第3話「変なやつ」②
「おーい、ミンシア~。」
能天気な声に呼ばれ、ミンシアは枯葉をはいていた手を止める。よくわからない騒動に巻き込まれて掃除を手伝わされていることも納得いかないが、その一言はもっと聞き捨てならなかった。ガサガサと枯葉をまき散らしながら近づいてくるアイルに対し、眉を寄せながら問いかけた。
「お前、今なんて。」
「ん?まだ名前呼んだだけだぞ?」
「だから……っ!」
頭に血が上る。アイル・ファーデン。もちろんこの男は嫌いだ。この半年、極力接触を避けてきた。しかしことあるごとに、全身で拒絶しても、お構いなしに声をかけてくる。何を考えているかさっぱりわからない。何より、騎士としての自覚が一向に見えないこの男に、何故自分が呼び捨てにされなければならないのだ。一応、立場は自分のほうが……と、一瞬でもそう考えてしまった。そんな自分すら受け入れられなくなり、ミンシアは言葉を詰まらせる。
「っ…………。」
眉をひそめて視線をそらす。その心境なんてものはアイルが知る由もない。いつもの調子で用件を告げる。
「これ、落としたよな? 渡し忘れてた。ほい、リボン。」
「!!」
お構いなしに差し出されたアイルの手には、金色の刺繍が施された赤いリボンが収まっていた。それは、初めて出会った入隊式の日の食堂で、ミンシアが去るとき落としていったものだった。
「えらく可愛いリボンだな。誰かに貰ったのか?」
「わ、私のものではない!」
「え?でも俺、お前が落とすところ見……。」
「違うと言っているだろう!」
押し問答だった。アイルからしてみれば、何故ミンシアが頑なに拒否をするのかさっぱりわからない。確かにアイルはその時その目で見ていたのだ。足早に去っていくミンシアから、ひらりと落ちた、この、赤いリボンを。それ以外の真実は見つからない。
「リボンなんて、男のお前がつけるはずはないし……誰からのもらい物か?だったら、大切にした方がいいんじゃないのか?ほら。」
「……っ。違う!」
パシッとはじかれ、再びリボンはアイルの手から地面に落ちていく。はたかれた手は、初めて会った時と同じように、アイルに、少しだけ痛みを残す。
「…………何するんだよ~。あーあー、落ちちゃったじゃないか。」
仕方ないな、とリボンを拾い、埃を払うアイルの隣で、誰にも見られないようにうつむいたミンシアの瞳は困惑と後悔に揺れている。
「はいはい、そこまで。アンタ達、とりあえず掃除終わらせるわよ。」
喧嘩する子供たちをたしなめる様に、様子を見ていたメリルが優しく仲介に入る。アイルは、はーい、と素直に返事をして掃除を再開し、ミンシアはうつ向いたままホウキを握りしめていた。
「そうだぜ!ほ~らっ!ジェット先輩特製!落ち葉バズーカ!」
喧嘩して叱られた子供たちを慰めるように、豪快な掛け声とともに集めた落ち葉がふりまかれる。それは確かに、ジェットなりの気遣いだった。付き合いの長いメリルは知っている。知っているのだが。
「ジェット~……っ、アンタってやつは!掃除が一向に終わらないじゃないの!反省ってものをしりなさい!」
堪忍袋の緒が切れたメリルは巨大な金槌型の魔法具を軽々と振り回し、ガァンという豪快な音を響かせた。ジェットの叫び声が響き渡る。痛がるジェット、けらけらと笑うアイル。延々と続く掃除に、落胆するクルトとピアニ。少し小腹のすく時間になった穏やかな午後。まだまだ掃除は終わりそうにない。
・・・
吹き抜ける風が、ミンシアの体を更に固くする。自身の内側に渦巻く不快な感情を静かに吐き出すように深呼吸をすると、少しだけ、肩の力が緩んだ気がした。箒を握りしめ、ゆっくり歩き出す。
ミンシアは一人、アイル達から離れて掃除を再開した。任務を遂行しなければ。遠くに聞こえる五人の楽しそうな会話が、離れてもなお耳障りだった。
研究者の街、カルマート。西国北部に位置する静かで、少し、肌寒い街。騎士団第七部隊に派遣されたあの頃と、景色は全く変わっていなかった。
十六歳で入隊したミンシアは、期待に胸を膨らませていた。騎士になることで、何かが変わる気がした。変えられる気がしていた。自分の置かれた環境を変えることが一番手っ取り早い成長の方法だと、思い込んでいたのだ。
風が、集めた落ち葉をさらっていく。
震える手に力を入れて、箒を握りなおす。早く集めてしまわなければ、きっといつまでたっても終わらない。
