第四怪 その2
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「電車の幽霊に、ね。ああ、そうだ。まだ名前も聞いてなかったよね。僕は空木コダマ、きみは?」
なんとも厄介そうなコトを聞いてしまって、言葉に詰まりそうになってしまったので僕は間を持たすために名前を訊くという行為に走った。
「国束真矢です」
「えーと、じゃあ国束さん、なんできみの親友が幽霊電車に捕まっている、なんてことが言えるのかな?」
確認。彼女が何を見たのか。それを訊かないことには始まらない。
まずはどういった事態に遭遇したのか。そこに解決へのヒントはある、というのが室長の言だった。
その後はまあ、臨機応変に対応するというとてつもなくいい加減なやり方らしいのだが、室長不在とはいえども順番は守った方が良いだろう。どうせ最終的には室長に出張ってもらわないといけないのだから。
「その……自分で見ちゃったんです。五年前に死んだはずの美音ちゃんが、走ってるはずがない電車に乗っているのを」
目を逸らしてしまったのは、もしかしたら笑われるのかもしれないという心の表れだろうか? それとも嘘がバレないようにという心理によるものだろうか? 僕にはわからない。
判断がつかないのならば、聞き込みを続行するまでの話だ。
「走っているはずがない電車? 妙な表現だけど、どういうことかな?」
問題の根幹らしき方を優先した方がいいだろう。美音ちゃんとやらのことは後回しにする。
国束さんはポケットから何かの紙切れを取り出した。
電車の時刻表?
「見てください。この辺の終電って、田舎だから十時ぐらいなんですよ。でも、わたしがその電車を見たときにはすでに夜の十二時を回っていたんです。そんな時間に、人を乗せて電車は走っていないはずですよね」
確かに時刻表に載っている最終電車は十時台だ。どんなに遅延しても、十二時を回って走っているなんて事はあるまい。人を乗せていた、というのが事実ならばメンテナンス用の車両ということも考えにくい。
なるほど。幽霊電車というわけだ。
じゃあ、もう一つの方だ。
「わかったよ。じゃあ、それに乗っていたっていう美音ちゃんとやらの話を聞かせてくれないかな?」
ぐ、と再び国束さんは一瞬だけ口を噤もうとして、なんとか開く。
「三年前に病気で死んじゃった親友なんです。小野原美音ちゃん――わたしは美音ちゃんっていつも呼んでました。小学校一年生からずっと友達だったんですけど、そのうちに美音ちゃんは病気になって……あっけなく死んじゃいました」
よくある、とは言わない。
それなりに聞く話でもあるが。
だが、小学生の身で親友が死んでしまうという出来事はかなり辛いものがあったんじゃないだろうか? 僕はそんなことを考えた。
「わたし、美音ちゃんを見間違えるはずありません。しかもあれは病気になった頃の美音ちゃんじゃなくて、元気だった頃の美音ちゃんだったんです」
なるほど。幻覚にしては妙だ。
今更になって、小学校時代に他界してしまった親友が電車に乗っている幻なんて見るだろうか? まあ、無いとは断言できないが、可能性は低いだろう。
「空木先輩、お願いします。もし、美音ちゃんの魂があの電車に捕まっているのなら、解放してあげてください」
涙目で僕を見ないで欲しい。
女子の涙っていうやつにはなんともいえないような魔力が宿っているようだ。悪いこともしてないのに罪悪感に苛まれてしまう。
出されたアイスコーヒーを一息に飲み干すと、僕はまっすぐに国束さんの顔を見た。
「わかったよ。一応は調査してみる。ただし、解決はすぐには無理だ。今、室長が不在でね。あと二日もしたら帰ってくるから、それまで僕が調査だけでもやっておく。これでいいかな?」
「はい! お願いします!」
とても元気よく返事をされてしまい、僕の方が気圧されてしまう。どうにも女子の攻勢には弱いようだ。……そのうちになにかよくないことを運んできそうな予感がビンビンだ。
……今は置いておこう。
「じゃあ、早速今夜から調査してみるから見た場所を……あ」
僕は一つ気付いてしまった。
「どうしたんですか?」
「いや、なんで……国束さんは深夜に外出していたのかなって、さ」
にっこりと微笑んで国束さんは答えた。
「お散歩です」
カタカタと揺れる年季の入った看板を眺めながら僕はぼうっとしていた。
深夜午前零時、前。
場所は国束さんから聞いた、幽霊電車を見た場所。
まあ、とはいっても普通に沿線の場所なのでそこまでへんぴな場所ではない。
少なくともまったく人目がない、というわけでもないが、流石にこの時間帯は人間の生活音さえもなく、ただ虫の鳴き声とか、そういった自然音しか存在していなかった。
……女子中学生が散歩コースにするには適当でない気がするが、僕のお節介だろうか?
