第三怪 その1
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発現した僕の異能。室長が言うにはサイコキネシスとか念動力とか呼ばれるものらしい。
正直、ちょっと便利な能力を手に入れたぐらいの認識でしかなかった。
制御のために訓練をしておくように言いつけられても、ほとんどそれをしていなかったのが僕の認識をよく表していたのだと思う。
少なくともこの事件までは。
過ぎた力は身を滅ぼす、なんてことは巷間よく言われていることだとは思うのだが、普通の高校一年生に過ぎない僕にはそういった自覚は全くといって良いほどなかった。
今まで生きてきて、本気で人を殺そうだなんて思ったことはない。
もちろん実行したこともない。
ゆえに、この後の僕はかなり思い悩んだものだった。
制御できない力なんてものは持っている意味があるのだろうか?
もし僕が、誰かを害するだけの存在に成り下がってしまったとき、僕を止めてくれる存在はいるのだろうか? そういう考え自体が傲慢ではあるのだろうが、少なくともこの事件の後に僕はそう考えた。
非常識の世界の新参者である僕には、そのぐらいにはショックだったのだ。
『キスファイア』
やつは悩んでいなかった。
ただ力を、いや暴力を振るい、他人を害し、それに特に疑問を挟んでいる様子はなかった。
未来の僕のあり得る姿。
そういうのは、なかなかに堪える。
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「コダマ、キミはどう考える?」
百怪対策室内。応接室。
対面式のキッチンが存在しているここでは、何かしらの調理をしながらソファに座っている
人間とのやりとりも出来る。室長は人間じゃないが。
室長はソファに座り、僕はキッチン部分でコーヒーを淹れていた。
「いや……主語なしで問いかけられても困りますよ。エスパーじゃないんですから」
「そうだったな。キミはどっちかというとサイキッカーだしな。簡単なことだ。引くべきか、引かざるべきかの二択だ」
ちなみに室長は今、スマホを片手にゲームをやっている。
……察しはついた。
「好きなだけやったらいいんじゃないですか? どうせお金はあるんでしょう?」
(外見は)平凡なアパートを無理矢理拡張するようなことをやってのける室長だ。ついでのように毎回毎回それなりに値の張る品々を湯水のように消費しているのを考えると、かなり資産には余裕があるのだろう。
スマホゲームのガチャなんて好きなだけやってくれ。
「いやいやコダマ。いいか? カネを注ぎこめば確かに引けるだろう。だがな、それは運命とは言えないな。ゲームでも何でも大事なのは出会い方だ。始まりが大事なんだ。最初が特別になってしまったら、それからも特別になってしまう。そういうものだ。わかるか?」
わかってたまるか。
至極どうでもいいことで悩まないで欲しい。
どうにも室長の考えは僕には理解しがたい。所詮はデータじゃないか。
そのまましばらく室長は難しい顔で悩んでいたのだが、結局ガチャは引かないことにしたようだった。
スマホを持っていた手はすでにパイプに持ち替えていた。
丁寧な動作でどこからか取り出したパイプ用のタバコ葉を詰めて、いざ火を点けようとしたときだった。
キン、コーン。
チャイムが鳴った。
中で聞くのは初めてだったのだが、外で聞こえるのと同じだった。当然か。
面倒くさそうに室長はパイプを置くと、インターホンの対応用の画面を覘く。
「ああなんだ、警部か。入ってくれ。いつものように鍵は開いてる」
来客者に対して短くそう告げると、室長は座っていた位置に戻り、今度こそパイプに火を灯した。
「誰だったんですか? 警部、とか言ってましたけど」
「お得意様だ。ああそうだコダマ、ナイーブな人物だからあんまり驚かないように」
「?」
なんじゃそりゃ。
警察の人ならば確かにちょっとは身構えてしまうかもしれないが、僕は清廉潔白な高校生である。……純粋には人間ではないところを除けば。
ゆえに、別に警察の人を恐れるなんて事は無い。やましい部分などない、と胸を張って言えるだろう。
そう考えていた。応接室のドアがノックの後に開けられるまでは。
コンコンコンコン、という四回のノックの後に室長は「入っていいぞ」と応えた。
「失礼します」
入ってきたのはかなり怖い男性だった。
