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心霊探偵ジョージ   作者: pDOG
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「女郎蜘蛛殺神事件 後編」


男はまだ生きている。痙攣していた。


「あ、そこの。」

俺は人溜りの中からあの気のつく中居を見つけて声をかけた。右手を上げてひらひらと振る。

「救急車だ。あと警察に。」

「は、はいっ。」

中居は全く俺を怪しもうともせず廊下を駆けていった。本当に優秀なひとだ。

逆に若い男は俺を見ると眉をひそめた。


「あんた誰だ?」

「ただの野次馬さ。」


俺は若い男には構わず、倒れた“先生”と呼ばれた男の状態を調べ始めた。


軽い嘔吐跡がある。毒、神経毒か?


俺は“先生”を横向きに転がしてから口の中に指を突っ込み、嘔吐物が無いか確認した。


原因とされるものはなんだ?食べ物か?それとも患部はこの首にある腫れか?赤く盛り上がっているが、これは・・・?蛇にしては小さい。虫、か?

症状は、どうだ?大丈夫なのか?まだ痙攣を繰り返している。意識は・・・糞!戻らねえ。


救急車の到着が長く感じた。


駆けつけてくれた救急隊員に男を任せると、俺も野次馬の一人に戻ってロビーへと戻る。


俺の仕事はここまでか。


やれやれ、のんびりと湯治ってわけにもいかねぇな。


宿の外からパトカーのサイレンが聞こえてくる。


早い。小さい街なんだな。そしていい町だ。


ふう。


俺はこれから始まるであろう県警の事情聴取を想像して、深いため息をついた。



あれ、面倒くせえんだ。



……………


男は一命を取り留めた。


やはり神経毒によるアナフィラキシーショックらしい。首筋の咬み傷から何かの昆虫らしいという事がわかったらしいが特定には至っていない。噛まれた時間も場所もわからない。アナフィラキシーショックの症状は数時間経ってから現れる事があるからだ。

特定され、被害者がまた出るようならば後日調査チームを組むかもしれないと言う。


やれやれ。こういう事に後手後手なのはどこも一緒か。


とりあえず事故という線で一旦話はついた。


もう俺に出来ることは何もない。俺は型どおりの事情聴取を終えると、また風呂にでも入り直すか、と、頭をボリボリ掻きながら廊下を歩いていた。


そう言えばあの露天風呂にいた美人はどうしたかな?勿体無い事をしたかな。

確かに事件が起こってそれどころじゃなかったが、なんで俺ともあろうものがあんな美女を見逃したのか自分でも不思議だ。


「・・・やっぱりねぇ・・・」


そんな不謹慎な事を考えながら歩いていると、通りががったロビーの隅から声が聞こえてきた。この声はあの世話になった中居達だ。

一応小声で喋っているつもりなのだろうが、十分廊下の先に聞こえるほどの大きさだった。


「勝又さん、あの滝に手を出すから。」

「恨みを買ったのかしらねぇ。」


勝又というのはあの事故にあった被害者の名前だったはずだ。


恨み?事故じゃなかったのか?


