第6話
領主会議は僕にとっては苦い経験となった。
初めて参加すると言うことで初めこそ議長から紹介があったものの、
子供の僕には発言の機会が与えられることなど殆どなく、
次々と決まっていく議題にただ賛成の挙手を行うばかりだった。
途中アルフレッドが僕に、
大麦の租税を引き下げる提案には絶対に反対なさってくださいと耳打ちしたが、
僕は反対の意思を表示するのが怖くて、賛成に手を上げてしまった。
結果として、
反対が賛成派を僅かに上回り、
租税の引き上げは見送りとなった。
帰り道にアルフレッドから租税が引き上げられていたら、
領地内で餓死者が出ていたかもしれないと聞いて、
僕はひどく落ち込んだ。
アルフレッドはそんな僕を慰めようとはしなかった。
屋敷に戻った僕は、
夕食を食べることもせずに部屋へ向かう。
ベッドに倒れこみ、
枕に顔をうずめると、
今日の自分の失態を思い出して死にたくなった。
自分では大きな一歩、
大きな成長のような気持ちだった。
だがそれは勘違いだった。
僕はまだ自分の意見を通すことすら怖がるような子供だった。
これで領主だって?
こんな情けない領主がいるものか。
僕はそう思った。
ひとしきり枕を濡らした僕は、
仰向けになり、
夢の男シリウスのことを思う。
自分の力を信じ、
決して曲げない意思を持つシリウス。
僕は彼が心の底から羨ましかった。
「レグリス様・・・お夕食が出来ました」
途中、アルフレッドが扉をノックしたが僕は反応しなかった。
そんなことをする自分が心底嫌になったが、
落胆したアルフレッドの顔を見るのが怖くて、
僕は扉を開けることができなかった。
僕は翌日から体調を崩し、
部屋からはおろかベッドからも動けなくなった。
アルフレッドが呼んでくれた医者によると、
いつもの病気に加え、
体力低下により風邪をひいてしまったらしい。
アルフレッドはいつもどおり献身的に僕の看病をしてくれた。
領主会議の話をするような機会は訪れなかった。
ほんの少しだけ安堵しながらも、
僕の全身を高熱と鉛のような倦怠感が襲う。
朦朧とした意識の中で、
僕はいつものあの感覚が全身に満ちるのを感じた。
やがて僕の意識は深く深く落ちていく。
・・・
・・
・
「・・・指示通りに火竜は南西の岩石地帯に追い込んだ。あとは頼むぞ」
ギルド長が言う。
俺はその言葉に強く頷いた。
「任せときな。無事に討伐できたら、例のやつは頼むぜ」
俺の言葉にギルド長は頷く。
「ああ!Aランクの推薦でもなんでも出してやる!必ずやつを仕留めてくれ!」
俺はその言葉に返事をすると、
馬を走らせた。
やがて街道の途中から、
先行していたマルタ、ゴウセル、アルの三人が合流する。
「・・・ギルドは頑張ってくれたようですね」
アルが言う。
「ただ追い込むだけでしょ!それなら他の腰抜け冒険者でも出来るわよ。ここからは訳が違うわ」
マルタが叫ぶ。
「マルタの言うとおりだ、ここからが本当の戦い。命のやりとりだ」
「肘が鳴るぜ!待ってろよ!火竜ぅうう!!」
「それを言うなら腕ですよ、ゴウセル」
「なんでも良い!ここを帰る頃には俺たちゃ英雄だぜ!」
ゴウセルが興奮した様子で叫ぶ。
「・・・その通りだゴウセル。やるぞ」
俺は馬を飛ばしながら、
自分の身体の中に満ちる力に気が付いていた。
これから火竜と戦うと言うのに、
不思議と不安な気持ちにはならなかった。
・・・
・・
・
岩石地帯には不自然に焼け焦げたような跡があった。
間違いなく火竜が暴れた痕跡だ。
大岩がいくつも崩れており、
火竜が怒り狂っている姿が容易に想像できた。
「こ、これ・・・大丈夫なの?」
マルタがそんなことを言う。
「ここまで来たら覚悟を決めるしかありません、マルタ」
「そうだぜ!皆で英雄になるぞ!」
アルとゴウセルがマルタを励ます。
「あ、あんたら良いわよね・・・こういう時しっかり開き直れるんだから」
