第四怪 その1
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文明の利器というモノは人間を衰退させていると主張する人もいる。
利便性を追い求めることによって、その代償として人間の生命力自体が弱まってしまうのではないのか、という視点に立った主張である。
僕は一理あると思う。
例えば僕が電子機器を全部取り上げられてしまったとしたら、かなりの不便さを感じてしまうだろう。現代っ子である僕にはそういった文明の利器は必須である。
ご年配の方々に言わせれば、軟弱ということになってしまうのだろうが、そのご年配の方々さえも、もっと昔の時代に生きていた人々からしてみたら、便利な道具に頼っているように感じられてしまうだろう。
だが、一概に悪いことだとも思えない。
進化、というよりも適応だ。
環境が変わってしまったら、それに適応しないと滅亡を迎えてしまうのは自然界の法則だ。
かつて、地上にメタンではなく酸素が満ちたときのように。
世界中を覆っていた熱帯気候が変化してしまったときのように。
だから、存在し続けたいのならば環境には適応し続けないといけないのだろう。
例え死んでいたとしても。
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「コダマ、私は三日ほど留守にする。その間は百怪対策室にもいないからそのつもりで行動しろ。いざという時には私が助けてくれるだなんて甘い考えは棄てることだ」
「はあ、まあ、言いたいことは沢山在りますけど、とりあえずは一つだけ。なんでそんなに大荷物なんですか?」
百怪対策室内、応接室。
いつものように百怪対策室にやってきた僕は、室長のそんな言葉で迎えられた。
ちなみに、室長はやけに大きなトランクケースを四つほど傍らに置いていた。三日分の荷物にしては異常な量だ。
はん、と室長は小馬鹿にした調子で鼻を鳴らす。
「戦場に赴くんだ。このぐらいの備えは必要になってくる」
「戦場? 海外旅行ですか?」
「いや、国内だ」
はて? 日本国内に戦場なんて存在しただろうか?
いや、そもそも戦場に行ってどうするんだ? 『怪』が目的ならばもっと別の場所があるんじゃないだろうか。古戦場に出没する幽霊の噂でも耳に入ったのだろうか?
さっぱりわからない。
しかも旅程は三日ほど。そんな短期滞在で何をするというんだ。
「……なんともコメントしづらいんですけど、とりあえず、僕はついていかなくてもいいんですね」
「ああ、素人についてこられてもまずい。それに、興味が無い人間には全くわからないモノだろうからな」
? 余計にこんがらがってきた。
僕がついていくことも出来るが……興味が無い人間? 謎かけだろうか?
「とにかく、私はこれから出発するから百怪対策室は三日間休みとする。一応携帯は持って行くが、基本的には連絡がつかないものだと思え」
「わかりました。百怪対策室も夏休みってことですね」
「そうだな、夏だしな。冬の戦もあるが、とりあえずは目先のほうが優先だな。待っているがいい……東京……!」
今日の室長はどうもキャラが定まっていない。お祭りの前の子供のように。
嫌な予感がするのでこれ以上詮索するのは止めておこう。僕の本能的な部分が警鐘を鳴らしている。
「それじゃあ私は出発するから、とっとと出ていけ。ここに閉じ込められて生きて出られると思わない方が良いぞ」
冗談なのか、そうでないのか微妙なラインの発言は止めて欲しい。