「……よう、ミンシアじゃねぇか。」
「!」
聞き覚えのあるその声に、心臓がドクンと跳ねあがった。まさか、という思考の後、感覚すべてが停止し、息の仕方がわからなくなる程、足の先から頭の先まで、硬直していく。
何とか息を吐き、恐る恐る振り返った先に立っていたのは、やはり見覚えのある人物だった。
「アランガルド……副隊長……。」
ジン・アランガルド。騎士の鎧を纏っているが、細身ながらに騎士としての役割を十分に果たせるほどしっかりとした体つきであることを、ミンシアは知っていた。切れ長の瞳が、鋭く見据えてくる。目をそらすことしかできない。
「ご無沙汰、しております。」
やっと絞り出した言葉に、満足したように鼻で笑うと、にやにやと表情を崩しながら、ジン・アランガルドは問いかける。
「なんでまた、そんな恰好をしてるんだ?」
「!……これ、は……。」
「……はっ。相変わらず、誤魔化すのがお上手なこって。」
「……っ。」
言い淀むミンシアの様子を楽しむように、アランガルドはじわじわと、歩を進める。体を思うようにコントロールできず、視線をあげることもできないミンシアに近づくことなど、容易いことだった。
ミンシアが落とす視線の先、足元の枯葉がアランガルドの靴に踏みつぶされ、ハッと顔をあげると、すぐ近くに彼の顔がある。
「……っ。」
驚きと戸惑いが混じり、目を見開くと、再び満足げにアランガルドが笑う。
「せっかくその甘っちょろい根性、俺が叩きなおしてやろうとしてたのに、すぐいなくなっちまって。」
「……。」
何も言い返せなかった。ミンシアは再び目をそらし、顔を伏せる。それ以外に、彼に対する抵抗の術を持っていない。方法はいくらでもある、しかし、できないのが第七部隊だった。何も言わないミンシアに、アランガルドはつまらなさそうに言葉を投げる。
「……そうやって、目を逸らし続ける限り、お前は弱い。」
せわしく鳴り続ける心臓の音と共に、鋭い言葉がミンシアの頭に反響する。
「いくら逃げたって、その事実は後から後からお前を追いかけてくる。」
そうだ。スフォルツァンド隊から逃げて、その後もイジュール隊から逃げて……、自分自身はなにも変わっていない。環境を変えたところで、姿を、変えたところで。弱いままだ。騎士になると決めた時のまま。それ以前のまま。
「私、は……。」
目の奥が熱い。喉が渇いて、息を吸うことができない。やっとのことで絞り出した、無意識の言葉だった。反応に気を良くしたアランガルドは、揺れるミンシアの瞳を再びのぞき込む。彼の顔で、言葉で、全てが埋め尽くされていく。拒否する気力は、残っていない。
「別に、悪いことじゃない。嫌ならやめればいい。逃げればいいじゃないか。甘ったれたければ、おとなしく―……。」
「取り込み中失礼する。」
全てが遠のきかけた時、聞き慣れた声に、フッと呼吸が楽になったのを感じた。冷たい風が吹き抜け、体の感覚が戻ってくる。舌打ちと共に、アランガルドが忌々し気に吐き捨てた。
「……ヴェネック、シルム……っ!」
落ち葉がカサっとこすれる音に気づき、ミンシアが顔をむけると、静かにヴェネックが立っていた。表情を変えることなく、アランガルドに告げる。
「アランガルド副隊長、スフォルツァンド隊長が呼んでいたぞ。……早く、行ったほうがいいのではないか。」
ヴェネックの毅然とした低い声が有無を言わせない空気を創り出していた。アランガルドは僅かばかりの間押し黙ったが、もう一度妬まし気に舌打ちをした後、踵を返し無言で去っていく。
アランガルドが遠ざかっていくのを横目に、ヴェネックはミンシアに歩み寄る。ミンシアは、肩で息をしながら、呼吸を整えていた。
「……隊長……。」
瞳は動揺に揺らいだままだ。何が起きたのか、何があったのか、説明することはできなかった。実際、何もなかったのだ。ただ一つだけ確かなのは、自分が、弱かったということ。言葉にはできなかった。アランガルドとは違う、ヴェネックの真っ直ぐな視線が、静かにミンシアを見つめる。
「……気にするな。」
優しい言葉に安心する自分。ミンシアは、そんな自分が何より一番嫌いだった。
・・・
主都と同じように、カルマートでも午後三時に鐘が鳴る。やっと片付いた枯葉を集めた袋にもたれかかりながら、アイルは大きくあくびをした。
「あ~……、暇だな。」
