第六怪 その1
0
愛するということを考えた。
人間は生物である以上、繁殖しているわけだ。
つまりは生殖によって増える。
現代社会ならここに恋愛の情というものが入ってくる。
そういったものはわりと近代的な概念だと述べる反抗心の強い人もいるだろうが、結局、それは起点になっているかどうかなのだと思う。
一緒に過ごしている内に芽生えてくる愛というものもあるだろう。
こうなってしまうと卵が先か鶏が先か、という議論にも似たものになってきてしまう。
ゆえに、愛の発生について議論することは無意味だと僕は思う。
されど、愛というものが世間一般で思われているほどには穏やかなモノでないということはもっと知っていて欲しい。
僕は未だに人を愛した、と断言できるような人生経験を積んでいるわけではないのだけど、それでもこの事件ではつくづく痛感させられてしまった。
愛は時として暴力的で、反社会的で、排他的だと。
もしかしたらその危険性に惹かれて人は愛を求めるのかも知れないけれど、それは詩人でもない僕には知ったことではない。
ただ、僕は誰かを愛するなら、その責任は僕自身にあることを忘れたくない。
1
夏休みもあと数日。
そろそろ長期休暇という特別休暇に浮かれて、宿題という業から逃避し続けていた者もそろそろ尻に火がついているころだろう。真面目に取り組んでいた僕は多少の余裕はあったが。
小唄あたりは昨日から友達の家で合同勉強会という名前のコピペ共犯者製造会をやっているらしいが、そのおかげで僕はストレスフリーだった。
すがすがしい。夏だっていうのに、高原で風にでも当たっているような気分だ。
まあ、そんな気分で僕はいつものようにハイツまねくね二〇一号室、またの名を百怪対策室のインターホンを押したのだった。
キン、コーン。
そろそろ聞き慣れてきたこの平凡な音もどこか僕の今の精神には快く響いた。
「だれだ?」
ザ、というノイズの後に、いつものように室長の声が迎えてくれる。
「僕です。コダマです」
「ほう、コダマ、ねえ。コダマだったらつい昨日私が買いに行かせた書物の名前を記憶しているはずだ。言ってみろ」
……そうきたか。
が、今日の僕はちょっとやそっとでは傷つかないメンタルをしている。この程度は楽勝だ。
「えー、『オトメ王子は恋する姫にキスをする』、『乱暴なのがスキなの!』、『私のハートは接近警報中! ~乙女の胸は地雷原』。……ええと、あとは『らぶパン ~紳士のたしなみは理解されない』、でしたっけ?」
「白昼堂々なんてことを口走っているんだキミは。変態か」
……変態はあんただ。
毎回買いに行っているせいで最近は店員さんが男性に変わるようになってしまったんですけど。なんか警戒されてるし。しかもその男性定員さんまでもが、なんとなく腫れ物に触るように接してくる。
レシート渡すときに肌が触れないようにされているのはわかっているんだ。くそ。
「まあいい。いつものように入れ。鍵は開いてる」
開いてはいるが、むやみに入ろうとすれば迎撃魔術が熱烈に歓迎してくれるというドアを僕を開けて、いつものように百怪対策室に入った。
いつものように応接室。
だが、いつものようにジャージに白衣の金髪女子が待っているだけではなかった。
テーブルを挟むようにソファが配置されているのは同じなのだが、すでに先客がいた。
片方は男性。
長身痩躯をかっちりとしたスーツに包んだ初老の紳士だった。
グレーがかった髪に、切れ長の目が理性的な印象を受ける。
そして、もうひとりは少女。
なぜかメイド服のような格好をしており、ぴくりとも動かない待機姿勢で初老の紳士の後ろにたたずんでいた。
百怪対策室では初めての事態に、多少動揺する。
初老の紳士も、メイド服の少女も僕を見る。
僕はあまり注目を集めるのは苦手なので、こういうときにはちょっと固まってしまう。
「なにをもじもじしてるんだ。とっとと座れ。今日はもう依頼人が来ているんだ」
今日は短めの葉巻を咥えている室長が僕を一瞥してそう言う。
ここは素直に従うことにしよう。こんなところで反抗精神を発揮している場合じゃないだろう。
いつものように依頼人の隣に座ろうと思ったのだが、室長に指さされてしまったので、渋々僕は室長の隣のソファに座る。
……隣に室長がいるというのはなんとも慣れない。いつもは対面にいるから顔が見えるので多少の感情の推測も出来るのだが、今僕に見えているのは怜悧な顔をした紳士と、人形のように無表情のメイド服少女だけだ。ちょいとプレシャー。
「ヘム、コダマも来たことだし、世間話もこのぐらいにして本題に入ろう。お前にも猶予はあまりないんだろう?」
いつになく真剣な調子で室長が対面に座る紳士に呼びかける。
ぐ、と紳士は一度天井を仰いで、それから室長と僕を見た。
「空木コダマ君、だね。初めましてだし、自己紹介と行こう。私の名はヘムロッド・ビフォンデルフ。統魔に所属している魔術師だ。後ろの子は私の作品で、名をクリシュナという」
外見から想像されるとおりの渋い声で紳士、いやヘムロッドさんは丁寧に自己紹介してくれた。
だがちょっと待て。今おかしい部分があったよな? 僕の聞き違いじゃなければ。
「あの、いきなりで失礼かも知れませんが、その……クリシュナさんが『作品』っていうのはどういうことなんですか?」
まさか、この、クリシュナさんがモノ扱いになってしまっているのは人身売買とかそういう裏街道の香りがする話なのだろうか? それとも何らかの契約によって、扱いがそのように取り決められているのだろうか? 何にせよ気になる。
「コダマ、クリシュナはゴーレムだ。元々人間でも人外でもない。それなりに気は利くが、根本的に生物じゃない。そっちのヘムロッドもゴーレム法の専門家だ」
説明してくれたのは室長だった。
ご、ゴーレム?