「じゃあ三日後にまた来ます」
「ああ、そうしてくれ」
そんなわけで僕は百怪対策室から三日間の自由を得たのだった。
「お兄~、ねぇちょっと聞いてよ、お兄。小唄ちゃんはちょっと困っちゃってるんだよね。こんな可愛い小唄ちゃんを放っておけるわけないよね? うんうん、わかってる。お兄が言いたいことはわかるよ? この小唄ちゃんが困ってしまうようなことに対して、お兄がなにか力になれるかどうかでしょ? それが出来るんだよねぇ~。ぱっとしないお兄だけど、あの九臙脂中学校七不思議の一つ、『動く標本』に引導を渡したお兄にぴったりの頼みなんだよ! もうこれは一も二もなく、三も四もなく頷くしかないよね!」
かなりの早口でそんな戯れ言を延々と垂れ流した後に、小唄はソファに寝転がっている僕の腕を掴む。
「離せ妹。僕はいま非常に忙しい」
「だらけてるだけじゃん! そんな非生産的行為よりも大切なことだよ! なんといってもこの美少女である小唄ちゃんの頼みなんだよ! お兄に小唄ちゃんが頭を下げるなんて、これから先ないよ!」
夏休みに入る直前に、僕の腕を掴んで激しく上下に揺さぶっている自称美少女さんがこれ以上無い土下座をキメて金を借りにきたことを思い出す。
絶対にこれからもある。
が、肩が外れそうな勢いで腕を引っ張り始めたので、とりあえずは何かしらの反応はしてやらないといけないだろう。
しこたま面倒くさいのだが、僕は身を起こす。
「……言ってみろよ、とりあえずは話を聞いてやる」
「んもぅ、お兄も素直じゃないな~。いいんだよ? もっとひれ伏しても」
殴っていいだろうか? なりそこない吸血鬼のパワーで殴ったら死にかねないが、それでもいいと思えるぐらいには僕の神経をざりざりと逆なでしていきやがる。
「……早く話さないと今すぐに借金を回収するぞ」
「友達が幽霊を見ちゃったんだよね。しかも大量に」
ち、マジモードになりやがった。
二重人格なんじゃないかと疑ってしまうが、これが小唄なのだから気にするだけ無駄だ。
僕が身を起こしたことで空いたスペースに小唄が座ってくる。
空木家のリビングには他にも座るモノはあるのだが、何を思ってコイツは隣に座るんだ? 近いんだよ。暑苦しい。
「まぁ、とは言っても小唄ちゃんも完全に信じてるわけじゃないよ。だってちょっとばかり荒唐無稽すぎる話だしね。だけどお兄にはちょうど良いかなって思ってさ。変な話、探してるんでしょ?」
確かにそうだが、『怪』を探しているのは室長だ。僕は命令されてやっているだけ。その上に、室長は今不在だ。
それを理由に突っぱねることも出来る。だが、もしこれが本当に『怪』に関連するものであり、その上で関わる機会を逃してしまったとしたら、バレた時には室長にどんないじり方をされるのか想像したくない。
もうすでに僕は室長がどんなタイプの人物なのかわかってきていた。
気は進まない。限りなく気は進まないが、とりあえずは話だけでも聞いておかないといけないだろう。……面倒な。
「早く話せよ。聞くだけは聞いてやる。本当っぽかったら室長に相談してみるから」
二日後に。
「あ~、例の室長さんね。お兄も隅に置けないねえ~。年上のお姉さんと二人っきりでバイトだなんて~」
ニマニマ笑うな。せっかくマジモードになったのにもう時間切れかよ。
それに、年上なのは確かだろうが、見た目はお前と変わらないから正直言って色気とかそういうモノを感じたことはない。むしろげんなりすることのほうが多い。
つうか、マセてるなぁ中学生。
いや、僕もこんなもんだったか?
