第8話
「ちょっとシリウス!突然どうしたのよ」
マルタの声が聞こえる。
俺はその声にハッと意識を取り戻す。
長い間意識が飛んでいたように思ったが、
どうやら一瞬だったようだ。
戦況は何も変わっていない。
だが俺の中には先ほどの不思議な感覚が残っていた。
俺は剣を握る手に力を込める。
そして膝に力を込め、立ち上がった。
「・・・大丈夫だ」
俺は答える。
「・・・シリウス?」
アルが不思議そうな顔で声を掛ける。
俺はアルに頷いた。
「・・・アル、マルタ、ゴウセル・・・頼みがある」
「あん?」
「なによ」
「なんですか?」
三人が答える。
「・・・もう一度、火竜に隙を作って欲しい。俺がやつの懐に潜り込めるような」
俺は言った。
「・・・何か手を思い付いたのですか?」
アルの問いに、
俺は何も答えなかった。
俺の身に起きていることを説明出来るような気がしなかったし、
言葉に出してしまえば泡沫のように霧散してしまうような、
そんな儚さを感じていた。
だがアルは俺の顔を真剣に見ると、
何かを察したように頷いた。
「・・・分かりました。しかし、魔力はもう殆ど残っていません。これがラストだと思ってください」
「アル・・・?」
マルタが驚きの声を上げる。
アルがマルタに視線を向ける。
「このままではどの道ジリ貧です。シリウスの変な思いつきに命を賭けて散るのも、私たちらしくて良いではありませんか」
アルが冷静に言う。
「・・・信じていいの?」
マルタが俺の方を向き尋ねる。
心配で泣きそうな顔。
土壇場で気弱なのは昔から変わってないな。
「・・・任せろ」
俺はそれだけ呟いた。
マルタにはそれだけで届く、と信じていた。
「ヘヘヘ、、俺は最初っからシリウスのことを信じてるぜ」
ゴウセルが言う。
こいつはいつでも俺に全幅の信頼を寄せてくれる。
もし俺が火竜に喰われてくれと言っても、
ゴウセルなら自ら火竜の口内に飛び込んでくれる気がする。
もちろんそんな事は頼まないが。
だからこそ俺はゴウセルの信頼に答えないとならない。
三者三様の表情。
だが三人の瞳には再び闘志が宿っていた。
その瞬間、俺たちを探していた火竜が咆哮をあげた。
見つかった。
もう後はない。
「あとは任せるぜええええええぇぇ!!!」
そう言って、真っ先に駆け出して言ったのはゴウセルだ。
ゴウセルは正面から火竜に飛びかかると、
限界まで振りかぶった大斧を振り下ろす。
小細工なしの力任せの一撃。
だがこれこそがゴウセルの最強の攻撃だ。
火竜の皮膚に届いた大斧は、
それでも火竜の皮膚を切り裂くことはできず、
それどころか刃部分が無残にも砕け散った。
だが―――――
ゴウセルの勢いは止まらなかった。
「まだだあああああ!!!!」
ゴウセルは砕け散った大斧の柄を手に持ち、
それをそのまま火竜の瞳目掛けて突き刺した。
「ガギュアアアアァァァ!!!」
火竜が悲鳴をあげる。
全身が強靭な皮膚に守られようと、
眼球だけは違った。
左目から血が噴き出し、
初めて火竜が後退する。
ゴウセルは暴れる火竜に振りほどかれ、
地面に叩きつけられた。
「・・・流石です、ゴウセル」
「無茶なことを、もう大人しく寝てなさい」
アルとマルタの声が響く。
ゴウセルが火竜を足止めしている隙に、
アルとマルタは、魔力の集束を終えていた。
アルは青い氷の魔力、
マルタは緑の風の魔法を右手に纏う。
「<アイスストーム>」
「喰らいなさいっ!<ウインドストーム>!!」
二人が同時に放った魔法は、
火竜へと向かう火線上で一体となる。
そうして生まれたのは氷の暴風。
アルとマルタの最大にして最後の魔法が火竜に直撃する。
「グギャアアアアアアアアアア!!!」
凄まじい勢いの氷の竜巻が、
火竜の身体を削る。
地面は氷、
氷の竜巻に僅かに触れた大岩が削れ吹き飛んでいく。
上手くいけば、この魔法だけで押し切れるのではないか。
そう思わせる程に二人の魔法は強力だった。
しかし―――――
「グギャアアアアアアアアアア!!!」
氷の竜巻の中から聞こえる火竜の咆哮は、
未だに力強く、そして今までで一番怒りに満ちたものだった。
離れていてもビリビリと身体が震え、
無意識に全身の毛穴が逆立つ。
ダメだ。
この魔法でもやはり火竜は倒しきれない。
そう確信した俺は、
予定通り走り出す。
仲間の作ってくれた一瞬のチャンスを無駄にしないために。
そして栄光の未来をつかむために。
やがてアルとマルタの魔力が尽き、
氷の竜巻の勢いが失われていく。
「グギャアアアアアアアァァッ!!!!」
火竜の咆哮により、
氷の竜巻は霧散する。
キラキラと光る氷の粒の中、
火竜は悠然と立っていた。
その身体は所々が凍りつき、
片目にはゴウセルの斧の柄が刺さっている。
