「吸血鬼 前編」
俺の名前はジョージ。しがない探偵なんて稼業をしている。
俺の元にはいろいろと変な依頼が舞い込んでくる。
そりゃそうだ。こんな弱小の私立探偵の所に駆け込んでくるのは世間知らずの甘ちゃんか、大手の探偵事務所をどこも断られた奴くらいなもんだ。
その日、俺の事務所に飛び込んできた依頼も、そんな変り種の一つだった。
「彼女を・・・僕のお嫁さんを探して欲しいんです。」
その言葉にマコトが目を丸くした。傍らで丸まっていた三毛猫も耳をぴんと立て、驚いたように目をまん丸くする。まるで冗談のような仕事だが、依頼人は極めて真剣な表情をしていた。
依頼人は都内の電機メーカーのエンジニア。高見沢修一、28歳。
ひょろっとしていて顔色が悪い。冴えないボケた顔立ちで言葉にキレが無い。特徴的なのは髪の毛だ。不潔という程ではないが数ヶ月床屋に行ってない不揃いの髪に、おそらくは起きてから一度も櫛を通してない絡まり方。
不器用に仕事と趣味に生きてきた、誠実さが取り得のタイプのようだ。
話を聞いてみると一緒に住んでいた"山崎カオル"という名の女性がつい先日、何も言わず、書置きひとつ残さずに消えてしまったのだという。
二人は付き合いだしてたったの一ヶ月だったが、もう結婚の約束も交わしていた。週末に式場めぐりでも、という話が出た矢先の出来事だった。
失礼ですが・・・、と俺は聞かなければならないことを質問した。
その言葉に依頼人の青白い顔が少しだけ朱に染まった。
どうやら怒らせてしまったらしい。
「とんでもない!無くなった物なんて無いですよ!通帳も!カードも全部無事です。
今までに彼女にお金を貸したこともありません!」
結婚詐欺を疑うのはまず当たり前の事なんだが、今まで一度も疑わなかったんだろうか。
それだけでこの男の生きてきた半生を見ているような気がした。
もちろんこんな依頼は受けられない。
分かっているのは「山崎カオル」という名前だけ。
現住所、電話番号、本籍、交友関係まですべて不明な上に写真一枚無い。
見つけろというほうが無理な話だ。
そもそもそのありきたりの苗字と名前からして偽名である可能性が高い。
この男に近づいた目的は不明だが、おそらくデート商法まがいのやり口だろう。
まぁ、忘れるのが懸命な判断って奴だ。せっかくの依頼人だが丁重にお帰りいただく事にする。
無駄に高い必要経費を日割りで請求する悪徳業者ならともかく、うちのような成功報酬中心の探偵事務所はこんな依頼受けたらタダ働き同然だ。
惚れた男の悲しい性って奴か。あまりに必死な願いを断るのは気が引けるが、まぁ、それも人生勉強ってやつだ。次は悪いところに当たらないことを願うとするさ。
それはあまり記憶にも留まらない様な些細な出来事だった。
肩を落として帰っていった依頼人の靴の色も忘れてしまうほど。
俺の記憶からその顔まで失われてしまいそうになったとき、
依頼人は再び、俺たちの前に姿を現した。
──── 死体となって。
毎日の習慣になっている新聞とTVのチェック中で見つけたJRへの飛び込み自殺のニュース。
テレビの画面に映し出された無表情な顔と名前は、間違いなく高見沢のものだった。
これがはじまりだった。
だがこのとき、俺はまだこの事件の重要性をちっとも把握していなかった。
高見沢の死を知った日も、依頼を断った後味の悪さを喉の奥で味わっただけだった。
……………
「ある女性を探して欲しいんですが・・・。」
依頼人、須藤孝の口からその言葉を聞いた時、俺は妙な胸騒ぎを感じた。
あの仕事を断った依頼人の死からちょうど一ヶ月が経過していた。
春の暖かな日差しの中で眠そうにしていた猫が薄目を開けてこちらを見た。
俺の予感は的中した。
その女性の名前は山崎カオル。
同姓同名の別人だとは思わなかった。そして話を詳しく聞いてさらに確信した。
恋人だったと思う、という控えめな関係。だが数日前からカオルと連絡がつかなくなり、彼女のマンションに行って見ると部屋の中がからっぽになっていたという。その前日までそこに住んでいたはずなのに、管理人に聞いても知らない、その部屋はもともと空き室だったの一点張り。
むしろなぜ合い鍵を持っているのかを疑われ、警察を呼ばれそうになったそうだ。
