「庚申待の夜」
「あら、お客様?出直した方がいいかしら?」
気を遣って出て行こうとするサオリ。俺は慌てて後を追い廊下で彼女を振り向かせる事に成功した。
顔こそ普段と変わらずにこやかだが目がまったく笑ってない。俺の錆びついた鼻は貯め込んでいる家賃を一括請求されそうな空気を嗅ぎ取っていた。
なんとか仕事仲間なんだと納得してもらうが、サオリは新しいスタッフの事が気になるらしい。
アメリカにいた時に知り合ったエイミーだ。向こうでも随分助けられた。と、取り繕ったが、
「ふうん、・・・随分と若い方なのね。」
と、おかしな返事が返ってくる始末だ。
「余計なお世話かもしれないけど、ジョージ君、ちゃんと雇えるの?」
「ご心配なく。自分の給料分は自分で稼ぐわ。」
俺がいざとなったらマコトをお払い箱にするしかねぇかな、などと考えていると部屋の中から流暢な日本語で返事が帰ってきた。小声で話していたつもりだが、地獄耳かよ、エイミー。
家賃の話をまた今度にしてもらい、俺が部屋の中に戻ると今度はエイミーとミキがテーブルを挟んで睨み合っていた。
「ふうん、お姉さんジョージの仕事仲間なのね。ウチのジョージがいつもお世話になっています。」
「貴女付き合い長いんですってね。でも、昔の話でしょ?あまりカレの事詳しくないようね。」
こっちも何やらおっかねえ。
おいおい、誰かなんとかしてくれよ。
俺の名前はジョージ
なんでこうなっているのかさっぱりわからねえ。
……………
二人が何を張り合っていたのかは知らないが、眠たそうな猫が唸ったので無事に終わりを告げた。
いいぞ、ミケ。やっぱりお前が一番だ。
二人とも妙に不機嫌だがこれでやっと仕事の話が出来る。
しかし、まさかミキからの電話をエイミーが受けるとは、これは完全に誤算だった。そこから全く話が進まなくなったのだが、これからは携帯電話をちゃんと持ち歩くとするか。
「まあいいわ、貴女が何処の馬の骨なのかは置いておいて・・・ジョージ、そんなに警戒しないで、今回は簡単な護衛よ。とにかく人手が足りないの。」
ミキはそう言うとまるで大輪の薔薇が咲き誇ったかのような笑みを見せた。
この笑顔が出る時は大抵酷い目に遭ってる気がするんだがな。
馬の骨と言われたエイミーは怒るでもなく、余裕の笑みを浮かべてコーヒーを飲んでいる。それは俺のコーヒーなんだが、しっかりしているように見えて内心余裕は無いって事か。
ミキはそんなエイミーを鼻で笑いながら仕事の話を続けた。
ある町の町会議員選挙がある。I県の外れにある小さな町だ。最大派閥のJ党と最近話題の新党候補が激突して熾烈な争いになると見られている。と、ここまでならただの地方議員選挙でなんの問題も無いのだが、今年は何故かここにこの地方特有の庚申祭りが重なったという。
「庚申祭り?庚申ってなんだ?」
と、聞くと
「干支の庚申の事よ、ジョージ。」
「猿のお面を配るんでしたっけ?」
「福岡の猿田彦神社が有名ね。お面には福を呼ぶご利益があるそうよ。」
俺以外全員が知っていやがった、ちくしょう。なんでエイミーまでそんなに日本に詳しいんだよ。
「その町にとってはちょっと特別なお祭りらしくてね、観光客もわんさかと来るし、お祭り直後の選挙へ向けて各議員ここぞとばかりにアピールをしたいってワケ。お祭りの準備にイベント運営、それに会場と議員の警護、人手なんていくらあっても足りないわ。
まあ、いつもみたいに儲け話ってワケにはいかないけど、アルバイトだと思って引き受けてくれないかなぁ?
