第六怪 その5
7
走る。
僕は走っている。
前方を逃げる女性を、いや、フランケンシュタインの怪物を追って。
予想以上に向こうの足は早かった。
なり損ないとは言っても、仮にも吸血鬼の僕に追いつかれることなく走り続けているのだから相当なものだ。
全力疾走しても追いつかないというのは流石にショックだ。
向こうは乳酸とか溜まらないのかもしれないし、もしかしたらこのままずっと追いかけっこを続ける羽目になってしまうのだろうか? ぞっとする話だ。
一〇分以上はそんな調子で放棄済みのショッピングモールを走り回っていた。
しかし、唐突にフランケンシュタインの怪物は足を止める。
迎撃するつもりか⁉
僕は急ブレーキを掛けて、体勢を崩しながらも止まる。
距離は、大体十五メートルぐらい。僕が能力を使えば簡単に破壊できる距離だ。
しかし、相手の動きはそれなりに俊敏だ。視線を切られながら接近されたら僕に勝ち目があるのかどうかはわからない。
じわりとイヤな汗がにじむ。
能力を使うべきか、否か。僕が悩んだその数秒でフランケンシュタインの怪物はゆっくりと振り向いた。
さっきは慌てていたのでよくは見えなかったのだが、きれいな女性だった。
とは言っても、それは攫ってきた女性達のパーツを使ったものだから、つぎはぎの偽物なのだろうが。
「……貴方、名前は?」
涼やかな声で、怪物は僕に尋ねる。
一瞬躊躇したのは、どういう態度を取ったらいいのかを迷ったからだ。
しかし結局の所、僕は魂の方を重視することにした。
魂の枷。そのアイテムで囚われている都築早香さんの魂に対しての接し方をすることしたのだ。
「空木コダマ。空の木にカタカナのコダマですよ」
「……そう、良い名前ね」
おかしい。
彼女はゲムディフに逃げるように言われたはずだ。
だが、足を止めて、僕とこうやって会話していることは『逃げる』という行動からはほど遠い。
僕が室長と一緒にやってきたということは、彼女(フランケンシュタインの怪物)を破壊しにきたことぐらいはわかっているだろう。
なのにどうして?
どうして、逃げない? 僕と向かい合って、会話しようとしているんだ?
これじゃあまるで――――これから死のうとする人間みたいじゃないか。
「貴方、魔術師? それともわたしみたいに人造人間? もしかしてゴーレム?」
「いえ、なりそこない吸血鬼の超能力者です」
警戒は解かない。いつ向こうが飛びかかってきたり、逃げ出したりしても大丈夫なように。
「ふふ。やっぱり、悪いことなんてできないみたいね。悪いことしても、貴方みたいなのがやってきて台無しにしちゃうんだし。……あの人は、わかってなかったみたいだけど」
あの人というのはゲムディフのことだろう。
どうやら、確かに自我は確立しているようだ。都築早香さんの魂は確実にフランケンシュタインの怪物という肉体に宿っている。
ゲムディフのやろうとしていたことは、完遂されていたのだ。
死者の復活。目的はそれだけじゃなくて、彼女と一緒に過ごすことだったのだろうが、それはもう叶わない。彼女は僕がここで破壊するし、ゲムディフは室長が拘束するだろう。
始めから、徒労だということは決定していたんだ。
彼女は、都築早香さんはそれをわかっていたのか?
