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「なぜですか?」


 春の香りが、一瞬にして吹き飛ぶようだった。


 問う声は、不満をにじませているというよりも、あまりに予想外のことで、信じられぬといった感じだ。


「なぜ、わたしはお供できないのですか?」


 主人の決定に対してむやみに異議を唱えるわけではない。

 だが、どうしても納得できなかった。

 自分はまだ従騎士の分際だが、それでも主人の命を守るという役割を担っているはずだ。

 この肝心なときに側にいられないのでは、なんの意味もないではないか。


 ――どうして自分を、王宮に伴ってはくれないのか。


 硝子のように透きとおる瞳をめいっぱい開いて尋ねる従騎士の少年アベル――実のところ十五歳の少女なのだが――に、彼女の主人である十八歳の青年リオネルは答えた。


「すまない。だが、今回だけは受け入れてくれ」


 落ち着いた語調だった。


「アベルの体調が心配だ。山賊討伐のための遠征できみの身体は、傷つき、疲れ果てている。やっと館で休ませることができると思った矢先に、再び長旅になど伴うわけにはいかない」


 説明するリオネルの物腰は普段どおりだったが、けっして考えを曲げそうにない雰囲気があった。

 アベルはうつむき、唇を引き結ぶ。


 ――シャルム国王からの勅使がシャサーヌのベルリオーズ邸に到着したのは、レオンが出立した直後のことだった。


 この国において、直轄領ラ・ヴァルバレルに次ぐ領土を誇るベルリオーズ公爵領。

 その中心都市、シャサーヌ。


 山賊討伐からリオネルらが帰還したその日、シャサーヌの街は喜びに沸き立ち、凱旋したベルリオーズ家とアベラール家の堂々たる騎士の隊列を、シャサーヌの人々は歓呼と喝采で迎えた。


 若い領主家の跡取りが、討伐は困難だろうと言われてきたラ・セルネ山脈の山賊集団を打ち負かし、足元に跪かせたのである。領民にとっては、誇らしいかぎりだった。

 街は花と笑顔で溢れかえり、五月祭が一足早く訪れたかのような様相だった。


 だが、喜んでばかりいられないことが、ベルリオーズ邸内では起こっていたのである。

 それは、彼らが館に到着してすぐに判明した。


 ――ベルリオーズ邸に、王宮からの迎えが待ち構えていたのだ。



 待機していたのは、シャルム王国第一王子ジェルヴェーズ付きの近衛兵数人で、彼らの目的はレオンだった。


『レオン殿下を無事に王宮へお連れするよう、ジェルヴェーズ殿下から命じられております。ジェルヴェーズ殿下は、貴方様の一刻も早いお戻りを望んでおられます』


 ベルリオーズ邸には留まらず、帰還したその足で王宮に向かうよう近衛兵らがレオンに説くと、公爵や友人らの戸惑いをよそに、レオンはあっさりと承諾した。


 高圧的で無情な兄ジェルヴェーズのことである。命じたとおりにならなければ近衛兵らが罰を受けるであろうし、抗ってもしかたのないことだとレオンはよく承知していたからだ。



 かくしてレオンは一晩も館で過ごさずに、王宮のある都サン・オーヴァンへと出立したのだが、その数刻後、入れ違うようにして別の使者が館に到着した。

 今度は第一王子ではなく、国王の勅使であった。


 王の勅使は、王の代理として勅旨を伝えるために遣わされた者である。その身分がいかなるものであれ、けっして非礼を働くこと、あるいは携えてきた言葉を軽んじることはできない。

 だれもが嫌な予感を覚えたが、彼を館に入れないわけにはいかなかった。


 応接間に通された勅使が述べたのは、次のようなことだった。


『国王陛下は、この度の山賊討伐における成功をまことに喜び、五月祭の折りに成功を祝いたいと仰せです。つきましては、リオネル・ベルリオーズ様ならびにご同行されたディルク・アベラール様には早々に王宮へ参られたく、かくしてお伝えに参った次第です』


 これを聞いた瞬間、皆はあまりに意外な申し出と、また性急すぎる呼び出しとに驚き、互いに顔を見合わせた。リオネルだけは、なにかを考えこむように小さく溜息をついたのだった。


