第四怪 その3
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ギッシャアァァァァアァア!
すこぶる不愉快な、まるで断末魔のような音声によって僕は目覚めた。
枕元にあるのは小唄のヤツが買ってきた目覚まし時計。
これまた醜悪な怪物の腹に無理矢理時計盤をはめ込んだみたいな悪趣味な造りの一品となっている。うん、女子中学生が兄に送るプレゼントとしては絶対に間違っているし、そもそも以前小唄が買ってきた目覚し時計は僕の手によって強制的にその使命を終えてしまったことを忘れたのだろうか?
余計なコトに神経をすり減らす前にやることがあるか。
……この目覚し時計もそのうちに永遠の機能停止に追い込む必要があるが。
僕は突っ伏すようにして寝ていた机から頭を離す。どうやら考えている内に眠ってしまったようだ。
だが、一応あの幽霊電車にどうにかして接触する方法は考えついた。
後は実行するのみだ。
変な姿勢で眠ってしまったせいで強張ってしまっている全身をほぐしながら、今日はどう過ごしたものかとごく平和的な考えを展開する。
結論として、いますぐやってくるであろう小唄をどうにかするほうが先決か。
ドンドンドンドンドン!
「お兄~、ちょっとお兄、ちょっとちょっとお兄? 起きてるなら早く部屋から出てこないと小唄ちゃんのすこぶるラブリーな拳が火を噴くよ? もうそりゃあさながら火山噴火のように激しく、そして海底火山のように迷惑に」
自覚はあるのか。じゃあちっとは直せや。
激しく僕の部屋のドアをノック(というよりもパンチ)しながら戯言をほざく妹に少しばかりの頭痛を覚える。
コイツはこんな性格で将来大丈夫なのだろうか? 兄である僕や、両親には迷惑を掛けないように見張ってないといけないのか? それは勘弁して欲しいのだが。
「おいこらお兄。早く起きてこないと小唄ちゃんは友達にお兄の恥ずかしい寝言を教えちゃうぞ☆」
……この場で葬っておく方が得策な気もしてきた。
が、流石に殺人を犯してまでやっておくことでもない。渋々、僕は返事をする。
「起きてるよ。だから今すぐ口を閉じろ」
「へいへ~い。お兄の恥ずかしい寝言シリーズ、そのいち~『いや、アラビアンナイトとかすっごいエロくね?』」
ぶっ殺すぞ。
「今すぐ止めろ」
多少の怒気を隠すことなく、僕はドアを開ける。
お、という感じであらぬ方向を向いていた小唄が振り向いて、ニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「なになに? お兄の寝言シリーズはまだまだこれからだよ。あと三百ぐらいは集めて、自費出版の後、異例のベストセラーになる予定なんだから」
「日本中に僕の恥をさらす気か、お前は」
「恥? 恥って何。小唄ちゃんの辞書には恥とか外聞とか世間体とかいうカチコチの石頭さんが使いそうな言葉は登録してないんだよね。登録しても、削除人であるイレイサー小唄ちゃんが消しちゃうから。というわけでお兄、もうちょイタッ」
容赦のない(当社比)げんこつを脳天に一発。
「あいたたたた……ぼうりょくはんたーい! 小唄ちゃんのダ・ヴィンチに勝るとも劣らない脳細胞が欠損しちゃったらどうするのお兄!」
……最近はこれもあまり効かなくなってきていることに僕は危機感を覚える。
「やかましい。そんなに優れた頭脳を持ってるならもうちょっと世間に貢献できることに対して使用しろ」
「それは間違っているね。小唄ちゃんが世間に貢献するんじゃなくて、世間が小唄ちゃんに貢献しないといけないんだよ」
とんでもねーエゴイストだな。ここまで言い切れるのはある意味では才能ではないだろうか。だが、こんな場所で妹とコントを繰り広げている場合でもない。
僕にはやらないといけないことがあるのだ。
小唄のことは放っておいて僕は階段を降り始める。
「おぉ、お兄が素直に降りるだなんて明日辺りに人類は滅亡かな」
無視しよう。