あのとき逃げ出したのは魂の枷の強制力によるものだったのだろうか? 僕は室長の説明を思い出す。
『魂の枷は魂を捕縛しておくだけのアイテムじゃない。ある程度は捕らえた魂を支配することが出来るアイテムだ。もちろん、効果範囲には制限があるし、所有者から離れてしまうと効力は薄れる。だが、一旦薄れた強制力も近づいたら元通りだ』
つまり、今は一時的に魂の枷の効力が弱まっているから、彼女はこうやって『逃げろ』という命令に背くことが出来ているのだろう。
ゆえに、僕は混乱する。
彼女は、なぜゲムディフの頼みとも言える言葉に逆らっているのか? 僕をここで殺して、どうにかして室長からゲムディフを救出する。そういうシナリオを描くものじゃないのだろうか? 彼女は一体何を考えているのだろう。
「……都築さん、貴方は一体、何を――」
「わたしは死にたいの」
その言葉は僕の感情を揺さぶるのに十分すぎた。
なるだけ動揺は表面にださないようにしたつもりだったのだが、それでも鼓動が早くなってしまったことは自覚してしまう。
「死にたいのよ。だって、不自然じゃない。死人がこうやってピンピンしてるだなんて」
手を広げてそう言う都築さんの顔は、笑っているようでもあり、泣いているようでもあった。
都築さんの話は続く。
「たしかにゲムディフの事は愛してるの。でもね、一度死んでしまったわたしを必死になってあの人が蘇らせようとしているときにやってたことを、わたしは全部見てた。断末魔の悲鳴を、刻まれる肉体を、縫合されるパーツを、試験される人造人間を。……わたし一人を蘇らせるということだけのために、何人もゲムディフは殺したわ」
……きっと、フランケンシュタインの怪物が涙を流すことが出来たのならば、彼女はそうしていただろう。それぐらいに、その声は震えていた。
「今のわたしの魂は間違いなく都築早香のものよ。でもね、体はそうじゃない。名前も知らない人間のモノなの。なってみないとわからないけど、不安なのよ。自分が、いつか自分じゃなくなってしまうかも知れない。そんな不安がわたしを押しつぶしそうになってる」
自己統一性の問題、というやつだろうか。自己は魂だけに依存しているわけではなく、肉体にも依存しているというのが都築さんの考えなのだろう。
思考実験になってしまうが、脳移植をした時、その人物は誰になるのか? という疑問に通じるものがある。
いや、今回は肉体全部が別人の、しかも複数のものなのだ。
魂というヤツがどれだけ頑強なのかは知らないが、肉体が精神に与える影響というものは確実にある。それ対して、言い知れない不安感を都築さんは覚えているというわけだ。
哲学的だ。哲学的すぎて、僕にはついていけない。そもそも、肉体を別人のものと取り替えられた人にしかわからない悩みなんだろうけど。
それでも、わかることはある。
歪な肉体と魂の結合によって、彼女は苦しんでいるということだ。
「ねえ、お願い。わたしはこれ以上耐えられそうにないの。まだ、わたしが狂っていないうちに殺してくれないかな」
ああ、そうだ。僕は彼女を“破壊”しに追っていたんだった。
なら、彼女が頼むように、“殺して”やるのが道理だろう。
彼女にとっては殺人、僕にとっては破壊。
事実は一つだけだ。人造人間が破壊される。
でも、二人の解釈は全く違ってきてしまう。
厳密には生きているとは言えない都築さんだが、その魂はちゃんと人間性を保っている。
危ういバランスだが、それでもちゃんと“生きている”と言えるのではないだろうか?
この場で僕に答えを出すことはできそうに……ない。
「悩んでるみたいね。無理もないか、まだ高校生ぐらいなんでしょ? でも、わたしは貴方に縋るしかないの。統魔がやってきたらわたしは回収されて実験される可能性が高い。そんなのはゴメン。わたしは、わたしとして死にたいの」
僕は、返事ができない。
沈黙。
数分、その状態は続いた。
ふう、と都築さんはなにかを諦めるようにため息を吐いた。
「……まあ、そうだよね。子供に背負わせるような事情じゃない。でもね、覚えておいて。魔術師っていう存在は手段を選ばない」
え?
突然の都築さんの言葉に僕の思考には空白が生まれる。
「わたしはこれから貴方を殺して、暴れ放題暴れる。外にでて、見かけた人間を殺しまくる。老若男女関係なし、全部殺す。そのぐらいに危険なら、統魔も即座に処分するだろうしね」
都築さんは、笑っていた。
何かを吹っ切ったかのように。
迷いが晴れたかのように。
その目は、本気だった。
「な、何を、言ってるんですか?」
「何って、これからの行動方針だよ。わたしは統魔の実験材料になりたくない。だから危険性をアピールするために大勢殺すの。単純でしょ?」
「さ、さっきは犠牲者に対して心を痛めているって……」
「それは事実だよ。でもね、結局人間は自分が一番可愛いんだよ」
都築さんの笑顔は、どこか、ひび割れた陶器を思わせるような笑みに変化していた。
「だから、貴方には死んでもらう。ここでわたしの最初の犠牲者になってもらう。安心して、他にも大勢送ってあげるから寂しくはないはずだから」
大勢死ぬ。ここで彼女を逃がしたら、死ぬ。
僕が死んでも室長がいる、とも思ったが、室長が捕まえるまでに何人死ぬかわからない。