いかんいかん、思考がそれていく。方向修正のために、僕は咳払いを一つすると、顔を小唄に向ける。
「いいから早くしろよ。夏休みの貴重な時間をじゃれあって浪費するのはお前だって本意じゃないだろ」
「それもそうだ。じゃあ単刀直入に言うんだけど、お兄は『幽霊でいっぱいの幽霊電車』って信じる?」
「信じない」
即答だった。
当然だろう。幽霊が電車乗ってどうする。第一、電車に乗っていたとしても何をするというんだ。移動か? 幽霊が? 歩け。いや、歩けないか。そもそも幽霊電車ってなんだ? 電車の幽霊か? なんだそれは。精霊信仰じゃあるまいし。
かなりしょうもない思考を僕は展開していた。
「ま~そうだよねぇ。小唄ちゃんもそう思ったワケなんだけど、生憎と見ちゃった子にとっては大マジだし、かなり深刻な問題っぽいんだよね」
真剣な顔と緩んだ顔が交互にやってきても、それぞれはしっかり別なあたりは、僕と違って小唄の方は表情筋が発達していると思われる。
「わかったよ。詳しいことは……その幽霊電車を見た子に訊けば良いんだな?」
「そうそう、そういうこと。お兄は話がそこそこ早くて助かるな~」
絶対思ってないだろお前。
「じゃあ、今から行ってあげてね。場所はここ。あ、ナンパしちゃダメだからね」
小唄から地図を受け取り、僕は渋々出発することにした。
時刻は午後二時前。一番暑い時間帯だった。
「こ、こんにちは……」
小唄から受け取った地図に従って行くと、到着したのは一軒家。
僕がインターホンを鳴らすと、出てきたのは小唄と同じぐらいの年齢に見える少女だった。
どことなく自信なさげな雰囲気を醸し出している。何かあったのか、それともこれが平常なのか。どうでもいいことか。
「こんにちは。小唄から話は聞いているかな?」
「は、はい……その、小唄ちゃんのお兄さんで、奇妙な話を集めてて……解決してるって」
ううむ。正しいような正しくないような。こうやって誤解というモノは広まっていくのだろうか。
「今のところはそれでいいから、とりあえず入ってもいいかな? このまま玄関口で話すっていうのもお互いに辛いだろ?」
「は、はい! どうぞ!」
慌てて少女はドアを開け放って、僕を中に誘う。
正直、暑いのはそこまで堪えていなかった。露出している部分がかゆいのがきつかっただけた。まさか目の前でボリボリと体をかきむしるわけにはいかない。
僕もそのぐらいの品位は持っている。
そういう感じで家に入ると、リビングに案内された。
冷房が効いていて快適だ。
「座ってください。あ、飲み物お出しします!」
ぺたぺたとスリッパを鳴らしながら少女は冷蔵庫の方に向かっていった。
「おかまいなく」と言いたいところだったのだが、せっかくの厚意をむげにするのもどうかと思ったので、僕は素直にソファに座って待つことにした。
「どうぞ。ミルクとガムシロップは要りますか?」
「このままで大丈夫だよ。ありがとう」
出されたアイスコーヒーに口をつけてから僕はふうと一息つく。
「じゃあ、話してくれるかな。きみが見たモノを。一応、小唄からは『幽霊でいっぱいの幽霊電車』っては聞いているんだけど」
いきなり核心に迫る僕だった。
まあ、自分の家に知らない男がいて平気な女子はいないだろう。っていうかご両親はどうしたんだろうか? 留守か? 学生は夏休みでも世間は平常運転だ。共働きなら両親がいなくても特に奇妙ということはないか。
「あ、はい……その、笑いませんよね?」
「笑わないし、話は真剣に聞くよ。僕は一応『そういうの』の専門家に雇われているからね」
「え? 先輩が解決されているんじゃないんですか?」
やっぱり誤解が広まっていたか。訂正しておくべきか。
「一枚ぐらいは噛んでるかもしれないけど、メインの働きをしてるのは僕を雇っている室長だよ。僕は助手。ただ、奇妙な話を集めてくる担当は僕がやっているんだよ」
「な、なるほどぉ……」
微妙な表情だ。まあ、僕が聞いてもこんな顔をしてしまうだろう。
少女は、コホンと咳払いを一つ。
「そういうわけで、僕が話を聞かないと解決もできないんだ。だから、何を見たのか、そして、何を解決して欲しいのかを教えてくれないかな」
一瞬だけ少女(そういえば名前を聞いていない)は言い淀むように唇を歪ませたが、意を決したのか、口を開いた。
「電車の幽霊に捕まっているわたしの親友を救い出してください」
これはまた――厄介そうな。