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心霊探偵ジョージ   作者: pDOG
49/94

「女郎蜘蛛殺神事件 前編」

挿絵(By みてみん)

その温泉街に着いたのは、もう辺りがすっかり暗くなった頃だった。


駅を降りた時にはまだ太陽はかなり高い位置で輝いていたはずだが、送迎用のバスに乗り、まるで振り回されるかのような山道を登っていくうちに、いつの間にか夕闇に紛れ込んでしまったらしい。

道中ほんのわずかな時間、周囲が緋く染まり、そこから暗くなるまでは一瞬だった。


きっと冬が近いのだろう。


俺はその道のりのほとんどを寝て過ごした。

色づく山々、実りを示す紅い葉に目を奪われたのも最初だけで、10分も経たずに俺は飽きて窓の外を見なくなった。

寝て、とは言っても左右に揺られ続けて実際には眠るどころじゃ無い。ただ抗うように目を閉じていただけだ。この退屈な峠道も愛車で駆け抜けていたなら違った風景に見えたことだろう、などと考えながら。



バスの中には俺の他に7人の乗客が居た。敢えて平日を選んだせいで目論見通り空いていた。五月蝿いのも御免だしイチャつくカップルに当てられるのも、まあ一組くらいならいいだろう。

あとは老夫婦と、俺と同じ一人旅の客だけだ。皆あまり喋らずにいてくれて良かった。

しかし、もらったものとは言え、普通バス旅行ってペア宿泊券じゃ無いのか?なんで二人目からは実費になります、なんだよ。マコトはバイトがあるからって来やがらねぇし。まさかサオリは誘えないしな。



誘えない?、嘘だな。



どうしようも無い奴だぜ、俺って奴は。



こうして一人旅になっちまった言い訳を、女々しく何度も自分に言い聞かせながら過ごしているうちに、俺はどうやら目的地に辿り着いたらしい。

取り立てて荷物もないので身一つでふらりとバスを降りる。降り際に運転手の顔をチラリと見たらとんでもない爺さんが運転していた。こんな年寄りに身を預けていたかと思うとゾッとするが、ふと思い返せば道は酷かったが丁寧な運転だった。この人で良かったのかも知れねぇな。



出迎えてくれた町はこじんまりとしていて、赤みのある街頭に照らされていた。素朴でどこにでもあるような温泉街の街並みだったが、その暖かそうな灯りが染み入るような陽の落ちた山の冷たい風と相まって、町の魅力を十二分に引き出している。


美味い酒が飲めるといいんだが。


俺は少し気分が良くなって、バスが走り去ってから宿の自動ドアをくぐる事にした。




俺の名前はジョージ。

まさか商店街の福引きで温泉旅行が当たるとはな。



これも運命ってやつか。



……………



「いらっしゃいませ。」

中居の声に誘われて中に進もうとしたら怒られた。言われるままに靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。慣れないがまあ、たまにはこういうのも悪く無い。俺は見るからに老舗旅館と言わんばかりの乱雑さと行き届いた掃除が混在するロビーをぐるりと見回し、そしてフロントの奥に飾られた神棚に目を奪われた。


神棚の中央、いわゆる御神体を置く場所には俺の掌より大きい蜘蛛が飾られていたのだ。


全く動かないので作り物だという事はすぐわかった。

神棚を見上げる俺を見て、年の頃四十代の中居が教えてくれた。


この辺りでは蜘蛛が祀られているらしい。

蜘蛛の神様なんて聞いた事もないが、実は結構いるそうだ。ここのは近くの滝に纏わる女の神様で、たまに悪さをするためにこうして祀って、お供え物をして鎮める風習ができたらしい。

「この辺りでは蜘蛛を殺す事はご法度なんですよ。」

中居はそう明るく締めくくった。


案内された二階の部屋は掃除も行き届き、古臭いながらも味のある、よく言えば歴史を感じる和室だった。

窓を開けると真っ黒な闇が広がり、空の微かな星灯りがそこが森である事を教えてくれる。

遠く、川か滝のような水音も確かに聞こえる。あんな話を聞いた後だし、少し興味も湧いてきた。明日行ってみるか。


悪くない部屋なんだが、やはり壁や窓、ドアも防音というわけではないらしい。どこからか宴会のような騒がしい声も聞こえてくる。大人数では無さそうだが、ふう、せっかく都会の騒がしい森を離れて静かな世界に来たってのに、台無しだぜ。


俺は逃げ場のない自分の部屋から出てロビーに降り、そのまま大浴場と書かれた廊下の反対側に抜けた。途中で中居が出かけようとする俺を見つけて、「もうすぐ夕食をお持ちしますよ。」と声をかけてくれた。よく気のつく人だ。


予想通り、こちら側には人気も無い。

庭に抜ける廊下らしいが、ライトアップもされてない庭なので夜は誰も出てくる人が居ないようだ。


もう、宴会の声も聞こえない。


静かな庭だった。


そして耳が喧騒を忘れて本当の音を拾いだすと、今度は逆に驚くほど様々な囁きが聞こえてくる。


何種類いるかわからない程の虫の声。

真夏の蝉に負けないほどの大合唱。


風に揺られて擦れ合う木々のざわめき。


山鳥の鳴き声。遠く聞こえる水音。


世界は心地よい音で満ちていた。


俺はしばらくそうして音の湯に浸かっていた。

これも温泉のひとつの楽しみなのかもな。



そうして俺の体からすっかり都会の音が抜けきった頃、俺は暗い庭の端を走って横切る女の姿を見かけた。

一瞬だったが見間違いなどでは無い。顔はよく見えなかったが髪の長い、色の白い女だった。赤い浴衣が対照的に映えていたのでさらに印象深く記憶に残った。


大浴場は反対側だが・・・?


