「口裂け女」
僕の名前はマコト、ジョージさんの事務所に勤務しているベテラン探偵・・・見習いだ。
最近は事務所に通うのが一層楽しくなった。なんと言ってもアメリカから来た新しいアシスタントさんが美人だからね。
流れるような金髪、透き通った青い瞳、まだ二十歳のせいか時折見せる表情には子供らしさすら残ってる。
ジョージさんと好い仲らしいからもちろん手を出そうなんて考えてないけど、やっぱり女の子が居ると華やかさが違うというか、事務所の中が明るくなった気がするね。
ん?
ああ、ごめんごめん、ミケも居てくれて華やかさが増してるよ。引っ掻かないで。
──── なんで考えてることがバレるんだろ?動物は人間の機微に敏感だって言うけど本当だね。
えへへ。
そして絶賛恋人募集中の僕にはもう一つ楽しみがあるんだ。
ジョージさんがお世話になっている新宿の闇医者──── もとい名医“ドクター”毒島の診療所に行く事だ。
あそこにいる看護師さん、山田さんと言ったかな?彼女がとにかく美人なんだ。
いつも大きなマスクをしているから鼻から口元は見えないんだけど、切れ長の強気な瞳がたまらないんだよね。それにスタイル抜群、スーパーモデルばりの腰つきをしてるからいつも後ろ姿を目で追っちゃうんだよな。
あれで白衣というのもポイント高いよなあ。
あそこにいる患者さんの半分くらいは山田さん目当てだね、間違いない。
なのでジョージさんのお使いで診療所に行くのが今の僕には何よりの楽しみとなっているわけだ。
…
そしてその日も僕は軽い足取りでドクの診療所に向かったのだった。
夏も盛りを過ぎたとはいえ、まだまだ日差しは肌を刺すようで、それでいて風の中には少しだけ秋の香りが漂い始めている、そんな季節の境目を思わせる心地よい日だった。
「いらっしゃいませ、ご注文のおクスリ出来てますわよ。マコト様。」
山田さんは僕の姿を見るとにこやかに微笑んでそう言ってくれた。大きなマスクのせいで綺麗な目しか見えないけどきっと歓迎してくれている。そうに違いない。
しかし、いつ見てもこんな、と、言ったら失礼だけど控えめに言ってボロボロの診療所には似つかわしくない美人看護師さんなんだよなあ・・・
とにかくスタイルがいい。足も長い。僕の腰くらいまであるんじゃない?変に肌を露出させていないのもいいんだ。ミニの白衣じゃなくてロングスカート、チャイナ服にも似たスリットの入った服に上着も長袖。スカートの内側は・・・残念、白いタイツも履いていました。
アイシャドウも濃い赤紫、付けまつ毛?だよね?目元だけならキャバ嬢と呼んでも差し支えないくらい濃いメイク。ちょっと看護師がこんなにメイクしてもいいの?と思うくらい。でもそれがよく似合ってるんだよなぁ。
あんなに大きなマスクをしているなんて勿体ない。第一あれって男物じゃないのか?顔の下半分隠れちゃってるよ。
と、ジロジロ見ていたら山田さんが急に振り返った。
「何かご用ですか?マコト様?」
まさかヒップラインに見惚れていたなんて言えない。
「いや。変わった白衣だよね?それ。長袖にロングスカートというのも珍しいね。」
そう取り繕うと──── 取り繕ったのもバレバレだと思うんだけど──── そんな僕の下心には触れずに山田さんは哀しそうな目をした。
「私、実は身体中酷い傷があるのです。・・・昔、自傷症を患いまして危ないところをセンセに助けていただいたのです。患者さんが怖がるといけないのでこうして隠しているんですよ。」
「あ・・・すみません。」
「いえ、マコト様なら構いませんわ。なんなら少しお見せしましょうか?」
「い、いえ、遠慮します。」
僕は慌てて今度は本心から取り繕った。
僕は馬鹿だ。
おかしな格好にはきっと理由があるはずだ、人には言えない訳の一つや二つあるはずだろうとなんで思えなかったんだ。
山田さんはさらに僕を気遣って袖をまくろうとまでしてくれたじゃないか。
僕は右手でおもいっきり自分の頬をビンタした。
「マ、マコト様?」
今度は驚いて山田さんが狼狽える。