ゴーレムなんて言われても、僕には石でできた無骨な人型のモンスターぐらいの認識しかない。っていうかゲームではそんなんばっかでてくるし。
が、クリシュナさんはもとより、ヘムロッドさんも否定する様子はない。両者とも“なにも間違っていない”という態度だ。
……マジか。
ゴーレムってこんなに人間と見分けがつかないのがいるのか。
これはちょっとゴーレムという存在の危険性が僕の中で急上昇だ。
そんな風に僕が危機感を抱いているのを知っているのか知らないのか、室長はぶわり、と煙を吐く。
「ヘム、自己紹介は済んだんだ。とっとと事情を話せ」
「ああそうしよう。では本題から行くが、統魔からA指定の物品を盗み出した私の弟子を拘束し、造っているモノを破壊して欲しい」
ヘムロッドさんの頼みは中々に物騒なものだった。
弟子っていうことは、相手は魔術師だろう。しかも統魔、つまりは世界中の魔術師を管理する団体から何かしらの危険な物品を盗み出して、最悪、それを使用している魔術師を拘束しないといけないわけだ。
待ってくれ。百怪対策室はいつからそんな血なまぐさい感じの依頼を受けるようになってしまったんだ?
いや、キスファイアの時点で血なまぐさい感じだったか。それでも危険度が段違いじゃないのか?
「A指定? 統魔の管理体制はどうなっているんだ? 私が居た頃にはそういった事件はなかったぞ。ふん、管理部の怠慢だな」
「返す言葉もないね。今頃は管理部も上下をひっくり返したような騒ぎだよ。幸い盗まれたのは三つだけだが」
なんだか僕を置いてきぼりにしてどんどん話が進んで言ってしまっている。
言い出さないと、わからないままでこの件に首を突っ込むことになってしまう。
「ああそうか。コダマ、キミには説明していなかったな。統魔は世界中の魔術師だけではなく危険な物品も管理しているんだ。そして、もちろん魔術師と同様にそれらにも指定をつける」
まるで心を見透かされてしまったかのような室長の発言だったが、これは単に僕が魔術に関して、というよりも統魔に対してあまり訊いてこなかったからかもしれない。
静かに室長は咥えていた葉巻を灰皿に置く。
「統魔のアイテムの指定は四種類だ。A、B、C、Dの四つ。D指定はまあ、一般人が所持してても問題ない。お守り程度だ。C指定は一般人が所持している場合は回収、魔術師が所持している分には問題ない」
なるほど。もし僕が魔術師見習いでもなかったらC以上の指定を受けているモノは所持できないわけだ。
「次にB指定。これは許可があれば魔術師は所持していてもかまわない。一般人が所持している場合には問答無用で回収する」
……物騒になってきた。そろそろ話を聞くのがヤバい気がしてくる。
だが、今回盗み出されているのはA指定のアイテムだ。
「……A指定。これは魔術師でも接触は禁止だ。特別な許可をもらい、その上で立会人が存在している状態で、制限された時間内でしか接触は許されない。いかなる存在もこれを所持できない。統魔の最高権力者である魔法使いでもだめだ」
つまりは相当に、いや、僕が想像できないぐらいには危険な物品だということか。
統魔という、全貌さえも掴みきれない組織でも、コントロールできないということなのか。
それを三つ所持してる魔術師。
現代兵器に例えるのならばどのぐらいの危険度になるのか想像もしたくない。
「とまあ、そういう危険な物品を所持している魔術師を相手にするんだ。情報が欲しい。ヘム、何を盗られたんだ? それによっては私も準備がある」
室長は鋭い視線をヘムロッドさんに向ける。
横顔だけでもけっこう威圧されるのに、正面から受けているヘムロッドさんへの圧力は想像もしたくない。
