ショートショート「幻の恋人」
出逢いも別れも、偶然と、ほんのちょっとしたタイミングの組み合わせだと思う。
運命とか宿命とか、信じないわけじゃないけれど、なんかもっとシンプルな気がする。
僕の名前はマコト、ジョージさんとコンビを組んでいる探偵・・・見習いだ。
僕がジョージさんに出逢ったのは三年前。僕がまだ学生だった頃だ。
その頃、僕は都内の大学に通う四期生。
来年の春には卒業、就職、そんな時期に僕はなんと家出をした。
22歳で家出、と言うとちょっとかっこ悪いな。
正確さに欠けるけど「駆け落ち」かな。
クラブで偶然知り合った女性の部屋に転がり込んで、そのまま帰らなくなった。
居心地がいいだけじゃない何か妖艶な魅力のある年上の女性。
家にも帰らない、もちろんゼミにも行っていない。連絡も入れない。
家族にして見たら失踪したようなものだ。
でも、僕はもう彼女のこと以外考えられなくなっていた。
ワンルームの蜜月。彼女と僕だけの空間から帰りたくなかった。
もう何日も裸で過ごしているような気がする。
頭がぼうっとして、正確な日付や時間が失われてゆく感覚。
抱きかかえられた頭に彼女の声が届く。
「ずっと一緒よ。」
そんなある夜、チャイムの音がした。
しつこく鳴るチャイムに僕は呆けたままのろのろと起き上がる。
タオルを腰に巻き、無愛想にはい、と返事をした。
宅急便です──── わかりました ──── そんなやり取りだった。
無用心に鍵を開けて扉を開いた途端、隙間に足が差し込まれた。
鼻先をタバコの匂いが通り過ぎてゆく。
その刺激に覚醒し、僕は顔を上げて侵入者を見た。
なにやってんだ、こんな所で。そう言われた記憶がある。
──── 見つかった────
すべてを理解した。
連れ戻される──── 嫌だ────!!
逃げるのよ、彼女が僕の腕を引っ張ってベランダに走った。
ベランダから外へ飛び降りて逃げるつもりなんだ。
僕たちは見つかってしまった。逃げるしかない。
足に力が入らない、そういえばご飯食べたのどのくらい前だっけ。
「一緒に行くのよ。」
彼女がベランダの手摺から身を乗り出して、先に落ちた。
軽やかに、とても簡単そうに。
僕もベランダに足を掛けて身を乗り出した・・・はずだった。
はずだったが、僕の逃避行はそこで終わった。
肩に置かれた大きな手。
「死ぬ気か?ここは4階だぜ。」
その声で初めて正気に戻った。
下を覗いたけど誰も居なかった。
あれ?彼女は?・・・そう思って振り返り、愕然とした。
──── 部屋の中はがらんとしていた。
部屋の隅に僕の服だけが丸められていた。
そんな・・・と、思ったけどよく思い出せない。
あのベッドの感触も、家具も、巻いたはずのタオルも。
何も無かった。
こうして僕の三週間あまりの駆け落ちは終わった。
父の知り合いだと名乗った探偵さん=ジョージさんに連れられてマンションを出る。
空き部屋に不法侵入していた件は黙っていてもらえるそうだ。
そういえばあの時、ジョージさんの仕事は“僕を連れて帰る”だった。
もし“僕の居所を報告する”という依頼だったら今の僕は無い。
きっと、探偵を目指そうとも思わなかっただろう。
あの事件?が現実だったのか、実は今でもよくわからないんだ。
彼女はそれきり僕の前から姿を消してしまったから。
確かに愛し合った記憶はある。でもジョージさんも彼女の姿を見ていないし、すべてが夢だったと言われても、悔しいけど反論できない。
また会えるかもと何度かあのクラブに足を運んだが、すべて無駄足だった。
ベランダの真下の地面には血の跡が残っていた。
ただ、その血の跡はもう二年も前のものだという。
随分洗ったようだが、どうしても黒い染みが消えないらしい。
帰り際に僕は何故かその染みが気になって、何時までも見つめていた。




