第五怪 その2
小唄のお願い(っていうか脅迫)を受けてからの夕方。僕はとある駅に来ていた。というか駅舎の待合室にいた。
なぜかというと、そこで小唄は例のメッセージを送ってきた人間と待ち合わせをしていたのだった。
もし僕の弱みを握っていなかったらアイツは一体どうするつもりだったのだろうか? その場合は想像したくもない手段をとっていたのだろうが。考えるだけ無駄か。
正直、逃げたい。
どんな人物がやってくるのか想像も出来ない。両腕に包帯をぐるぐるに巻いていたり、ゴスロリが来たり、意外性を狙ってギャルが来ても驚かないように心の準備だけはしておこう。っていうか僕はなんですでに依頼人が女性だって決めつけているんだ? ここ最近、女性からの依頼ばっかりだったからか? なんだか自分の性欲の一部分を垣間見てしまったようでなんとも悩ましい。
そんな風に反問している僕に近づいてきた人間がいることに気付く。
あまり音がしないところを見ると、革靴とかヒールじゃないようだが、まだ待合室に入ってきたばかりだろう。気配はまだ遠い。
僕は入り口に背を向けるように座っているので、姿を見ることはできないがドアが開いたかどうかぐらいはわかる。
入ってきた人物はどうやら待合室に僕しかいないことを確認しているようだった。入ってきたその場から動いていない。
が、僕の他には誰もいないことを確認したのか、僕の方に近づいてきた。
「……あの、貴方がポニーテール解決人さんですか?」
……できればそのアホな名称で僕のことを呼んで欲しくはなかった。しかたがないことではあるのだが。
「ええ、多少の込み入った事情はありますが、僕がそのアホな名前を名乗っているヤツだと思って……い……いで……すよ?」
答えながら僕は振り向き、言葉が上手く紡げなくなる。
なぜならば、僕の目に入ったのは夕方とはいえ夏真っ盛りに黒の長袖のタートルネックに長ズボン、そしてご丁寧に黒革の手袋までしており、黒のニットキャップを被り、トドメに顔全体を包帯でグルグルに覆ってしまっている人物だったからだ。
え、なにこれ。
「ごめんなさい。わたしも貴方のお名前を聞くわけにはいかなかったし、ポニーテールの男性としか聞いてなかったので確認させてもらいました」
念の入ったことにサングラスまでかけているので、まったく相手の表情もわからないが、恐縮しているらしいことは伝わる。
とは言っても、口まで包帯で覆っているので声はくぐもったものだったが。
「自己紹介、は後にして落ち着いて話せる場所に移動して、詳しいお話はそれからということにできませんか? ここは人も通りますし」
包帯さん(失礼な仮称だとは思うのだが、ここはそう呼ばせてもらう)はそう言いながら僕を見ているのだろうが、はっきり言ってこれまでになく僕はダッシュでこの場から逃亡したかった。さっきまでは小唄と室長の手のひらの上で踊っているような感覚からの反抗心のようなものからだったが、今は純粋に恐怖から本能的逃走欲だ。
が、曲がりなりにも『怪』と関わってきた僕のちんけなプライドが、なんとかみっともない逃亡は防いでくれた。
見栄を張りたいお年頃なのだ。
「わ、わかりました。場所はお任せしてもいいですか? 僕はこの辺の地理には詳しくないもので」
結局、絞り出すことができたのは相手に全投げするという愚行だったが。
「はい。じゃあ、ついてきてください。わたしは人目につきますから、少し離れていた方が良いと思います」
……その格好が目立つっていう自覚はあるのか。
となると、この包帯さんはなぜこのような格好としているのだろうか?
それが、『解決して欲しいこと』なのだろうか?
疑問はあったのだが、現時点では僕はそれを尋ねることはできずに、歩き始めた包帯さんの後をついていくことしかできなかった。
駅から十分ぐらい歩いただろうか?