 五月祭まで、ひと月を切っている。


 春の到来を祝う五月祭は、この大陸においては各国とも共通して盛大な祭りのひとつだ。シャルム王宮では祭りの当日だけではなく、その前後にも様々な催しが行われる。

 となれば、祭りの当日に王都サン・オーヴァンに到着すればよいというものではなく、勅旨が「早々に」と述べたとおり、できるかぎり早急な出立が望ましいのだった。


 勅使は用件を伝え終えると、一夜だけベルリオーズ邸に留まり、翌朝再び王宮へと発った。少なからぬ波紋だけを残して。







 食堂には、凱旋後の明るさはなかった。

 代わりに低いざわめきが室内を始終満たしている。


 本来ならばベルリオーズ邸にて、討伐の成功と無事の帰還を祝う、ささやかな宴になるはずだった今宵の席は、年若い跡取りであるリオネルを再び遠方へ送りださねばならぬ当惑と不安の混じった席となった。


 討伐から戻ったばかりの騎士らの話題は、専ら五月祭のことで持ちきりだ。


「陛下は本当に討伐の成功を称えるために、リオネル様を王宮に招かれたのだろうか」


 今晩の夕餉は雌雉メスキジが主菜であり、馳走とまではいかないが、普段よりいっそう豪華な品々が机上には並んでいる。

 けれど皆さほど食が進まぬようで、葡萄酒ばかりが消費され、低い声で会話が交わされた。


「そればかりはわからないな。山賊を討伐できたことが喜ばしいということには違いないだろうが、さて、本心からリオネル様を称えるお心があるものかどうか」

「あってほしいと思うが」


 中年の騎士らの会話に、年配のひとりが口を挟む。


「むろん、リオネル様の功績は陛下も認めざるをえないだろう。正騎士隊の助力なしにかつてない偉業を成し遂げたのだから。王宮においてそれを皆の前で称えてこそ、一国を統べる者の風格というもの」

