自律の話
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ある場所に価値を考える人が居た。
勿論その男が価何かに価値を認めようが認めまいが周りの世界には関係なく、彼も自分の為だけに価値を考えていた。
彼の考える価値とは必要性だった。
自分にとっての必要性が価値を決定する。
そしてその必要性とは完全な主観によって決められた。それを客観的に見れば正しくないことであるが、そうする観測者はこの地球上において存在しないと思われる。よって偽物の必要性を自分の正しい価値とした。
そのきっかけはまず生きる価値だった。当時は学生であったということもあり、最初に出た結論は、消費のみ行う自分は周りにとっての必要性はない。よって生きる価値はない。という結論だった。
生きる価値は無いと結論は決まったというのに、なかなか死ぬことが出来なかった彼は、生物の専門家である医師に出会う。
人間には3大要求である食欲、睡眠欲、性欲がある。けれども全てこれは人間という生き物の生存欲から発生している。
この理論は彼の価値観に大きく影響を与えた。
生き物であるから人間の欲は生まれる。つまり、全ての欲は生きるために必要である。そして、生き物とは生きることが条件であり、生きることが出来れば責務は全うされたと言える。
そして彼は生き物であることを決めた。生物の彼は次に感情について考えた。感情は必要か。
この疑問はたったの数秒で解が出た。
人間には快楽という感情のためのものを求める欲がある。つまり感情は必要だ。
感情というのは時々損に働くように思われるが、実際は、感情があるから物事についての学習能力は向上していて、得に働いている。そして、感情は人間としての反応のために必要である。感情なくして人としての能力は使用されない。故にひとでなしという罵倒は存在し、故にそんな空虚な動物は人のように働けない。
では何故感情ができたのか。
痛みと同じである。価値判断をしやすくするため。これが答えだと思う。
生きることのための感情に価値がある。この判断がされた時、死に対する盲信は薄れた。
どう思う?
これは美化されているね。彼は生き物であることを決めたのでは無く、快楽を得ることを決めたんだ。結果としては同じだけれど、真実には価値がある。
でもそれは嘘で決めているのでしょう?
ああそうとも。でもね。嘘をつかねば仏になれぬ。と言うじゃないか。言うんだよ。よし、いいじゃないか、嘘だとしても真実より価値がある場合だってある。僕は真実には価値があると言ったけれど嘘に価値が無いとは言っていない。なあ。大体前も聞いただろうけれど、この主観ですらただの細胞の集団が作る錯覚なんだよ。意思の世界と肉体の世界で分ける考え方もあるけれど、僕はそういうことを信じたくないんだ。僕はもう帰るよ。これ以上の会話は得にならないとまやかしの自分が訴えるのでね。
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