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心霊探偵ジョージ   作者: pDOG
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「荒御霊」

挿絵(By みてみん)

厳重に厳重を重ねた警戒態勢。


だが、俺たちの警備をあざ笑うかのように犯行は起きた。


駆けつけた俺とミキ、そしてこの屋敷の主人であるT氏の妻である百合子、次男雄吾の目の前で、おどろおどろしい鎧武者がT氏の首を持って立っていた。


部屋を血の海で染めた惨劇に、百合子が短い悲鳴を残してその場に倒れる。

雄吾もその目に睨まれただけで指一本動かせない状態だ。


俺の名前はジョージ、しがない探偵なんて稼業をしている、んだが今ちょっと取り込み中だ。




俺の事務所に今回の依頼がきたのはちょうど一週間前のことだ。黒塗りの車に迎えられ、俺はC区に住むT氏の屋敷へと案内された。

T氏の家は古くから伝わる、ちょっと皮肉な表現をすれば“財閥”だ。


政界、財界へと太く繋がるT家に届いた脅迫状。その調査と警護の依頼だった。


もちろん内密に、とのことだ。

そうでなければ俺のところに仕事など回っては来ない。


この事件はファイルには記さない、それが依頼人からの条件だった。

そして事件のあらましと驚くばかりの報酬を俺に伝え、 俺と調査の契約を済ませたのは、俺のとてもよく知っている人物だ。


T家の顧問弁護士と名乗った女性はミキだった。 昔、ある事件で知り合って以来の腐れ縁だ。

シックなスーツ姿に身を包んでいるが、華やかな顔立ちと、隠しきれない身体のラインが、いつも俺に依頼を断らせる勇気を失わせてくる。


俺はこの女が苦手だ。


「・・・今度は何を企んでいるんだ?」

「久しぶりに会ったっていうのに随分なご挨拶じゃないこと? 日干しになりそうな探偵さんに仕事を回してあげたっていうのに。」


ミキは書類を手早く作成しながら、お得意の微笑を浮かべてみせた。


大輪のバラには毒のある棘。そんな微笑。



俺はこの女が苦手だ。



俺は調査を始めた。一週間前にT家に届いた脅迫状の内容はこうだ。


『将門公の祟りを恐れぬもの滅ぶべし。』


裏を取ったら、大手町の首塚の移転話が持ち上がっていた。

その中心人物の一人がT氏だ。


最初は移転を反対する付近の住民団体の仕業かと思った。だが、同時にこれは本当に将門の祟りだという奴が出てきた。こんな迷信を未だに信じている人達が多いせいで、聞き込みは遅々として進まない。


