ショートショート「ハロウィンの夜」
生憎、その年の10月31日は雨だった。
傘をさすほどではないにしろ通り過ぎる車のタイヤは確かに重たい音を立てていたし、急に深まった秋の夜雨は確実に俺の身体から体温を奪い続けている。
俺はある医師の依頼で連続殺人鬼となった男を追っていた。血縁関係にある自分の身内を次から次へと殺しているらしい。姉は幸いにも命を取り留め、今はその医師の元で保護されているらしいが・・・酷え話だぜ。
容疑者はすぐに見つかった、が、なかなか尻尾を出さない。俺たちの張り込みももう三日を過ぎようとしていた。
俺たちは最近順調だ。とても順調だ。
ダニーに拾われ、シケた探偵事務所を二人で開業したところに小さなアシスタントが加わって、俺の周りは途端に賑やかになった。
次々と依頼をこなしているうちに俺たちの名前はちょっとした有名人にまでなっている。二人で切り盛りしていた頃とは比べ物にならないくらい懐も潤い、ついに地下のカビ臭い事務所を移転しようかなどという話まで出てきた。
一年前、あいつの薬を買ってやれなかった俺は。今はいない。
傘をさして客を待つ娼婦たち。
目の端に映る彼女たちの姿を見る度に俺は思い出す。
果たして俺はあの時、間違っていなかったのだろうか?と。
こうしてのうのうと生きている俺は、あいつの望みを叶えてやれたのだろうか、と。
雨は何も教えてくれない。
雨は何も洗い流してはくれない。
ただ、身動きの取れない俺の身体を少しずつ、少しずつ冷やしてゆくだけだ。
少し前までは雨合羽を着た子供達が大通りを駆けて行ったがもう誰もいなくなった。子供が出歩く時間はとうの昔に終わってしまった。
俺の時間は、まだ続いている。
──── この仕事が終わったらたまには親父の顔でも見に行くか
そんな事を考えて内ポケットからタバコを出すと、目の前に見慣れた男の影が現れた。
「よう、調子はどうだい?相棒。」
そう言いながら流行りのコーヒーショップの紙コップを差し出したのは俺の相棒、ダニーことダニエルだった。
こいつはもう俺がこの店のコーヒーしか飲まないことまで知っている。
俺はターゲットに全く動きがない事を伝えると紙コップを受け取ってその場を離れた。
「まあ焦ったら負けだ。カードは時の運さ。こういう時はいい手が来るまでフォールドするのも必要な事だぜ。」
それは人生にとって必要なことか?と聞くとダニーは肩を竦めて「さあな。」と答えた。
この野郎────
俺たちは笑いながら拳をぶつけ合って見張りを交代した。
俺たちは順調だ。
車に戻り、シートに身体を埋めて目を閉じるとあまりの順調さに、まるで今が夢の中ではないかとすら思えてくる。
ダッシュボードには「Trick or treat!」と言われた時のためにチョコレートやグミの袋まで置いてある始末だ。
俺はさらにシートに深く沈み込んだ。
そして俺は寝てしまったらしい。
『どうした?ぬるま湯に浸かっている気分にでもなったか?』
誰もいないはずの助手席から、そんな声が聞こえてきたからだ。
それは俺の良く知っている人の声だった。
──── そんなんじゃねぇよ
多分、そう答えた。
──── そうか
微かにそう呟く声が聞こえた
『なあ、ジョージ。今度、一緒に飲もうや。いいバーを教えてやるよ。』
夢の中の男はそう提案してきた。
昔の俺なら殴っていたかも知れない。しかしその時の俺は
──── ああ、悪くない
そう答えていた。
隣の気配が満足げに微笑んだ。少なくとも目を閉じていた俺にはそう伝わった。
そしてアラームの音で目を覚ました俺の横には当然のように誰も居なかった。
ただ、子供の頃から嗅ぎ慣れた、あのタバコの臭いが微かに残っていた。
この約束を果たせたのはこの日からちょうど半年後の事だ。
俺はバーボンのボトルを丸々1本、墓石の上からぶっかけてこう呟いたんだ。
──── ゆっくり話そうぜ、親父。




