第六怪 その2
ヘムロッドさんは独自に調査を進めていたらしく、いくらかの資料を持ってきていてくれた。
その資料を渡した後、ヘムロッドさんとクリシュナさんは百怪対策室を後にした。
なんでも、これから統魔の調査委員会に出頭して調査に協力しなければならないらしい。つまりはこの資料は本来、その調査委員会に提出されるべきモノなのだ。もちろんコピーは取っているのだろうけど。
そう考えると、ヘムロッドさんの行為は統魔に対する背任行為になりかねないものだ。
なぜそんなリスクを冒してでも室長に依頼しに来たのはよくわからない。
一見すると仲が悪そうに見えたこの二人はどういった関係なのだろうか? 疑問は尽きない。
よって、僕は直球で尋ねることにした。
「あの、室長。ヘムロッドさんとの関係って一体なんなんですか? 僕にはすげー仲が悪そそうに見えたんですけど」
ちなみに今は特急電車の中だ。
なんでそんな場所に居るのかというと、ヘムロッドさんの資料によればゲムディフ=ゼーネ=ガルフシュタインが潜伏している可能性が非常に高い都市の推察があったからだ。
根拠としては、そこでは若い女性の行方不明事件が多発しているらしい。それも犯人がまったく特定できていない上に、被害者の足取りも全くつかめていないのだ。しかも発生しているのはここ数日。
……遺体さえもまだ、見つかっていない。
そんな奇妙な事件を起こすのは魔術師が動いている可能性が高い、らしい。
それでも、室長がヘムロッドさんの資料をかなり信用していることは確かだ。
仲は悪そうなのに、資料は信用する。なんともわからない。
そんなもやもやを抱えている状態の僕に返ってきた室長の返答は至極簡素なものだった。
「同期だ」
いや、それで納得できるなら世の中はもっと円滑に回っていると思う。
僕は何も言わない。ただ、じっとりとした視線を、隣でけだるそうにしている室長に送る。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……昔はよくつるんでいたからな。統魔でも私と同期でまっとうに存在しているのはヘムロッドともう一人ぐらいだ。あとは全部死んだか、ろくでもない存在になってしまっている」
勝利を収めたのは僕だった。
が、謎が増えただけのような気がする。
「いやいや、それだけでそんなにざっくらばんに話せるものなんですか? 言っときますけど、端から見たら一触即発でしたよ」
「昔からあんなもんだ。キミも古い友人に再会するような年になったらわかる」
何年後の話だ。いや何十年後か。約四〇〇歳の室長にとってはそんなに大したことない期間なのかも知れないが、人間の僕にとってはすさまじく遠い未来になりそうだ。
……いや、今は人間じゃないか。
少し、気分が沈む。
頭を振って、妙な考えを振り払う。今はそんなことに思考の要領を割いている場合じゃない。
起こっている事件。それが問題なんだ。
若い女性の行方不明者が続出している。そして、その遺体が発見されていない。
それがなぜ、魔術師の仕業と結論づけられてしまったのか?
僕はそれが知りたい。事情を知らない状態で事件に首を突っ込むのは賢いとはいえない。
この特急電車には二時間ほど乗車している予定だ。この時間中に、僕と室長で認識をアジャストしておくのは有効な選択だろう。
ゆえに、僕は訊く。
「今回の事件、本当にヘムロッドさんの弟子が起こしているんでしょうか?」
「まあ、十中八九間違いないだろうな。コダマ、盗み出された物品を覚えているか?」
うろ覚えだが、なんとか覚えている。そして、恋人を蘇らせるつもりだと室長が言ったことも。
「A指定の物品の一つ、『フランケンシュタイン法概論教本』、これはフランケンシュタインの怪物の製造方法の説明だ。フランケンシュタインの怪物は知ってるな?」
まあ、知ってる。っていうか知らないほうがどうかしているだろう。
青白い、というか青い肌につぎはぎ。そして頭に刺さったでっかいボルト。
見た目のインパクトも強烈だから一目見たら忘れないだろう。
だが、これは死者蘇生の方法というよりも、人造人間だろう。
誕生した怪物(よくこれがフランケンシュタインだと思われているが、造ったのがフランケンシュタイン博士である)は、創造主に裏切られるという悲哀に遭い、そして、人ならざる自分の在り方に苦しんでいく、とかいうのがあらすじだったか?