・・・お願い!本当に人手が足りないのよ。」
そう言って俺を拝むな。
まあ、別にいいけどよ。と答えるとまたミキは鮮やかな薔薇が咲き乱れたかのような笑顔を見せる。糞、どうしてもミキの依頼は断れない運命にあるらしいな。
「ところで、」
俺は最後にちょっとした疑問を訪ねることにした。
「ミキはどっち側に雇われてるんだ?J党か?新党か?」
そう聞くとミキはふふっ、といやに色っぽい笑い方をした。
「そんなの両方に決まってるじゃ無い。」
薔薇が一気に棘だらけになったじゃねえか。
まあ、予想はついていたけどよ。
まったく、食えない女狐だぜ。
……………
祭りの賑わいは苦手だ、煩いのは御免だぜ。
俺は志願して新党候補の自宅警護に当たる事にした。新党候補とは言っても若手ではなく、元は大手のM党に所属していた大物だ。俺もテレビで顔を見た記憶がある。少しの黒い噂とよくある政界スキャンダルに巻き込まれて姿を見なくなったが、まだ地方議会に居たんだな。
俺とマコトが軽く挨拶をすると
「ああ、話は聞いている。そうだなまずは玄関、かな?玄関を頼む!」
と、忙しそうな返事が来た。本当に何も決まってないんだな。こんなチンピラみたいなのをずっと玄関に立たせておくつもりかよ。
俺はタバコに火を付けた。
番犬役なら番犬らしく、な。
議員、いや元議員の名前は田中と言った。某有名議員の親戚かと思ったがなんの関係も無いらしい。かなりのやり手らしく会社をいくつも運営していた。今は全ての会社の会長職について悠々自適の生活、還暦を前に政治の世界に首を突っ込み、古希を過ぎようとする今でも現役だ。
染めているのか地毛なのかわからないが、髪も眉毛も真っ黒だ、特に太く突き出たような眉毛が奴の気の強さをさらに際立てている。
ハッ、こいつは悪だぜ。俺にはわかる。
目的のためには手段を選ばないタイプだ。影でどれだけの人が人生を狂わされているかわかったもんじゃねえ。
ほら、早速、泣かされている住人がやってきたぜ。
「田中さん!話を聞いてくれ!あの土地は先祖代々受け継いできた土地なんだ。庚申様にも深い関わりがある!」
地元民だろうか、老夫婦が田中の姿を見ると物陰から飛び出てきて陳情を始めた。
「お願いだ!工事は辞めてくれ!」
俺はミキから聞いていた話を思い出した。確かこの辺りに新しいバイパスを通す計画があったはずだ。田中の公約にもなっていた。すでに土地の買収は終わっているらしいが、やはりそこはかなり強引な手を使ったのだろう。未だに納得していない住人もかなりの数に登るらしい。
まあ、多少グレーな取引でもサインしちまったんだろ?爺さん。それは覆せないぜ。
「村上さん、もうその話は決着がついたじゃ無いか、もう話すことは無い、ほら、帰った帰った。」
ほらな、田中に取り付く島なんてねえよ。
田中は俺たちに「丁重にお帰りいただけ。」と命令すると屋敷の中に引っ込んでいった。
「無理だぜ、痛い目に会う前に帰んな。」
俺は両手を広げて二人を抑えているマコトの後ろから脅しをかけた。
「土地を返せなんて言わない、ただ工事をするなんて聞いてないんだ、それだけは・・・それだけは辞めてくれ。頼む。」
番犬らしく凄みを効かせて睨んだ俺にも怯まず、老夫婦は俺にまですがりついた。
俺に言っても何も変わらねえよ、すまねえな。
それから多少の押し問答があったが、もう田中が出てくる様子が無いと判断したのか、二人は肩を抱き合うようにとぼとぼと田舎道を帰っていった。その後ろ姿は少し震えているようだった。
神社を作るからと言って土地をだまし取り、道路工事をするか、へっ、なかなかの悪っぷりだぜ。
ま、それでも今の雇い主だ。祭りが終わるまではしっかり守らせてもらうさ。
それが、仕事だ。
ふん、あっちのクライアントはどんな奴なんだろうな。
……………
「まあ、似たり寄ったりよ。若手と言ってもそれなりに年は食ってるわけだし、後ろ盾は大きな政党だし、党の意向には逆らえないもの。」
居酒屋の個室で夕食を摂りながら俺たちは情報交換をしていた。こんな怪しい面子が揃っていたら目立ってしまうかとも思ったが意外とそうでも無かった。観光客が多かったせいで助かったな。
田舎で目立つとロクなことがねえ。俺はそれを良く知っている。
「私はあのヒト好きじゃないなぁ、なんか・・・私達を見る目がいやらしく無かった?」
