5.パリュ様はふわふわでした。
猫王国の朝は早い。
「いつまでも寝てるんじゃにゃいよ! さっさと顔あらってきにゃさい!」
メイド服を着たサバ猫おばさんに、布団をはがされた。
陽がのぼる少し前の時間帯で、露を含んだ空気がヒンヤリしている。
きのう、クンに案内された東の離宮は、王宮から長い橋を渡った先にあり、大きなタマネギのような特徴的な形をしていた。
建物の円周の1/4ほどは壁がなく、オープンな造り。
さらに、どの壁にも猫ステップがあり、出入り用の穴が複数箇所あいている。
俺は、離宮の奥、唐草模様の枠飾りのある大きな窓の下、平たい籠に布団を敷いて、そこを寝床にして休んだ。
そして、朝。おばさんに追いたてられて、壁のない廊下の端に来ている。
サバ猫おばさんの名前はエスタ。身長は俺と同じぐらいで、着ているメイド服は、半袖の黒いパフ袖ワンピ。その上に、フリルのついた白いエプロンをかけている。もちろん、たまらなくかわいい。
廊下の端、そこは壁もないが、床も終わっていた。
右手には崖があって、そこに小さな滝が流れている。滝の流れは真下に落ちて、離宮の横の岩場に溜め池を作り、さらに、川となって王宮の方角にむかっていた。
手を伸ばすと、水が手のひらですくえる。
ここで顔を洗うらしいけど、床は濡れてるし、廊下は2階の屋根ぐらいの高さで、手すりもなく下は岩場。ふつうに怖い。
エスタは滝のしぶきにあたるのが嫌みたいだ。
滝から少し離れた場所で、滑車をまわして、桶で川の水をくんでいた。
「さっさと顔洗いにゃさい。人間は、朝と夜しか洗わにゃいんだから、汚にゃいでしょ」
エスタは、俺にタオルを投げてよこす。的確なパスだ。
それを、クンがくれたモンペみたいなズボンの腰につっこむ。
ちなみにモンペの下に、パンツは存在しない。
クンに聞いたら、シャリュタンの国には下着がない。とのことだった。
そのあと、レディに失礼な質問するにゃ。と、何発か殴られた。
滝でパシャパシャ顔を洗う。
頭になにやら、ふんわりしたものが被さり、俺は目を上げた。
それは、ふわっふわの白い飾り毛。
ペチャペチャと、俺の頭越しにパリュが水を飲んでいた。
「おはようごにゃいます。パリュ様。あいかわらず、パリュ様は、流れるお水がお好みにゃんですね」
エスタが、スカートの端をつまんであいさつをした。
この滝は、パリュの水飲み場だったらしい。
改めてみると、パリュには猫の王様と呼べる風格がある。
堂々とした大きな体躯、純白で美しい胸の飾り毛。手足もまぶしいほどに白く、耳と背中、しっぽは、上品で美しいグレーだ。
そして、瞳はパライバトルマリンを思わせる神秘的なブルー。
パリュの端正な横顔を見ているだけで、胸がときめく。
そんな俺を意にも介さず、冷たい水を、舌のスプーンですくうパリュ。
パリュの白いアゴから、チロチロ出し入れする赤い舌が、妙になまめかしい。
うわあ__こ、こ、この舌でペロペロされたい!
ほっぺとか、指とか、毛づくろいとか! 俺は妄想だけで感極まってしまった。顔を真っ赤にして息を荒くする、みごとなヘンタイの俺。
水を飲み終えたパリュは、そんな俺をチラっと見て、水をなめとるついでみたいに、舌先で、俺の鼻をペロリとなめた。
「きやぁあ~! パリュ様ぁあ」
アイドルオタの女子中学生のような、キーの高い声が出た。
そして、腰が砕けて足をすべらせ、廊下から放り出される俺。
やばい!! 岩場に叩きつけられる。
カポッ
パリュが俺の頭を、もきゅっ。と、くちにいれた。
くちから垂れさがって宙ぶらりんな俺を、パリュはもきゅもきゅしてから、そっと廊下に戻してくれた。
パリュのくちの中は暖かく、くちの周りの皮膚は柔らかくて、意外と硬い産毛のツンツンと合わせて、刺激的な新触感だった。コツンと触れるパリュの牙が、また、イタ気持ちよくてしびれる。
廊下に腰を下ろして、俺はもきゅの余韻に浸り、夢見心地でのぼせていた。
ハッ。ぼんやりしてる場合じゃねえ。お礼を言わねば。
「助かりました~! パリュ様ぁ~~!」
のぼせあがって、感情の制御ができない俺は、いきなりパリュに抱きついた。
パリュの胸の飾り毛は、ふわふわだろうと予想してたら、ふわふわふわふわふわふわふわふわふわふわふわふわだった。
うわっ!? なにこれ!? 柔らかいなんてもんじゃない。
99%が空気でできていそう。たんぽぽの綿毛を超えたね。
俺の身体半分、パリュの飾り毛に埋もれて、足だけ出てる。
ふわふわふわふわ……。なんという至福。
川の向こうの花畑で、おばあちゃんが呼ぶほどの天国感だ。
頭に固くあたるのは、棘のようなパリュの胸骨。
ふわふわの毛とは反対に、パリュの身体はゴツゴツとたくましく、太い骨に柔らかい筋肉をまとっている。
メスの和猫の醤さんとは、身体の造りが全然違う。
これが俺のご主人様の身体__。
もっと、たくさん触れて、ご主人様を知りたい。
パリュは、うっとり埋もれる俺から、そっと身体を離した。
そして優雅な動きで、廊下から離宮の屋根にへと飛び上がると、木を伝ってどこかに行ってしまった。
「パリュ様は、お水を飲まれた後は、南の離宮でお食事が、毎日の決まりにゃのです。南の離宮には、腕の良い人間の料理人がいにゃっしゃるので」
エスタの言葉に、俺はがくぜんとした。
俺以外にも王宮で飼われている人間がいる!! しかも腕のいい料理人だと!?
ずるいぞ! 俺だってパリュ様が、ごはん食べてるとこ見たい!!
ハッキリ言って、俺は料理ができない。
作れるのは、カレーとトンカツだけだ。カレーは、調理実習と野外学習で会得したレシピで、トンカツは親父の誕生日にリクエストされて特訓した。
しかし__。
醤さんの気を引くため、猫のごはんは手造りしたのだ。
パリュに作ってやるぜ! 愛情たっぷりの美味しいごはんを!
「さて、私は寝に戻らにゃくては。失礼しにゃす。レン様」
「えっ!? いま起きたのに、また寝るの!? 何のために、俺を起こしたの!?」
「は? レン様は、起きるために、起きたのでごにゃいます。そのあとのことは、二度寝するにゃり、ご自由に、にゃなさってください」
「えぇ!? 俺、これからどうすればいいの」
「私に聞かれても困りにゃすよ。行動を整えたいにゃら、ハセのところにでも行って、訊ねてくにゃさいな」
エスタは、腰に手を当てて不満顔だ。
「まったく、人間は、身体も心も固すぎにゃんですよ」
ハセとはだれなのか? どこに行けば会えるのか? そんな愚鈍な質問は、エスタをいらっとさせそうで、怖くてできなかった。
とりあえず、クンを探して聞いてみよう。