「鬼の腕 後編」
──── 忘れてしまった夢────
サオリ────
これを、彼に渡してくれ。
そのために僕は帰ってきたんだ。
頼むよ
うん
本当にごめんね
今回ばかりはどうにもならないみたいだ
泣かないで
どうか、顔を上げて
彼がいるよ
だから僕も安心している
うん
あとのことはジョージにまかせた
大丈夫、彼はすぐ帰ってくるよ
うん
さよならだね
うん
ありがとう、サオリ
ありがとう、一緒にいてくれて
ありがとう
ありがとう────
────
…
しばらく静かだと思っていたら庭からドサッと音が聞こえた。
何か草の上に重たいものを落としたような音だ。
柔らかくて、重たいものを。
そう、
例えば人間のような。
「ジョージ・・・君。」
障子の向こうから聞こえてきた声。
その声に俺は凍りついた。
聞き間違えるはずない。
それはサオリの声だった。
「ごめんね、なんかよくわからない子供に捕まって、ここまで連れて来られたの。」
そんなはずは、サオリは東京に────
「この子、なんなの?怖いよ。なんなの?」
『鬼はあの手この手で貴方に障子を開けさせようとするでしょう。今宵一晩、何があっても、例え誰が来ようとも決して障子を開けてはいけません。』
爺さんの言葉────
「ねえ、ジョージ君そこにいるんでしょう?、怖いよ、助けて、ジョージ君。」
『決して、障子を開けてはいけません。』
「助けて、ジョージ君。」
消え入りそうなサオリの声。
俺は反射的に勢いよく障子を開け放った。
──── !!?
そこにサオリは居なかった。
ただ青白く光る月の空間。
整えられた日本庭園を照らす淡く揺れる光
その光の中に赤い着物を着たおかっぱの女の子が佇んでいた。
歳の頃は5歳から7歳ほどに見える。
赤い布地の着物には季節外れの牡丹の花が描かれている。その右腕がダラリと垂れ下がっていた。ひと目で中身がないと理解した。
女の子は俺を見上げた。
やけに鋭い、まるで爬虫類を思い出させるような瞳だった。
そしてやけに大きな口を横に広げて
にいっ、と笑った。
…
見た目は子供だが、俺は警戒を解くことは無かった。十年前の事件に関わりがあるならこいつは見た目通りの年齢じゃないんだろう。成長が止まっているのかも知れない。
「サオリは・・・どこだ?」
俺は帽子を被りなおしながら女を睨みつけた。
「ここには居ないよ。アンタは騙されたのさ。」
ゲヘヘと下品に笑う女の口元から涎が垂れて地面に落ちた。どうやら俺は一杯食わされたらしい。まあ、あれだけ上手く真似されたんだ。見事と言うほかねぇよ。
「ふん、上手かったぜ。テレビのモノマネ選手権にでも出た方がいいんじゃねえのか?」
「考えておこうかね。」
悔しまぎれに放った俺の言葉にまたヒッヒッヒ、と下卑た笑いを返してきた。
こいつなのか?
こいつが
こいつが!
こいつが!!
本当に親父とアキヒコを殺したのか?
こいつが!!!
俺の中で何かが膨れ上がる。
胃袋の下で熱いものが駆け回り、背骨を通って頭まで這い上がる感覚。
俺はこれを知っている。
「お前は殺したはずだね。生きていたのかい?」
俺が尋ねるより早く、女はそう俺に言い放った。
お前、とは親父の事か。俺と親父はよく似ているらしい。十年経って尚更のこと、服の好みも似ているからこの暗がりでは本人だと思ったのだろう。
間違いないか
俺は確信した
背骨を熱いものが駆け上がる、頭に血が上っているってやつなんだろうが、妙に冷静でそんな自分を客観的に見ている自分もいる。俺も歳を食ったということか?
俺の覚悟が形になって指先に集まる
こいつなんだ、という確信がある
証拠なんてねえさ
ただ、いけ好かないだけだ
こいつが!!!
