の流行り病の解明に重点を置いて取り組んでいます。」
案内された場所は、隣接する病院へ行き来可能な通路の手前に位置しており、厳重な入室制限がかけられていた。
「大変申し訳ありませんが、機密事項も数多くありますし、非常に繊細な場所ですので、入室はご遠慮いただきたく…。」
「構わない。」
口だけの謝罪を興味もないと言わんばかりにバッサリと切り捨て、それより…とミンシアは続けた。
「病にかかった人々はどこに?」
研究員は驚いたように目を見開き、少し思案した後遠慮気味に口を開いた。
「ご案内することは可能ですが、彼らが罹患しているのは原因不明の病のため…。完全に隔離した状態でして…我々研究員ですら必要以上の接触は避けておりますので…」
「構わない。」
「いえ、しかし…。」
「構わないと言っている。」
「…。」
一向に引き下がらないミンシアに、あきれたようにため息をついてから、研究員は、では……、と研究室の隣室へと促した。
「こちらです。」
静かに開かれたドアの向こうには、白くて広い病室の中に、何台ものベットが並べられ、何十人もの人々が横になっていた。
感染予防のためと渡された仰々しい着衣やマスクすら受け取らず、研究員の静止を無視しミンシアはまっすぐ患者のもとへ向かう。
患者たちは静かに目を閉じている。まるで眠っているようだ。しかし顔色は悪く、覇気がない。ミンシアがベットのわきに立ったことに気づいた、一人の男性が薄っすらと瞳を開け、視線を動かした。
「…。助けてください…。このままだと…私たちは…どうなるのですか…?助けてください…。」
「…。」
彼のぼんやりとした瞳から、少量の光のない涙がゆっくりと流れる。ミンシアは何も答えることができなかった。急いで感染予防の着衣を整えた案内役の研究員が淡々と、患者に答える。
「今国王陛下の命のもと、病の研究が進められています。貴方たちは持って生まれた魔力がほとんど尽きてしまっている状態ですが、今のところ身体機能全般に目立った問題はでていません。人工的に魔力を供給できる装置があるこの研究所にいるうちは、命に別状はない。安心して休んでいてください。」
「…。」
事務的な回答に、患者は悲しそうに目を閉じる。何度も何度も繰り返されたやりとりなのだろう。再び薄っすらと目を開けた男性は、力なく、この空間には異質であろうミンシアに手を伸ばす。
「…助けてください…。…助けて…。」
伸ばされた手は白く、少しずつ衰え始めた筋肉には力がない。ミンシアは躊躇いもなくその手を握り返した。手は、少しだけしっとりとしていて、ほのかに暖かい。ミンシアは少しだけほっとする。
ギョッとしたように研究員が制止し、すぐさまミンシアを引き離した。半ば怒りも込められたその形相に、ミンシアは仕方なく手を放し、研究員に言われるがまま、退室することになった。
退室した後、厳重な消毒を受けていると、ヴェネックの要件が済んだという連絡が入り、ミンシアの研究所視察は終了となった。やっと終わった、と言わんばかりに、研究員は苦々しくため息をつく。
ヴェネックが待つ研究所のロビーまで、足早に案内される。階段をくだる研究員の力の入った足音がミンシアの耳に響く。
「…本当に…、何を考えているのだか。貴方の行動で、貴方が罹患するだけならまだしも…。感染が広がったら、あの男性のような方がもっと増える可能性だってある。そんなこともわからないのですか。」
「……。」
「迷惑、と言っているんです。同情するのは結構ですが、特別な知識も能力もなく、彼らに対して、貴方に何ができるんですか。」
はた、とミンシアの足が止まる。すれ違う研究員たちは皆足早に、たくさんの資料を手に廊下を行き来している。ミンシアの手には、何も残っていない。男性の手を握り返した時の微かな湿りや暖かさも、厳重な消毒を受けているときに消え去ってしまっていた。
ミンシアが立ち止まっていることに気づいた研究員は、いい加減にしろ、と言わんばかりに嫌悪感を前面に出しながら吐き捨てた。
「…何もできませんよ、貴方には。」
10年前に書いたものですが、当時は新型ウィルスが流行するなんて思いませんでしたよね。
ここら辺りからボイスドラマで公開していない箇所が増えていきます。
ミンシアの葛藤がちゃんと書けているか不安ですが、とりあえず走り切りたい。