「七人ミサキ 前編」(2019)
俺の名前はジョージ、しがない探偵なんて稼業をしている。
依頼人の真鍋美砂が俺の事務所に来たのは、ある晴れた冬の日のことだった。花屋の店先に花だか葉だかわからない赤い鉢が並ぶ頃のことだ。
俺の携帯はその10分ほど前に鳴った。
事務所までの道を説明をする簡易な内容に、美砂は重く陰鬱な声で答えていた。
(あまりいい内容の依頼ではなさそうだ。)
俺は直感的にそう感じていた。
浮気調査や家出人探しの依頼人が醸し出している焦りや怒りがまったく感じられない。もう過ぎ去った悲しみを掘り起こそうとするような、そんな決意に満ちた声だった。
…
美砂は背の低い女だった。
いつもなら依頼人の品定めに必ず顔を出す三毛猫は、今日はベイウィンドウの陽だまりからこちらを伺っているだけだ。この猫が興味を示さない客。ますますいい話ではなさそうだ。
妹を殺した犯人を探し出して欲しいんです────
出されたお茶に口もつけず美砂はそう依頼の内容を俺に告げた。
俺と、そして今お茶を出してくれた助手のマコトの目が挟まって行く。
依頼人は真鍋美砂、25歳。現住所東京都豊島区駒込x-xx-xx。連絡先は090-xxxx-xxxx。
都内の商社に勤めるOLだった。11月末から長い休暇をもらっている。
マコトは横で簡単な書類を作成し、依頼の内容をノートパソコンへ入力してゆく。
──── 殺し、か。
俺の嫌な予感は当たったようだ。別に犯人探しが嫌なわけじゃない。当たり前のことを当たり前のようにしていない依頼人だからこそ、そこに違和感があるんだ。
そして俺は依頼人に当たり前の質問をした。
なぜ、警察に相談しないんだ?、と。
そしてその答えは、最もシンプルなものだった。
真鍋美砂の妹、真鍋知恵の死はすでに自殺として結論付けられていたからだ。
……………
依頼を断らなかったのは美砂の声のせいだろう。
容姿は十人並みで取り立てて美人というわけではないが、決意に満ちた声の中にどこか妖しくて危険な旋律が秘められていた。あんな危うい声で頼まれて断れる男なんかいやしない。
俺は美砂と共に知恵の住んでいた徳島へと旅立つことにした。
「あれ?荷物は?」
「行くぞ。」と立ち上がった俺に美砂が目を丸くする。日帰りで調査が終わるなんてもちろん思っちゃいないが、取り立てて持ってゆくモンなんて無いしな。
猫の世話とバックアップをマコトに頼み、羽田へと向かう。
妹の知恵は実家で祖父と二人暮しをしていた、と飛行機の中で説明を聞いた。まだ高校生の知恵は田舎に残っていたが、卒業したら姉と同様上京する事を望んでいたらしい。
その知恵が二ヶ月ほど前に自殺。
遺書には将来を悲観した内容と周囲の人へお礼の言葉が連なれていたという。
警察が検死した結果自殺と断定された。だが、四十九日も終わり、ひと段落したところで美砂はどうしてもやりきれなくなり、興信所へ再調査の依頼をする事を決心したらしい。
そして選んだのがたまたま俺の事務所だったというワケだ。
なぜ自殺だと思わないんだ?という問いに答えはない。
──── どうやら何かワケがありそうだぜ。
俯いてしまった依頼人から目を逸らし、俺は帽子を深くかぶり直してシートに身を沈めた。
到着までの一時間半、最後まで美砂はその理由を喋ってくれなかった。
…
俺の問いかけに対する答えは思わぬところからもたらされた。
「知恵ぇはシチニンミサキに呼ばれたがじゃ。」
美砂と知恵の祖父は俺にこの事件をそう説明した。俺の姿を見るなり祖父はあからさまに訝しむ態度を取った。俺が探偵だと知ったらなおのことだ。まぁ慣れているが気分のいいモンじゃねえな。
それでも美砂が説得し、どうしてもと頼み込むとやっと老人は重い口を開いた。
そして出てきたのがこの言葉だ。
年寄りの方言はかなりきつかった。徳島訛りなど全く知らない俺は聞き取るのには美砂の協力が必要だったが、要約するとその内容はこうだ。
…
知恵は『七人ミサキ』と呼ばれる怨霊の群れに呼ばれていた。
だから自殺したのもその怨霊のせいなのだろう。
七人ミサキとはこの地方に伝わる悪霊の群れで何年かに一度悪さをする。悪さは七人犠牲者が出るまでおさまることはない。
今年はもう五人も死んだ。知恵は五人目だ。
あと二人、誰かが呼ばれて命を落とす。
…
年寄りの世迷言だと思ったら、美砂も誰も、このあたりの住民皆が信じてると聞いて驚いた。
美砂の口が重かったのもこのせいだ。
部外者の俺にしてみればくだらない迷信だが土着の人達にとっては違う。中でも以前の悪さを覚えている人達には、この事件は畏怖の対象らしい。下手に口に出したら悪霊に目をつけられ呼ばれてしまう、そう本気で信じているようだった。
俺は霊なんて信じちゃいない。幽霊や怪奇現象を世の中はすぐ騒ぎ立てるが全て気のせい、幻かいたずら、トリックだと思っている。
しかしやはりその土地伝来のフォークロアはどの国にもある。それを頭ごなしに否定したり茶々を入れたりするほど俺ももう子供じゃなかった
俺はしつこく「七人ミサキじゃあ。」と騒ぎ立てる祖父を横目で見ながら、ずっと黙っていた。
……………