スタンダードな怪物過ぎて色々と登場するから、どれがオリジナルだったのかはっきりしないのだが、そんな感じだったはずだ。
「世間一般に認知されている『フランケンシュタインの怪物は創作である』、という認識は統魔の情報操作によるものだ。フランケンシュタインの怪物の製造方法は存在しているし、製造されたこともある。それを著したのが盗み出されたA指定の物品の一つだ」
とんでもないな、統魔。情報統制とかやってしまうのか。しかも世界規模で。
そこまで出来るのならば、いっそのこと情報を完全に抹消してしまった方がいいのではないだろうか?
顔に出ていたのだろうか。室長は長いため息をついた。
「キミの言いたいことはわかる。だが、隠すと逆に嗅ぎ回りたくなってしまう連中というのが世の中には一定数いるんだ。すでに術法として確立してしまっている以上、流出しないという確信はもてない。ならば真実自体を上塗りしてしまえばいい。当時の統魔はそう考えた」
なるほど。もしフランケンシュタインの怪物が出現したとしても、それなら統魔の情報統制もやりやすいというわけだ。真実を公開しても、冗談と思われるのがオチだ。
思った以上に統魔の影響力は強いものらしい。
そんな風に僕が納得していると、興が乗ってきたのか室長は話を続けた。
「後はヘムの資料にあったんだが、『魂の枷』は生物の魂を捕縛しておくためのアイテムだな。しかし、使用できるのは死後数日の短い期間。それ以上は魂が現世から離れてしまうからな。そして、『反魂術応用』はそのまんまだ。死霊魔術の一つ、反魂術の応用法を記したモノだな。この三つでやるとするなら、まずは死者の魂を捕縛。その後に、フランケンシュタインの怪物で肉体を形成。最後に反魂術で魂を定着させる。生前とまったく同じ容姿とはいかないが、魂は一緒だし、肉体もちゃんとある。つまりは蘇るわけだ」
つらつらと述べられるそれぞれのA指定の物品が盗み出された理由の考察を聞いてみると、たしかに室長が言ったように、ヘムロッドさんの弟子……ガルフシュタインは恋人を蘇らせようとしてるようにしか思えない。……行方不明の女性達は材料か。くそ。
しかし、そんなに単純な理由なのだろうか?
恋人を蘇らせたい。
それだけの理由で、人は巨大な組織に背いてまで行動するのだろうか? 倫理を放棄してしまえるのだろうか?
僕にはそれがわからない。
「……室長、本当にガルフシュタインは恋人を蘇らせたいという目的で動いていると思いますか? 僕には、何か裏があるような気がするです。だって、統魔は巨大な組織なんでしょう? リスクとリターンが見合っていませんよ」
僕の質問、というか難癖のような言葉に室長はやや考えるような仕草をした後に、静かに言った。
「キミも身を焦がすほどの恋をすればわかるかもな」
室長の顔には皮肉げな笑みが浮かんでいた。
3
電車から降りると、すでに夕刻が迫り始めていた。
僕たちが降りたのはそれなりに発展している都市のはずだ。だが、奇妙な点があった。
明らかに歩いている女性が少ない。
いても、絶対に一人ではない。それなりの集団になっているか、男性が一緒だ。
……なるほど。若い女性に限った行方不明事件が立て続けに起こっているのは間違いないようだ。
となると、明らかに見た目だけは中学生女子ぐらいである室長は目立ってしまう。
いや、一応は僕が隣にいるわけだが、他は成人した男性なのに、室長だけは同伴が男子高校生一人というのは奇異に映ることだろう。
室長が目立っているのはいつものことなのでどうでもいいのだが、僕が目立ってしまうのは避けたい。どうしたものか……
悩む僕を尻目に室長はとっとと駅舎から出ると、ヘムロッドさんの資料と案内看板の地図を照らし合わせて何かを確認しているようだった。
慌てて僕は室長に駆け寄る。
「ちょっと室長、置いていかないでくださいよ。知らない街で迷子になったらどうやって合流するつもりなんですか?」
「……」
ガン無視かよ。傷つく。
しかし、こういう時には室長の思考を邪魔しない方が良いだろう。
少なくとも僕よりも、室長のほうが正確な推理をできるのだろうから。
そんな風に金髪少女のそばにたたずむポニーテール少年という変な絵は数分続いた。
「……コダマ、方針は決まった。行くぞ」