「ですが、相手は公爵様から王位を強奪した者です。そのような立派な態度をとるでしょうか」


 年配の騎士に疑問をぶつけたのは、若い騎士だった。


「マラール殿。公爵様のいらっしゃる場所で、かような話をするものではないぞ」


 たしなめられたが、若い騎士マラールは食い下がった。


「承知しておりますが、私は心配なのでございます」

「…………」


 老練の騎士が黙ったのは、マラールの言いたいことがよく理解できたからだ。


「今度は、リオネル様に直接手出しをするのではないか……リオネル様が害されるようなことがあってはならないと、私はそのことが気にかかっているのです」


 黙ってしまった老騎士を助けるように、先程の中年騎士がマラールに言う。


「それは、皆が同じように心のどこかで抱えている不安だ。だからこそ、ベルトラン殿をはじめ、我々騎士が共に参りリオネル様をお助けするのだ」


 その台詞を聞き終わったとき、マラールは視線をちらと金髪の少年へと向けた。

 美しいその金髪の少年は、周囲の者とほとんど話もせず、思いつめたような面持ちでうつむきながら食事をしている。

 ――アベルである。


 王宮に同行できる騎士の数は限られているが、腕が立ち、常にリオネルを守るためにそばにいるはずのアベルは今回、そのうちに加えられていない。

 討伐の際に負った怪我と疲労を懸念したうえでの、リオネルの判断だった。


「アベルは、かわいそうですね」


 マラールがつぶやく。

 十五歳の従騎士が、どれほどの努力をして公爵や周囲の騎士たちから「用心棒」として認められたか、知っているからだ。


「しかたあるまい。リオネル様らしいご判断だ。もし今無理をすれば、アベルは再び身体を壊すことになりかねない」

「そうですね」


 年配の騎士の言葉に、マラールは小さく返事をした。



 机上に並べられた燭台の炎が、その場所だけ明るさが足りないように見えるのは、ひとえに若い従騎士の表情のせいだろう。


 すっかり意気消沈した様子で食事をしているアベルに、声をかけた者がいた。

 ラザールである。彼は、王都へ同行する騎士に選ばれていない。それにはアベルの知らぬ理由があった。


「アベル、なんだその顔は。今夜は葬式じゃないんだぞ」


 ゆっくりと視線を上げたアベルは、どうにか口元だけを笑ませる。

 だが、瞳にははっきりと落胆の色が浮かんでいた。


「葬式などではないことはわかっています」

「それはそうだ。おまえが、今夜が葬式だと思っていないことくらい、おれだってわかっている。縁起の悪いことを言うな」

「葬式の話を持ち出したのは、ラザールさんではありませんか」


 二人の会話を聞いていた若き騎士ダミアンは吹き出しそうになったが、先輩の手前、なんとかそれをこらえる。


「だれが始めたかなんて、どうでもいいんだ。つまりだ。おまえがどうしてそんな陰気な顔で食事をしているのか、この場でわからないやつはいないんじゃないか?」

「…………」

「リオネル様を案じる気持ちはわかるが、いつまでも主人の決定に異議を唱えるものではないぞ、アベル」

「わたしは異議を唱えているわけではありません」


 硬い声音で言い返すアベルに、ラザールは肩をすくめる。


「ずいぶん機嫌が悪いじゃないか。ではそれ以外に、どんな理由があるというんだ?」

「申しわけありません」


 機嫌が悪いと指摘されて、アベルは謝罪した。貴族であり、騎士の大先輩である相手に、失礼な口の利き方をしたことを、詫びたのである。

 けれど、具体的に質問には答えなかった。

 そんなアベルを前に、ラザールは濃い髭をはやした口元を快活に笑ませる。


「別に明日送り出したからって、何ヶ月も会えないわけじゃないだろう。ひと月やそこらでリオネル様はお戻りになるんだ。それくらいのあいだ、ここで待っていればいいじゃないか。それともなんだ? おまえの師匠であるベルトラン殿や、ほかの騎士たちの警護だけでは安心しきれないというのか?」


 問われてふと視線を上げた瞬間、目の前に座るダミアンと目が合い、アベルは気まずそうに視線を外した。


「けっしてそういうわけではありません」


 ダミアンは、リオネルと共に王都へ向かう騎士のひとりである。

 けっして彼やベルトランが信じられないわけではない。

 そうではないのだが……。


「もしかすると、おれといっしょに書庫の整理をするのがいやなのか?」


 からかうようにラザールは問いかけてくる。

 アベルは整った顔に、困ったような表情を浮かべた。


 書庫の整理。

 書斎ではない――書庫である。


 わずかひと部屋の書物でさえ整理できなかった自分に、リオネルは、膨大な書物が収蔵されているこの館の書庫の整理を申し付けたのだ。おそらく、彼自身が不在のあいだに、やりきれないだけの仕事を与えるためだろう。

 しかし、それが口実であることも、アベルは理解している。


 あの優しい主人は、アベルに休養をとらせたいときに、度々「本の整理」を命じるのだ。それが、アベルにとって苦手な作業だと知っているからこそ、「なにもしないで休んでいなさい」という意味で。


 アベルは浅く嘆息した。

 自分が同行できないという、やりきれない思いを差し置いても、彼女のうちにはもやもやしたなにかが存在するのだ。

 不安、というには、それは単純すぎるものだった。

 胸騒ぎ――いや、恐怖といってもいいかもしれない。

 どうしてもぬぐいきれぬ昏い予感が、アベルの表情を陰らせるのだった。






 アベルや騎士たちが座している場所から、わずかに離れた上座。館の主をはじめ、最も高貴な者のみが着座を許された席である。


 落ち着かぬ空気が流れているこの食堂内で、この青年はいつもと変わらぬ調子だった。


「レオンはベネデットの本を何冊借りたのかな。あの厳めしい近衛兵に囲まれての旅では、退屈するだろうからね。本を読むぐらいしか、やることがないだろう。気の毒なことだ」

