第1話
目が醒める直前。
僕は微睡みの中で必ず同じ夢を見た。
不思議なことにその夢に僕自身が登場することはなく、
そればかりか自分の意志で動くことも、話すことすらも出来なかった。
その夢の中で僕は僕ではなく、
ある男の意識の中にひっそりと存在し、
彼の目を通じて彼の人生を垣間見ていた。
まるでページの無い物語を読んでいるようななんとも不可解な夢だった。
果たしてこれは夢なのだろうか、とも思った。
だがその反面、
その夢は僕を文字通り夢中にさせた。
光る草原、
どこまでも透き通った空。
全身を包む柔らかい風。
彼の目を通して体験する世界は全てが輝いて見えた。
夢の中では、僕は彼で、
彼は僕だった。
・・・
・・
・
「・・・おはようございます。レグリス様。今日は良いお天気ですよ」
執事のアルフレッドの声で目を覚ます。
同時に彼が明けたカーテンの隙間から、
朝日が飛び込んでくる。
「・・・お、はよう、アルフレッド」
僕は目を擦りながら身を起こし、
アルフレッドに朝の挨拶をする。
「朝食の支度が済んでおります。お召し上がりになりますか?」
アルフレッドが尋ねる。
僕は寝起きの身体に強い倦怠感を感じ、
思わず朝食は要らないと答えてしまうところだった。
だが直前で思いとどまり、
アルフレッドに答える。
「・・・うん、食べるよ。でも軽めでいい」
「承知しました。では消化に良いスープなどを」
アルフレッドはそう言って給仕に何か指示を出した。
彼は僕は食事を摂らないと泣きそうな顔をして心配するのだ。
「今日は顔色が宜しいようですな」
なんとかスープを半分飲み終えた僕に、
アルフレッドが言う。
「そうだね、そう言えば気分が良い気がするよ。アルフレッドの取り寄せてくれた薬のお陰かな?」
僕は答えた。
もちろん嘘だ。
体は寝起きから鉛のように重い。
「・・・それは良かった。体調が良いようでしたら、午後は少し外に出ましょう」
アルフレッドが言う。
「うん、そうだね。今日は小川の方まで行けたらいいな」
僕は答える。
だがそうはならないだろうな、と内心で思っていた。
昼を過ぎれば咳が出て倦怠感が強まり、
僕はベッドの上から動けなくなるであろうことが分かっていたから。
この身体は僕の物だけど、まるで言うことを聞いてくれない。
僕は10歳の頃に、
原因不明の病に侵された。
全身から力が抜け、
咳が止まらない病気だ。
酷い日には朝起きてベッドから出る事すら出来なかった。
父は国内外の医者を呼び寄せては、
僕の事を診察させた。
だが原因は一向に分からず、
僕の体調は悪くなるばかりだった。
悪い事は続くもので、
僕が病気に罹って3年後、
つまり昨年の夏に
両親が亡くなった。
乗っていた馬車が暴走し、
崖から転落したのだ。
あまりにもあっけない、
突然の死だった。
失意の底で僕は父から領地を引き継ぎ、
13歳でこの土地の領主となった。
僕が父から受け継いだ領地は、
ガラム王国の端も端、
霧降山脈の麓にある小さな農村群とその周辺の畑だった。
ガラム王国とは、
この広い<セントラルアース>の北東に位置する、
わずか数万の領民を抱えるだけの小さな国だ。
霧降山脈から獲れる木材を他国に輸出し、
やせ細った大地を耕しながらなんとか国の形を保っていた。
今の王様は6代目で、
初代の王様がかつて起きた大きな戦争で武勲をあげ、
この国が出来たらしい。
文化的にも経済的にも発展していない、
平和な田舎町だ。
だがそんな場所だからこそ、
父が亡くなった時に領地を召し上げられることも無く、
当時まだ13歳だった僕が領地を引き継ぐことが出来た。
農民たちは相互に助け合い、
村同士の交流も自治に任せていたから、
実質的に領主が何かをする必要が無かったのだ。
噂によると両親を事故で無くし、
また自身も不治の病で床から殆ど起き上がれない僕を、
現在の王様が憐れんでくれたらしい。
父を慕っていた領民からの嘆願も秘密裏にあったと言う。
もちろん表向きはそんな話が僕に届くことはなかった。
働けない僕に代わり、