膨れ上がるものがさらに熱を帯びる
「なんとか言ったらどうだい?随分と寡黙になっちまったもんだね。」
ゲヘヘと笑うその女が
次の瞬間凍りつく
俺はわざと見せつけるように左手で桐の箱を突き出していた。白い箱は青白い光に包まれてぼうっと光っているようにも見える。
「俺の腕!」
女の身体がひとまわり大きくなったように見えた。
女のはらわたにも、俺と同じものが渦巻いているのが分かる。
この腕を、俺の腕と呼んだ。このミイラの腕を。
イカれてやがる
「返せ返せ返せ返せ!」
女は髪を振り乱し、涎を撒き散らしながら叫んだ。
不思議なことにこれだけ女がわめき立てていると言うのに誰も起きてこない。昼間の修行が辛くて熟睡しているのか?まぁ、おあつらえ向きだがな。
「返せ!!」
女はグワッと口を開けた。その口は耳まで裂け、鋭い牙のような歯がズラリと並んでいる。突き出した左手の爪がまるで肉食獣のように伸びて鋭さを増している。
大した殺気だぜ
本気で俺も殺すつもりか?
上等だ
「来いよ。」
俺はそう言い放った。欲しければ取りに来い、それは伝わったようだ。
前回、親父は日本刀を用意して撃退したと聞いた。爺さんはその日本刀が奴が唯一苦手としているものなのだとも言った。それが盗まれて失われた今、お前を守るものは何も無い、とも言った。
だから閉じ篭って相手にするな。奴は自分からは中に入れないから、障子を閉めて朝まで凌げば立ち去るだろう、と言った。
冗談じゃねえよ
この煮えくり返っているモンをぶつけなきゃ収まらねえよ
俺の口元が残忍にニヤリと歪む
膨れ上がったものが身体を突き破りさらに広がる感覚。
目の前の奴にもまるで牙が生えたように見えているだろうか?ひと回り身体が大きくなったように見えたのだろうか?
女が少しだけ身を震わせるのが見えた。明らかに俺の殺気にビビって一歩引いた。
だが女は頭をひと振りし、怯えた心に鞭を打つように吠えた。
大地を蹴る
ただ真っ直ぐ
一直線に飛びかかってくる
桐の箱を目掛けて、そして俺の命目掛けて
鋭い爪と牙が俺の命を切り裂こうとしたその刹那
──── 重く鈍い銃声が響き渡った
…
俺の手の中には細く煙をたなびかせる重い鉄の塊が握られていた。
S&W M360PD。俺が撃った事がある数少ない銃だ。銃を撃ったのはアメリカ以来だが真っ直ぐに飛びかかってくるならブランクがあっても当てられると踏んだ。
アキヒコが俺のために残してくれた銃だ。
女は俺の想像を遥かに超えて大きく吹き飛んだ。銃の反動から想像できる威力を大幅に上回っている。
シリンダーの中に入っていた弾頭は銀色の輝きを放っていた。.357マグナム弾だろうとこんな威力はない。きっと弾丸に何か細工があったのだろう。
女はまだ息があった。
身体の下には大きな血だまりが出来ていた。首を上げるのが精一杯の様子だがそれでも顔を上げて俺を睨みつけてくる。
腹か、鎖骨あたりか
どこに当たったのかなんてわからねえ
どこでもいいさ
決着はつけてやる
俺は靴も履かずに中庭に飛び降りると女の目の前まで歩いて行って再び鼻先に銃を突きつけた。
ヒッ、という怯えた声が聞こえた
知らねえよ、これが最後だ
俺の指に力がこもる。全身に纏わりつく熱い何かはもう抑えられないところまで膨れ上がっている。
俺は最後に左手の箱を女に投げた。
「返してやるよ。そして、さよならだ。」
二度目の銃声は青白い月明かりの中へと消えた。
…
「エイミー?」
俺が狙った銃弾はわずかに逸れて女の髪の毛を掠めただけだった。その原因は俺の右腕に飛びついてきたエイミーだった。
「ジョージ!駄目!もう駄目!」
エイミーはその細い身体で力一杯俺の腕にしがみつき、おれに罪を犯させないように必死に呼びかけてくれた。
「ジョージ!」
続いて聞き慣れた男の声。近藤刑事が俺の手に手を重ねて中にある銃ごと、そっと抑えてくれた。
「ジョージ、これ以上撃つな。そうしたら俺はお前を捕まえなきゃならん。」
