第五怪 その1
0
突然だが、自分自身が本当に人間であると確信している人はいるだろうか?
当然のことながら、僕は自身が人間であるとは胸を張って言えない。不可抗力というか、僕自身に起因することだとはいえ、超能力者。室長曰く念動力。その上になり損ない吸血鬼だ。
いやいや、なんてバトル漫画の主人公だよ。僕は生まれてくる星を間違えたんじゃないだろうか? もっと重力百倍の星とか、成人するまでに百人の敵を倒さないと死んでしまうような星に生まれている方がなんぼか説得力があろうというものだ。
そういうわけなので、僕が口出しできる問題ではないのかも知れないが、僕は“貴方は人間であることに確信を持っているのか”という問題を提起してみる。
またまた僕を例に出すようになってしまって申し訳ないが、僕が自分を人間であると言わない理由はキスファイアやらとやりあった経験が大きい。
人間なら死んでいた。
キスファイアの被害者と僕とで生死が分かれた理由はそれだけだ。
あのときは吸血鬼の再生能力に助けられたのだが、同時に自分が人間でないことを否応なしに自覚させられてしまった。
なんとも因果なものだ。
ゆえに、僕はキスファイアに襲われても生き残った僕は人間ではない、という結論を導く。
だが、この考え方は危うい。
容易に間違った結論に結びつく。
Aという条件を満たすモノが存在したとしよう。
そしてここにもう一つ、Aという条件を満たさない別のモノを用意する。
Aという条件に基づいてこの二つを比較してみれば、別のモノだ。考え方としては間違っていない。
ただ、これは絶対的不変性を持つ存在においてのみ適用されるということを知っていて欲しい。
室長の言を借りれば、『存在しているということは揺らいでいるということ』なのだ。
一つ二つの条件で判別できるほどには世の中は単純ではないし、そもそも前提として判別のための知識は非常に多岐に亘っている。
当然、全部を知っている人間なんていないのだが。
1
「お兄、お兄は、お兄とき、お兄へども、お兄らず、お兄。……起きろお兄! この宇宙一のラブリー妹の小唄ちゃんが起こしに来ちゃったんだから速攻で起床! 後にひれ伏して感謝しないとだめだよ」
どんどかどんどかと景気よく僕の部屋のドアをぶったたきながら小唄のアホは朝からとばしてくる。
せっかく普通に起きることが出来たと思ったらこの仕打ちだ。僕が一体お前に何をしたんだ? 借金今すぐに取り立ててもいいんだぞ。
ドアごと蹴り飛ばしてやりたかったのだが、流石になり損ない吸血鬼の僕がそれをやってしまうと、本当にドアごと小唄がぶっ飛んで行きかねないので自粛する。
ため息をつく。きっと今の僕は眉根にしわが寄っていることだろう。鏡無いからわからないけど。
なるべく機嫌が悪い表情になっていることを祈りながら僕は布団から脱出してドアを開ける。
「おはようお兄。今日も小唄ちゃんが可愛いでしょ? 可愛いよね? 可愛いって言え」
「どこの皇帝だよお前は。あとなんだ? あの不気味すぎる活用もどき。お前は僕をなんだと思っているんだよ」
「家畜」
よしぶっ殺す。
にかーと笑って言う台詞じゃあないなあ、それは。
そしてその後に手を口元にもってきてクスクス笑っているんじゃない。
……本当に僕をからかうことに関しては全力投球の妹だ。
朝一番から頭が痛くなってきた。
こんなやりとりに朝の貴重な時間を使っているのも馬鹿らしいので、僕はとっととドアを閉めて鍵を掛ける。
「お、最近急にプライバシーに目覚めてしまったお兄は部屋の中で一体何をしているのでしょうか? 好奇心旺盛な小唄ちゃんは気になってしかたないよ」
「うっさい。お年頃なんだよ」
僕の手から鍵をくすねようとしてる小唄の手を躱しながら僕は一階へ続く階段を降り始める。
「ねえねえお兄。この間さあ、お兄のバイト先の人と知り合ったじゃない?」
……ああ、そういえばつい先日の件では、室長は小唄から僕が幽霊電車に関わっているのを聞いたのだった。
つまりは室長と小唄には接点がある。
……すげー嫌な予感しかしない。具体的に言うと、僕の心労がかさみそうだ。胃に穴が開くことを心配する高校生とか嫌すぎる。
「だからなんだ? 室長から僕に対しての全権を移譲されているわけでもないんだろ。話すことはないな」
僕の隣で一緒に階段を降りる小唄を牽制する。
その室長みたいなにやにや顔を止めろ。すっげー似てるから。
