第6話「私の宝物」①
騎士団本部の食堂は今日もにぎやかだ。
「メルドゥ…!!メリルー!!お前俺がにんじん嫌いなの知ってるだろう!!スープにはな!コーン、かぼちゃ、玉ねぎ!こんなに種類があるんだよ!それなのに敢えてのこのにんじんチョイス!!おかしい!おかしいぞ!!」
「何でもいいからつげっていったのアンタでしょ!黙って食べな!」
「あはは、ジェットはにんじんが嫌いなのか~」
和やかな昼食時の歓談の中でひと際目立つやりとりを横目に、ミンシアは静かにフォークを置く。
「ご馳走様」
「! ……ミンシア、もういいの?」
おずおずと問いかけるピアニに視線を合わさず、小さく返事をしてミンシアは立ち上がった。料理を口に運ぶ手を止めて、クルトも口を開く。
「……これから任務なのに、全然食べてないじゃないか」
「……問題ない」
「問題あるだろ、重要な任務の途中で倒れられたらいい迷惑だ」
「倒れたりしない」
「あのなあ。……ああもう、そうじゃなくて……」
クルトが言い淀むと、ミンシアは自分の食事が入ったトレイを持ち上げた。皿の上には手のついていない骨つき肉と、カボチャのスープが残っている。
「ん? なんだミンシア、食べないのか?食べないなら俺にくれよ」
「な」
「肉」
「……」
言い返すこともせず、ミンシアはトレイから骨つき肉が乗った皿をアイルに差し出した。
「おっ!さんきゅ」
「……もういいでしょ、ほっといて」
「ん?」
食堂の喧騒の中で、小さく消えていったミンシアの声は、アイルにしか聞こえなかったようだ。立ち去る背中を見つめていると、ピアニがそっと声をかけてきた。
「アイル、ミンシアと何かあったの? この間の、あれの後から、なんか様子が……」
「……」
「アイル?」
「ん?あ、いやなんでもないよ。はは」
くしゃっとピアニの頭を撫でる。向かいの席ではジェットとメリルの言い合いに巻き込まれたクルトがげんなりと項垂れていて、賑やかな場所からひとりだけ離れていくミンシアの背中は、どこか小さく見えた。
・・・
『ミンシア…お前、女、なのか?』
騎士団本部の長い廊下を、入り口から反対方向へ抜けた先にある小さな中庭は、喧騒から遠く、とても静かだ。
「……。はぁ。」
適当な場所に腰かけて、ミンシアは目を閉じる。シルム隊に転属したのち偶然見つけたこの場所は、ミンシアのお気に入りだった。昼下がりのじんわりとした温かさに包まれて、解けていく感覚が、どこか懐かしい。人工的な音の届かない、風がよく通るこの場所でなら、少しだけ、自分のことを許せるような気もした。不釣り合いな男装までしても、何もかもうまくやれない、自分のことを。
「あいつ、……なんで誰にも言ってないんだろう」
あの日、アイルにばれたと理解した瞬間、弁明も、口止めも忘れて反射的に逃げてしまった。翌日には他の者にも知られてしまうだろうと、覚悟すらしていたのに。メリルにも、子供じみた行動ばかり見せてしまったことが気まずくて、その後のことを聞けずにいる。頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「……こんなんじゃ、ダメなのにな」
両手で顔を覆い、俯く。誰にも見せられないような顔は、自分にすら見せたくなくて、もうずっと前から、こうすることが癖になっている。誰も、見ていないのに。目を開ければ不安で、目を閉じれば、自分の愚かさに叫びだしそうだ。
「こんなところで、どうかなさいましたか」
聞きなれた声に驚いて顔を上げる。
「! 隊長……どうして」
「……向こうの廊下から、貴方の髪が見えたので。気のせいかとも思ったのですが」
「髪……」
肩辺りで切り落とした髪。ふわふわとした柔らかい髪は、風によくなびく。
「そっか……。もっと切ればよかったかな」
「……」
自嘲気味にうつむいたミンシアに目線を合わせるように、ヴェネックは膝をついた。