「レオンにとっては、それも至福の時なんじゃないか?」


 それに答えるほうも、驚くほど緊張感がない。

 幼馴染であり親友でもあるリオネルの言葉に笑ったのは、アベラール家の嫡男ディルクである。


「まあね、そうかもしれない。あいつの趣味は変わっているからな。読書が趣味なのはいいけど、よりによって哲学とはね。いまごろ、ゆっくり読んでるかな」

「気になるみたいだね、ディルク」

「…………」


 気になる、といえば気になる。

 ディルクは、ジェルヴェーズ王子の近衛兵と共にベルリオーズ邸を去っていったレオンの姿を思い出した。

 急に訪れた別れが、寂しいというわけではない。ただ漠然と、「レオンは大丈夫だろうか」という不安がある。


 第一王子であるジェルヴェーズの気性は、方々から聞こえてくる噂でだいたいわかっている。先日は、王弟派のカルノー伯爵を斬り殺したということも、帰還してすぐに知った。


 その第一王子の近衛兵に連れて行かれたのである。

 同じ腹から生まれた実の弟になにかするとは思えないが、それでも「気になる」のだった。


「幸い、おれたちもすぐに王宮にいく。そこでレオンの無事は確認できるよ」


 ディルクのささやかな懸念は、リオネルには完全に見透かされていたようで、彼の穏やかな口調にディルクは安心させられた。

 だが、安心しただけではなかった。ディルクには、親友の憂慮も手に取るようにわかるからだ。


幸いすぐに(、、、、、)レオンの無事は確認できるといっても、アベルを連れていけないことは、おまえにとっては辛いことだな」


 ああ、とリオネルは小さくうなずく。


 ラロシュ邸で開かれた祝勝会において、蜂蜜酒に毒を入れた犯人も、またその標的も定かではない。もし狙いがアベルだったら、と考えると、彼女をここに置いていくことは、ひどく不安なことだった。


 だが、それでもアベルを伴わないと決断したのは、再び長旅に同行させ、しかも陰謀渦巻く王宮へ足を踏み入れさせたくなかったからだ。


 王宮において、伯父であるシャルム国王エルネストや、従兄のジェルヴェーズに会うことは明らかだ。

 なにも起こらないかもしれない。だが、なんらかの罠がしかけられている可能性が皆無であるとは言い切れない。

 そのとき、己の命も顧みず、真っ先に「無謀な」方法でリオネルを助けようとするのは、抜身の得物のように強く鋭く、それなのに硝子細工のように儚く脆い――この世でただひとりリオネルが愛する少女――アベルだ。


 普段の状態ならまだしも、彼女は怪我が癒えたばかりであり、旅による疲労も大きい。

 どうして大切な相手を、そのような状態で、罠が仕掛けられているかもしれない場所に連れて行けるだろう。


 このリオネルの判断を、ベルトランをはじめ周囲は支持した。

 というのも、赴くのは自国の首都といえども、国王派勢力が強い王宮は言うなれば「敵地」である。

 山賊討伐の折、リオネルの態度から、アベルがいかに大切な臣下であるかを、ラロシュ邸に集まった貴族らの多くが知るところとなった。


 それが辺境の貴族らであったからよかったものの、王宮に巣食う敵の目に触れれば大変なことである。つまり、敵方に弱みをひとつ握られることになるのだ。

 それは、アベルを危険にさらすことになると同時に、リオネルの命運も左右することになる。

 ――どうしても避けねばならない事態だった。


 リオネル自身もそのあたりのことはよく理解しており、もし王宮へアベルを伴うのであれば、できうるかぎり彼女を大切にしていることを周囲に気づかせてはならないと考えている。