「ん~、でもなあ。人類が滅亡するってコトはこのウルトラらぶりーな小唄ちゃんも死んじゃうってコトになっちゃうよね? っていうことは人類どころか損害は宇宙規模になってこない? まずいよ! 起こっちゃうね、宇宙戦争。っていうことは遠くの星からの来訪者が来るのは近いね」
……ある意味、言葉もない。
「で、幽霊電車はどうなったの?」
僕の足が止まる。
流石にそれには反応しないわけにはいかない。
小唄もマジモードだ。
「どうにかできそう? お兄」
「どうにかしてみるさ、妹」
背中を向けたままで、僕は妹にそう宣言した。
日中、少しばかり出かけはしたものの、僕は概ね自宅で夏休みの宿題に取り組んでいた。
僕が通っている弐朔高校はとにかく宿題の量が多い。その上に、提出期限に関しても非常に厳しいことで知られている。
もし出し損なったら、更に尋常じゃない量の補習が待っているので皆必死になって消化するのが定例になっているらしい。僕もその例外ではなかっただけの話だ。
定期的にまとわりついてくる小唄を払いのけつつ、僕は夜になるまでそんな風に過ごしていた。
そして、夜がやってきた。
午前十一時。
予定の時間になったので、僕は出発することにした。
だが、玄関から馬鹿正直に出て行くわけには行かない。小唄はともかくとして、両親に知らせてしまうのはまずい気がする。あくまで気がするだけだが。
ゆえに、僕は窓から脱出することにした。
これなら帰ってくるときにも多少のアクロバットをするだけでいい。
窓を開けて外に出ると、生ぬるい風が僕の肌を撫でていった。
軽く身を沈めてから思いっきりジャンプする。
「ぐ!」
家からは脱出できたのだが、隣の家の塀にぶつかるという失態を招いてしまった。
腕で防御したので、どうもヒビぐらいはいってしまったようだが、かゆみが発生すると、そのうちに痛みもかゆみも引いてしまった。
便利なもんだ、吸血鬼の体っていうのは。
ゆえに実行できる作戦、というか戦法もあるが。
「さて、四〇分ぐらいかな」
昼間に下見した目的地までの時間はそのぐらいだった。
夜は人が少ないが、自転車を使うわけにはいかないので走るしかない。おそらくだが、所要時間はあまり変わらないだろう。
軽く二、三回ジャンプして、僕は走り出した。
所要時間は三〇分と少々。思ったよりも早く到着してしまった。
場所は昨日、というか今日僕が幽霊電車を目撃した場所から最も近い駅。
特別ここに何かあるとかじゃない。たまたまここが一番近かっただけの話だ。それに、小さな駅なのでこの時間には全くといって良いほどに人気が無いのも好都合だった。
改札前で僕は立ち止まる。
本来ならば切符を購入するなりしないと通っては行けない場所だが、今だけは許してもらおう。もっとも、改札は通らないが。
「よっと」
軽くかけ声を発しながらジャンプして駅舎の上に登る。
……いよいよ人間離れしてきたのに、それに慣れてきてしまっている自分が嫌だ。
キスファイア。アイツのように自分の力に溺れてしまうのは嫌だ。ストッパーとしての室長がいるとは言っても、いざそのときに室長が執行できるかどうかの疑問もある。
僕は、あくまで人間だ。今はたまたま吸血鬼になりそこなっているだけの、人間でいたい。
ぶるぶると頭を振って、余計な考えを追い出す。今は幽霊電車の件が先だ。優先順位を間違えてはいけない。
昨日、僕が幽霊電車を見かけたのはちょうど午前零時。
となると、後数分でこの駅を通過することになる。
屋根の反対側に移動すると、真下に線路がある状態になる。飛び込み自殺志願ならこのまま飛び降りたら良いだろう。僕はしないが。
そのままの姿勢で僕は待った。
数分後、昨日と全く同じように、幽かな青い光が見えた。
――来た。
輪郭がはっきりしないのも、音が全くといって良いほどに聞こえないのも一緒だった。
間違うはずがない、幽霊電車だ。
するすると幽霊電車は僕の居る地点に近づいてくる。
いつでも動けるように僕はスタンバイする。
駅に近づいても、幽霊電車はまったくスピードを緩める気配はない。
予想の範囲内だ。そのぐらいは室長と一緒に『怪』に関わってきたのだから考えている。
幽霊電車がホームを通過する瞬間、僕は跳躍した。