俺は前の依頼人に出来なかった質問を無理に須藤に聞いてみた。
須藤は俺よりも年上だったし、落ち着いた判断が出来ると思ったからだ。
結婚詐欺の可能性、なし。
宗教の勧誘の線、なし。
何か高額な商品を買わされた様子も無い。
身体の関係、あり。
既にもぬけの殻だが旧住所も判明した。
解約されていたが携帯電話の番号も手に入れた。
これだけあれば仕事になる。現住所を突き止めることなど簡単なことだ。
俺はこの依頼を受けることに決めた。
まあ、仕事を請けないと家賃が払えないから、という理由もあったが俺自身そのカオルという女にちょっと興味も湧いてきていた。
高見沢も須藤も、二人とも付き合いの短い女を必死になって探している。
どれほどのいい女なのか、ぜひお会いしてみたいものだ。
須藤はこのまま泣き出すのかと思うくらい感動して何度も礼を言い、帰っていった。
事務所の窓から見送ったベージュのスーツ姿は、初春の短い夕日の中で、まるでスキップでもしだすかのように軽やかで晴れ晴れとしていた。
俺は一週間の調査時間を貰った。
実際にはもっと簡単に突き止められるはずだ。明日にでも早速取り掛かる予定だった。
だが・・・俺は思わぬ形でこの依頼のキャンセルを聞く。
翌朝、須藤が自殺したというニュースが俺を乱暴に叩き起こしやがったからだ。
昨夜自分の住んでいたマンションの屋上から飛び降りたらしい、と、俺は事務所に駆け込んできたマコトから聞かされた。
冗談じゃない。
もちろん報酬もパアだ。
しかし飛び降り自殺ということだが・・・何故だ?
俺は確かに依頼を受けた。須藤の帰り際の様子がありありと思い出される。
断られて絶望して、というならともかくあれだけいい結果を期待していた人間がその日の夜に死を選ぶなどということが起こり得るだろうか。
「山崎カオル」を追っていたから、なのか?
何か嫌な感じがする。
警察は思ったよりも早く来た。
須藤の自殺した日の足取りを追い、俺のところに辿りつくまで二日。
近藤さんは優秀な部下を持っているらしい。
次から次へと須藤の死について質問をぶつける俺に近藤さんは苦笑して
「これじゃどっちが取り調べられてるかわからないな。」とボヤいた。
須藤孝、36歳。品川にある公営住宅在住のサラリーマンだ。
家族構成は妻と子供が一人。
山崎カオルとはどうやら不倫関係にあったらしい。
二日前、仕事帰りに俺のところに仕事を依頼しに来た須藤は、帰宅した後、家族と夕食を共にし、発泡酒を二缶開けてふらりと外に出た。15分後、屋上へと足を進めている姿が目撃されている。
他殺の可能性はまったく出てこない。
だが動機もまったく無い。
不思議な自殺だった。
ただひとつ・・・
地上に叩きつけられた須藤の体からは、奇妙な事に血が少量しか流れ出てこなかったそうだ。
そういえば最初の依頼人である高見沢も、須藤も、妙に青白い顔をしていた。
俺はひとしきり質問を終えると近藤さんに「山崎カオル」について説明した。
近藤さんはやっと始めることができた事情聴取に、最初はいつも通りの人懐っこい笑顔を見せていたが、二人の依頼人の話を聞くと徐々に眉を曇らせていった。
「そうか・・・その女性を洗い出してみる必要があるな。ん?ああ、いい。
ジョージ、お前は待っていろ。結果は教えてやるから。馬鹿、こういうことは税金でやるもんだ。」
まかせておけ、と笑って出て行った近藤さんの背中がいつもより小さく見えた。
嫌な感じだ。
今までに感じたことの無い、嫌な怖さ。
俺の勘が何かを囁いている。
俺は近藤さんを呼びとめようと手を伸ばし・・・
そして・・・、やめた。
……………
近藤さんは、実に言いにくそうに俺に捜査の途中結果を教えてくれた。
須藤の死は自殺として結論付けられた。
そして ──── ここが一番近藤さんが口籠ったところだが──── 「山崎カオル」は存在していなかった。
マンションに住んでいた(と、思われる)人物「山崎カオル」はもちろん偽名だった。
そんな人間はこの世に存在していない。
足取りも途絶えた。
どう見ても素人ではない。近藤さんはもちろんマンションの排水口まで調べてくれたのだが、該当者と思われる髪の毛などは発見出来なかったという。
