第3話「変なやつ」③
カルマートを発ち、主都シンフォニアに帰り着いたころには、日は陰り、あたりが暗くなり始めていた。門で手続きを済ませた後、シルム隊は騎士団本部までの最短ルートである「グリッサンド」へ向かう。
シンフォニアには、第一層から第九層までをまっすぐ結ぶ道が二つあり、そのどちらともに大小様々な店が立ち並んでいる。武器や防具から道具、骨董品まで豊富な店が立ち並ぶ「ポルタメント」と、食料品や日用品が揃い、飲食店等が多い「グリッサンド」だ。目的の各層へ比較的簡単に移動できるため人通りも多く、必然的にこの場所に店が増えていったのだろう。
グリッサンドの下層には外部から仕入れた食料品の店が多く、夕暮れ時には買い出しの人だかりでなかなか前に進めないのだが、ピークの時間はとうに過ぎているため、人がまばらで、どちらかといえば飲食店の柔らかな灯りと香ばしい香りがあたりに漂っていた。
「予定よりも遅くなってしまったな……。皆で飯でも食いに行くか。」
一応規定されている勤務時間はとうに過ぎていた。流石にオーバーワークだと判断した隊長の一言で、シルム隊の面々はワッと盛り上がる。
「やった!あ~腹減った♪やっと飯だ~。」
「アイル、まじでお前はそればっかりだな……。」
「ね、ね、メリル姉さま!どこに食べに行くの?」
「ふふふ、『アミ=アンダンテ』っていう、私たちシルム隊行きつけでね、とっておきのお店があるのよ。」
「プレスィウ!とっておきだぜ!とっておき!」
遠征で疲れているかと思いきや、普段と変わらぬ調子で盛り上がる隊員たちを微笑ましく眺めながらも、ヴェネックは一人固い顔で歩くミンシアを気にかけていた。
暮時の街は少し物寂しい。ミンシアは何を考えるでもなく、ただぼんやりとした疲労に浸っていた。何気なく視線を投げた先では、仕事帰りらしい母親とその子供が、少し遅めの夕飯のメニューについて楽しそうに話している。
とぼとぼと歩くミンシアの様子を不思議に思ったのか、アイルもその視線の先に同じように視線を向けていた。母親と歩く、幼く愛らしい女の子は、長い髪を赤いリボンで束ねている。お世辞にも上質なものとは言えないが、リボンは手作りのように見える。女の子が大切に使っていることが想像できた。揺れるリボンからは少女らしい愛らしさが滲んでいた。ただ、なぜミンシアがぼんやりとあの母娘を見ているのか、同じものを見たところでアイルにはさっぱりわからなかった。
「どうしたミンシア、何見てるんだ?」
アイルが思いのほか至近距離にいたことに気づき、ミンシアは少し驚いた後、「別に」と顔をそむける。言葉にいつものような棘はない。少し元気がないことだけは、アイルにも分かった。
「なんか元気ねーなあ!俺が話すといつもつっかかってくんのに。」
「なっ!それはお前が……!」
思ったことをすぐ口にするアイルの思慮のなさが、毎度短気なミンシアを刺激しているのだが。なんとなく、言い返すことすら億劫に感じたミンシアは、再び「別に」と言葉を濁す。不思議そうに首をかしげるアイル。半ば諦めたように、ミンシアはため息をつく。
いつも全身で嫌悪感を表しているつもりだった。構わないからそうしているのだが、普通なら嫌われてもおかしくない態度だというのに、アイルはミンシアと関わることをやめようとしなかった。ふと、それを素直に疑問に感じた。
「お前は、いつもなんで……。そんなに笑っているんだ?」
「ん?」
アイルはきょとん、と首をかしげる。
「そんなに毎日、楽しいか?」
「……別に?」
「例えば、嫌なことがあったり、笑いたくない日があったり……、しないのか?」
「別に?」
「……。答える気がないのか。」
「べっつに~?」
アイルがにやっといたずらに笑ったところで、からかわれている、と気づく。
「このっ!人が真面目に話しているのに!お前に話した私がばかだった!」