今考えを巡らせても仕方の無いことだ。仕方の無いことは後回し、もしくは適当な人物に押しつける。それが上手な渡世というものだろう。
そんな益体のないことを考えて時間を潰していても、しっかりと時間は過ぎているようだった。
異常に気付いたのは僕がなりそこないとは言え、吸血鬼ゆえだろう。
線路上、遠くに幽かな光が見えた。
深夜の闇の中でも不思議に目立たない光だ。
いや、光なのか? どこか靄の中を照らしているかのようにぼんやりとした感じだ。
それに、電車のライトは黄色っぽい感じだったはずだ。だが、今見えている光は――青い。
音もなく、光は僕のいる地点を通り過ぎようとしているのか、接近してくる。
線路上にはいないので轢かれる心配はないだろうが、思わず僕は一歩下がってしまう。
近づく青い光。光源はやはりはっきりとは見えないが、ライトのようなものぐらいはわかる。
奇妙なのは車体の方が真っ黒でその輪郭を捉えることができないということだ。
車内を照らしているだろう照明もやけに光量が不足してしまっていて、僕の視力でも、まだはっきりとは見えない。
この時間に電車が走っていないことは確認しているし、メンテナンス用の車両でもあんな奇妙なライトを用いたりしないだろう。っていうかどんな技術だ。
間違いなく、『怪』だ。まさか当たりを引いてしまうとは思っていなかった。
……ここまで来たら調査ぐらいはしておかないといけないだろう。
未だに距離がある光源。だが、確実に僕の居る地点に近づいている。
いいだろう。とにかく一度見てみないことには始まらない。解決の初歩は観察することだ。
近くにあった電柱に飛びつき、窓の位置と視点を合わせる。
向こうから見えているのかどうかわからないが、とりあえず僕は車両らしき部分の中に注目する。未だによくは見えない。だが、さっきよりもおぼろげにだが『なにか』が居るらしきことはわかった。
国束さんは死んでしまっている親友を見た。
一応、写真を見せてもらったので、もしその親友がいるのならばわかるだろう。よっぽど見えない位置に居ない限りは。吸血鬼は視力もいいのだ。
かなり電車らしきものは近づいてきたのだが、音は全くしない。駆動音もなにも。
とにかく静かに薄青い光線が滑るように移動しているのは不気味だ。
そして、やっと僕の目が車両内を捉えることの出来る距離まで近づいた。
中に居たのは、人間だった。
見えるのは窓からだが、間違いなく人間だ。まあ、室長みたいな人外の可能性もあるかもしれないが、少なくとも外見上は人間だ。
年配の方が多いが、ちらほらと中年層や若年層も見られる。
そしてその中に僕は国束さんの親友である美音ちゃんを見つけた。
先頭から二両目。そこに美音ちゃんはいた。確かに写真で見たとおりの外見だし、子供らしく椅子部分に膝をついているのかこちらに顔を向けているからわかりやすかった。
あっという間に車両は僕の前を静かに通り過ぎようとする。
だが、僕は、美音ちゃん以外に知っている人間を見つけてしまった。
白髪。やや曲がった腰。そして、今でも写真が飾ってあるから見間違えるはずもない、顔。
空木キヨカ。僕のおばあちゃんだ。
僕が中学三年生の頃に鬼籍に入ってしまったおばあちゃんだ。
おばあちゃんは、美音ちゃんの向かいの席に座っていた。
思わず僕はそっちに意識を向けてしまった。
次の瞬間、線路を音もなく真っ黒な電車が通り過ぎた。
「待てっ!」
思わず僕は電柱から飛び降り、駆けだしていた。
なんでおばあちゃんがそこにいるんだ⁉
お前は一体なんだ⁉
全力で疾走する。
だが、吸血鬼とはいっても所詮は人間サイズの全力疾走。時速六〇キロ前後で移動しているであろう車両に追いつけるはずもなくあっさりと引き離されてしまった。
「はっはっはっ……」
完全に息が上がってしまうまで走っても、幽霊電車には結局追いつけなかった。
どういうことなんだ? 美音ちゃんだけじゃなくて、僕のおばあちゃんまであの電車には捕まっているのか? なら、見えていたあの人々は全員……くそ!
ばしん、と自分の腿をはたく。
僕の手には余りそうだ。室長に連絡した方が良いだろう。
人外の回復力ですでに体力は回復し始めている。
回復を待つことさえも惜しくて、僕は室長に連絡するために家路を急いだ。
『あぁん? ほっとけ。それは手を出すだけ無駄だ』
連絡を入れて、事情を説明し、僕が見たものを話したら、室長の第一声はそれだった。
「な……どういうことですか室長⁉ 明らかに『怪』なんですよ!」
叫んだ後に、ここが自宅だということを思い出し、声のボリュームを下げる。
「……専門家の室長でも手に余るぐらいの『怪』ってことですか?」
『そんなわけないだろう。そもそも『怪』じゃないから専門でもないしな。わたしの手に余るようなモノだったら確実に統魔が動くぞ』
怖え。結局、キスファイアも統魔の回収班と名乗る集団がやってきて回収してしまってから音沙汰がない。……拘束指定とか言っていたし、身体的自由どころか精神的自由も制限されていそうだ。
いやいや、そんなことはどうでもいいんだ。問題なのはあの電車は『怪』じゃないという室長の見解だ。
……いや、『怪』だろ。
明らかに通常の技術じゃなかったし、死んだ人間がうようよいる電車なんてありえないだろう。
なにか僕が見落としていることがあるのか?
それとも、室長は僕をこの件から遠ざけたいのだろうか?
……わからない。わからないが、それでも僕はこの件から手を引く気にはなれなかった。
死んだおばあちゃんが関わっている可能性が高いんだ。
もし、あの電車が魂を捕らえているような『怪』なら、僕は美音ちゃんも救いたいが、おばあちゃんのことも救いたい。もちろん、他の人達も。
『コダマ、いいか? 私は今現在東京に居るからすぐには帰れない。そして今、非常に忙しいんだ。帰ったら説明してやるから大人しくキミは休暇を楽しめ。これは命令だからな』
早口でそれだけを言うと、一方的に通話は切られてしまった。
スマホは僕の手の中で沈黙した。
即座にかけ直すが、つながらなかった。
……納得するとでも思っているのだろうか?
室長、生憎と僕はけっこう諦めが悪い性質なんだ。
スマホを机の上に置いて、僕は明日の……いや今日の夜の計画を練り始めた。