まず身長は一八〇を優に超え、更にめちゃくちゃガタイがよかった。。その上に、短く刈り込んだ髪とやけに鋭い目つきが最初に目についた。
額に走っている一文字の古傷が余計にその恐ろしげな雰囲気に拍車を掛けている。
最後に全身黒のスーツとその手に提げているアタッシェケースのせいで、もはや警察関係者というよりも確実にソッチの人間にしか見えない。
「……コ、コンニチワ」
室長にあらかじめ言われてなかったら挨拶も出来なかったに違いない。まあ、それでもかなり発声が怪しかったし、大きさも全然不十分だったが。
敏感に、僕のしょぼい挨拶に気付いたその人物は僕のほうに向く。
ひぃぃ。正面から見るとめちゃコワイ。
極力顔には出さないようにしていたつもりだったのだが、僕もまだまだ経験の浅い小僧ということだったのだろう。漏れてしまっていたらしく、相手はハッとしたような顔をする。
「驚かせてしまいましたね、失礼。わたしは鍵成晋也と申します。以後よろしくお願いします」
丁寧な口調でそう言うと、鍵成さんはぺこりと頭を下げた。
え? もしかして見かけによらずいい人なのだろうか?
初対面なのにかなり失礼な感想を抱いている僕だったが、それでも許してくれそうなぐらいにオーラは優しげだった。
……顔が見えないだけでこんなにも印象が変わる人は初めてだった。
見た目で判断してしまった自分が恥ずかしくなってしまう。
「ご丁寧にありがとうございます。百怪対策室で助手をさせてもらっています、空木コダマです」
鍵成さんに対応するように、僕も深々と頭を下げる。
大人の対応をされてしまったら僕も大人の対応をしないといけないだろう。礼儀には礼儀で応じるのが僕だ。
「いつまでもアホみたいなことしてるんじゃない。警部もコダマもとっとと座れ。私は気が短いんだ。どうせ警部はいつものように依頼の話だろう?」
「申し訳ありません、ラングナーさん。お気遣い感謝します」
いや、今のは気遣いじゃ無いと思う。
だが鍵成さん、いや鍵成警部は気分を害した様子もなく室長の向かいのソファに座る。
僕も鍵成警部の側に座ろうとしたのだが、室長にじっとりとした視線を送られてしまって、結局は室長の隣のソファに座った。
意志弱いな、僕。
そんな風に自分自身を評価しつつも、鍵成警部が持ってきた『依頼』とやらのことが気になってしまう。
何しろ警察の人間が直々に室長に持ってきた話なんていうのはどうせロクでもない話だろうと想像してしまう。具体的には血のにおいが漂ってきそうだ。
おそらくは、一般人に対しての門戸を開放する以前から室長はこのようにして『怪』に関わってきたのだろう。
どうやって知り合ったのか、とかは置いておくことにする。聞くのが怖い。
さて、僕が着席すると鍵成警部はアタッシェケースを開き、中からいくつかの分厚いファイルを取り出した。
「広域連続焼死事件。今我々が対応に追われている事件です」
それなら聞いたことがある。ネットでもかなり噂になっている事件だ。
五月の終わりに発生してからすでに六人以上が犠牲になってしまっている。
犯人はいるかどうかさえも不明。未だに自然現象なのか、人為的なものなのかさえも特定されていない状態だ。ゆえに警察の初動捜査に対してのバッシングもひどいものだが、それ以上に不可解なモノがあった。
被害者が一様に、『焼死』としか発表されていないのだ。
詳細な被害状況などはまったく公表されていない。
次の被害者を防ぐという意味ではこれ以上なく不可解だ。
現場検証なり、聞き込みなりはやっているのだろうが、その成果はほとんど発表されていないに等しい。 捜査していない訳ではないのに、徹底的に捜査情報は秘匿されてしまっている。
そういうこともあって、警察に対しての不信感はかなり積もっている。
だが、警察は頑なに詳細を発表しようとはしない。
なにか理由があるかのように。何かの禁句のように。触れてはいけないように。
その事件について、室長に依頼しに来たというわけだ、鍵成警部は。
「ヴィクトリアさんはもちろんご存じだとは思いますが、現在この事件の詳細は発表されていません」
「だな。かなりネットで叩かれているみたいだし、広報担当の人間は今頃胃薬の消費量が十倍ぐらいにはなっているんじゃないのか?」
「もちろん理由があります。我々もいたずらに混乱を招いているわけではありません。この事件には魔術師、もしくは異能力者が絡んでいると判断されました」
異能力者?
