「累が淵」
「ふーん、想像とずいぶん違うな。」
それが彼女の第一声。もっと格好いい人を想像していた、と、顔に書いてある。
「そう?」と僕は気付かないふり。
「それも違う。いつもなら『そうかよ。』って言わない?」
「掲示板のキャラを言われてもなぁ・・・」
そう小さく呟いた僕に、まるで聞かせるかのように大きくため息が続く。
僕が悪いのか?
そりゃあ掲示板じゃほんのちょっとだけ格好つけた台詞回しをしたけどさ。
・・・そのあとのメールも、ちょっとだけジョージさんらしく振舞ったけどさ。
・・・好きな飲み物はバーボンとか言っちゃったけどさ。
「で、探偵ってのは本当なんでしょうね?」
・・・プロの探偵だって、言っちゃったけどさ。
マコトです。今、ちょっとピンチかも知れません。
「ほ、本当だよ。小さな事務所だけど“これ”で食べてるんだからさ。」
いつものバイト代は家賃と光熱費。ジョージさんから貰うお金は食費。
うん、嘘はついていない。
「まあいいわ、・・・なんっか、頼りないのよねぇ・・・」
僕はこの娘が苦手だ。もしもし、ちゃんと聞こえてますけど。
…
彼女の名前はユウ。都内に住む女子大生、21歳。
ユウは本名じゃない。『You』と書かれていた掲示板のハンドルネームだ。
インターネットで知り合ってメールを交換するようになった。
僕が調子に乗って『現役探偵』なんて名乗っていたら、食いついてきた。
最初はただ面白がっていただけなのかと思ったら、
どうやら本当に相談できる相手を探していたらしい。
相談というのは彼女の親友のことだった。
「私、殺されるかも知れない。」
そう呟いたらしい。この言葉が彼女は気になって仕方がなかったのだけど、それから何を尋ねてもだんまりを決め込んでいる、との事。
お父さんに?、と聞いたら見事に当たった。
「凄い!本当に探偵なんだ。」
尊敬のメールが気持ちよくて、ついつい詳しく話を聞く事になった。
彼女の親友の名前は留唯。問い詰めても何も答えてくれないらしいけど、ユウが状況を見る限り、他に考えられる人が居ないようだ。
よくある話だ。父親の再婚相手と仲が悪くて邪魔にされているらしい。
ユウは本気で留唯さんのことを心配していた。
なんとか彼女を不安から解放させてあげたいと心から思っていた。
そんな彼女と僕はいつの間にか連絡を取るようになり。
そして今日、事務所に来て正式に仕事の依頼をしてくれる事になったんだ。
待ち合わせ場所は彼女のよく使うターミナル、新宿に決まった。
「どうぞ、中へお入りください。」
「へー、本物の探偵だったんだねえ。」
ユウはドアに取り付けられた看板を見て心底感心した顔を見せた。
事務所に来るまで本気で僕は疑われていたらしい。
彼女をソファに案内してコーヒーを出す。
一応、一通りの書類を出して話を聞く態勢を整える。
いつも僕がやっている動作だからボロは出てないはずだ。
事務所の中は僕とユウの二人きりだ。
これは狙った。ジョージさんは今、調査で茨城に出張中。
ジョージさんに内緒で仕事を請けるなんて絶対秘密だ。
みゃぁ、と怪訝そうな鳴き声を出して三毛猫が見上げてくるけど問題なし。
連絡は携帯電話に入るし、あとはジョージさんが帰ってくるまでに仕事を終えればいいってことさ。
「結構・・・高いな。」
料金表を見ていた彼女の呟く声が聞こえてしまった。
これでも“うち”の事務所は良心的なんだけど。まあ、これも想定内。
こっそりする仕事でお金を貰う気は無かったからね。
友達だから、とか適当なことを言ってご飯でも奢ってもらえれば十分。
まあ、僕としてはユウみたいに気の強い女の子は苦手だから、彼女と楽しく食事する姿は正直とても想像できない。
それよりも見せてもらったスナップに写る留唯さんの方が好みだ。
紹介して貰えればいいかな、なんて考えていたら、また声が聞こえてしまった。
「絶対払うから。あたし絶対、バイトして払うからね。」
……………
「やっほー、待った?」
20分遅れで新宿の目に現れた彼女は少しも悪ぶれたところを見せてくれません。
「今日はメガネなんだね?」と、聞いたら、
「この間はもっといい男が出てくると思ったからね。」だ、そうです。
──── 僕ですみません。
それに引き換え、失礼だよ、と諭す留唯さんは天使だね。
どうしても払うと言い張ったあの押し問答が無ければ親友だなんて絶対信じない。