一向に進まない枯葉集めに、業を煮やしたメリルが、ジェットを引き受け、二手に分かれて作業を始めたのが、一時間ほど前のこと。掃除というのは真面目にやれば意外とあっさり終わるものだ。メリル達の分担分は、きっとまだ終わっていないだろう、主にジェットのせいで。気を利かせたクルトが、手伝いに向かったのがついさっきだ。
昼下がりのカルマートは主都より少し風が冷たいが、日差しは温かく、作業をしてほどよく疲れた体には心地がいい。
「穏やかだねぇ~……。って、アイル!寝ないでよう!」
「他にすることないじゃないか~。」
「ダメ!まだ任務中なの!」
「ピアニは真面目だなあ~…………。」
「ああああ!ダメ、寝ないでってばぁ!」
「…………クルトも、真面目だなあ~……。」
「もおおお!あいるううう!!」
子供たちのお留守番のような会話が穏やかに流れていく。ピアニが小さい体で何度もアイルを揺さぶるが、すでに彼は夢の中へ行ってしまったようで、静かに寝息を立て始めていた。
「もう……っ!」
こんなことなら自分も読みかけの本を持ってくればよかったかな、なんてことを考えながら、ピアニは空を仰ぎ見る。木々が静かに揺れている。今日も穏やかな一日だった。空は優しい青色で、薄い雲がいくつも漂っていた。
「ケケケっ。シルム隊っつ~のは、にぎやかだなァ。」
「?」
何処からか聞き慣れない声が届き、ピアニはあたりを見回した。しかし、ぴょこぴょことトレードマークのおさげが左右に揺れただけで、誰の姿も確認できない。
「右でわいわい、左でゾワゾワ。後ろ暗くて、お先真っ暗。」
声だけが届く。何やら、意味深で不気味なことを言っている。
「だ、だれ?……どこ??」
あちこちから声が聞こえてくるような錯覚が起きた。声の主はお構いなしに、楽しそうに言葉を続ける。
「くっくっく。そして俺は、上からにやにや……ってなァ。ここだよ、オジョーチャン。」
上、というキーワードを与えられ、勢いよく視線を挙げた先。太く立派な樹の枝に腰掛け、怪しげな男性が手を振っていた。つい先刻、視線を空に向けて漂わせていた時は、人の存在には全く気づかなかったのだが。男性は、ピアニの驚きをよそに、外見通りの怪しい笑い方をしてみせる。
「シシシ。」
「えっと……、こんにちは……?」
とても怪しい、が、敵意は感じない。それに、よく見ると男は西国の紋章が入った鎧を着ている。多分、騎士なのだろう。小心者ではあるが、好奇心も強いピアニは、警戒しつつも会話を試みることにした。丁寧なあいさつに拍子抜けしたのか、男は肩をすくめる。
「……ゴテイネイニドウモ。」
「えっと……。」
「挨拶はさておき、任務中ダロ?隣のダレカサン、寝ちまったぜ?」
「……ごめんなさい。私が起こしてもちっとも起きないんです。」
「ケケケ。」
ピアニが恨めしそうな顔で隣に眠っているアイルをにらんだところで、木漏れ日を浴びながら気持ちよさそうに眠っている彼には全く届かないのだ。
「長―い、長い。深い深い。……そして、すこしだけ、暖かい。シシシ。」
「……?」
男は木の上からアイルを眺め、愉快そうに独り言を述べる。この人は一体、誰なんだろう。ぐっすり眠っているアイルの事はひとまず置いておいて、ピアニは再びこの不思議な男との会話を試みることにした。
「ところで、貴方、誰ですか?」
「そういうお前は、ダレデスカ?」
「……。私は、ピアニ。ピアニ・ラルコットです。」
「ホントウニ?」
ざあっと強い風が、小さな埃を舞い上げた。とっさに目をつむったピアニは、ぴょこぴょことおさげを揺らしながら首を振る。それから再度目を開き、男を見据えた。
「……ほんとです。」
「フーン。」
「ピアニ・ラルコットです。」
口元を緩ませたまま、男は肩を竦める。
「一つ、教えてやる。知っていることが全て正しいとは限らないぜ?……菓子は食わなきゃ味なんてわかんねェ。卵は割らなきゃ中身なんてわからねェ。」
男は、大袈裟なジェスチャーを加えながら、にやにやと笑っている。しかし、目だけはどこか虚ろで物悲しくも見える。そのアンバランスさが怪しさを感じさせるのかもしれない、とピアニは静かに考察していた。他の人、例えばクルトなら、こんな男のこんな話、怪訝な表情で適当に聞き流すのだろうが、生真面目なピアニは彼が醸し出す非日常的な雰囲気と言葉に、少し興味があるのか、じっと耳を傾けていた。