いつもの調子が戻ってきたミンシアに、アイルは「お前の真似をしただけだよ」と、からかうことをやめない。ミンシアが本気で怒り始めそうな気配を感じ、そこでアイルは少し考えた。そういえばピアニやクルトに、喧嘩はできるだけ避けろ、と言われていたのだった。
「まぁまぁ。」
アイルは笑いながら、自分より幾分背の低いミンシアの頭に手をのせた。驚いたミンシアの肩がぴくっと反応する。
「考えるのもいいけどさ。笑いたいときは笑えばいいだろ。怒りたいときは怒る!そうやって感情をむき出しにしてるほうが、お前らしいよ。」
アイルは、自分に感情をぶつけてくるミンシアが興味深いだけなのだ。顔を覗き込んで、にかっと笑うと、ミンシアは顔を真っ赤にして目を見開いている。どうやら、喧嘩を回避するのには成功したらしい。
「まっ、俺はよくしらねーけどな。」
「……っ。」
言葉を詰まらせるミンシアには構わず、あはは、と笑いながら、クルト達の輪に戻っていくアイル。硬直したミンシアは目を見開いたまま、立ち尽くしていた。
「……何なのよ、一体。」
日が落ちるにつれて飲食店の灯りが少しずつ増え始め、あたりはぼんやりとした灯りで満たされていく。ミンシアが立ち止まっていることに気づいたメリルからの声かけで、ミンシアは、ためらいがちに、歩を進め始めた。
その様子を見守っていたヴェネックは、静かにほほ笑み目を閉じる。主都を流れる風は、日が陰った後でさえ、カルマートのものよりもあたたかく、穏やかだった。ふと、スフォルツァンド隊長との会話を思い出す。
『ミンシアは、やっていけると思うかね。』
『……今は、何とも言えません。』
『私はね、あの子が騎士になることには反対だったんだ。……あの子には、……向いていない。実際に今だって……。』
『しかし、そうすることを決めたのです。私は、その選択を尊重したい。それに、出会いは人を変えていきます、きっと。』
『……。』
「隊長―!」
自分を呼ぶ声にふと目を開く。見上げた先には、目的の店の前で手を振る隊員たちの姿があった。
「今行く。」
きっと今日も『アミ=アンダンテ』は満員だ。気丈な一人娘のオリビアが、必死で店を回しているだろう。
・・・
柔らかい蒸気を発する馴染みの紅茶を机に置き、読みかけの本を開く。とても静かだ。北端の街カルマートの夜は、冷えてならない。淹れたての紅茶もすぐに冷めてしまうと思うと、読書に集中できやしない、とスフォルツァンドはため息をつく。
「……。」
パタンっと本を閉じる。珍しい客人を迎えたからか、楽しかった半面いつもより少し疲れてしまったようだ。
「……人は変わる……か。」
古き友の息子であり、自身の教え子でもある男に、諭されようとは……、年は取りたくないものである。
そろそろ休むか、と飲みかけの紅茶はそのままに席を立とうとしたとき、ギィっと寝室の扉が開いた。
「ヨゥ。久しぶりだな、ジイサン。」
見慣れた男が、にやにやと怪しげな笑いを浮かべてひらひらと手を振っている。
「……。人の部屋に入るときは、ノックぐらいするものですよ。」
ケケケ、と肩をすくめる男は、ずかずかと寝室に踏み込んで、乱暴にソファーに腰を掛けた。どうやら図々しくも居座るつもりらしい。
「客人に出すコウチャはないのかィ?ああ、もうティータイムっていう時間デモネーカ。ししし。」
「……。」
「いい加減野宿は寒くてイケネー。今日はここで寝させてもらうゼ。」
男はゴロンと横になると、「オカマイナク」と手をふり、深い息を吐く。本気でここで眠るつもりらしい。スフォルツァンドはため息をつく。いくら相手が無作法な者だとしても、このまま放置をするのは躊躇われたため、仕方なくブランケットをかけてやることにした。
「……、君は、何がしたいんだ。」
独り言のつもりだったが、男には聞こえていたようだ。目を閉じたまま、男は答える。
「俺は、セカイってやつが変わる様を見てみたい。ただ、それだけダヨ。」
「……。」
日暮れの早いカルマートの夜は長い。寝息を立て始めた男を尻目に、スフォルツァンドはもう一度机に向かい、冷え始めた紅茶とともに再び本を開いた。