「いてて、いや本当に御免なさい。今日のところはこれで帰ります。また来ますから!」
そう元気よく伝えると薬を入れた鞄を掴んで僕は診察室を飛び出した。
扉を開けると待合室で目を丸くした老人がこちらを見てニヤリと笑った。きっと山田さんに振られて頬を張り倒されたと思われたんだろうなあ、これ。
まあいいや。
今度ケーキでも持って正式に謝りに行こう。
……………
「以上が今回のターゲット、通称“口裂け女”の情報よ。」
そう言うとエイミーはファイルをテーブルの上に放り投げた。
「ホント、馬鹿じゃないの?こういう女って私一番嫌いなのよね。」
かなりイライラしている様子だ。僕は肩を竦めてノートパソコンに向かい極力目を合わせないようにする。チラリとジョージさんを横目で見るとコーヒーを飲むふりをしてやり過ごそうとしていた。あ、やっぱり今の彼女には触れない方がいいんですね。
ここ数日、マスコミで噂になっている連続切り裂き魔、通称“口裂け女”を僕たちは追っていた。
黄昏時に一人で歩いていると女性から声をかけられる。
「わたし、綺麗?」
と、
女性は顔半分を隠した大きなマスクをしており、それを除けば本当に綺麗な顔立ちをしているという。
「綺麗です。」
と、答えると
「そう、これでも綺麗?」
と、女性はマスクを外す。そこには耳まで裂けた口。女性は恐怖に震える獲物を見ると逆上して包丁で斬りつけるという事件だ。
すでに三人が犠牲になり中には5針も縫う大怪我をした子供もいる。小学生を中心に噂が広まり、子供達を恐怖のどん底に落としている切り裂き魔。それが通称“口裂け女”だ。名前の由来は1970年代に起こった同様の事件かららしい。
依頼人はある有名整形外科医。
口裂け女とは名ばかりで、実際は整形外科手術に失敗した女性だ。口角挙上手術というものらしいのだが手術ミスから傷口が開き、口が裂けたように見える。それを見た患者は逆上し、医師の言うことも聞かずに飛び出して行ったらしい。
これ以上被害が広がる前に再手術を受けてもらいたい、そういう話だった。
まったくエイミーはどこからこんな依頼を受けてくるのか不思議なんだけど。彼女には太いパイプがどこかから繋がっているんだろうなぁ。
「別に整形に抵抗感は無いしするのも勝手だと思うわ。私だって考えたことくらいあるわよ。でもそれって全て自己責任よね?
失敗するリスクは承知の上で行うべきだし、それをさらに他の人まで巻き込んで。ただの八つ当たりじゃないの?しかも耳まで裂けるはずないじゃない。せいぜい口の横に傷跡が残ったくらいでしょう?いくらでも消せるわよそんなの。
そんなことくらいで逆上して子供を巻き込むなんて許せないわ、ねえ?ジョージ?」
ジョージさんは話を振られて「ああ、そうだな。」と力なく返事を返した。
警察も動いている。先に逮捕されるような事があれば事が公になり、僕達の依頼人が経営するクリニックもまたマスコミの餌食になるだろう。その前に犯人を捕まえて極秘裏に再手術を受けさせる、それで依頼完了だ。
僕達は口裂け女の出没する時間と場所を記録して、次の出没する地点を予測していた。その結果絞られたのが二ヶ所。中央線沿線が怪しいとジョージさんの勘が囁いた。
ひとつは杉並区高円寺近辺、そしてもう一つが武蔵野市吉祥寺。
こうして僕達は二手に分かれて黄昏時の住宅街をパトロールする事にしたんだ。
……………
夕暮れ時の高円寺駅は会社帰りの人と学生さんが入り混じり、まるでお祭りのように賑わっていた。
小さなお店と飲み屋が立ち並び、高架下から商店街まで呼子の声が響く様はまるで異国のようだ。
僕は一人、喧騒から離れて住宅街へと足を踏み入れる。一本通りを離れただけなのに賑やかな声も若者たちの姿も無くなり、家路へと向かうサラリーマンとランドセルを背負った塾帰りの子供がまばらに歩くだけとなった。
なるほど、確かに報告にあった通りのシチュエーションだ。
こういう黄昏時に一人で歩いていると出会うんだよね・・・
って、
あれ?