「知らずに踊るのも、知ってるつもりで踊るのも大差ねェ。結局は踊らされてるって事実に変わりねェんダ。舞台だと思っているその場所は、誰かの掌の上、かもしれねェぜ?」
謎かけだろうか。言葉は抽象的だが、具体的な何かを指して、揶揄しているのだろうか。ピアニは静かに考える。自分に投げかけられた言葉であるならば、答えは持っていた。
「それを、知っているから。」
頭上から相槌が聞こえる。男はピアニの答えを聴きたいらしい。ピアニは一歩踏み出し、男を真っ直ぐ見上げて、素直に伝えた。
「だから、私は自分の目で見て、考えて、知っていきたい。勉強したい。自分の大切なもの、みんなの気持ち。世界の真実も。」
ピアニが学者を志す理由。きっかけは、騎士団学校での授業であった。知れば知る程、自分で考えれば考えるほど、自分自身が生きている場所、自分という存在の足場が固まっていく感覚。それが、嬉しかった。もっともっと、と探求したくなったのだ。
「……ふ~ん。おもしれぇじゃねえか!」
男は機嫌よく立ち上がると、今まで腰掛けていた枝をけり、ふわっとピアニの目前に着地した。
「オマェ、名前は?」
「ピアニです!」
何度言わせるのだ!と言わんばかりに食い気味に。問いに対して真面目に考え、丁寧に答えたのに、目の前の男は飄々と笑っているだけだ。流石にピアニも気に入らない。やはりからかわれている気がする。
「あなたこそ何なんですか、さっきから変なことばっかり!」
「シシシ。ピーピーうっせェな。お前はあれだ、ピー子だな、ピー子。」
「変なあだ名つけないでください~っ!」
やっと会話らしい会話が成り立ち始めた。男はピアニを気に入ったようであった。猫背だがピアニの倍はありそうな高長身の男は、苦言を呈するピアニの頭を満足げに撫でまわす。
ふいに、冷たい風が吹き抜けた。
「フ、……ファ、ファックシュッ!」
「わ!だ、大丈夫ですか?」
「あー……。ここ最近、上司に無茶言われて、やたらほこりっぺー、キナクセェところにいたからなァ~……。シシシ。」
「上司?」
鎧から察するに、西国騎士団の人だろうこと以外さっぱりわからない。ピアニが質問をしてみたところで、やはり男はのらりくらりと流すばかりだった。
「ん、ん~っ。」
ピアニが押し問答に疲れてきたころ、やっとアイルが昼寝から目覚める。
「もう!アーイールーっ!やっと起きた!」
「ん?どうしたピアニ……って、あれ?その人誰だ?知り合いか?」
目をこすりながらあくびをするアイルは、さして興味もなさそうに、疑問を口にする。
「ケケケ、さーて、どうだロな?」
「……変な人だよ。名前も教えてくんない。」
不思議そうに首をかしげるアイルを横目に、男はまた、大袈裟なジェスチャーをつけながら語り始める。
「ししし。名前なんてどーでもいー、ダロ?お前ェがその目で見て、お前ェの中に形づくったヤツが俺……ってナ。
そいつに?名前?そんなの必要あるのかねェ……?」
いきなりの問いかけに、ピアニはまた思考を巡らせる。言われてみれば、そうであるような、うまく言いくるめられているような……、それは、なかなか結論が出ないやはり抽象的な問いだった。
一方アイルは首を傾げたまま、不思議そうに男を見つめている。多分、何も考えてはいない。
「何が何やら?とりあえず、悪い人じゃないみたいだな。」
「さーて、それはどうかナ?」
「あはは、おもしれーな!」
アイルと男性の会話は、自分とはまた違った方向で成り立っていないなと、ピアニは思った。ただ、男の目が先ほどまでとは違い少しだけ笑っているようにも見える。
「ししし。……さ~て、俺はそろそろお暇するかねェ。……うがいと手洗いは忘れんなヨ、ピー子♪」
「なっ!子ども扱いしないでくださいっ!」
頭をなでようと伸びてきた細くて大きな手をかわし、ピアニは抗議した。ケケケ、と肩をすくめた後、男はアイルに視線を向け、目を細める。
「……あんまり寝すぎると、ボケちまうぜ、ジュニア。」
「?」
意味深なことばかり言う男は、ニヤッと笑った後、ひらひらと細長い手を振りながら、すたすたと去っていった。
ピアニは不完全燃焼だった。答えがあるようでない問いばかり投げかけて、自分のことは何一つ話さず、もやもやだけ残して去っていくなんて。
「変な人。」
たった一つはっきりしたのは、それだけだった。
「変なやつ」。
考えてみれば「変なの」って台詞をよく使っているかもしれません。
いろんな意味がありますね。