くだらない。


幽霊なんていてたまるか。




 警備は万全だった。だが当然のように“祟り”は起きた。


 崩れかけた鎧、ざんばらに乱れた髪。土気色の肌。

 目は血の色そのままに真っ赤に燃え上がり、見開かれている。


 その吐く息は炎を纏い、周囲には無数の鬼火が舞う。

 身じろげば千年の埃が舞い、顔を向ければ首の肉が崩れ落ちる。


俺の口元に嘲りの笑みが浮かんだ。

まるで浮世絵からでも抜け出てきたようだぜ。


「ジョージ!」

ミキの呼びかけで俺は“将門”へと走り出した。

殺人の現行犯だ、今なら俺でも緊急逮捕できる。そういう意味だ。


“将門”は少し驚いたようだった。

向かって来られるとは予想外だったらしい。


笑った?と、思った瞬間、鼓膜が引き裂かれるかと思うほどの笑い声が響き渡った。

そして、その姿は霞が散るように忽然と消えうせてしまった…


まさに煙に巻かれた。どんなトリックなのかわからないが、マヌケな探偵が眼の前で犯人にまんまと逃げられたってわけだ。


それが、二日前のことだ。


……………



まったく、俺って奴はどうしようもない馬鹿野郎だ。


「ねえ、どうしたの?具合でも悪いの?」


毛布を掴んでソファに横になった俺にミキがのし掛かってくる。

名前も知らないきつい香水の匂いに、俺はさらに毛布の奥へと逃げた。


T家で俺とミキにあてがわれた部屋には豪華なベッドが設えてあったが、俺はこのソファでしか寝ていない。理由は言わずもがなだ。


少し寝かせてくれ、と頼むと、もう、とミキは拗ねた声を出して身体を離した。


 昨夜は盛大な通夜が行われた。


事件を表沙汰にしたくない、という百合子の意思は忠実に遂行された。 驚いたことに警察官の姿を表向きは一人も見かけなかった。

そこにどれだけの金と力が働いたのか。ミキの手腕も大したものだ。


おかげで俺の仕事は極めてシンプルなものになった。


祟りだ怨霊だ、宗教がらみだなんて複雑なものじゃない。

ただの相続争いに違いない、と俺は睨んでいた。


もちろん内部の者の犯行、その場に居なかった長男の龍二。

もしくはその協力者の犯行にしか見えなかった。


単純な事件だ。

あとはT氏殺害の夜から姿の見えない龍二を探し出すだけだ。


そう思った俺の心が、ほんの少しだけ綻びてしまったらしい。


通夜を抜け出し、この屋敷の新しい女主人に呼ばれた俺は、既に堕ちていた。


百合子は色の白い女だった。

初めて屋敷に来た瞬間から目を奪われた。


齢七十を越えるT氏の三番目の妻だったのだが、四十を前に、その清楚さと色香は最高潮に達していたといってもいいだろう。


ミキを気高い大輪の深紅の薔薇に例えるならば、百合子はその名の通り、喪服を纏ったとしても、白百合の如く、だ。


だが、ここで俺はまだ自分に女を見る目が無いことを思い知らされる。



 白百合は、蜜に濡れていた。


 百合子の自室に招かれた俺は、突然抱きつかれた。


 怖いわ、私。


 そう言っただろうか、よく覚えていない。



初日の通夜の喪服もそのままで、結い上げた髪も薄い化粧もそのままで、

百合子は俺に唇を押し付けてきた。


 すかさず甘い舌が俺の舌に絡み付いてくる。


 唇を重ねたまま、百合子は手馴れた様子で俺の身体に手を這わせた。


 俺は、抗えなかった。


 細身の背を強く抱きしめる、その淡い唇から、ああ、と声が漏れる。


その声に蕩けながら、また唇を塞ぎ、俺たちは床へと倒れこんだ。

百合子は当然のように、下着など着けていなかった。




……………



まったく、俺って奴はどうしようもない大馬鹿野郎だ。


俺の指で蜜に濡れた白百合が背を反らせて跳ねていたときに、吐息と吐息を混ぜ合わせて、蛇のように絡み合っていたときに、



二人目の犠牲者が出ていたんだからな。



次男、雄吾は自室で背中を袈裟切りにされていた。

その事を知ったのは百合子の部屋を出た深夜二時過ぎ。

それから今まで寝ていない。


ようやく人心地ついて眠るつもりになったばかりだ。


寝かせてくれ、俺は悪態をつくミキにもう一度頼み込んだ。


「あら、そう?・・・じゃあ・・・浮気しちゃおうかしら?」


ミキの挑発に毛布から目だけ出して覗く。ミキの横にもう一人、男か?