すでに故人となってしまってるはずの都築さんをここで殺すか、それとも大量殺人を見逃すか。二択だ。
考えるまでもない。前者だ。
だが、それでも僕は決心しきれなかった。
「じゃあ、おしゃべりもここまでにしておこうか。あのヴィクトリア・L・ラングナーに邪魔されるわけにはいかないし」
ほんの少しだけ都築さんの姿勢が前傾する。
それが襲撃の合図だと察知した瞬間、僕は思わず能力を発動していた。
僕の髪が浮いて、都築さんの動きが停止する。
巨大な手で掴むイメージ。
それで都築さんは動けなくなっていた。
「……へえ、すごいね。本当に超能力者なんだ。でも、まだまだ安定してないみたいだね」
ぎしぎしと音を立てて、都築さんは次第に僕の能力を振りほどこうとしていた。
僕の集中力にも限界があるし、視線に依存している能力だから瞬きの瞬間は干渉力が弱まる。その隙を突かれてしまったら、終わりだ。
人造人間も流石に五体をバラバラにされてしまえば活動を停止する。
そう、室長は言った。
なら、僕はやるしか、ない。
都築さんの首に視線を集中する。
捻ってしまえば、一撃だ。あとはゆっくり引き裂いてやればいい。
躊躇しない。
僕は、まだ生きていたいんだ。
首を折る瞬間、都築さんは人間らしく微笑んだ。
「ありがとう」
ぼきり、という音はあっけなかった。
「コダマ、ご苦労だった」
「ええ、まあ。本当に苦労しましたよ」
僕が都築さんを“破壊”してから十数分後、室長がやってきた。
ゲムディフを引きずって。
愛で狂ってしまった魔術師は、芋虫みたいな状態にされてしまって、文字通り身動き一つ取れないようになっていた。
「……なるほど。キミには辛い役目を負わせてしまったようだな。すまない」
どうも、相当にひどい顔をしていたらしい。素直に室長が謝った。
普段なら憎まれ口の一つでも返しているところなのだろうが、そういう気分じゃなかった。
「……室長、僕は正しかったんでしょうか?」
ぽつり、と漏らすようになってしまった僕の疑問に室長は間を置いてから答えた。
「正しい人間なんていない。正しそうに思える人間はいるだろうがな」
は、なんとも滑稽だ。
ただ、僕は自分に正しくはありたいと思った。
数時間後、統魔の回収班がやってきて、ゲムディフと都築さんの残骸を回収していった。
僕と室長はそのまま、色々と事情を訊かれたのだが、室長は『たまたま通りがかったらA指定の物品を持っているだろうと確信したので、制圧した』と貫き、僕もそれに従った。
おそらくはヘムロッドさんが根回しはしていたのだろう。僕たちは特に拘束されるということもなく解放された。当然、駅まで送ってくれるなんてこともなく、室長が呼んだタクシーで僕たちは駅まで帰って、そこから更に電車でする羽目になった。
百怪対策室に戻ってきた頃には、僕はすでに疲労困憊の状態だった。精神的に。
「コダマ、今日はもう帰っていいぞ。キミも疲れているだろう。明日からは格闘訓練をしていくから覚悟しておけ」
「……はい」
覚えていたのか、格闘訓練。
まあ、どうでもいい。そんなことよりも疲れた。
今日はもう眠りたい。
そんな風に投げやりな考えで百怪対策室を後にしようと出入り口のドアに手をかけた瞬間、室長は言った。
「コダマ、キミのおかげで死なずに済んだ人間は多いんだ。胸を張っていい」
お見通しか。
室長は読心術でも持っているのだろうか?
いや、僕がわかりやすすぎるだけか。
「ええ、そうします」
当分、胸は張れそうになかったが、僕はそう答えた。
次の日から本当に室長の格闘訓練は始まった。
とは言っても、素人に短期間で仕込めることなんてたかが知れているので、結局は効率のいいケンカの仕方みたいなものだったけど。
それでも、ケンカらしいケンカをしたことがなかった僕にはけっこう参考になった。
そんな風にして、残りの夏休みはわりと平和に終わった。
そして、始業式。
クラスメイトが僕を見て、ひそひそ言っているのはわかった。
まあ、人の噂も七五日というし、それまでの辛抱だろう。
それよりも休み明けのテストの方が関心は高かったようだし。
そうして、残暑の厳しい九月は始まった。
下校して百怪対策室に行こうとした僕は、靴箱に何かが入っているのを見つけた。
取り出してみると、それは手紙だった。
白い便せんに入った手紙。なんとも可愛らしいシールで封がしてあった。
……差出人は女子であって欲しい。男だったら僕が精神的に死ぬ。だから頼む、女子であってくれ。
一応は変なモノが入っていないかどうか開ける前に確認してから、慎重に僕は開封する。
中身は一枚の紙だった。
丸文字でこう綴ってあった。
〈空木君に話したいことがあります。今夜七時に稲木公園のベンチで待っていてください〉
うーむ。
告白か? それとも『怪』絡みなのかが気になる。
二つに一つ。どっちかというと後者であった欲しいというのはあまりにも都合がよすぎるだろうか? 青春したいお年頃なんだよ。
だが、一応は百怪対策室への依頼の可能性も捨てきれないので赴かなくてはならないだろう。
そう考えて、室長に遅れることを伝えるために僕はスマホを取り出した。
――――――――空木コダマの奇妙録に続く。
空木コダマの回顧録はこれで終了です。ご感想、ご指摘などお待ちしております。