いつのまにか誰もいない。
僕一人?
一人って・・・
こういう夕暮れ時の道を一人で歩いていると、どこからともなく目の前に女性が・・・
え?
──── いるね。
いつのまにか夕陽の中で前に誰か立っている。
シルエットになってよく見えないけど女性のようだ、それに微かに見えるけど大きなマスクをして・・・
ま、まさか・・・これって・・・
僕の喉がゴクリと鳴った。
「こんなところで何をしているのですか?マコト様。」
あ、やっぱり山田さんだ。
その腰のくびれはそうじゃないかなーって思っていたんだ。
僕は往診用の鞄を下げた山田さんに駆け寄った。
頬の筋肉が柔らかくなってゆくのがわかるね。シルエットだけでも眼福でした。
…
「そう、噂の口裂け女を追っているのですね。」
僕はお使いの帰りだという山田さんと肩を並べて歩いていた。こんな風に偶然出会えるなんてもしかしたら運命なのかもしれない。
「うん、今までの出現パターンから次はこの辺りが怪しいと踏んでパトロールしていたんだ。」
「マコト様は凄いですね。」
急に褒められて僕の心臓がドキンと鳴った。いやあ、そんな事は無いんだけど。と、誤魔化したけどきっと顔が真っ赤になっている。
山田さんって歳上だよね?今付き合っている人っているのかなぁ・・・?
「あ、あの。」
勇気を振り絞って尋ねようかと身を乗り出した僕の脳裏にジョージさんの声が重なった。
『あんなヤブ医者の所にワケも無しにあんな美人がいるわけないだろ?あまり近づかない方がいいぞ、マコト。』
その言葉が何故か僕の喉に引っかかるように邪魔をしている。
何故だろう。
尊敬しているジョージさんの言葉だからというのもあるけど、僕は山田さんの事を何も知らないんだ。ジョージさんには何か見えているものがあるんだろうか?
僕は言葉を詰まらせてしまった。
『へぇ山田さん、山田さん、ね。』
僕がやっとの思いで名前を聞いた時のジョージさんの反応も変だった。よくある名前、ありきたりの名前、もしかしてとは思ったけどやっぱりジョージさんも偽名だって思ったのかな?
チラリと山田さんの横顔を見る。
こんな美人なのに、少し見ただけで虜になりそうな目が離せない程の女性なのに。
でも確かにワケ有りなのかも知れない。
僕とは住む世界が違う人なのかも知れない。
こんなに肩が触れるほど近いのに、きっと彼女との間には果てしない距離がある。
そんな事を考えて僕が奥歯を噛み締めたその時。
黄昏時の住宅街に悲鳴が響き渡った。
……………
僕と山田さんが現場に駆けつけた時、そこには夕陽の中で大きな鉈を振り下ろす一人の女性と、額から血を流して這いずりながら逃げている中年のサラリーマンがいた。
女性の口には左右に大きな傷跡が残っていた。
ザックリとサラリーマンの背を切り裂くとそこから噴水のように血が吹き出し、サラリーマンはヒイヒイと言いながら僕達の足元まで這いずって来てそこで気を失った。
当たりだ。
彼女が“口裂け女”だと確信した。
口裂け女は僕達の姿を見つけると、まるで炎が吹き出しそうな程憎しみを込めた瞳で睨みつけてきた。
その手にはべっとりと血がこびりついた大きな鉈が握られている。
僕はあまりの恐怖に足が竦んで動けなくなった。
どうせ女性だからと舐めていた。力では勝てるだろうし、獲物も犠牲者の傷跡から見て果物ナイフか大きくても包丁程度と推測していた。
まさか、鉈?