だが、この女が何かを知っていることは間違いのない事実だ。
同じ女を追っていた男が続けて二人も自殺するなんて、とても偶然とは思えない。
嫌な感じだ。
近藤さんはあらためて調べ直してくれていた。
最初の依頼人、高見沢の列車事故も自殺であることは間違いないそうだ。
ホームの一番前に立ち、自然に身を電車の前に晒したらしい。
目撃者も多数存在していた。
そして、
高見沢の自殺時も須藤同様、血液の少なさは問題視されたらしい。
──── 血液、か。
確かに血液の売買組織は存在する。
献血などというレベルではなく、死の間際まで血液を売り買いする連中だ。
血液を冷凍保存する倉庫、血清を取り出す技術、密輸するルート。
これがその組織が絡んでいるのなら、かなり大きなヤマになりそうだった。
俺が血液密輸組織の説について話している間、近藤さんはじっと俺の話に耳を傾けていた。
そして話がひと段落すると、お茶をひと啜りしてこう言った。
「そうだな・・・そうかも知れんし、そうじゃないかも知れん。いずれにしてもジョージ、この事件はもう警察の仕事だ。お前は手を引け、いいな。」
ちっ、また頑固な顔してやがる。
「不満そうな顔をするなよ。」
そうじゃねぇ。わかってねぇな。
……………
「山崎カオル」の一件は気にはなったが、俺の元には次の仕事が舞い込んできていた。
俺はすべてを警察に任せ、この事件から身を引くことに決めた。
だが、俺がこの事件の呪縛から逃れられるようになるのはもっとずっと後のことだ。
季節が移り変わろうとしていた。
その夜、俺はある別件の仕事を片付けてアパートへ帰ろうとしていた。
人ごみに揉まれて駅の改札を抜け、疲れた足を引き摺って家路を急いでいた。
時刻は夜の十時を少し過ぎていた。
アパートが見えてくる。
ん?
ふと、二階にある俺の事務所の明かりがついている事に気がついた。
サオリか、それともマコトか?猫の世話にでも来てくれたのだろうか。
そんなことを考えながら近づいて、その予想がどれも外れていることを知った。
二階の窓から見えた人影は、俺の見知らぬ女のものだった。
まだ夏には早い夜風に対応できる黒い大きなストール。
肩よりも長い黒髪。
後姿のために顔は解らないが、どうやら事務所の中を見回しているらしい。こんな時間にくるなんて、どう見てもまともな客じゃないだろう。
俺はオペラグラスを仕舞いこみ、気付かれぬように音を立てずアパートの中へと侵入した。
他に見張りや仲間は居ないようだ。
俺は敢えて階段を使って二階まで進み、事務所の中の様子を伺った。
何の物音もしない。
俺は今更ながら事務所に防犯対策を加えていない己の馬鹿さ加減を後悔していた。
鍵を取り出して音を立てないように──── これも驚いたことに鍵はかかったままだったのだが──── 開け、一気にドアの中へと踊りこんだ。
動くな、と叫ぼうとして、やめた。
部屋の中は真っ暗だった。電気など点いていない。
誰も居ない。
何の音も、気配もしない。
いつもの誰も居ない事務所のままだ。
俺は用心深くすべての部屋を調べたが、誰も居なかった。何かを取られたような形跡も無い。
──── あれは目の錯覚だったのか?
気のせい・・・?いやそんなバカな。ここにはあの女が確かに居たらしい。
俺の嗅ぎ慣れない香水か、シャンプーの匂いがまだかすかに部屋の中に残っていた。
事務所のドアが小さく音を立てた。
身構えた俺の前に三毛猫が顔を出して、不思議そうな表情をしていた。
鼻を動かしている。猫も部屋の中の様子が違うことに神経質になっているらしい。
いつもは深夜の集会から帰ってくるとすぐお気に入りの場所に行くのだが、今夜はじっくりと部屋の中を見回し、臭いを嗅いで回っている。 そして時々怪訝そうな顔をして警戒するような低い鳴き声を放つ。
目の錯覚などではなかった。
確かにここに、俺たちの知らない誰かが侵入したようだった。
何か、嫌な感じだ。
本当に嫌な感じだ。
……………
そして俺は三度、山崎かおるの名前を耳にすることになる。
その日俺の事務所を訪れた依頼人。
その依頼人はなんと山崎カオルだったからだ。
to be continued....