お金の話は、もちろん留唯さんには内緒だけど。
でも、ここからが大変だった。
留唯さんは運ばれてきたミルクティーをじっと見つめたまま何も話してくれない。
ユウはなんとか彼女に説明して貰えるように頑張ってくれたんだけど、留唯さんは、ちらっと僕を見てまたうつむいてしまう。
なんとか僕が名探偵なのだと説得(?)して、やっと話を始めてくれるまでに、たっぷり2時間はかかった。
「私の母は・・・これは推測なんですけど、たぶん、父に殺されたんです。」
彼女はとても話したくない事を無理やり口から押し出してくれた。
留唯さんの父親という人は、とにかく感情の起伏の激しい人らしい。
よく手も上げるし、特にお酒が入ると手が付けられないほど暴れるという。
母親は彼女がまだ幼い頃に亡くなっているのだが(自殺という話だ)、彼女はそれが“殺人”だと信じ、そして犯人が父親だと信じていた。
そして、次は自分も殺されるのではないか、と怯えていた。
「なあ探偵、なんとかしてくれよ。」
そう言われてもなぁ。
留唯さんが持参した父親の写真には、丸顔で小柄な中年男性が写っていた。
屈託の無い陽に焼けた笑顔。人のよさそうなちょっと突き出た腹。
冗談でも人を殺せるタイプには見えないんだけど。
お酒が入ると違うのかな?
しかも、話を聞けば聞くほど探偵の仕事じゃなさそうだ。
留唯さんは確かにちょっと怯えているように見える。
トイレでも我慢しているかのようなもじもじした素振り。
何かの気配を気にするように視線が定まらない。
でも具体的に何をされたかが出てこないんだ。
例えば食事に毒を盛られた、とか、首を絞められた、とか。
手を上げる父親だとは聞いているけど、命に関わるような事は出てこない。
ドメスティックバイオレンスの相談なら福祉事務所か警察の範疇だ。
ただ、彼女は父親が邪魔になった母親を殺したのだと信じている。
彼女の母親は川で溺れたらしい。その当時も父親には浮気相手が居たらしく、それが今の自分と重なるのだろう、次は自分も・・・なんて思ってる。
「どうかよろしくお願いします。」
そう言われてもなぁ。
そんな、目に涙を一杯に溜められてもなぁ。
ずるいよ。反則的に可愛いじゃないか。
……………
困った事になった。
こんな気のせいかもしれない殺人を防ぐなんて、はっきり言って無理だ。
確かに何かが起こってからじゃ遅いけど、護衛をつけるような状況でもないし・・・
でもユウがさっきから、
(なんとかしてくれるんだろうな?しっかりしろよ、探偵。)
っていう視線を向けているしなぁ。
「お父さんと・・・話し合うしか・・・ないような・・・」
だから(当たり前の事を言うな)って、視線はやめて。頼むから。
僕は咳払いをひとつして、改めて瑠唯さんに向き直った。
「他に気になることはありませんか?どんな些細なことでもいいんです。」
「母が・・・」
これは彼女の説明によると現在の義理の母ではなく、死んだ実の母親のこと。
「母が・・・毎晩、夢枕に立つんです。」
彼女の顔に怯えた色が一層強く浮かんだ。そわそわした素振りも増した。
「母が・・・このままじゃお前も殺されるよ・・・って言うんです。」
殺される、殺されるよ。
早く殺してしまわないと、お前は殺されるよ。
早く殺してしまいなさい。女も殺せ・・・さもないと、お前、死ぬよ・・・
それがここのところ毎晩、続いているそうだ。
だから、なおさら父親に近づくのが怖い、と彼女は続けた。
もしかしたら自分が父親を殺してしまうかも知れないから。
……………
僕の携帯にユウからメールが届いたのは、彼女たちと別れてから1時間後のことだ。
結局、話を聞いただけでは何も解決しなかった。当たり前だけど。
後日彼女の家に行き、お父さんを交えて話し合いをするしかないだろう、という曖昧で至極当然な結論を出してその場はお開きになってしまった。
メールは、“今日はごちそうさまでした。で、どう思う?” という内容。
折り返して電話を掛けるとワンコールで繋がった。
やっぱり家を出て一人暮らしをするしかないんじゃないか、いや、それじゃなんの解決にもならない、という話しを少ししたところで確信に触れた。
「どう、って?」
「あの“母親”の話。」
電話を通してもわかる。ぶっきらぼうなユウは少し怖がっているようだ。
「あれ、あたし、“本物”だと思うんだよね。」