よく見ると警備主任の後藤だった。まだ若いし体つきは俺より一回りは大きい。


ミキは後藤の首に腕を回し、足を絡めてしなを作っている。


後藤の見下ろす目に、俺は背筋が寒くなった。

俺が警護に呼ばれたことも、結局二人も犠牲者が出たことも、この男にしてみたら気にいらない、ということは俺のぼけた頭でも想像できた。


「起きたら奥様の部屋に来るように。伝えたぞ。」


後藤は用件だけを簡潔に述べると、ミキの腕を振り払って部屋を出て行った。


そして部屋には、きょとんとした顔のミキが残されている。



警察が介入してこなかったのは、T家の存在の大きさを示していた。

殺人事件が二件も置きたというのに静かなもんだ。


 その静けさが俺を惑わす。


 次の日の夜も、俺は百合子のベッドの中に居た。


俺の口には合わない甘いワインを二人で飲み、求め合い、またワインに溺れる。

香水などつけていない筈なのに、百合子の身体は甘い匂いを放っていた。


そして三人目の犠牲者の報告を聞いた時も、俺はまだ余韻に呆けたままだった。


屋敷の裏で首を吊っている龍二が発見されたのだ。

凶器と思われる日本刀もその近くであっさり発見された。


自室に戻り、備え付けの水道で頭から水を被る。


甘いワインにどうも悪酔いしているらしい。頭痛が酷い。


「どこに行っていたのよ?」


ミキの切れ長の瞳は怒りを通り越してあきれていた。

髪を拭いたタオルもそのままに、俺は覗き込むミキの視線を受け止めた。


俺って奴はどうしようもない馬鹿野郎だった。

結局、誰も守れないままに、何も出来ないままに事件は解決し、終わろうとしていた。

俺はただ女の身体に溺れ、酔いつぶれていただけだ。


このままミキに少し怒鳴られていたい気分だ。

この気の強い女にガミガミ叱られる事が出来れば、俺の自己嫌悪も少しは和らぐかも知れない。それすらそんな甘えた思いからだった。


だが次に投げかけられた言葉は、俺の望みとはうらはらに限りなく優しく。



「ジョージ、コーヒー煎れてあげよっか?」



俺はきっとマヌケな顔をしていただろう。



「どう?お味は?」

「不味い。」

「最高級のブルーマウンテンよ!あなた、舌がおかしいんじゃないの?」


豆じゃない、とは言えなかったが、そう思ったら急に笑いがこみ上げてきた。


 俺はタバコに火をつけた。


 笑みを見せた俺に、ミキも不敵な笑顔を返す。


 コーヒーの香りにタバコ、いつもの空間。


 そう、俺の生きている場所はここじゃない。


「ねえ、ジョージ?」


ミキは俺の横に座ってくると、急に真面目な顔をして言った。


「貴方、まさか事件が解決したなんて思ってないでしょうね?」

「まさか。」


頭痛と気だるさの中で甘えていた俺は既に居ない。

俺の身体に反して、クリアになった頭が淡々と推理を続けてくれる。


この家の家計図が欲しい、と、俺はミキに伝えた。

「ふふっ、まかせておいて。」

胸を叩きそうなくらいの力強い返事。


 嬉しかった。


ありがたい、と、思ったが素直に口に出したのはまずかっただろうか。

女神様の笑顔にみるみる強力な毒が含まれてゆく。


「貸しにしておくわよ。」

そう言うと、ミキは俺の頬に軽く、一瞬だけのキスをした。


……………


 ひそかにおもんみれば、三皇五帝の国をおさめ、四岳八元の民をなづる、皆是うつはものをみて官に任じ、身をかへりみて禄をうくるゆへなり。君、臣をえらんで官をさづけ……



百合子が諳んじる言葉は俺には意味不明だったが、古い言葉に聞こえた。


あの夜から数日、庭には音もなく雨が降り注いでいた。


障子を通して、静かな雨の明かりが入り込んでくる。


その明かりの中で、百合子は花を活けていた。


「何事です?騒々しいようですが?」


涼しげな言葉で俺に聞いたのは、パトカーのサイレンの事だろう。

髪一筋ほども乱れを見せないたおやかな白百合、俺はどこか寂しさを覚えていた。


「俺が呼んだ。」

「内密に、と、御願いした筈ですが?」


わかっている、と答えた。

少しうつむき加減に見せるうなじは、いつかの夜のまま、白く、なめらかだ。

結い上げた髪の元から見える濡れた首筋が俺を誘う。


 だが、もう終わりにしよう。


「百合子さん、貴女にはお子さんがいらっしゃいますね。本当の。」


答えがないのは、否定する気がないことの証だ。

“殺された”この家の長男、龍二。次男雄吾のことじゃない。


俺が言っているのは本当の、百合子の実の子供のことだ。


T家の家計図に記されていなかった、もう一人の家族。

百合子の過去にのみ存在する、本当の子供。


遺産相続のもつれだと睨んだ俺の考えは正しかった。だが、相続人が違う。


百合子は俺がすべて見抜いていることを知っているはずだ。


血は繋がってないとはいえ二人の息子と夫を殺させた女。すべてを暴かれてもなお眉ひとつ動かさない女に、俺は薄ら寒さを感じた。


百合子は花を活けていた手を休め、すっ、と立ち上がると障子を開けた。


騒がしくなってきた屋敷の中の様子など微塵も意に介さない。


草履を履き、傘も差さずに雨の中に濡れる。


整えられた庭園、その中に一際目立つ大きな桜の木。その根元まで歩いた。


庭も、百合子も、見守る俺の前でしっとりと濡れていた。



 「やめろ!!」


 一瞬の胸騒ぎ。俺は何故か咄嗟にそう叫んでいた。



 稲光、轟音、衝撃。



俺が目を開けることが出来たときには、葉のない桜の木が燃え上がり、

その根元から少し離れた場所に百合子が倒れていた。


季節はずれの雷を百合子は知っていたのだろうか。

俺は履物も履かずに雨の中に飛び出していた。



そして俺は雨の中、その細い身体を抱き上げる。



柔らかく、甘く香る白百合に触れたのは、それが最後だった・・・





…………… エピローグ


ある晴れた日に、俺はミキに連れられて永田町の首塚を訪ねた。

俺はさんざん渋った挙句、貸しをひとつ帳消しにしてもらった。


そこまでして、何故、ミキがお参りに来たかったのか俺にはわからない。


警備主任の後藤は二人の息子を殺害したことを簡単に認めた。

ただし、T氏殺害については否認している。


T氏殺害の予定だけはあったが、偶然にも別人に先を越された。

後の二人はその“将門の祟り”に便乗してやった、と主張しているらしい。


だが、百合子はすべてを否認。


女は怖い。後藤の報われない哀れな姿は、女に篭絡された、もう一人の俺の姿だ。


人の罪は、人の手で裁かれる。

まだ発見されていない鎧一式も時間の問題だろう。


百合子、後藤の裁判、そして遺産の相続に関することは、ミキの事務所が一貫して執り行うことになったらしい。


せっかくの「お得意様」を失うんだから、最後に・・・なんて考えに違いない。


 まったく、女は怖いぜ。


ビル街に佇む首塚は、都会の喧騒を他所に、静かに、そこにあった。

周りを埋める壁を従え、この街の守り神は威厳を持って俺たちを迎えた。


余談だが、首塚移転の話はきれいさっぱり無くなったらしい。

俺たちは観光客に混ざって、将門の墓に参拝をすませる。



見上げた空は澄み切っていた。


どこか遠くで、あの豪快な笑い声が聞こえたような気がした。


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