第四怪 その4
4
幽霊電車は七輌編成だった。つまりは七輌分の着地の猶予があると言うことだ。
厳密には、着地の後に多少は後ろに転がってしまうから、その分は考慮しないといけないので無事に幽霊電車に取り付くためには最後の一輌は避けるべきなのだろう。
まあ、僕が着地したのは三輌目だったのでいらない心配だったけど。
ごろごろと慣性の法則に従って僕は転がるが、屋根部分にめり込む勢いで掴まることでなんとか車両の上で停止する。
アクション映画かよ。
自嘲的な考えが浮かんでくるが、知ったことじゃない。
風を受けながら、僕は立ち上がる。
電車の上に乗っているというのに、振動は全くといっていいほどに存在していない。
僕が立っている屋根部分も真っ黒で、夜の闇に溶け込んでしまっているため、ちょっと勘違いしてしまうと自分が空中に立っているような気分になってしまう。
浸っている場合じゃない。この電車がどこに向かっているのかわからない以上、あまり滞在するのはまずいだろう。速やかに侵入して美音ちゃんの魂と、おばあちゃんの魂を保護した方が良い。
決断するが早いか、僕は思いっきり踏みつけを敢行する。もちろんなり損ないとはいえ、吸血鬼のパワーなのだから普通の素材ならひん曲がるか、ぶち壊れるのかの二択だ。
だが僕の踏みつけは、まるで柔らかな綿でも踏んだかのような感触が足に伝わっただけだった。
くっ……流石に普通の方法は通用しないか。なら……!
最大限に僕は真っ黒な屋根部分に対して集中する。
ふわり、と僕のまとめている髪が浮き上がるのがわかった。
今だ!
引きちぎるイメージで、僕は能力を行使したはずだった。
が、結果だけを述べるなら、全く何も起こらなかった。
僕の全力の一発は、不発に終わってしまった。
あまりの事態に愕然となる。
今まで僕の能力が発動して何も起こらなかったことはない。家で練習しているときにもきちんと全部発動したんだ。
なのに、コイツには通用しなかった。
なんなんだよ、この電車は……
未知すぎる。
正直なめていた。電車に侵入することはそこまで難しいとは思っていなかったんだ。なのに、僕はそんな部分で躓いてしまっていた。
どうする? どうしたらいい? このままじゃあ、美音ちゃんも、おばあちゃんも助けることができない。そんなのは……嫌だ!
「うらぁっ!」
今度は体ごと倒れ込むようにして拳をたたき込む。もちろん全力で、だ。
しかしそれでも、僕の拳にはほとんど手応えがない。綿を殴っているような感触があるだけだ。
「なんで⁉ なんでだよっ!」
両膝をついて拳を打ち込み続けるが、感触はやはり変わらない。
何度も何度も、僕は拳をたたき込むが、効果はさっぱり見えない。
「壊れろよっ! 壊れろっ!」
半分涙目になりながら僕が拳を叩きつけ続けていると、唐突にその声は聞こえた。
『乗車希望のお客様ですか?』
すさまじく平坦な、しかしながら丁寧な口調の声だった。発生源はわからない。
きょろきょろと僕は周囲を見渡すが、景色が流れていっているだけだ。
『乗車希望のお客様ですか?』
再び、声が聞こえた。
相変わらずどこから言っているのかは皆目見当もつかないが、今は電車に侵入できるのならば乗ったほうが良いと思った。
「乗車希望です! 電車の中に入れてください!」
叫ぶ。
そこまではしなくてもよかったのだろうが、焦っていた僕はつい力が入ってしまったのだった。
『承知しました』
その声が聞こえた瞬間、僕の意識は暗転した。
5
気がついたときには僕は電車の中にいた。
おそらくは幽霊電車の中だ。
なにしろやけに暗い。寝台車両でももうちょっとは明るかろうというぐらいに暗いのだ。僕が中途半端に吸血鬼化してなかったら何も見えなかっただろう。
電車の中はそれなりに人、らしきものがいた。
なぜ、“らしき”なのかというと、少しばかり透けているからだ。
幽霊……か。まさか体験することになるとはおもっていなかった。いや、百怪対策室で室長の手伝いをしているのならば遅かれ早かれ遭遇することにはなるだろうとは思っていたのだが、まさか僕単独で、しかもこんなに大量にとは思っていなかった。