「これを、貴方に渡してほしいと。預かってきました」
「これは……?」
金色の精巧な石座にはめ込まれた、琥珀色の石。そっと受け取ると、ミンシアの掌に収まった。裏返すと、見慣れた紋章が刻まれている。
「【あの人】から?」
「はい」
「どうして私に……」
「自分よりも貴方が持っている方が相応しい、と」
「……なにそれ」
『相応しい』わけがない。弱くて、何もできない、選ばれなかった自分が。ミンシアは立ち上がり、ヴェネックに背を向ける。
「ひ……」
「呼ばないで!」
「!」
「……【あの人】にできないこと、私にできるわけがない」
「そんなことは」
ヴェネックの言葉を遮るように、オレンジがかった茶色い髪の毛が、左右に揺れる。
「シルム隊に来るまでのこと、知っているでしょう」
「……少しだけなら」
「うまくできなかった」
柔らかい日差しの中、俯いたミンシアの目に映るのは、自分の影ばかりだ。
「昔から、ずっとそうだったよね。【あの人】と違って、私は、何一つ満足に、上手くできない。何の役にも立たない、小さくて弱い、……女……だから」
「違います」
「だから、捨てられた」
「!」
風に揺れる髪を耳にかけ、振り返ったミンシアは嘲るように小さく笑う。
「やめてよ、敬語」
「……」
ざあっと強い風が吹く。枝に止まっていた鳥たちが、羽音を立てながら飛び立っていく。幾ばくかの沈黙の後、真っすぐにミンシアを見つめていたヴェネックが口を開いた。
「ここは……似ていますね、あの場所に」
「え?」
「貴方がいた場所に」
「!」
人の気配から遠く離れ、静かで穏やかな、緑に囲まれたところ。葉の音と、囁くような、鳥の声。
「だから、なに」
「いえ、ただ」
「抜け出したくせに、勝手なことばかりしているくせに、まだこんなところにいるのかって……? 」
「そんなことは言っていません。わたしは」
震える肩に、大きな手が優しく触れる。ミンシアはそれを力いっぱい振り払った。
「私は! 私にしかできないことを、しなくちゃいけない! 見つけなきゃいけない! そうじゃなきゃ、意味がないじゃない! そうじゃないなら、【私】は、……私は、どうして生きているのよ!」
「落ち着いてください」
「探しても、探しても、見つからない! それどころか、どんどん、どんどん分からなくなって、動けなくなって、……やっぱり、うまくできないって突きつけられる。バカみたい……っ! こんな格好してる私を、隊長だって本当は……っ」
「そんなことはありません」
「っ」
言い返そうと顔を上げた。ヴェネックの瞳は揺ぎ無く、ミンシアを捉えていて、ミンシアは言葉を詰まらせる。一度振り払われた大きな手は、先ほどよりも強く、ミンシアの肩を支えていた。
「そんなことは、ありません。決断したのなら、その選択は何も間違っていない。……貴方は、貴方の思うようにすればいい」
「……」
潤んだ大きな瞳は、それでも涙をこぼすことはなく、真意を測るようにヴェネックを見つめ返している。再び口を開こうとしたとき、定例の鐘の音が、遠くから鳴り響いた。ヴェネックは静かに肩から手を放し、音のする方へ視線を向ける。
「そろそろ時間です」
ミンシアは小さく息を吐き、肩に入っていた力を抜きながら俯いた。影も風に揺られて、形を変えている。
「……隊長」
「はい」
「……敬語」
ヴェネックは少しだけ目を見開いた後、少し思案してから咳ばらいをした。
「失礼。……行くぞ」
「……はい」
中庭から廊下へ入ると、ミンシアの影も本部へと同化していく。喧騒から離れた中庭は、変わらず穏やかな昼下がりの日差しに包まれていた。
このあたりから、RPGのテンションで書いていたボイスドラマ台本を小説版に書き換えるために設定を掘り下げています。ミンシアは影しか見ていないけど、影があるのは日差しの中にいるからなんだよね。