プロローグ
太陽が、シャルム王国の都サン・オーヴァンの街を朱色に染めながら、西の地平線へと沈んでいく。
昨日も太陽はこんなふうに沈んでいったし、明日もおそらく変わらぬ光景が広がっていることだろう。
繰り返される毎日。
春の到来を祝う五月祭が近づいているが、少年らには、そのようなことは関係のないことだった。
同じ街に生きていても、ここにいる少年らは、他の住人とは違う世界に住んでいる。
彼らにとって、繰り返される毎日はけっして当たり前のことではなく、明日が確実に来るという保証はなかった。
――ここ、ボドワン親方の家に住まう少年たちにとっては。
サン・オーヴァンの中心街から離れた一角に、その家はあった。
街の賑わいからさほど離れていないその場所は、労働者層が集まる界隈である。
かろうじて木組みで造られているボドワンの家には、彼の妻と、老いた母親、二十歳前の娘が二人と十五歳になったばかりの息子、そして、八人の少年が住んでいた。
さほど大きいわけではないこの家に、これだけの人数が住んでいるのだ。むろん、少年たちの生活空間は、相当限られることになる。
夕飯の時間だった。
少年らの食事は、いつも親方とその家族が食べ終えたあとに与えられる。
この日も、薄く溶いた麦粥だけが夕食だった。
繰り返される毎日。
だが、繰り返されないものもある。
この夜、少年のうちのひとりの姿がなかった。
仲間の姿がない……けれど他の少年たちは、黙って麦粥をすすっている。聞かずとも、彼の運命はわかるからだ。必要以上のことを口にして、親方の怒りに触れ、暴力をふるわれることを、皆恐れていた。
ただし、ひとりだけは違った。
「オーブリーは、どうしたんですか、親方」
少年らのなかで最年少のニコラだ。
今夜から姿が見えぬオーブリーは、面倒見のよい少年で、一年前にここに連れてこられた最年少のニコラを弟のようにかわいがっていた。
黙って食事をしていた十二歳のジェレミーは、苦い表情でニコラを見やる。親方の怒りを恐れただけではない。それによって、ニコラがひどい目に遭わないか危惧したのだ。
暖炉の前で胡坐をかき、安酒をあおっていたボドワンは、振り返ってじろりとニコラを睨んだ。そしてぶっきらぼうに、
「オーブリーは死んだ」
と言い捨てた。
ニコラの表情が一変する。
「どうしてですか。どうして、オーブリーは死んだのですか」
使い慣れぬ左手で持っていた麦粥の椀を木机に置き、大きな瞳を潤ませてニコラは問いただした。
ボドワンはうるさそうにニコラを見やる。
「どうしてかって? いまにおまえもわかるさ。そのときには、あの世だがな」
親方が答えたのとほぼ同時に、ニコラの頭に拳が降ってきた。
彼の頭を叩いたのは、ボドワンの妻である。
「いちいちうるさい子だね。ただでさえあんたはタダ飯食いなんだ。そんなに早く死にたきゃ、裏の『墓場』に連れていってやるよ」
首を大きく横に振り、ニコラは沈黙して再び左手でぎこちなく椀をつかむ。
彼の右腕は、煙突掃除の最中に落下して骨折している。そのため、怪我が治るまでニコラは働くことができない。「タダ飯食い」は怠慢ではなく、余儀なくされているのであり、同情すべき結果であった。
夕食が終わると、少年らの半数は屋根裏部屋へ、残りは地下室へと追いやられた。
そこが、彼らが仕事以外の時間に普段過ごす場所であり、また寝室でもある。
屋根裏部屋に入ってからニコラは泣きだした。親方の前でめそめそすれば殴られるので、ずっと我慢していたのだ。
「ニコラ、泣くな。オーブリーのぶんまでおまえが生きろ」
泣きじゃくるニコラの頭を、ジェレミーはできるかぎり優しく撫でた。どんなに言葉を尽くしても、ニコラの心を癒すことができるはずないことを知りながら。
「オーブリーは、どうしたの? オーブリーは本当に死んじゃったの?」
ジェレミーは返事ができなかった。
おそらくオーブリーは、ニコラのように煙突掃除の最中に足を滑らせ、落下死したか、煙突にはまって抜け出られなくなったか、煤や煙を多量に吸い込んで窒息したか――そのどれかであろう。……もしくは、親方に反抗して殺されたのかもしれない。
煙突掃除の少年らの多くは、親を知らない。孤児か、浮浪児か、もしくは、幼いころに親に売られた子供たちである。
ここでは、彼らの命には銅貨一枚の価値もない。
そのなかでもニコラはまだ幸福なほうだった。九歳までは、貧しくとも、実の親に愛情をもって育てられていたのだから。病で両親を亡くしてから、ニコラは浮浪児になり、ボドワンに拾われた。
けれど「拾われた」といっても、「救われた」とは言いがたい。
冬空のもとで雪に埋もれて死ぬか、煙突のなかで煤まみれになって死ぬかの違いである。
数日後、仕事に復帰したニコラはその当日にオーブリーと同じ場所へ旅立った。事故だった。ニコラの右腕は、まだ完治していなかったのだ。
ジェレミーはその夜、うすい毛布のなかでひそかに泣いた。
こうして何人の仲間の死を経験してきただろう。
いずれ自分も、彼らと同じ運命を辿るだろう。
それでも生きようと思うのは、それでも生きなければならないのは、命を授かった者として、けっして捨てることのできぬ生への執着があったからもしれない。
――高い暖炉から落ちていくとき、ニコラには、なにが見えただろうか。
こんにちは。
第三部スタートいたしました。
悲しいプロローグで申し訳ありません。
第二部同様、本文からアベルやリオネルたちの話になりますので、これからもお付き合いいただければ誠に幸いです。
至らないところの多い作品ですが、いつもお読みくださっている読者様に、心より感謝の気持ちを込めて。m(_ _)m yuuHi