多少は喧噪も薄れ、住宅も増えてきた。
そんな場所の一角にあるマンションに包帯さんは入っていった。
見失ってはまずいので、慌てて僕もそのマンションに入る。幸いにもオートロックではなかった。
一階の一〇五号室。その前で包帯さんは止まると、鍵を差し込んで解錠し、慣れた動作で中に入っていった。
「入ってください。わたしの部屋なので遠慮無く」
は?
なんでいきなり自宅なんだ?
いやいやいやいや、一応僕は男だぞ? そして顔こそわからなかったが、体つきから包帯さんは女性だということはわかっている。
女性がいきなり知らない男を家に上げるのか? 世間一般ではそうなのだろうか?
ううむ、世の中はどうにもまだまだ僕の知らないことだらけだ。
「あの……どうかしましたか?」
心配そうな包帯さんの声で僕はトリップから戻ってくる。
「いえ、何でもありません」
おざなりにごまかして、僕は玄関に入る。
包帯さんは靴を脱いで廊下に上がった僕と入れ替わるようにしてドアの鍵を掛けた。
……いざという時に逃げづらくなってしまった。
まあ、本当にいざという時には窓でもぶち破って逃げるが。
「どうぞ……散らかってますけど」
包帯さんにそのままリビングに案内される。
どうやらこの部屋はキッチンとリビングで分かれているようだった。
リビングは『散らかっている』という包帯さんの自己評価に反してきれいなものだった。
潔癖症気味、と小唄からは評されている僕でもきれいだと思ったのだから、むしろ人によっては生活感がないと表現するかも知れないぐらいだ。
そんな部屋だが、所々には女性らしい小物やら、アロマなんかが置いてあって、うら寂しいような感じは受けない。
包帯さんに勧められるままにクッションに座る。
おお、ふかふか。なんだかクッションが僕の体重に負けてしまいそうで申し訳なくなってくる。
包帯さんはテーブルを挟んで僕の向かいに座る。
「……」
「……」
気まずい沈黙が流れる。
ここは僕から話し始めるべきなのだろうか? だが、一応は向こうから助けを求めてきてるのだから口を開くのを待っていた方がいいのか? こういう時のためのレクチャーとかのほうが普段しているどうでもいい話よりも何倍も役に立つと思いますよ、室長。
「あの……まず、お名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
包帯さん(いい加減にこの呼び方も失礼だとは思うが)はおずおずといった様子で切り出してきた。まあ、僕もポニーテールの解決人という変な名称のままでラベリングされているのは甚だ不本意なのでちょうど良いだろう。話し始めのきっかけとしても。
「空木コダマ。特殊な読み方なんであんまり気にしないでください。名前のほうはカタカナです。……じゃあ、そちらのお名前を伺ってもよろしいですか?」
「弥里美代です」
なるほど。包帯さんは弥里さんというわけか。……普通の名前でよかった。
さて、ではとっとと始めることにしよう。
「じゃあ、弥里さん。一応、僕は警察とかには相談できないような、相談しても一笑に付されてしまうような物事に関わってきた者です。そんな僕になにをして欲しいんですか?」
正確には室長に、だけど。ここは省略しておいた方がいいだろう。余計な不安感を与えてしまうのはよろしくない。
包帯の上からでも弥里さんが逡巡しているのがわかった。
ここまで来させておいて何を今更と言いたいところだが、そこが微妙な人間の感情の機微なのだろう。
思ったよりも短い逡巡の後に、弥里さんは言った。
「吸血鬼になってしまったわたしを、助けてください」
4
さても、さてもさてもさてもさても。
なんともわけがわからないを通り越してシュールになってきてしまった。どうしようか?
状況を整理したい。
なり損ない吸血鬼の僕に、吸血鬼になってしまったと主張する女性が助けを求めている。
ふーん。世の中って理不尽だな。
……いや違うだろ!