「“お母さんの幽霊”?」
「そう。なんて言うのかな、直感なんだけど・・・」
嫌な寒気が全身を駆け回った。僕はこの手の話ははっきり言って苦手だ。
さいわい、今まで一度も幽霊に出逢ったことが無いから助かっているけどさ。
UFOだって信じている。見たことないけど。
瑠唯さんの話は確かに、あるわけないよ、と笑い飛ばせる気がしなかった。
「あれ、もしもし?どうしたの?もしかして怖いのか?」
黙ってしまった僕を見透かした言葉がすかさず出る。
「かわいいな、探偵。」
慌てて取り繕ったらそう言われた。もう、本っ当に僕はこの娘が苦手なんだ。
……………
数日後、僕たちは瑠唯さんの家まで足を運んだ。
あと一駅で23区から出る、そんなちょっと田舎の小洒落た駅だ。
彼女たちとの予定が合うまでに僕がしたことは、瑠唯さんの実の母親の死が、間違いなく自殺だったということを確認したこと。
父親には確実なアリバイが存在した。疑いようも無いくらいにシロだ。
瑠唯さんはその間も毎日母親の強迫観念に悩まされていたらしい。
駅まで僕たちを迎えに来てくれた彼女の目の下に、うっすらと隈が浮かんでいた。
父親が殺人者でない事実を伝えてあげると、彼女は本当に嬉しそうな表情をした。
そうなんだ。
彼女が僕に見せた写真。
あの人のよさそうな笑顔、優しそうな父親の表情。
そして、その写真を持ち歩いていた彼女。
時々、手を上げる父親なのかもしれない。
お酒を飲むと怖い父親なのかもしれない。
でも、
そんな優しい笑顔を見せることもあったんだ。
そう、この時僕はやっと、聞くべき質問に辿り着くことができた。
最初からこうすればよかった。探偵として、僕が出来る唯一のこと。
真っ直ぐ彼女の目を見つめて。君はどうしたいの?、と。
…
正直に気持ちをぶつけてきた娘の前で、父親は少し照れているようだった。
でも、その肩を強く抱きしめた無骨な手は、確かに暖かかったんだ。
彼女の目から想いが涙になって溢れ出した。
そう言えば、その時彼女はこう呟いていた。
さようなら、お母さん。
誰に向かって言った言葉なのだろうか。
でも、きっと、もう、彼女は母親の影に怯えることは無いに違いない。
新しい母親とも、きっと、うまくやっていけるはずだ。
そう信じたい。
母親は辛かったのかも知れない。夫の浮気に悩み、自殺という道を選んだ。
でも、その憎しみや過ちを子供が引き継ぐ必要なんか無いんだ。 恨みなんて川にでも流してしまえばいい。
恐怖や疑心暗鬼から生まれた父親との深い溝は、流れた涙で埋まろうとしている。
特に僕が力になれた気はしないけど、なんとか無事、事件は解決した。
帰ろうか、とユウに声を掛けたら、なんかニヤニヤしていた。
なんだよ、と聞いても、内緒、って教えてくれないし。
僕たちは顔を見合わせてどちらともなく、くすりと笑い合った。
ほっとした、そして少し照れた笑顔。
事件はこうして終わったのだった。
でもその後に続いた言葉で僕は凍りつくことになる。
「探偵、飲みに行こうよ。お祝いに、さ。」
今更、「すみません、本当は僕、お酒飲めません。」とは言えなかった。
……………
僕の嘘は素晴らしくいとも簡単にあっさりとバレた。
出張に行っていたはずのジョージさんが帰ってくるなり、頑張ったみたいだな。と褒めてくれたのにはびっくりした。
どうしてバレたのか、これこそ謎だ。
ユウには酒場で洗いざらい喋らされたらしい。
らしい、というのは僕にほとんど記憶が残っていないからだ。
でももう既に僕の呼び名は『探偵』から『見習い』に降格した。
もちろん仕事の報酬は貰っていない。
そのかわり、また飲みに付き合ってやるからな、と言われた。
まあ、嘘をついていたのはこちらだし、いいんだけどさ。
そして、何かニヤニヤして見られることが多くなったような気がする。
掲示板でも、メールでも、顔が見えなくても相変わらずだ。
何か凄く重大な弱みを握られてしまったような、変な感じ。
最近一番問題なのは、瑠唯さんに彼氏が出来そうだと僕を急かす事だ。
本当によかった。彼女はうまくやっているようだ。
でも、そんな急かされたって、困るよ。
っていうか、僕の反応を見て面白がっているようにしか見えないんですけど。
やれやれ本当に僕はこの娘が苦手なんだな。
引きつった笑いの中で、僕は心底そう思った。




