第五怪 その3
まだ日光がある状態では弥里さんが辛いだろうということで、僕は日が沈んでしまってから百怪対策室に向かうことを提案した。
快く承諾してくれたので、とりあえずは二時間ほどだらだらとしょうもない話をして、弥里さんが大学生だとか、今は講義に出席できないから前期は単位を落としてしまった、なんて役にも立たないような情報を僕は集めていた。
やがて夜が訪れると、僕と弥里さんは太陽の光を警戒しながらマンションから出た。
やはり火傷の跡が目立つのが嫌なのか、弥里さんは顔には包帯を巻いたままの怪しい格好のままだった。
あまり、この状態の弥里さんと一緒に電車に乗るのは気が進まなかったのだが、こればっかりは本人の意思を尊重したい。……隣にいる僕も一緒にすさまじい視線を受けてしまったが。なんてこったい。また妙な噂が立ってしまうかもしれない。くそ、胃薬を買い求めないといけない。
そんなこんなはあったものの、なんとか僕と弥里さんはハイツまねくね二〇一号室、またの名を百怪対策室の前まで到着した。
ここで躊躇っていてもしょうが無いので、ぼくは速攻でインターホンを押す。
キン、コーン。
よくあるチャイム音が響き、ザ、というノイズ音の後にインターホンから声が響く。
「だれだ?」
可愛らしい声に反しての伝法な口調。いつもの室長だった。
「コダマです」
「新幹線が私を訪ねてくるとはまた奇妙な話だな。しかも喋る新幹線だなんて二重に奇妙だ。ここは確かに『怪』を専門としている場所だが、車庫じゃないぞ」
そのネタでいじられるのは小学生以来だ。っていうか小学生の時でもきっかけになったのは社会の先生だ。
つまり、年齢がバレる。
「……そのネタが出てくるって事は室長、実はけっこう年いってますね。少なくとも四十代」
「馬鹿にするな、約四〇〇歳だ」
上を行かれてしまった。っていうか十倍だった。
「そういう返しが出来るという事はコダマに間違いないな。入れ、鍵は開いてる」
いつものやりとりなのだが、室長は人をおちょくらないと人を招き入れるということができないのだろうか? そうだとしたらかなり面倒くさい人物だ。今更始まったことじゃないが。
僕は無言でドアを開けると、とっとと中に入る。
そして、中から弥里さんに呼びかける。
「どうぞ。中に居ますよ。本当の解決人が」
外観以上に、というか、外観が異常なのか。百怪対策室は広い。
大抵の人はここでびっくりするし、僕もびっくりした。
弥里さんも例外ではなかったらしく、包帯越しでも呆気にとられているのがわかった。
「気にしないでください。ちょっとした異次元に迷い込んでしまったと思ったら、慣れますよ」
身も蓋もない僕のフォローだったのだが、弥里さんは納得してくれたらしく、「そ、そうね」と返してきた。
……実は納得していない可能性を感じる。
追求しても生産性がないと判断して、僕はとっとと応接室のドアをノックする。
「入ってこい」
中から返ってきたのはやはり室長の声だった。
いつものことなので、気にせずに僕は応接室の中に入る。
テーブルを挟んで向かい合うように置いてあるソファ。
その一つにリラックスした様子で室長はだらしなく座っていた。
いつものようにタバコを咥えて。今日はパイプらしい。妙にでかい。
「こんな時間にやってくるとは良い度胸だな。キミがやってこないからきょう発売のコミックスを買い損ねた。どうしてくれるんだ?」
開口一番これである。
「んなこと言っても、依頼人に会っていたんだからしょうがないじゃないですか。っていうか、通販でもなんであるでしょうに」
「店舗特典がないだろうが。特典は大事だぞ。後々入手しようと思っても難易度が高いからな」
どうでもいい。
何でこの人はこんなにオタク文化に染まってしまっているのだろうか? 曲がりなりにも魔術師のはずなのに。
「そんなことよりもコダマ。今日は一段と面白そうな依頼人を連れてきたな。透明人間か?」
とんでもなく失礼なジャブを放つ室長だった。
「何言ってるんですか。そういうんじゃなくて、ちゃんとマジな『怪』なんですから、ちゃんとしてください」
弥里さんが不信感を持ってしまわないかが心配だ。
「わかったわかった。まあ座れ。そっちのお嬢さんも座ってくれ」
まだ室長は依頼を受けていないのに、えらく砕けた口調だ。
いや、約四〇〇歳の室長からしてみたらせいぜい大学生ぐらいの弥里さんなんて小娘みたいなものだろうから、これで正常なのだろうか?