ごくり、と僕は唾を呑む。
慌てるな。その辺の幽霊ぐらいならどうにでもなる。いざとなったら全力でひん曲げてやればいいだろう。
室長曰く、僕の能力は霊体にも多少は干渉できるはずなのでそのつもりだった。
ゆっくりと、僕は美音ちゃんとおばあちゃんを探しに歩き出した。
幽霊達は全く僕には関心がないようだった。
微かなささやき声から聞こえてくるのは、家族のことがほとんどだった。それでも、残してきた家族に対する口が多いのは人間らしい。
そんなことを思いながら幽霊をかき分けつつ進んでいると、見つけた。
美音ちゃんだ。間違いない。横顔だけでもわかる。美音ちゃんが元気だった頃に撮影したという写真のままだった。
見た目は小学校の中頃ぐらいか? だが彼女は国束さんと同い年だから本来ならば中学生なのだ。ゆえに、これはおかしいことだ。
まあ、美音ちゃんは死んでしまっているのだし、ここに居るのは幽霊ばかりなのだろうから当然のように幽霊だろうし、不思議でもない。
美音ちゃんが椅子部分に膝をついて窓から外の景色をただ眺めていた。
驚かせないようにゆっくりと僕は近づき、声をかけた。
「やあ、きみは小野原美音ちゃん?」
呼びかけられたことに反応して、美音ちゃんが不思議そうな顔をして振り向いた。
「あなた……だれ?」
「きみの救助を依頼された者だよ。国束さんに頼まれたんだ」
美音ちゃんを驚かせないように、そして周りに気取られないように僕は小声で告げる。
驚きの表情の後、美音ちゃんは急に慌てて僕に顔を寄せてきた。
「あなた、生きてるの⁉」
小声で怒鳴るというちょっとした小技を披露してくる美音ちゃんだった。
「そうだよ。きみをここから連れ出すために来たんだ。さあ、僕と一緒に出よう」
「……だめ。わたしはここにいないといけないの。そういう“ルール”だから」
いやに真剣な眼差しで美音ちゃんはそんな風に僕の誘いを断る。
想定していなかった事態に、僕は困惑してしまう。
……美音ちゃんはここに囚われたままがいいということだろうか? そんな馬鹿な。
こんな場所に閉じ込められているのがいいはずがない。それが僕の独善だとしても、少なくとも国束さんは美音ちゃんがこんなところにいるということを望んでいないんだ。その想いぐらいは酌んでくれても良いんじゃないだろうか。
そんな風に僕は美音ちゃんに食い下がろうとした。
だがその反論は言葉にならなかった。
なぜなら、美音ちゃんの隣に座っているのが、ぼくのおばあちゃんだということに気付いてしまったから。
思考が、停止する。
死んでしまったおばあちゃん。二度と会えないと思って、泣きじゃくった日のことは未だに鮮明に覚えている。
そのおばあちゃんが、いた。
「お、ばあ……ちゃん……」
思わず、声が漏れる。
耳聡くそれを聞きつけ、おばあちゃんは顔を上げる。
ああ、おばあちゃんだ。美音ちゃんと一緒にここから救出しようと思ったおばあちゃんだ。
鼻の奥が少しだけツンとする。
涙がせり上がってきそうになるが、流石にそれは僕の矜持が押しとどめてくれた。
「あら? コダマちゃん? 死んじゃったの?」
「ううん、おばあちゃんとそこの美音ちゃんをここから連れ出すために来たんだ」
ちょいと声が震えてしまっていたのは勘弁願いたい。あり得ない再会を果たしてしまったんだ。
口調がどことなく幼児化してしまっているのも当然だ。
「……だめよ、コダマちゃん。私たちはここにいないといけないの。決まりだから」
おばあちゃんも、美音ちゃんと同じ事を言う。
その顔は悲しそうだったが、たしかな意思を感じた。
なんなんだ? 一体どうなっているんだ? 僕は、助けに来たはずだろ? 何で拒否されるんだ。僕が間違っているのか?
わからない。わからないことだらけだ。僕は一体何を知らないんだ?
拒否されたという事実と、僕の中に生じた疑問と焦燥がぐるぐると回る。
僕はちゃんと立っているのか、それすらもわからなくなってくる。
立てなくなりそうになった僕の耳にある音が聞こえてきた。
着信音。
それは僕のスマホが奏でる着信音だった。
反射的に手に取る。
着信は、室長からだった。