「ちょっと。」


気づいたら俺は彼女達の話に入り込んでいた。

いきなりで驚かせたかも知れないが、こういう話を無視出来ないのは性分なのか?それとも職業病か?どちらにしてもしょうも無い理由に違い無い。


彼女達は快く喋ってくれた。


秘密を人に話すのが楽しくて仕方がないタイプだ。


きっと俺は苦笑しながら聞いていた事だろう。


彼女達の話をまとめるとこうだ。


この辺りでは時々こうした“事故”や“神隠し”か起こるという。

そして不思議な事が起こるたびに思い出される“伝説”があるらしい。


女郎蜘蛛の伝説。

地元の人達は親しみを込めて“蜘蛛姫様”と呼ぶ。


こういう事故が起きると地元の住人達は口を揃えて「蜘蛛姫様の祟りだ。」とか「蜘蛛姫様に魅入られた。」と言うのだという。


今回事故にあった勝又は市会議員で、地元では有名な人なのだという。

この温泉街は昼間聞いた滝が観光名所になっているのだが、その滝は古くからの習わしでずっと手付かずになっている。


習わし・・・案の定、“祟り”があるからだ。


だが勝又は安全性の確保とさらなる温泉街の発展の為に、滝の整備を無理矢理にでも推し進めようとしていたらしい。


信心深い住民は反対していた。が、勝又は今日強引に滝の“視察”を敢行し、ひとまわりした後にこの宿に入り、芸者などを呼んでお楽しみをしていたところってわけだ。


形ばかりの視察だったらしいが確かに滝にも行った。


勝又はどうやら蜘蛛姫様の祟りにあった、という噂でこの宿だけではなく、町中がもちきりになっているらしい。


「伝説だろ?」

俺は半ば呆れながら聞いてみた。

「それがねえ、祟りは滅多に無いんですけど、神隠しは年に一人か二人、必ず出るんですよ。」

「それも決まって若い男ばかり。」

「蜘蛛姫様が悪さしてるんだって地元では言ってます。」

「きっと食べられちゃうのよ。」

「食べちゃうって、違う意味かもしれないけどね。」

「やだあ。」

二人は顔を赤らめながら笑う。行方不明者が出ているのに、のどかな町なんだな。

「・・・まあ、中にはひょっこり帰って来た人も居ますから。」

「北川さんトコのはただの家出だら。」


のどかな町というか、田舎町に若者が嫌気をさして飛び出していっているだけ、か。

だんだんと方言が混じり始めた中居達に付き合うと際限無く話が続きそうだ。これ以上情報は出て来そうにないし、出て来たとしてもまた胡散臭い言い伝え絡みしかないだろう。


俺は二人に礼を言うと、すっかり冷え切った身体を温めに、また温泉へと向かう事にした。

去り際にふと思い出して中居に、露天風呂に酒を持って来てくれと頼んだ。あの女の持って来た酒はえらく美味かった。

また湯船に浸かりながら一杯やりたい気分だ。


それを聞くと中居達は目を丸くし、それからクスクスと笑い始めた。


「やだわあ、お客さん。うちではそんなサービスやってませんよう。」



確かに脱衣室には「お酒を飲んでの入浴はお控えください。」と書いてあった。


少しだけ抵抗してみたが、やはりお酒は出せないと言う。女の話もしてみたが笑われただけだった。

そんな客は宿泊してないし、そもそも混浴じゃありません、だと。



どうなってやがる。





……………



俺は不確かなものは嫌いだ。自分の目で見たものしか信じられない頭の固い人間だと自覚している。



だが運命、という言葉は嫌いじゃ無い。



人がもしも誰かと出会う事が運命づけられているのなら何があっても出会うだろうし、例え別れても、再び巡り会うと決まっているのだろう。



だから出会えなかった相手とはそれまでだ。



俺とあいつのように。



そして俺のちっぽけな人生に現れた人にはどうしても運命というものを感じてしまうものだ。



俺と彼女のように。



まさか、風呂上がりに部屋でひとり酒をしていた俺の元に、あの美女が現れるなんて思ってもみなかった。


缶ビールを3本開けた所で、次のビールに伸ばした俺の手に、白いたおやかな指が重なった。


目の端に浴衣と赤い羽織が見え、それから温泉で見た長い睫毛に気がついた。


いつの間に、どこから入ったのか。

まあ古い宿だし、オートロックもない。

いつでも、どこからでも、だ。


少し驚いた顔を見せた俺に、その美女は妖しく微笑んだ。


「探しましたよ。」


澄んだ鈴の音を思い出させる声だった。


柔らかく、そして鋭く。


抗う気を失わせる、不思議な声だった。



そして改めて思う。

瞳の美しい女だ。


俺は怪しむ事も忘れ彼女に魅入られていた。


今、まさに湯から上がってきたかのように、浴衣から覗く胸元は上気してほんのりと赤く染まっている。


わずかだか甘い日本酒の匂いがする。


その匂いが、俺に倒れこんできた彼女の髪の匂いに押しのけられた。


さらりとした黒髪が俺の頬を撫でた。



旅先の出会いも運命なのだろう。



俺は考えるのをやめた。



そうだな。



これも運命なのだとしたら、逆らってもいい事はなさそうだ。



だから俺は浴衣の中に女の手が入ってきて、俺の肌を確認するように弄ってきても、何も抵抗はしなかった。


女はそういう俺の姿を見ると、切れ長の瞳を細めて、くすりと微笑んだ。


獲物を前にした獣のような微笑みだった。



俺の頭の中に一瞬、あの女郎蜘蛛の伝説が浮かんだが、それもすぐ掻き消された。



こんな美女に食われるなら、それも悪く無い。



それに



俺の口の端が少しだけつり上がった




俺は獲物というより、どちらかと言うと猟犬なんだがな。


……………



「もう行くの?」


女は着替えを済ませた俺の背に声をかけた。


すまない、起こしてしまったか。


そう言うと女は、いいわ、と布団の中から答えた。


「ふう。」


女はごろりと体の向きを変えて、天井を向いた。

布団から細い肩と腕が出てきた。


俺の首にしがみついてきた腕だ。


細い指の先に、整えられた、桜貝の色をした爪が見えた。


俺の背に痛いほど突き立ててきた爪だ。


女は天井を向きながら目だけで俺を追った。


寂しそうな瞳だった。


「ねえ。」


女は言った。


「また来てくれる?」


行かないで、でも、行ってしまうのね、でも無かった。


「いい子にして待っていたらな。」


俺は彼女を蜘蛛姫様に見立てて冗談を返す。



しかし俺にしては不確かな約束をしたもんだ


まあ、また運命とやらが引き合わせてくれる事もあるだろう。


返事はなかった。


追ってくるような真似もしなかった。


いい女だ。


短い出会いだったが、忘れられそうにない。


俺は彼女に微笑みだけで別れを告げ、部屋を後にした。




「参ったわね、もう食べられないじゃない。」

後ろで彼女が何か呟いているのが聞こえたが、 気のせいかな。




……………



俺は一年後、またあの温泉街を訪れた。


滝は相変わらず力強く、一筋の光となって水面に吸い込まれていく。

腹の底に響くような音が俺を責める。


「あれ?ジョージさん?どこかに行くんですか?」


ちょっとな


俺はマコトに浮ついた返事を返す。


運命とやらがまた彼女と引き合わせてくれるのかどうか確認をしたかったのだ。



余談だが、この町では去年俺が訪れて以来ピタリと“悪さ”が出なくなったらしい。


いい子だ。


俺は誰に聞かせるでもなくそう呟くと、帽子を取って秋の深まる山の風を全身に浴びて、小さな温泉街を歩きながら来るはずのない返事を待つのだった。


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