この際、僕自身のことはどうでもいい。
問題は弥里さんが吸血鬼になってしまっている、と主張していることだ。
「……すいません。失礼かもしれませんが、本気で言っていますか? 僕はジョークとかはあまり上手くないので、理解できなかったのかもしれません」
「本気です! わたし、本当にどうしていいかわからないんです! もう、誰に頼って良いのかさえも……」
弥里さんは身を乗り出して叫んで、そしてテーブルに手をつく。まあ、その手は未だに手袋をはめていたし、顔も包帯でグルグルのままだったので、見ようによってはかなり不気味だったのだけど。
だが、嘘はいっていないのだろう。
少なくとも彼女の中では吸血鬼になってしまっていることは事実なのだ。
下手に刺激するのはまずい。こういう思い詰めている時にはとにかく話を聞いてあげるのが一番だ。主に小唄のせいで僕はすでにそういったことを学習していた。
「わ、わかりました。とにかく、吸血鬼になってしまったっていうのはいつからなんですか? まずはその辺りの話から聞かせてください。情報がないことには僕もどうしようもありません」
どうどうと、“落ち着け”というジェスチャーをして弥里さんをなだめにかかる。
その動作が効いたのか、それとも話を聞かせて欲しいという部分に反応したのかはわからないが、なんとか弥里さんはクッションに座り直してくれた。
「……始まったのは二ヶ月ぐらい前になります。そこからどんどん進んできてしまって、今では日光に当たるだけで『こう』なってしまうんです」
するり、と初めて弥里さんは左手の包帯を解く。
現れたのは、女性の腕だった。
だったのだが、その腕は火傷でもしたかのように真っ赤になっていた。
それも、その部分は腕全体に広がっている。
痛そうとかそういうレベルじゃなく、見ているこっちまで腕が痛みそうだ。
怪我、というか、炎症だろうか? だが、問題が一つある。
弥里さんは何が原因で『こう』なってしまったと言った?
日光?
日の光に当たると焼けただれてしまう。そんなの、まるで……
「吸血鬼、ですよね。こんなの」
悲しげに弥里さんは呟いた。
その通りだ。
僕はなり損ない吸血鬼なので日光に当たっても、かゆい程度で済んでしまっているのだが、純粋な吸血鬼である室長はどうなのだろうか?
百怪対策室には日光が全く入ってこないように窓がない。
一応、室長は日光に当たっても僕以上にかゆいのと、いくつかの能力が発揮しきれないというのはあるらしいが、このようになってしまうということはない。
が、同時に室長はそのときに言っていたのだ。
『吸血種と一口に言っても様々な種類がいるんだ。強力な再生能力を有している種族もいるし、変身能力持ちもいる。そのへんは様々だ。ゆえに、吸血種というカテゴリだからといって決めつけるんじゃない。まあ、日光に弱いのは共通なんだが』
執拗に吸血鬼とは言わない室長だったが、それでも日光が弱点は共通しているとは言っている。
ならば、弥里さんも再生能力が弱いだけの吸血鬼という可能性だってあるだろう。
弥里さんの言っていることが本当だとしたら、僕としてはどうにかしてあげたいものだ。貴合縁奇縁というか、望まずに吸血鬼になってしまった者同士、助け合うぐらいのことはしてやりたい。
ここまで炎症が広がってしまっているのは辛いだろう。そのうえ、全身『こう』だと弥里さんは言っているのだ。
見るからに怪しい格好も、なるべく日光を浴びないようにするためにやむを得ずに取った手段というわけだ。
最初にドン引きしてしまった僕がどれだけ失礼なヤツかということが痛感させされる。
その償いというわけでもないが、僕は弥里さんをどうにかしてあげたいと思ってしまった。
「わかりました。弥里さん、貴方を救えるかも知れない人のもとに案内します」
「え?」
虚をつかれたような声で弥里さんは反応する。
まあ当然だろう。普通僕が解決すると思うよなあ。
しかしながら、僕は所詮、受付窓口のようなものに過ぎないのだった。
「安心してください。連れて行く場所は怪しいですけど、そしてそこにいる人物も怪しいですけど腕は確かのはずです」
自分で言ってって大丈夫だろうかと心配になってくる。
誰が信用するんだ、これ?
「はい、お願いします。わたしを助けてください」
僕の心配はまた空振りに終わってしまったようだ。