「まったくお子様なんだから。そういう視線を感じたらチャンスなのよ。そういう男は簡単にコントロールできるんだから。」
焼き鳥の串を手にしながら口をとがらせる金髪の美女に、黒髪の美女が怖い事を教えていた。
「でもちょっと可哀想でしたね、あのお爺さん。」
「私情は挟まないのが鉄則よ、マコト君。」
「わかってます・・・けど、まだまだ甘いなぁ、僕は。」
マコトが両手で自分の頬を叩いた。まあ、こいつにもいい経験だろ。
「ところでひとつ質問いいか?」
俺は仕事をしながら耳にしたこの地方の言い伝えを尋ねてみることにした。
「なんで“今夜は誰も寝てはいけない”なんて決まりがあるんだ?」
「それは今夜が“庚申待”の夜だからよ。」
庚申、またそいつが絡んでいるのか。そう言えばあの爺さんも土地が庚申様にどうのって言ってやがったな。
「庚申の夜には寝ていけないという決まりがあるのよ。一年のうち今夜だけ体内に居る“三尸”という虫が外に出られるらしいわ。
三尸は人が死ぬと自由になれるから、体から抜け出て天の神様にその人の悪事を告げ口して、その人の寿命を減らそうとするのね。
三尸は人が寝て居る間に外に抜け出すから、みんな今夜だけは一晩寝ないで過ごすのよ。」
「寝たらどうなる?」
「寿命が縮むんじゃないかしら?その人の悪事の量に応じて、だけど。」
「ふうん、じゃあ私達も寝ないで過ごさなくっちゃ。ね?ジョージ?」
「残念、庚申の夜には慎ましやかに過ごす、って決まりもあるのよ。ったく、お子様のくせに堂々と抜け駆け宣言してんじゃないわよ。」
ミキがグイッとビールを飲み干した。まあ、祭りになるくらいだからほどほどにしとけって事だろう。へっ、おあつらえ向きだぜ、仕事は朝までだ。愛を語るようなヒマは無いが、まあせいぜい楽しませてもらうとするさ。
俺はタバコを取り出す。
ニヤリと笑ってライターを構えた、が、気付くと正面の美女二人が俺を睨んでいやがった。
俺は横を向き肩を竦ませてコソコソと火をつける。
あぁ、
これ、カッコ悪りぃな。
……………
翌朝、俺たちの仕事は問題なく終わりを告げた。
田中は一晩中祭りにイベントにと走り回り精力的にアピールを続けた。いくつかの陳情らしきものはあったが全て丁重にお帰りいただき、田中には指一本触れさせはしなかった。
まあ、アルバイトにしてはいい金になったかな。
まあ、俺たちは問題なしとして、田中が無事だったかどうかはわからないがな。
「何故だ?何故私は寝てしまったのだ?お前たちもどうして起こさない?」
成金趣味のリビングで顔を真っ青にしながら田中は使用人達を呼びつけて叱っていた。明け方書斎にいる間にウツラウツラしてしまったらしい。
そんなに真っ青になるほど迷信を信じ込んでいるのかよ。それだけで寿命が縮んじまうんじゃねえかな。
俺はそんな事を考えながらマコトと屋敷を後にした。
俺たちは国道沿いでミキとエイミーを車に乗せる。朝日に満ちたメイフェアの狭い車内が途端に華やかな香水の香りに満たされた。
「随分ご機嫌ね、ジョージ。」
エイミーがアクセルを踏む俺の様子に気づいたらしい。相変わらず感の鋭い娘だぜ。
俺はバックミラーに映るミキと目を合わせてニヤリと笑い合った。
軽いイタズラさ。あの慌てた顔を見たらちょっとはすっきりしたぜ。
「あー、なんか怪しい!どうも昨日の夜から怪しいとは思ってたのよね。ミキさんもミキさんよ。慎ましやかに過ごすなんて私には言っておいて、姿が見えなくなったし。どこ行ってたのよ!」
「お子様は知らなくていいの。」
「ひど〜い!マコト!何か知ってるなら教えなさい!」
「ぼ、僕は何も見てませんよ!」
「それ、知ってるって言ってるわよね?」
まったく、賑やかな奴らだぜ。
「煩いわねえ、眠いんだから静かにしなさい。ジョージ、東京に着いたら起こしてね。」
女狐が瞳を閉じた。ハハッ、何だかんだ言ってもミキは気が利いてるぜ。昨夜も顔色ひとつ変えなかった俺のところにこっそりときて、「本当は気に入らないんでしょ?」と睡眠薬を手渡してくれた。
まあ、それで工事が止まるとかあの爺さんが救われるなんて考えちゃいない。そもそも俺は正義の味方じゃねえ。
ただ、いけ好かない野郎をほっとけないだけさ。
俺はアクセルを踏み込んだ。
ドラムを叩くようなエンジン音にさらに俺は気分を良くし、愛車は初夏の風を浴びながら快調に東京への道を駆けていった。