突然そう言い放つと、室長は資料をポケットに突っ込んで(容積的には絶対に入らないが、入ってしまった)、とっとと歩き出してしまった。
わけもわからずに、僕はそれを追う。
「ちょっと、行くってどこにですか?」
「決まってるだろう。買い物だ。怪物退治のためのな」
キメ顔でそう言う室長が取り出そうとしたタバコを僕は取り上げた。
路上喫煙禁止。
さて、僕たちはヘムロッドさんの弟子である魔術師、ガルフシュタインの潜伏場所を探さないといけないはずだ。
けっして、今現在のように、服屋で試着などしている場合ではないはずだ。
そう、もっと他にやることがあるはずなんだ。
僕が女物の服を着ている理由はきっと何かの不条理だ。夢だ。いや、悪夢だ。小唄の悪趣味な目覚し時計シリーズでいいから僕をこの悪夢から解放してくれ。そろそろ僕の精神の方が焼き切れそうになってきた。いやほんと。
「んー。もう少し清楚にコーディネートしてみるか。ついでにネイルも念のためにしておくべきか? 最近の流行には疎いからな、どうにもこういうのは苦手だ」
女装して試着室から出てきた僕を迎えたのはそんな室長の言葉だった。
……もう勘弁して欲しい。っていうか吐血しそうだ。僕のプライドも一緒に放出してしまうだろうが。
「……室長、一応は言われるがままに従いましたけど、そろそろ限界です。死にそうです。人間的に、いや、男性的に」
絞り出すような僕の抗議の声は聞こえたのだろうが、室長は聞こえないふりだ。っていうかすでに手にはワンピースを持っている。もしかして次に僕はそれを着なければいけないのだろうか? そろそろ尊厳死を考える時期になってしまったようだ。さよなら現世。
「舌噛んで死んで良いですか?」
「ダメだ。っていうか死ねないだろうしな。死ぬほど苦しみはするが」
まあ、だろうな。
このときばかりは吸血鬼の再生能力がうらめしい。
「というか、いい加減に何で僕が女装をする羽目になってしまっているのかを説明してくれませんか? そうじゃないと全力で逃亡させてもらいますよ」
「?」
『キミが何を言っているのかがわからないな』という顔を室長は僕に向けてくる。
うわ、すっっっっっっっっげえむかつく。殴り倒したい。殴り返されるだろうけど。
「いやいや、そんな顔してもダメですよ。とりあえずは言われるとおりにしましたけど、そろそろ限界ですよ。現在進行形で大事なものをポロポロ落としちゃってますし、どうしてくれるんですか?」
「キミも百年ぐらい生きてみたらどうでもよくなってくるから気にするな」
そんなに生きる気はない。僕は死ぬときには人間として死にたい。
「室長基準で考えないでください。僕は平凡な男子高校生。そういう存在なんですよ」
「超能力を使える吸血種まがいが平凡、ねえ。キミも少しは言うようになったな」
「ごまかさないでください室長。これが捜査に関係あるんですか?」
「大いにある。囮作戦だ」
囮作戦。ほう、なるほど。僕を女装させて、それにガルフシュタインを食いつかせようという魂胆か。なるほどなるほど。合理的な作戦かも知れない。ただ一点を除いては。
「囮は室長でいいんじゃないですか? わざわざ僕が女装しなくても」
それなら僕がこうやって必要以上の精神的苦痛を受けなくてもいいじゃないか。っていうか、本来は最初にそれを言うべきだったのかも知れないが、この際、終わったことにとやかく言うのは止めておこう。
そんな僕を室長は鼻で笑う。
「コダマ、相手は魔術師だぞ? 魔術師が動いていることを察知したらさっさと逃亡するに決まっているだろうが。ただでさえ統魔に追われることは確定しているんだ。気付いたら逃げの一手だろう。統魔が指定を迷っている間しか私達には時間が無いんだ。少しでも逃亡の可能性は避けたい」
真剣な顔で室長は説明するが、口の端がわずかに震えているのを僕は見逃さなかった。
楽しんでるじゃねえか!
だがしかし、言っていることにも一理あるのは事実だ。
ならば、僕は、ここは耐え忍ぶしかいないのか。ぐうううううう。
「さてコダマ、とりあえずは男とわからないようにしないとな。キミは華奢な方だが流石に肩幅はごまかせない。もっと考える必要があるな。今のままだと単にキモいだけだな」
……どうやら地獄はまだ続きそうだ。