 けれどそれは、恋をする者にとってはひどく困難なことだ。

 たとえアベルが危険な状況に立たされていたとしても、彼女を即座に助けることができないとすれば、身を引きちぎられるような思いであろう。


 いくら考えても、アベルを王宮への旅に伴うことには、利点が見いだせなかった。


「あの子には、かわいそうなことを強いていると思うけど」


 リオネルがつぶやくと、気遣うようにディルクが声の調子を落とす。


「しかたがないよ。今のアベルは、なによりも体調を万全にすることを優先すべきだ」


 食事のあいだ、リオネルの父であるベルリオーズ公爵は、非常に寡黙だった。

 彼の心のうちを、だれも知りえない。

 無茶ともいえる山賊討伐を命じられ、それを無事に成し遂げて生還した息子に、今度はほとんど休む暇もなく王宮への呼び出しが来たのだから。

 むろん建前のうえでは、功績を称えるために、ではあるが……。


 己から王座を奪った腹違いの兄のもとへ、息子を送り出さねばならぬ公爵は今、どのような思いでいるのか。言葉少なである公爵からは、うかがい知ることができない。


「父上」


 そのような公爵に、リオネルが声をかける。

 さして進んでいなかった食事の手を止め、公爵は息子に顔を向けた。


「なんだ、リオネル」

「ラザールとアベルに、館の書庫の整理を命じてあります。私が戻るまで、二人の仕事には口出ししないでいてくださいませんか」


 硬かった公爵の表情が、息子の言葉によって複雑な笑みに変わった。


 あらたまってなにを言うのかと思えば、家臣に命じた書庫の整理について「口を出さぬように」とは――。

 あまりに些細な内容だったことが、おかしかったらしい。と同時に、息子の真意が、書庫の整理ではなく、アベルに関するところにあることにも、公爵は薄々気がついている。

 だからこそ、複雑な表情になったのだ。


「書庫の本は、整理されていなかっただろうか」


 あえて公爵はそう尋ねた。

 意地悪を言うつもりはないが、リオネルの関心があの従騎士の少年に強く向いていることに、公爵は戸惑いと不満があったのだ。


「私が見たときは、かなり混沌とした状態でしたよ」

「…………」


 公爵は押し黙る。

 書庫の本はそれなりに整理されていたはずだ。

 それを、「かなり混沌とした状態」とは、いかなることか。


「二人には、すぐに整理をはじめてもらいます。父上は今日からしばらく書庫には立ち寄らぬよう、お願いします」


 これでは、「混沌とした状態」だったかどうかさえ、確認できない。

 つまりリオネルは、仮にアベルが自分の書斎の整理をしたときのように、書庫において医学書の隣に歴史書、その隣には算術書などという滅茶苦茶な並べ替えをしても、充分に言い訳ができるように、父公爵にはあらかじめ伝えておいたのだ。

 ――もとから、「かなり混沌とした状態」だったと。


 それを知ってか知らずしてか、ベルリオーズ公爵クレティアンは、諦めたような溜息をつく。


「そなたは、性格までアンリエットに似てきた」


 唐突な言葉に、リオネルはふと気を引かれた顔になる。


「どのようなところがですか?」

「そなたの言動、そのままだ」


 腑に落ちぬ様子で首を傾げたリオネルの脇では、ディルクが含み笑い、ベルトランはやや気まずげに、そして、マチアスは表情の読めぬ顔で、二人の会話を聞いていた。


「そなたを見ていると、アンリエットを思い出す。懐かしい」


 目を細めた公爵は、いつになく寂しげであるように、リオネルの目には映った。


「……父上をおひとりにし、再びこの館を留守にすることを、お許しください」


 謝罪するリオネルに、クレティアンは首を横に振った。


「そなたのせいではない。そなたは、生まれながらに背負わされた運命を恨むことなく、そこから逃げだすこともなく、逆に余りあるだけの成果をもって立ち向かっている。私は、そなたにどれほど救われているか――リオネル、そなたに感謝しなければならない」

「いいえ、父上。私は貴方のご意向に沿うことができないのですから。感謝などと、仰らないでください」


 なにか言おうとして息子を見つめたが、すぐに公爵は首を横に振って視線を外した。

 王宮へ発つ前夜に、持ち出す話題ではないと判断したからだ。一度口にすれば、口論に近いものになるだろう。だからこそリオネルも、はっきりとは、なんのことか口にしなかったのだ。


 すなわち、リオネルが言いたかったことは、クレティアンが定めた婚姻――フェリシエとの結婚に従えないと、そういうことだ。


 父子の気まずい雰囲気を打ち破るように、軽くディルクが咳払いして、葡萄酒の杯を持ち上げた。


「ささやかな席となりましたが、討伐の成功、そして、ベルリオーズ公爵様並びにご子息リオネル殿のかぎりないご多幸を祈念して」


 ディルクの言葉を締めくくる「乾杯」と言うベルトランの声にあわせて、皆が杯を持ち上げた。



 春の訪れも忘れてしまいそうなほど、闇の濃い夜。

 五月祭を待つベルリオーズの花々も、なにかを不安がるように冷ややかな夜風に耐えていた。


 アベルは冬の寒さの名残に身震いし、それからざわめく食堂の向こうにいるリオネルへ視線を向ける。すると、ふと相手の深い紫色の瞳がこちらを見た気がして、アベルはそっと視線を戻した。


 ……今夜の蜂蜜酒は、いつもより甘さが足りない気がする。いくら飲んでも安心できないのは、そのせいだろうか。

 遠くで、リオネルが苦しげに目を細めたことに、アベルは気がつかない。


 こうして、別れを惜しむ夜は更けていった。









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