二人の言葉に俺の中で急激に膨らんだ熱がどこかへと抜けて行く。その脱力感に俺の膝は砕けそうになり、フラついた身体は情けない事にエイミーに抱きとめられてやっと保てるほどだった。
俺は、人を殺そうとしていたのか。
その事実と緊張感から急に解き放たれて全身の力が入らない。
息が詰まりそうだ。どんなに吸い込んでも酸素が足りない。
こんな気分になるんだな。
最低だぜ。
「腕も帰ってきた。ここらで手打ちにせんか?」
近藤さんは女の前に屈みこんでそう話しかけた。
俺はエイミーに肩を借りながら、寝所へと戻る。
酷く疲れていた。
まるで魂を半分くらい持っていかれたようだ。
そうエイミーに伝えると、彼女は最初キョトンとした顔をしていたが、その表情はやがてまるでマリア様のような慈悲深い微笑みへと変わる。
「もう大丈夫、少し眠りなさいジョージ。あとは近藤さんが上手く話をつけてくれるから。」
俺はエイミーの膝を借りて頭を乗せ、瞳を閉じた。
「いやはや凄まじい。ケンジさんより上かも知れませんね。呪いも効いてない様子、いやはや・・・」
遠くで爺さんの声が聞こえたような気がしたが、俺の意識は微睡みの中へと急速に沈み込んで行った。
……………エピローグ
結論から言えば犯人を捕まえることは出来なかった。
証拠不十分、だとよ。
まあ、仕方ねえさ
ただ、俺の中でモヤモヤしていたものや、あの時に感じた怒りのようなものは全て弾丸に込めて吐き出してしまったらしい。俺だけは妙に納得したような、ケリがついたような、スッキリした気分だった。
俺が銃刀法違反を犯していたこと、そして人を撃ったことも不問にしてもらったから、これでチャラって事にしてやるよ。そんな気分だ。
結局俺は事件を解決しようとか犯人を捕まえようなんて気は無かったらしい。親父とアキヒコを殺した奴を一発ぶん殴ってやりたかっただけなんだな。
俺って奴は
少しは大人になったかと思ったんだがな
コーヒーを飲む俺の口元が自嘲の笑みを浮かべる。
あの青白い初夏の夜からひと月
あの女はどうなったのか?
近藤さんは詳しく教えてはくれないが、しっかりと言い聞かせて新しい仕事も見つけてやったからもう大丈夫だろう、悪さなどはしないだろう、と言った。
まあいいさ
悪さをしなくなるならもう関係ねえ
俺はコーヒーのマグをテーブルに置いた。
そんな事より今は────
「お前らいい加減にしろ!」
俺はまた事務所の中で走り回る餓鬼どもを怒鳴りつけた。夏の終わり。相変わらず俺の事務所は餓鬼どもの溜まり場だ。今日はエイミーも猫も居るから遊び相手には不自由しない。エイミーが俺と解決したアメリカ時代の話を目を輝かせて聞いている子供もいた。
まあ、大人しくしていれば可愛いモンなんだがな。
だがお前だお前、顔の赤いお前だよ。お前は見逃せねえぞ。なんでいつも酔っ払ってんだよ。酒臭いぞ、誤魔化せると思うなよ。ったく、コイツの親はどんな躾をしてやがるんだ。
(俺が言えた義理じゃねえがな。)
また自嘲の笑み。その笑みが頭を掻きながら照れ笑いを浮かべた餓鬼の笑いと重なる。
ふと気がつくとニュースを映していたテレビがいつのまにかバラエティ番組になっていた。どうやらモノマネ選手権が始まったらしい。
消すか、と、リモコンを手にした瞬間。俺たちは信じられないものを目にした。
『さあ、次の挑戦者は天才モノマネ子役と噂のイバラギちゃんの登場です!』
「は?」
「は?」
やかましい司会者に紹介されながらそこに映し出された派手な衣装を着たおかっぱの女の子、それは間違いなくあの女だ。
『イバラギちゃんの凄いところは何と言っても、有名人だけではなくどんな人の声も一回聞いただけで真似できてしまうその完璧なコピー能力にありまして・・・』
ニコニコしながら紹介を受ける女。
俺と餓鬼の口があんぐりと大きく開かれる。
──── まったく!
「いったい何をやってるんだ、あいつは!」
「いったい何をやってるんだ、あいつは!」
俺と赤ら顔の子供の声は呆れ顔で見詰めるエイミーと猫の視線の中で、見事なハーモニーとなって事務所に響いたのだった。