包丁ならなんとかなると思った。多少の護身術は習っているし包丁程度なら女性が持っていても怖くない。
でも目の前に突きつけられた刃渡り40センチの刃物はあまりにも凶暴だった。頭で想像していたよりずっと大きく、そして本能が抵抗するよりも逃げろと叫んでいる。
僕は馬鹿だ。
どうして凶器は同じものを使うと思い込んでいたんだ?
口裂け女は足が震えて動けなくなった僕と足元のサラリーマンを見ると、ニイっと口元を笑顔に歪めた。
まるで口が耳まで裂けたように見えた。
そんな僕の前に一人の影が立ち塞がった。
「山田さん逃げて!」
咄嗟にでた言葉に山田さんはチラリと僕を振り返り、そして優しく微笑み、
口裂け女へ向けて駆け出した。
白いエナメルのパンプスを履いてるとは思えない素早い動きだった。
口裂け女は鉈を思いっきり振り上げて迎え撃つ。その懐に飛び込む山田さんの右手にはいつのまにか光る物が握られていた。
あれは、メス?
その銀光は夕陽の中でもひときわ白く輝き、
次の瞬間、口裂け女の持つ鉈は真っ二つに切られて地に落ちていた。
口裂け女の耳まで裂けた口が恐怖の形をつくる。
叫び声はあげられなかった。いや、山田さんがあげさせなかった。口裂け女を蹴り飛ばすと壁に押し付けてその喉元を締め上げたのだ。その首筋にメスが突きつけられている。
見事な腕前だった。ジョージさんに負けていない。
「口裂け女、ね。」
山田さんは口裂け女を壁に押し付けている、こちらからだと背中しか見えないが、犯人と喋っている声は聞こえてくる。
「アタシのシマで好き勝手してんじゃねえよ。」
ドスの効いた声だった。
「アンタにも聞いてやろうか?」
山田さんはマスクを外して顔を押し付けている。
「アタシ。綺麗?」
この時僕はやっと理解したんだ。
ああ、あれは知っている。
あれは
ガンくれるって奴だ。
僕は山田さんに感じていた距離感の正体にやっと気がついた。
山田さんの正体、それは
派手なメイク、ロングスカート、大きなマスク。
彼女はきっと元レディースの総長かなんかなんだ。
僕とは住む世界が違う。
口裂け女も山田さんの剣幕にビビっている。真っ青な顔をしてすみません、もうしません、と謝っていた。あんなに脅えてる、美人が怒るとやっぱり怖いって事かな?
ああ、山田さん美人なのになぁ。
短い恋だったな、と僕は事件解決より先にそう思った。
……………エピローグ
僕は口裂け女を連れてその場から消えた。落ち着いた彼女は素直に再手術の申し出を受けてくれた。
山田さんは重症のサラリーマンに応急処置を施しながら救急車を待つと言いその場に残ってくれた。流石に新宿の闇医者で働いているだけの事はある。こういう裏のやり取りも慣れたものだ。
マスクを付けた山田さんは頬を染めながら「ホホホ、お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたわ。」といつもの丁寧な口調に戻っていた。
「あの?」
タクシーの後部座席でまだ青い顔をしている口裂け女が僕に話しかけて来た。もうマスクで隠してるので今はただの美人OLにしか見えない。
「あの人って、本物ですか?」
その質問の意味は全くわからなかった。あの人って山田さん?本物って?
「い、いえ、なんでもないです。」
僕が答えに困っていると彼女は慌てて首を振って、その後はクリニックに着くまで一言も口を開かなかった。
口裂け女
世間を騒がせたこの口裂け女事件はこうして幕を閉じた。もちろんこの日を境に口裂け女が現れる事も無くなり、犠牲者も出なくなるだろう。
警察は犯人を追っていたが僕達のところに追求の手が伸びてくる事も無かった。
ただ、未だに子供達の間では口裂け女の伝説が生きているらしい。
都市伝説としてきっと永遠に語り継がれるのだろう。
彼女の傷跡が綺麗になっても、永遠に。
恐怖の象徴として。
本当は優しい女なのかも知れないのに。
本当は哀しい女なのかも知れないのにな。
僕は目の奥がジワリと熱くなるのを感じながら、ますます高くなる透けるような青空を眺めていた。