「一つ目は『魂の枷』。魂を捕縛しておくためのモノだ。二つ目は『反魂術応用』。かつての死霊魔術師の集団、“屍の偶像”が記した禁書。そして三つ目が『フランケンシュタイン法概論教本』。私たちが回収したあの品だ」
次々に並べ立てられてしまったので、僕の脳みそはついていってない。
が、かなり物騒そうな品々が並んでいそうなことぐらいは隣にいる室長の険しい顔が教えてくれた。
「目的は……聞くまでもないな。死者の復活。そこまでして復活させたい人間とはなんだ? アレイスターでも呼び戻すのか? とっくにあの世に行っているぞ」
「いや、私の弟子の目的はそんな大層な人物じゃない。平凡、といってしまうことは出来ないが、キミや私のような者から見たら大した魔術師じゃない」
ヘムロッドさんはもったいぶったような言い方をする。
いや、これは言いたくないのだろうか? 自分の弟子が犯した失態を恥じるという心境にあるというのだろうか? だが、それなら室長に依頼しに来ること自体がおかしくなってしまう。
「回りくどいぞ、ヘム。私に対して取引は通用しないと知っているはずだ」
めずらしく室長がやけに喧嘩腰だ。
もしかしてこの二人、仲が悪いのか?
「……そうだったね、ヴィクトリア。私もなにぶん、ショックなんだよ。自分の弟子にきちんと魔術の危険性を教えることができなかったのが」
「同じ事を言わせるな。私は……」
「弟子が蘇らせようとしているのは、恋人だ」
室長の台詞の途中でヘムロッドさんが割り込む。
何かしらの反駁を室長はやるに違いないと僕は思っていたのだが、予想に反して室長は
沈黙した。
それに相反するようにヘムロッドさんはつらつらと事情を述べ始めた。
「私の弟子、ゲムディフ=ゼーネ=ガルフシュタインは優秀なゴーレム法の研究者だった。そのうちに、この失敗でなんとか生きているだけの死に損ないを追い越してくれることを切に願っていた魔術師だった」
なぜか僕にはヘムロッドさんが韜晦しているように思えてならなかった。その沈痛そうな表情のせいだろうか?
「ゲムディフには恋人がいてね。日本人だった。都築早香クンというんだが、中々魅力的な女性だったよ。彼女とゲムディフは見ているこっちが赤面してしまうぐらいに熱々だった。……十数日前の実験の失敗で都築クンが死亡してしまうまではね」
一度、ヘムロッドさんはそこで言葉を切った。
まるでその件について思い出すことが、非常に苦痛だというように。
数秒、室長もヘムロッドさんも、そしてクリシュナさんも沈黙していた。
「……で、その失敗からどうなったんだ? そこが今回のお前の馬鹿弟子の所業の原因だろう」
沈黙を破ったのは室長だったが、かなり容赦がなかった。
弱々しく微笑み、ヘムロッドさんは再び口を開いた。
「ゲムディフのやつだがね、それはもう半狂乱になっていたよ。あそこまで荒れているのを見たことはなかった。それぐらいに、あいつにとって都築クンは重要な存在だったということなのだろう。そんな状態で二日ぐらい経過した頃だね、ゲムディフが急に静かになってしまったのは。おそらく、そのときにはすでに計画は出来上がっていたんだろう。そして、統魔の管理部の人間を無力化、そして速やかに逃亡した。それが十日前になる」
す、とヘムロッドさんは液体の入った小瓶をテーブルに置いた。
「ヴィクトリア、私の依頼料はこれだ。キミにこんな辛いことを頼めた身分ではないのだが、頼れそうなのはキミぐらいしかいない。この通りだ」
深々と頭を下げるヘムロッドさんと、赤い液体の入った小瓶。
それらをしばらく室長は眺めていたが、深く嘆息してから言った。
「いいだろう。受けてやる。ただしお前の弟子は五体満足とは限らないし、それ以外は何だろうと破壊する。そう思っておけ」
「ありがとう、ヴィクトリア」
結局、クリシュナさんは一言も発しなかった。