家と領地のすべての管理を執事のアルフレッドが代行してくれた。
彼がいてくれて本当に良かったと思う。
今、僕が生きているのはアルフレッドのお陰だ。
・・・
・・
・
「ねぇ、アルフレッド?君が尽くしてくれた父さんはもう居ない。それにいつ給金を払えなくなるかも分からない。いつまでもこんな所に居ないで、君の人生を過ごして良いんだよ。君ほど優秀な執事なら、どこに行っても引く手あまただろうし」
僕は一度、
そんな事をアルフレッドに言ったことがある。
両親の葬儀が終わり、
未来が見えず自棄になっていた頃だ。
「・・・お気遣いいただきありがとうございます、レグリス様。ですがどうか、二度とそんな事は言わないでください」
普段は僕にノーと言わないアルフレッドが、
強い視線でそう言った。
僕は思わずギクリとしてしまった。
「・・・気を遣っているわけじゃ・・・」
「レグリス様、貴方は何か勘違いをされている。たしかに私がここに来たのは貴方のお父様に恩があるからです。給料も生きていくためには必要なものです」
「それじゃあ尚更・・・」
「しかしそれは、私がここに居る理由ではありません」
「理由?」
僕は尋ねた。
「そうです。レグリス様、私は貴方が生まれたその瞬間から貴方のお世話をして参りました。ご両親を除けば、貴方の近くに最も長くいたのは自分だと言う自負もございます」
アルフレッドが言った。
「・・・不敬な言葉をお許しいただけるのであれば、子供の居ない私にとっては貴方は我が子にも等しい存在。子供を放って一人旅立つ親がどこにおりましょうか・・・」
「アルフレッド・・・」
見ればアルフレッドの瞳には涙が浮かんでいた。
アルフレッドは両腕で強く僕を確かめる。
「もう少し、もう少しですレグリス様。直に病も治ります。そうすれば貴方はもっと素晴らしい世界を感じることが出来る。諦めずに、お気を強くお持ちください」
「・・・うん・・・」
気が付くと僕もアルフレッドの腕の中で泣いていた。
僕には両親が居ないけど、
ひとりではなかった。
今僕が生きているのはアルフレッドのお陰だ。
・・・
・・
・
「何か嬉しい事でもあったのですか?」
ベッドに入ろうとしている僕に、
アルフレッドが僕に尋ねる。
「・・・特に何も無いけど、そう見える?」
「ええ、何やらそのように見えます。それとも眠るのがそんなに楽しみですかな?」
アルフレッドが尋ねる。
「楽しみ、か。そうなのかも知れない。最近ね、夢を見るんだ」
「夢?」
「そう、不思議な夢なんだ。そこでは僕は僕ではなく他の誰かになるんだ」
僕はアルフレッドに夢の顛末を話した。
一部始終を覚えているわけでは無いので他人が聞けば支離滅裂な内容だったと思う。
だがアルフレッドは子供が話す、
たかが夢の話を真剣に聞いてくれた。
「なんとも・・・」
「ん?」
「なんとも不思議な夢ですね」
「僕もそう思う。けど、楽しいんだ。夢の中で僕は色々なところを駆けまわれるから」
「・・・そうですか」
僕の答えにアルフレッドは少し悲しそうな顔をした。
「それに最近。夢の内容を起きてからもよく思い出せるようになったんだ。前は眠る直前まで、そんな夢を見た事すら忘れていたはずなのに。・・・だから毎日、本の続きを読んでいるようで本当に楽しみなんだ」
僕が出来る限り能天気に言うと、
アルフレッドはようやく微笑んだ。
「そうですか。それならば良い事です。夢は古来から未来の暗示とも言います。きっとレグリス様の未来が明るい証拠でしょう」
そう言ってアルフレッドは立ち上がり、
枕もとのランプの灯を消した。
「おやすみなさいませ、レグリス様。良い夢を」
「おやすみ、アルフレッド。今日もありがとう」
そうして僕は目を瞑る。
室内にある時計の針の音がカチコチと聞こえていたが、
やがてふわふわとした浮遊感の中に落ちて行く。
柔らかい緑の光が、
目を閉じた闇の向こうから僕を照らしているような気がした。
するとどうだろう。
昼間は忘れていたはずの、
夢の中の記憶が次々と蘇ってくる。
僕の意識が、
彼の意識と同調していく。
そして僕は、
彼になる。