火竜の右目はこれまでにないほど赤く輝いていた。
そこに滲むのは激しい怒り。
魔力を使い果たしたアルとマルタは、
その場に座り込む。
「本当に・・・化物ですね・・・」
アルが息も絶え絶えと言った様子で呟く。
「・・・こんなのに手を出した私たちが馬鹿だったわ・・・」
マルタが答える。
そして――――――
「・・・約束は・・・守ったわよ。言い出したのはあんたなんだから、ちゃんと責任取りなさいよ?シリウス」
マルタの視線の先。
俺は一人、
火竜の足元に立っていた。
剣を構え、
既に集束を終えていた魔力を解放する。
俺の持つ左右の剣に再び青紫の雷が走った。
「ッ!!!グガアアアアアア!!!!」
アルとマルタに意識を集中していた火竜は、
一瞬、俺への反応が遅れる。
そしてその一瞬が、俺の最後の一撃の機会を生んだ。
「二天流、雷鳴剣」
火竜の牙が、
俺へ到達するよりも僅かに早く、
俺は技を繰り出した。
これまで何度も弾き返されてきた剣撃。
普通に振るうだけでは肉を焼くのが精一杯だ。
だが俺は火竜のある一点のみを狙い、
二本の剣を振り切った。
俺の脳裏に、読んだことも無い本の一文が過る。
『火竜を討伐するためには顎下に隠されている逆鱗を穿つ必要がある。極度の疲労、または激しい怒りにより姿を現す』
狙うのは火竜の顎下。
限界まで高まった動体視力で捉えた視界の先に、
赤く輝く鱗を捉える。
これまでの戦いと、
激しい怒りにより露呈した、
『逆鱗』と呼ばれる部位。
自分の知らない知識。
持ち合わせる訳もない火竜の情報。
だが俺は確信していた。
これこそが火竜の弱点であると。
そして――――――――
既に陽が落ちかけた岩山地帯に、
これまでで一番大きな雷鳴が響いた。
・・・
・・
・
「・・・レグリス様?」
僕が目を開けると、
そこにはアルフレッドがいた。
「アル・・・ッド・・・?」
僕はアルフレッドの名前を呼んだが、
喉が掠れうまく声が出せなかった。
「良かった・・・目を、覚まされて・・・」
よく見ればアルフレッドの目には涙が浮かんでいた。
「・・・火竜・・・は・・・・?」
僕は朦朧とした意識でアルフレッドに尋ねる。
「レグリス様、もう安心です。熱もすっかり下がりました・・・直に意識もはっきりするでしょう・・・良かった、本当に・・・」
アルフレッドは僕の手を力強く握る。
温かい。
なんだかとても安心する。
「・・・もう一度、お休みください。私はここにおります・・・」
アルフレッドの言葉を最後まで聞かずに、
僕の意識は再び落ちていった。
翌朝、目を醒ました僕は、アルフレッドに状況を訊いて驚いた。
どうやら僕は高熱にうなされ、まる二日間寝込んでいたそうだ。
「本当に?だってこんなに身体が軽いけど?」
ベッドから飛び起きた僕を見て、
アルフレッドは悲鳴をあげて心配した。
「本当に良かった。レグリス様のお身体に何かあれば、旦那様と奥様に顔向けが出来ないところでした」
そう言ったアルフレッドの目の下には深い隈ができており、
ほとんど不眠不休で僕の看病をしてくれた事が分かった。
僕はアルフレッドに向き合い、言う。
「・・・アルフレッド。ごめんなさい」
「・・・レグリス様、何を謝る必要があるのです?体調が戻られて私は本当に嬉しいです」
アルフレッドは答える。
僕は首を横に振った。
「ううん、違うんだ。その体調を崩した時、少し安心してしまったんだ。これでアルフレッドに、領主会議のことを怒られなくて済むぞって・・・」
「・・・レグリス様」
「・・・考えてみれば、当然だったんだ。これまで病気に甘えて、勉強も剣も魔法も。そして領主の仕事も何もかも中途半端。そんな僕が領主会議に出席して、上手くいくはずも無い。アルフレッドはそれを教えようとしてくれたんじゃない?」
僕の問いにアルフレッドは答えなかった。
「僕は・・・僕の人生に無責任だった。両親が死んで、たまたまアルフレッドが近くにいてくれて。たくさんの物を持っているのが当たり前だと思っていた。でも違う。本当に欲しいもの、望むものは命を賭けて戦わないと手に入らないんだ」
「レグリス様・・・」
アルフレッドは僕の名を呼ぶ。
「・・・だから、僕もちゃんと戦うよ。この病気と、そして自分の運命と。」
僕の言葉にアルフレッドが膝をつき、
顔を覆う。
「ア、アルフレッド!?」
慌てて駆け寄ると、
アルフレッドはその瞳からボロボロと涙を零していた。
「レグリス様・・・ご立派です・・・私は・・・私は・・・」
アルフレッドを慰めようと背中をさする。
だがアルフレッドが僕のことで余りに泣くから、
なんだか僕も泣けてきた。
結局、僕とアルフレッドは二人で大泣きし、
心配した他の家用人が様子を見に来るまでそこに座っていた。