少し疑問は残ったが、その時の俺はそんな事はすぐに忘れて、また肌寒いとも感じる澄んだ風に身を預けた。



ふう、一人旅でよかったぜ。



どうやらすっかり山に惚れちまったらしい。




……………



用意された夕食はどれも美味かった。

この辺りの名物だという辛い料理が、また辛口の酒と合う。日本酒もこうして飲むと悪く無いな。


食事を終えた俺は露天風呂にいた。


おあつらえ向きに誰も居ない。こうして湯に浸かってやはり来てよかったなどと腑抜けた事を考えているなんて、俺もトシをとったってことかな。


あまりのらしく無さに思わず笑みがこぼれる。


見上げると澄んだ空に満天の星が広がっていた。


都会という森の中では、俺はいつどうなってもおかしく無いと思っていた。

それだけ危ない橋も渡ってきたし、恨みを買った事も覚悟を決めた事も一度や二度じゃない。よく指摘されるが、俺の左脇腹には銃槍が残っている。


こうして穏やかな時間が過ごせるならそれは感謝しなきゃいけないし、明日どうなるかすらわからないなら、せめて悔いの無いように好きな事をして生きていきたい。



ロクデナシの我儘さ。



まあ、今はこの旅を心ゆくまで楽しむとするか。




「もし。」


不意に話しかけられて、俺は思わす身構えた。女の声だ。俺が露天風呂に入る時は確かに誰も居なかったはずだ。


声は岩陰から聞こえた。露天風呂の中央に少し大きめの岩が確かにあり、隠れられないとは言わないが・・・見落としたのか?どれだけ腑抜けていたんだ、俺は。


声の主は俺を驚かそうという気は全く無かった。岩陰から静かに湯を波立たせながら姿を現わす。白い肩が湯けむりに隠れてなおさら目を奪う。


「ご一緒いたしませんか?」


艶かしい声だ。


「お酒のご用意もあります。よろしかったらご一緒にいかがですか?」


まだ季節には早い、雪を思い出させるほどに色の白い女だった。少し痩せすぎとも見えるくらい手も指も繊細だったが、その身体からは十二分の豊かさも感じる。

女は桶を湯に浮かべて体を隠すように俺の方へと近づいて来た。タオルで身体を隠して湯に浸かるような無粋な真似はしていないようだ。


普段の俺なら思わず生唾を飲んでいたところだ。しかし、自分でも信じられない事に俺は別のものに目を奪われた。


薄暗い間接照明の灯りが水面の様に揺れる、その切れ長の目だ。


その綺麗な目に捉えられた。


流し目が例えようも無いほど色っぽい。

しっとりと濡れた長い睫毛が瞬きをするたびに俺の警戒心を薄めた。


纏め上げた黒髪から覗くうなじも驚くほどに白く、染み一つ無い。


「さあ、どうぞ。旅の方。」


杯を渡され、女は桶の中から徳利を手に取った。


俺は進められるままに酒を飲んだ。言葉は出なかった。


杯を返すと女は受け取りながら俺の横に身を移してきて、俺の左肩にぴったりと寄り添った。



湯の中で触れる柔らかい絹の様な肌。白い肌はほんのりと火照り、それでいて見た目よりもずっと、熱い。



二人の前に桶が浮かんでいる。


だが俺は酒よりも、ライトアップされた紅葉よりも、その女から目が離せなくなっていた。


女はためらいもなく、俺が返した杯で酒を飲んだ。


言葉はいらなかった。


杯を置いた女は俺の肩に頭を預けた。


沈んだ手はそっと俺の左腿に添えられた。


女は顎を上げて瞳を閉じる。



繊細でいて、ふっくらとした薄紅色の唇。




空の色を思い出させる長い睫毛が近づいて・・・






そこで俺は夢から覚めたかのように湯から立ち上がった。




旅館の中から湯けむりを切り裂く様な女の悲鳴が聞こえてきたからだ。




ただ事では無いのはすぐわかった。


俺は露天風呂から飛び出すと身体を拭くのもそこそこに服を着て廊下に飛び出した。


どこで何が起きたのかを知りたかったが、どこで、は探すまでもなくすぐわかった。廊下の先で部屋を覗き込む人溜りが見えたからだ。


俺が駆けつけたとき、男は床に倒れ伏し、その身体を若い男が「先生!先生!」と声をかけながら揺すっていた。

部屋の隅では芸者風の女が二人、身を寄せ合って震えている。


「どいてくれ。」


俺は人をかき分けて現場にたどり着いた。



to be continued....

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