「今夜はこちらでお休みになってください。」
薄暗い山あいの家。まだ夕刻になる前に陽が落ち、美砂に案内された奥の座敷はさらに暗くなった。
広すぎる田舎造りの家にたった3人。
今夜は風も無い。まだ六時前だというのに車も通らない山裾の夜はまるで飲み込まれるような静けさだ。空だけはまだかろうじてわずかな光を称えているが山はすでに闇の中に落ち込んでいる。
変な話を聞いたせいかその闇の中に何か得体の知れないものが潜んでいる気配すら感じたが、いや。これも気のせいだろう。
「寒いな。」
俺は身震いをした。
部屋の隅に赤々と燃える石油ストーブが置かれていたが、とても役に立っている気はしない。
見回すと部屋の隅に置かれていた小さなテーブルには使い込まれた灰皿が用意されていた。
──── 気が効く女だぜ。
俺は座り込んでタバコに火をつけた。
深々と冷え込んで行く山の夜に赤い光が燈ると、やっと重たい冷気が立ち去って行く気がした。
七人ミサキ、か────
俺は聞きなれないその言葉を繰り返しながら細く、長く煙を吐き出した。
……………
俺がまず向かったのは知恵の通っていた県立高校だ。
知恵の“元”担任は俺の姿を見るなりかなり怪しんだ、が、美砂の顔を見ると頬を綻ばせた。
「知恵ちゃんの事は、本当に残念だった。」
俺と同じくらいの歳だろうか、越智と名乗った教師は俺たちの前で涙を見せた。
僕にもっと力があれば
僕がもっとしっかりしていれば
僕は彼女を救ってあげることが出来なかった
教師として、そして男として、越智の苦しみはどれほどのものだっただろう。
遺書に記された「越智せんせい、ありがとう。」の文字が忘れられない。冷たくなった彼女の遺体が忘れられ無い、と語った。
真鍋知恵はクラスでも目立たない存在だったらしい。
成績は中の上。発言も少なく、友人も少ない。
クラスメートにも話を聞いたが、ほとんど記憶に無い子供も居たくらいだ。
越智は彼女が悩んでいたことも、イジメを受けていたかどうかもわからなかった。遺書は将来を悲観した内容だったらしいが具体的に何をどう悲観したのかまでは把握していなかった。
クラスメート達の答えも、まるで決められているかのように「知らない」だ。
ただ、
知恵ちゃんは七人ミサキに呼ばれたんだね、きっと────
そう言った子供が数人。
俺はその言葉が妙に引っかかった。
……………
「あらあら、美砂ちゃん久しぶり。」
俺が美砂と田舎道を歩いていると、すれ違いざまに買い物帰りの中年女性からそう声をかけられた。
昔馴染みのご近所様か、それとも親戚か。続けてその女性は俺のことを上から下まで舐め回すように見てきやがった。その目は確かに俺の噂を知っていて品定めしようという意図が見えていた。
「ふうん、この人ねえ、美砂ちゃんのいい人なの?」
「いえいえ、そうじゃないですよ。」
下手な冗談に慌てて取り繕う美砂、いや、そっちじゃねえよ。
狙いは前半。
(ふうん、この人ねえ)だ。
明らかに俺の事を知っている。いや、勿論初対面だが俺の噂を随分と聞いているようだ。小さな田舎町、噂が広まるのなんて一瞬なんだろう。
こういう経験は何度かある。閉鎖的な街に来た時はなおさらだ。美砂の祖父にも言えることだが余所者に対して異常なまでの警戒心があるんだな。その裏返しで俺からみたら不自然な行動をいくつか取る事があるんだ。
「そう、じゃあ尚更だけど・・・」
女性はチラチラと俺に目線を送りながら話を続けた。
「七人ミサキに呼ばれないように気をつけてね。」
そう言い残して笑いながら立ち去った女性の背。これはきっと親切心から出てきた言葉なのだろう。しかし俺にはこの土地から俺に対する警告のようにも聞こえていた。
上京した真鍋美砂が男連れで帰ってきた。しかしそれは“いい人”などではなく胡散臭い探偵らしい、そして真鍋知恵の自殺について何やら嗅ぎ回っている・・・
──── まあ、そりゃそうだ。
歓迎されるなんて思っちゃいねぇよ。
……………
美砂の妹、知恵は地元の公立高校に通っていた。歳は18。
仏壇の遺影は内向的でおとなしい印象の顔立ちを見事に映し出していた。
あと仏壇には美砂たちの両親の写真も飾られていた、と加えておく。
二日間の調査で俺はかなり行き詰っていた。
マコトへの連絡が面倒くさい。俺の悪い癖だ。
結論から言えば真鍋知恵の死はどう間違っても自殺以外の何者でもない。
遺書があり、自宅の裏山で首を吊っていた所をたまたま山菜採りに来ていた近所の住人に見つけられた。
そして他殺を裏付けるものは何ひとつ、無い。
知恵がホームセンターでロープを用意した事も分かっている。指紋と皮膚の欠片から自分で太めの木を選んでロープをかけた。その行為にも間違いはなさそうだった。
徳島県警に、なじみの近藤刑事から連絡をつけてもらい無理矢理得た情報だ。
真鍋知恵は自殺。
これはどう転んでも変わりそうに無かった。
ただし、
そう、
たとえそれが、限りなく他殺に近いものだったとしても。
知恵の全身には虐待の跡があり、腕や足にはためらい傷が無数にあり、
そして膣から男性の精液が検出された、としても、だ。
to be continued....