「まあまあ、そんなに警戒するでないよ。小唄ちゃんは何も悪魔とかそういう存在じゃあないんだから、そんなに警戒しないでもいいんだよ?」
「キャラがブレてるぞ妹。いいから僕の周りでうろちょろするな。危ないだろ」
僕もそんなに長身というわけじゃないが、小唄は中学生女子にしても小柄な方だ。ゆえに、ぶつかったら吹っ飛ぶのは小唄だし、何よりも階段から転げ落ちて怪我で済んだら良い方で、最悪死亡だってあり得る。階段から落ちて死んだ、なんていう間抜けな死因になってしまうことは流石にこのひねくれ妹でも勘弁願うところだろう。
「もー、お兄っておつむの回転が安定してないよね。変なところでは早いくせに、こういうときには全然回転が足りてないよ。ナックルボールだよ」
関係ないだろ、ナックルボール。変化球に例えるな。そして、ナックルボールは予想できない変化が特徴だろうが。それじゃあ僕がとんちんかんな思考を経ているようになる。
突っ込みたいことは色々あったのだが、こういう場合は突っ込んだら余計に話がそれていくことは知っている。なにせコイツが生まれてからの付き合いなんだ。こういう時には何も言わないのが正解だ。そのうちに耐えられなくなって勝手に用件をしゃべり始める。
僕の予想は正しく、階段が終わり一階の床を踏んだ瞬間、小唄は得意そうな顔を止めて無表情になる。
「お兄にさ、ちょっと頼みたいことがある人がいるんだよね。その人、けっこう困っちゃってるみたいで、悲壮感に満ちあふれていちゃってるから、小唄ちゃんとしては助けてあげたいんだよ」
ほい始まった。ちょろい妹だ。
「へえ、お前の知り合いなんだからさっさと助けてやったらいいだろ? それとも助けられないような事情でもあるのか?」
ここで僕は小馬鹿にするように鼻を鳴らすのを忘れない。
マジモードの小唄はこういった挑発への耐性が著しく下がっている。
案の定、小唄は体ごと僕に向きなおった。
「知り合いっていうは外れてるけど他は概ねその通り。だって流石の小唄ちゃんも、化け物は相手したことないもん。そういうのはお兄、っていうかヴィクトリアさんの領分なんでしょ? そして、ヴィクトリアさんはお兄に尖兵を務めるように指令を下しているって小唄は聞いたよ?」
僕は悪の組織の下っ端か。
後半は間違ってはいないが。
「まあ、そうだな。一応はそういうことになってるな。っていうかお前どこまで聞いているんだよ」
場合によってはコイツに箝口令を敷く必要がある。
「ん~、まあ、お兄がぁ~キスファ……むぐっ」
物理的に口を閉じさせた。
室長め! 一般人になんてこと教えてるんだ⁉ キスファイアは統魔が回収したんだから教えたらまずいんじゃなかったのかよ⁉ なにやってんだよ!
「むぐぐっむぐんぐ。むむむむ!」
小唄は何かを言おうとしているのだが、僕は決して手をどけない。
先に言い含めておく必要がある。
口を塞いだままで小唄にささやく。
「いいか小唄……絶対に僕や室長が、というか百怪対策室がその事件に関わっていることを他で言うな。お前も危なくなるからな」
目を丸くして、小唄はこくこく頷く。
なんとか素直に了承してくれたので僕は小唄の口から手をどける。
ふう、と思わず安堵の息が漏れる。
「……まさか本当に関わっていたんだ。小唄ちゃんはひょうたんから駒だよ」
――――――――は?
「いやいや、ネットの噂でポニーテールの少年が目撃されていたっていうのはあったんだけど、まさか本当にお兄だったなんてね。これは思っても見なかった事態。カマをかけたらここまで見事に引っかかるだなんて……お兄ってアレかな? 小唄ちゃんをどうしたいのかな?」
あっけに取られた顔で小唄はそんなことを言っている。
ナニヲイッテイルンダ、コイツハ?
「っていうか、お兄。今のは一世一代の自爆だったね。これで小唄ちゃんは弱みを握っちゃったよ?」
にやにやと小唄はいつもの僕をからかうモードに移行する。
僕は……間抜けか。こんな古典的なトラップに引っかかってしまうとは。
「もうこれは小唄ちゃんの頼みを聞くしかなくなっちゃたね~。うひひ」
まるで獲物をいたぶる猫のような目をして小唄は笑う。
これはまずいことになった。
急転直下だ。
何でこんなことになった? 僕がアホだからだ。小唄に対して呆れていた数分前の僕を殴ってやりたい。
後悔先に立たずとはいうが、ここまで実感することになるとは……!