そんな会話を俺は手をかざす事で制した。
「いたぞ」
その言葉だけで十分だった。
俺たちの間に一気に緊張感が走る。
岩の合間から覗くと、
少し離れた岩の間に真っ赤な躰を持つ生物が見えた。
爬虫類を思わせる頭部、
赤い鱗に覆われた身体、
背中から生えるコウモリのような翼。
四肢は大木のように太く、
その先には黒曜石の槍のような鋭い爪が生えていた。
「あれが・・・竜かよ・・・」
ゴウセルが呟く。
だが全員が同じ気持ちであることは間違いなかった。
俺たちがこれまで相手にしてきた魔物とは、
生物としての格が違う。
圧倒的なまでの実力差を、
俺たちは本能で理解した。
「どどど、どうするのよっ」
マルタが小声で言う。
「まさかあそこまでとは・・・」
一番後ろにいたアルも言う。
冷静そうに見えるが、
その額には僅かに汗がみえた。
一度は納得し、火竜討伐に賛成した三人だが、
ここに来て実物を目撃し、すっかり気圧されている。
だが俺は火竜を目の前にし、
胸の鼓動が早まっていくのを感じた。
おかしい。
自分でもそう思う。
だが俺の中でどんどん強まる何かが、
俺の背中を押し続けた。
「作戦、変更だ・・・」
俺は呟くように言った。
「え?今なんて?」
マルタが反応する。
俺は静かに両腰に携えた、
二本の剣を抜いた。
「・・・シリウス?どうするつもりなんです?」
アルが訝しげに尋ねる。
だが俺はその質問には答えなかった。
心臓の鼓動だけが俺の耳に響いた。
「あ、あんたまさか・・・」
俺はおもむろに岩陰から出て、
火竜の方を見つめた。
「お、おい!見つかるぞ!!」
ゴウセルが叫ぶと同時に、
いくつもの大岩を挟んで、
俺と火竜の目が合う。
その瞬間、
火竜は大地を震わせるような咆哮を上げた。
「あいつとは俺ひとりで戦う。お前らは・・・出てくるな!」
そう言って俺は、
火竜に向け一歩を踏み出した。
マルタとアルが何かを叫んだような気がしたが、
俺の耳にはもはや届いていなかった。
湧き上がるのは高揚感。
早くこの力を存分に使いたい。
俺の五感はその全てが、
目の前の火竜へと向けられていた。
・・・
・・
・
「ギャアアアアアアアアアアアア!!!!」
火竜が再び咆哮を上げる。
火竜は近づく俺に対し、
なぎ払うように尻尾を振った。
俺は両手に剣を構えたまま、
火竜へと飛びかかる。
進路上にあった大岩の一つに尾が直撃し、
粉々に砕け散る。
俺はそのまま空中で身をよじり、
右手の剣を振り下ろした。
火竜の右腕に剣が直撃し、
ガキンと言う鈍い音が響く。
おおよそ生物の身体とは思えないような硬さだ。
「ギャアアアアアン!!!!」
火竜はそのままなぎ払うように腕を払う。
俺はそれを転がるように回避し、
火竜の懐へと潜り込んだ。
そして今度は左手の剣を、
その皮膚へと突き立てる。
ガキィン!!
再び響いた鈍い音とともに、
剣が弾かれる。
「ガアアアア!!!」
雄叫びと共に、
火竜は俺に噛み付く。
俺は大地を蹴り、
火竜から距離を取った。
「・・・チッ、なんて硬さだよ・・・」
俺は舌打ちをして呟く。
普通の剣撃では火竜の皮膚を切り裂くことが出来ないようだ。
俺は改めて目の前の火竜が生物として格上の存在なのだと実感する。
本来であれば味わうべきは圧倒的な絶望。
だが緊迫する戦いにも関わらず、
俺は緩む口元を抑える事が出来なかった。
確かに未だ火竜にはダメージを与えることは出来てはいない。
しかしその動きは、見える、読める、避けられる。
少し前の俺ならば考えられないような動体視力と、反射速度。
その上―――――
「・・・まだまだ力が湧いてくる。もっと出来るって俺の中の何かが言ってやがる」
俺は全身に魔力を纏う。
同時に俺の剣の刀身に、
青紫色の雷が走った。
これこそが俺の操る二天流の真髄。
我が師が編み出した唯一無二の魔剣術だ。
俺は再び大地を蹴り、
火竜へと飛びかかった。