疑問は尽きないが、僕は弥里さんを促して室長の対面に座ってもらう。
その隣に僕も座る。
……僕は普通室長の隣に座るべきだとは思うのだが、以前室長にこういう風にやるように言いつけられているのだ。よくわからないこだわりだ。
「さあて、それじゃあ話してもらおうかな。お嬢さんが出会った『怪』を」
? なぜか室長は至極面倒くさそうに言った。
弥里さんの話は僕が聞いたものと一緒だった。
日光に当たると火傷のようになってしまうこと。
二ヶ月前から徐々に進行していき、今は全身が『そう』なっているということ。
そして、弥里さんは自分が吸血鬼になってしまったのだと思っていること。
そんな感じだったのだが、室長はやけにしらけた顔でそれを聞いていた。
弥里さんが話し終わると、室長は咥えていたパイプをパイプ置きに戻す。
そうしてから口を開いた。
「ふんむ。まあ、『怪』じゃないな」
は?
「え? ど、どういうことなんですか?」
そう尋ねる僕はポカンとした表情をしていたことだろう。そして弥里さんは思わず室長のほうに顔を寄せていた。
そんな僕たちに対して、室長はなんとも言えない冷めた目線を送ってきた。
「ちょ、ちょっと室長! どういうことなんですか? 日光に当たったら火傷しちゃうなんて立派な『怪』じゃないですか⁉」
こくこくと頷く弥里さん。
がしかし、室長はそんなことは知ったことかと言わんばかりの顔をしている。
「あー、そうだなあ。一応は確認しておこうか。お嬢さん、包帯を取ってみてくれないかな?」
びくり、と弥里さんが震える。
きっと包帯の下はひどいことになってしまっているのだろう。それを見ず知らずの他人に晒せというのは流石にひどいのではないだろうか?
「……わかりました。それでなにかわかるのなら……」
一度拳を握ってから、弥里さんはおぼつかない手つきで顔に巻いている包帯を解き始めた。
少しずつ弥里さんの顔があらわになっていく。
顎のあたりはきれいなものだったのだが、ちょうど顔の中心、鼻の付け根から目の下、そして頬にかけてが火傷のように真っ赤になっていた。
……女性が、顔にこんなモノがあるのはたいそう苦痛だろう。僕は男だから理解しているとは言い難いが、多少なりとも推察はできる。
こんな風に全身がなってしまっているのならば、そうとうに辛いだろう。
「なるほどなるほど。典型的な蝶型紅斑だな。キミに対して私が出来ることはない」
冷静に、まるで実験動物を観察する科学者のように室長は言い切った。
えりてまとーです?
いきなり知らない単語が出てきてしまって、僕は話についていけない。
弥里さんもそれは同じだったようで、ほんの少しだけ口が開いていた。
ここは僕が切り込まねばならないだろう。なんと言っても、室長は一仕事終えたみたいな顔になってしまっている。
「待ってくださいよ室長。変な専門用語で煙にまかないでください! ちゃんと説明してくださいよ!」
「なんだ? 知らないのかコダマ」
知るか! 自分が知っているからといって他人が知っていると思ってはいけない。
「あー、エリテマトーデスっていうのはそのお嬢さんがなっているような症状を言うんだ。原因の一つに日光過敏症がある。日光を浴びると紅斑になり、疼痛を覚える。その形が翅を広げた蝶のように現れることが多いから蝶型紅斑なんていうんだ」
ん? もしかして、これって人間の病気か?