「ちょっとちょっとお兄? 頭抱えて悶えてないでこの場合は小唄ちゃんの頼みを聞いた方が良いんじゃないかな? ん? んん?」
うぜえ。っていうかホントにぶん殴りてえ。
が、ここで短気を起こして僕の情報が拡散してしまうのは避けたい。小唄のネットワークは僕の比じゃない。コイツが本気で広めようと思ったら明日には町中の中学生がコトを知る羽目になってしまう。
なんて世の中だ。
「……わかったよ。言えよ、僕に相談したいことっていうものを」
暗澹とした気分で僕は言った。
「うへへへーい、やっぱり小唄ちゃんは神に愛されちゃってるね。お兄が快諾してくれるだなんて!」
とてもわざとらしく小唄は諸手を挙げて喜んだ。
2
「SNSで?」
「そうそう。小唄ちゃんもSNSを始めちゃったりしてるんだよ。この高度情報化社会に適応しないとね」
空木家のリビング。小唄はソファに座り、僕は端から持ってきた折りたたみの椅子に座っている。
ちなみに両親は今日も朝早くから仕事に出かけてしまっている。学生は夏休みでも社会人には関係ないらしい。いつかは僕もああいう生活になってしまうのかと思うと多少憂鬱だ。
それは置いておくとして。
ポケットから小唄は自分のスマホを取り出し、何かの操作をした後に僕に画面を向けてくる。
〈ポニーテール解決人☆奇妙事件相談所〉
そんな名前のアカウントが表示されていた。
「どこの沸いてるヤツだよ。こんな名前のアカウントにしてるのは」
「小唄ちゃんだよ?」
侮蔑の眼差しを妹に向かって放つ。
……いや、よく考えてみなくても小唄はまだ中学二年生。そういう年頃なのだろう。あまり刺激してしまうのもよろしくないか。
そう考えて、僕は無理矢理に微笑みを浮かべる。
「……なんかさぁ、お兄は勘違いしてると思うけど、小唄ちゃんはわざとこういう名前にしてるんだからね? こういう馬鹿っぽいほうが本物がやってきたりするんだよ」
「ああ、そうだな。きっとそうだ」
気のない返事を返すが、正直僕はげらげら笑いそうになるのを我慢するのに必死で大変だった。いかん、頬の筋肉がつりそうだ。
「でね、このアカウントに送られてきたメッセージが、これ」
何度か操作して、また小唄はスマホの画面を僕に向ける。
やっと笑いの発作が治まりかけてきた僕はなんとかスマホを受け取って、メッセージとやらを読んでみる。
〈初めまして。突然のことで失礼だとは思いますが、わたしの身に起こっている事を解決していただけないでしょうか? このままでは近いうちに命が危ないのです。どうか、助けてください〉
「ただの悲劇のヒロイン症候群の人だろ」
「お兄って冷淡だよね。そういうことは思っていても言ったらダメだと思うなぁ~。絶対に女子にもてないタイプだね」
うっさい。僕の異性関係に対してお前が口出しする権利はないだろうが。例え質問されても徹底的に黙秘を貫くからな! 僕は!
「まあまあ童貞のお兄。そんなにカリカリしてないで他のメッセージも見てみるといいんじゃないかな」
いやに自信たっぷりに小唄が言うので、僕もついつい同じアカウントから送られてきている他のメッセージを閲覧する。つうかさらっと僕を童貞扱いしたな? ……童貞だけど。
〈先日のメッセージは読んでいただけましたか? 出来ればお返事が頂きたいのです。ただで頼みを聞いてもらおうなどとは思っていません。きちんとお金はお払いいたします〉
〈お願いします。わたしを助けてください。わたしは他に頼れそうな人がいません。藁にもすがる思いであなたにお願いしています〉
〈助けてください。お願いします〉
〈助けて。わたしはまだ生きたい〉
まあ、そんな感じだった。
段々追い詰められていってないか? 怖い。
うーむ。正直、文面からは関わりたくないタイプの人間にしか思えない。
絶対面倒くさいタイプの人物だ。こういうのは接触するだけで僕が火傷するのが目に見えているのだが……
「なあ、小唄。もしかしてお前これ承諾したりしてないよな?」
「しちゃったね~。もう小唄ちゃんは天使のように優しいから昨日の夜に承諾しちゃったんだよね。そしてお兄はさっき小唄ちゃんに弱みを握られちゃってるよね?」
にたり、と笑う小唄は、天使というよりも悪魔よりだった。