室長と鍵成警部の会話に出てきた聞き慣れない単語に僕は疑問符を浮かべる。
「キミみたいな能力持ちのことだ。事件に関わっていることもあるからな。警察も秘密裏に処理していたりもするが、手に余る場合には私のような存在にお鉢が回ってくるわけだ」
即座に室長が教えてくれる。解説するときには親切なのに、僕をいじるときには容赦ないのはなぜなのだろうか? そうしないとこむら返りを起こしてしまう呪いでも受けているのか?
「で、だ。警部、事件に異能力者が関与している可能性は濃厚。なぜ警察はそのように判断した?」
「資料を御覧いただければわかりますが、端的に述べましょう。被害者は全員頭部のみを燃やされて死んでいます」
……なんだよ、それ。
鍵成警部が言ったことの意味はわかる。
だが、理解は出来ても納得は出来ない。
頭部だけが燃えて死ぬなんてことは自然にはないだろう。
少なくとも二、三ヶ月の間には六人以上の人間がそんな奇妙すぎる死に方をしている、ということになる。
自然発生でないのならば人為的に起こっていることになるが、人間の、しかも頭部だけを燃やすなんてことをやって一体何になるというんだろうか? 殺人自体が目的だとしても、手段が回りくどすぎないか?
わからない。
論理じゃ、割り切れない。
どうにも飲み込み切れていない僕を尻目に、室長は素早くファイルを手に取り目を通し始めていた。
「……被害者に共通点は?」
「夜に出歩いていた、ということ以外はありません。強いて言うならば犯行の目撃者がいない、ということぐらいでしょうか。年齢も性別もバラバラです」
ふむ、と顎に人差し指をあてて、室長は資料をめくり続ける。
僕は、何も言うことが出来なかった。
正直に言うと、ビビっていた。
人を殺しまくっている殺人鬼に対して、一介の高校一年生が敵愾心を剥き出しにして発憤するなんていうことはなく、ただ、僕はそういう存在が意識できる距離にいることに恐怖を感じてしまっていた。
「被害者は確実に焼死なのか? 何らかの手段を用いて殺した後に頭だけ焼いた可能性は?」
「司法解剖の結果、咽喉部および呼吸器に重度の熱傷と、熱による脳硬膜の破損による頭蓋内の血腫が……これは燃焼血腫と呼ばれるものらしいのですが……確認されています。また、被害者はほとんどが手に火傷を負っています。これはおそらく燃えている頭部をどうにかしようとした結果だろうと推測されており、手の熱傷はほとんどが手のひらに集中しています」
「……被害者は生きたまま、拘束されていない状態で燃やされのたうち回った、か」
「……はい。擦過傷も多数確認されていますが、熱傷は頭部と手のひら以外にはほとんど見られません。あったとしても軽傷です」
くそ、聞けば聞くほどにヤバい感じしかしてこない。
現代日本で火あぶりの刑に処せられるなんて予想できるか。そもそも刑罰として採用されていない。
魔術師にしろ、異能力者にしろ、この犯人は確実に狂っている。
人を、何人も殺しているんだ。
その事実が僕を暗澹とした気分にさせる。
「……わかった。依頼を受けよう。報酬はいつものように私の口座に振り込んでいてくれ。解決した後でいい」
パタンとファイルを閉じ、鍵成警部に返却してから室長はそう言った。
「ありがとうございます、ヴィクトリアさん」
「礼は事件が解決してからだ。さて、コダマ。さっそく動くことにしよう。新たな犠牲者が出ないうちにな」
ちっとも喫っていないタバコの葉をスプーンで掻き出しながら、室長は鍵成警部の依頼を受けた。