「で、だ。このエリテマトーデスは顔だけに限らない。というか顔だけのほうが珍しいしな。全身性エリテマトーデス、日本語で膠原病というんだが、これは罹患するのは圧倒的に女性が多い。難病指定もされているから速やかに病院に行くことだ」
難病。その単語はなんとも嫌なものだ。
だが、『怪』じゃない。
一般人の認識が及ぶ所じゃない理不尽の塊みたいな室長の専門分野ではない。
つまりは、百怪対策室はお呼びじゃないということだ。室長が言っているのはそういうことなのだろう。
あまりの肩すかしに僕はどっと力が抜けてしまう。
「なんだコダマ、本当に気付いていなかったのか。まったくキミの浅学非才っぷりにはほとほとあきれ果てるな」
ついでのように僕をけなしてくれるが、今は我慢しよう。
僕のことよりも弥里さんのほうが先決だ。
弥里さんを見ると、どこか放心してしまっているような様子だった。
「弥里さん、弥里さん!」
僕は肩を揺すって呼びかける。
「……は、はい!」
なんとか戻ってきてくれたらしい。
このままやる気の無い室長のいる百怪対策室にいてもしょうが無いので、僕は弥里さんに提案する。
「病院に行きましょう。僕は力になれませんけど、きっとお医者さんが治療を行ってくれるはずです」
「え……あの……」
なぜか弥里さんは歯切れが悪い。
なんでだ? 人間の病気だとわかったら打つ手はあるじゃないか。
「コダマ、そのお嬢さんは自分が吸血種だという思い込みを否定されたくないんじゃないか? 非日常に憧れてしまう心境はわからんでもないが、人間には分相応の生き方があるということを私が教えてやる」
そう言ってから室長は無造作に自分の左腕を右腕で掴む。
「室長なにを……」
「黙ってろ」
ぶぢり。
なんとも生々しい音と共に、室長の左腕が引きちぎられる。羽織っている白衣の左肩部分が一気に真っ赤に染まる。
「……え?」
弥里さんのそんな声が聞こえた。
多少は白衣が出血を吸ってはいるが、それでも焼け石に水だ。どんどん白衣が真っ赤に染まっていく。
「何を……⁉」
「吸血種っていうのはこういうものだ、という実演だ」
ぷらぷらと右手に持った左腕を振りながら室長は何でも無いことのように言う。
だが、かなりのショッキング映像を見せられてしまった僕としては正直あまり気分がよいものではない。
「いや、腕ちぎって……何がわかるっていうんですか?」
「こういうことがわかる」
次の瞬間、熱したフライパンに水滴を垂らしたような音を立てて、ちぎられた左腕が蒸発した。
そして、めきめきと音を立てて室長の左腕が生えてくる。
……流石に、これは予想していなかった。
怪物映画のワンシーンみたいな光景はすぐに終わった。
室長の左腕は何事もなかったかのように再生してしまったし、白衣に広がっていた血もきれいに蒸発してしまっていた。
まるで、何もなかったかのように。スプラッタな行為なんて存在していなかったかのように。
「吸血種というモノはこういう存在だ。お嬢さん、キミが憧れているような存在じゃない。もっと残酷な存在だ」
淡々と、諭すというよりも事実だけを述べているように室長は弥里さんを見る。
弥里さんは、顔面蒼白になってしまっていた。
たぶん、僕もそうなっていることだろう。いくらなんでも予告なしはキツイ。
「こういう存在になってしまってもいいというのならば、それなりに代償も必要になってくる。キミが難病に罹ってしまったことは気の毒だとは思うが、現実逃避をしていても仕方が無い。再度言おう、病院に行くことだ」
それだけ告げると、室長は再びパイプを手に取り、咥えた。
もう言うことはない、という意思表示のように僕には見えた。
「……わかりました。お手数をおかけしました」
弥里さんの声は消え入りそうだった。
足早に、弥里さんは応接室から出て行ってしまった。
僕はそれを見送ることしかできなかった。
「コダマ、彼女を追うんじゃないぞ。キミはキミの事を精一杯やれ。他人の事まで背負い込んでしまうにはキミはまだ若すぎる」
何処を見るでもなく、室長は呟いた。
なぜか僕には、室長が自分に言い聞かせているように思えた。